― 第3節:友達との再会 ―
昼休みになって、私は気づけば中庭にいた。
教室の空気に耐えきれなかったのだ。
誰かが私のことを「まどか」と呼ぶたびに、耳の奥が痺れた。
正しい音のはずなのに、どこかが狂っていた。
あの音は“私の名前”じゃない。
名前を模した“記号”みたいに聞こえてしまう。
中庭のベンチに腰を下ろし、私は小さく深呼吸をした。
光は柔らかく、木々の間を抜ける風が葉を揺らしている。
一見すれば、平和な午後の光景だ。
でも、私は知っている。
この世界の光には“影がない”。
空を見上げても、太陽の位置が曖昧で、木々の影が地面にしっかり落ちていない。
それが、妙に気味が悪かった。
「……まどか?」
その声に、私はびくりと肩を揺らした。
振り返ると、そこに“本物の美香”が立っていた。
……そう、私がそう“感じた”だけ。
彼女の髪型、制服の着崩し方、視線の癖。
どれも、私が記憶している“美香”そのままだった。
でも、彼女の胸元には「三田 美紀」と名札がついていた。
「……あのさ、ちょっと話せる?」
美紀──いや、“美香”に似た彼女が、私の隣に腰を下ろした。
私は言葉が出なかった。ただ、うなずくしかなかった。
「昨日、LINEありがとう。返信できなくてごめんね」
彼女はスマホを取り出し、私に画面を見せてきた。
そこには、私から送ったメッセージが並んでいた。
【ねえ、昔の話覚えてる?】
【夏祭りのこととか】
【美香って、名前だったよね?】
私は、自分で送ったはずのそれを見て、背筋が冷えた。
「……ごめん、意味わかんなかったと思うけど」
私がそう言うと、美紀は首を横に振った。
「ううん、実は……ちょっとだけ、“思い出した”気がしたの」
「思い出した?」
「昔のこと。坂の話とか、夏祭りの夜のこととか。全部、夢だと思ってたけど──でも、なんか、まどかと話すと、そのへんが……曖昧になるの」
彼女の声が震えていた。
でも、それは恐怖というより“確信”に近い感情だった。
「私、ほんとは美香……だったんじゃないかなって」
その一言で、私は息を呑んだ。
胸の奥で、何かがカチリと嵌った感触。
今までの違和感が、言葉として結晶になっていく。
「じゃあ……この世界って──」
私が言いかけた瞬間、彼女のスマホが震えた。
着信。誰からかは確認できなかった。
でも、美紀は急に表情を曇らせ、立ち上がった。
「ごめん、呼ばれてる……また、放課後にでも……!」
そう言い残して、彼女は駆けていった。
後ろ姿は、たしかに“知っている美香”だった。
でも──
最後に、彼女は私の名前を呼ばなかった。
それが、ひどく寂しかった。
せっかく“知っている存在”に触れられた気がしたのに、
その最後の“ひとこと”だけが抜け落ちている。
まるで、私という存在の“輪郭”が、誰にとっても曖昧になっているかのようだった。
午後の授業が始まっても、私は上の空だった。
ノートに名前を書くとき、手が止まった。
「早瀬まどか」──その文字が、誰かの名前に思えた。
書いているのに、自分の名前じゃない。
むしろ、“借り物の名札”を胸に貼っているような気がした。
ここは、似ているけれど同じじゃない。
過去は“書き換えられて”、人々は“偽物のまま信じている”。
じゃあ、私は──
本当にこの場所に“戻って”きたの?
それとも、“他人の記憶”の中に、
紛れ込んでいるだけなんじゃないの?