表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『とこしえ坂』  作者: 血反吐P
第2章:坂の向こう側
12/22

― 第1節:もとの場所へ ―


再び坂を登ったとき、私は何も考えていなかった。


 ただ、体が勝手に動いた。


 あの家の空気があまりにも完璧すぎて、逆に怖くなった。


 そこにいた“母”や“祖母”は、もう私が知っている人たちじゃない。




 ──そんな気がして仕方なかった。




 夜風は冷たかった。


 木々の間をすり抜けていく空気が、まるで私の輪郭を確認するように肌を撫でていく。


 風鈴の音は、もう聞こえなかった。


 坂を登る足音だけが、湿った土に吸い込まれていく。




 




 鳥居の前に立ったとき、私は初めて“迷い”を感じた。




 ──この先に戻り道はあるのか。


 それとも、もうすべては手遅れだったのか。




 でも、ためらっている暇はなかった。


 このまま家に戻ったら、私の名前は完全に“消えて”しまう。




 




 私は、鳥居をくぐった。


 その瞬間、胸の奥で何かが“ズレて”鳴った気がした。




 




 気づけば、私は――祖母の家の前に立っていた。


 さっきと同じ風景。


 でも、少しだけ空気が違っていた。




 夜明けが近かったのか、空がわずかに明るい。


 草の匂いが生々しく、風は冷たいのに湿り気を帯びている。




 玄関の引き戸を開けると、軋む音が響いた。


 それは、以前と変わらない音だった。


 でも、私の耳には少し“軽く”感じられた。




 




「おばあちゃん?」




 私は、声を出してみた。


 でも返事はない。




 廊下を進み、居間をのぞく。


 ちゃぶ台の上には、夕べ食べたはずの器がそのまま置かれていた。


 誰も片づけていない。


 人の気配が、すっぽりと抜けていた。




 




 その瞬間、胸の奥でざわりと何かが動いた。




 ──あれ? おかしい。




 私は昨日、食事をしたあと布団に戻ったはず。


 それからすぐに、坂を登った。


 なのに、食器はまったく同じ位置に置かれていて、箸の角度すら変わっていない。




 まるで、時間が止まったままになっているみたいだった。




 




 祖母の部屋をのぞいてみた。


 布団は敷かれていたけど、人の気配はなかった。


 枕元には湯飲みと本が置いてある。


 読んでいたページは、昨日の夜に見たときと同じ。




 まるで、昨日の夜から誰もここを動かしていないように見える。




 




 私は、ひとつ深呼吸をした。


 胸の中に広がっていた不安を、無理やり追い出すために。


 けれど、その空気は重く、なかなか吐き出せなかった。




 




 鏡を見る。


 映っているのは、確かに“私”だった。


 髪も、顔も、服も──全部見覚えのあるものばかり。




 だけど、その瞳の奥に宿っていた光が、どこか“他人”のように感じた。




 




 もしかして──




 私は、元の場所に戻ったんじゃない。




 “よく似た場所”に、入り込んでしまっただけなんじゃないか?




 




 その思いが胸に灯ったとき、私は小さく息を呑んだ。




 だとしたら、ここはどこ?


 私がいるべき世界は、まだ向こう側にあるの?




 




 私の“帰る場所”は──まだ、この先にあるの?





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ