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『とこしえ坂』  作者: 血反吐P
第1章:夏休みと田舎
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― 第9節:無傷の家族 ―


目の前にあるのは、見慣れた家だった。


 瓦屋根の平屋。木の格子。縁側に吊るされた風鈴。


 玄関脇の草木の配置も、窓の雨戸の具合も、すべてが記憶通りだった。




 ──でも、私は一歩踏み出せなかった。




 その“完璧さ”が、逆に怖かった。


 寸分の狂いもなく再現された家。


 それはまるで、私の記憶を元にして造られたレプリカのようだった。




 けれど、私はゆっくりと玄関へと足を向ける。


 戸を引くと、いつもの音がした。


 ギギィ……と、古びたレールが木の滑りを受け止める感触。


 その音すら、妙に“整っている”ように思えた。




 




 「……ただいま」




 私は小さく呟いた。


 返事はなかった。


 しかし、奥から足音が近づいてくる。




 




 現れたのは、母だった。




 ──いや、母“のような”人だった。




 姿は間違いなく母そのもの。


 顔も、髪型も、部屋着のくたびれた感じまで完璧に一致している。


 でも、笑顔がほんのわずかに“硬い”。


 目元に生気がなく、ピントがぼやけて見えた。




「おかえり、まどか。遅かったね」




 その声。


 口調まで、いつもの母だった。


 だけど、私は胸の奥に小さな疑問を抱いた。




 ──“まどか”って、いま、呼んだ?




 たしかにそう聞こえた。


 けれど、どこか機械的な、音を鳴らしただけのような不自然さが混じっていた。




 




 居間に入ると、祖母がいた。


 湯呑みにお茶を注ぎながら、私のほうを見て微笑んでいる。




「顔色が悪いね。ちゃんと食べてる?」




 それは、優しさのこもった“言葉”のはずだった。


 だけど、目が笑っていなかった。




 人形みたいな目。


 見えているのに、見えていない。


 私を“認識しているようで、していない”。




 




 私は言葉を失った。


 けれど、それを不審に思う様子は誰の顔にもなかった。




 父もいた。


 新聞をめくりながら、「おかえり」とだけ言った。


 新聞は、紙の質もフォントも本物そっくりだった。


 でも、日付がなかった。


 記事も、見出しも、妙に曖昧な言葉ばかりが並んでいる。


 見ているようで、何も読んでいない気がした。




 




 私は、自分の口から出そうになった質問を押し殺した。




 「ここって、本当に……うち?」




 それを言ってしまえば、戻れなくなる気がした。


 いや、もう戻っていないのかもしれない。


 坂を越えた時点で、“元の世界”には帰れなくなっていた。


 それでも、私は最後の一線を保とうとしていた。




 




 夕食の時間になっても、誰もおかしなところを指摘しない。


 食卓には、私の好物ばかりが並べられていた。


 鮭の塩焼き、冷やしトマト、だし巻き玉子、冷奴──


 それらすべての“味”が、完璧すぎる。




 再現された理想。


 けれど、舌の奥で感じる塩気は、どこか薄い。


 味はあるのに、温度がない。


 調味料が揃っていても、“作った人間の体温”が感じられなかった。




 




「ねえ、まどか」




 母が、私の名前を呼んだ。


 でも、次の言葉が続かなかった。


 呼びかけただけで、目的がなかったように見える。




「……なに?」




 私が返すと、母はまた笑った。


 そして、「ごはん、冷めちゃうよ」とだけ言った。




 あまりにも自然すぎるやりとり。


 けれど、“心が通っていない”。




 




 ご飯のあと、祖母が私の手を取り、こう言った。




「おかえり、まどか。もう、だいじょうぶだよ」




 その言葉が、妙に耳に残った。




 ──“もう”?


 ──“だいじょうぶ”って、なにが?




 私が聞き返そうとしたとき、祖母はすっと手を離した。


 そして、まるで“役目を終えた人形”みたいに立ち去っていった。




 




 その夜、私は布団に入っても目を閉じられなかった。


 部屋の天井は、昔とまったく同じ模様。


 だけど、空気のにおいが違っていた。




 畳の匂い。木材の匂い。夏の夜の湿気──


 どれも正しい。正しいのに、“本物じゃない”。




 




 目を閉じると、風鈴の音が耳の奥に響いた。


 もうどこから鳴っているのかわからない。




 




 ──これは夢じゃない。


 ──だけど、現実でもない。




 その確信だけが、胸の奥で冷たく膨らんでいった。





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