真っ黒な俺をごまかしたい
「ん?ここはどこだ?」
気が付いた男は、モニターの画面だけが光っている暗闇の中に立っていた。辺りは真っ暗で、どこを見渡しても目の前のモニター以外は何も見えない。
「一体何なんだ?それにこのモニターは…」
男の目の前で光っているモニターには、何かの映像が映し出されている。よく見ると、それは誰かの視点のようだ。街の中を歩いている。
「どこかで見た気がするな…」
流れている映像に、男は見覚えがあるのを感じた。その不思議な感覚にどこか懐かしさを覚えるが、なかなか思い出せない。
「なんだっけ…?」
考えるような仕草をしながら、ある程度映像が流れたところで、彼は何かを閃いた。
「え…、これ…、俺?」
そう。目の前のモニターに映し出されていた映像は、自分自身の視点だったのだ。男はわけがわからず、狼狽える。自分の一人称視点がなぜか映像化され、それを自分自身で見ているのだ。この真っ暗闇の中で。頭が混乱するのも無理はない。
動揺しながらも映像を見ていると、視点の男はホームセンターの中へと入っていった。どうやらここは彼のバイト先のようだ。タイムカードを押し、ロッカーへ荷物を置くと、服の上からエプロンを身に着ける。
「これは…俺のバイト先…?」
(おはようございます)
(おはよう)
視点の男は同僚たちに朝の挨拶を終えると、朝礼へと向かった。すると、後ろから誰かが声をかけてくる。
(おっはよー!)
(おはよ)
(今日も眠そうだね)
「あっ!カナちゃん!」
視点の男に声を掛けてきたのは同僚の女の子だった。名前は『カナ』。彼とは同い年で、親しくしている間柄だ。いつも明るく、愛嬌があり、誰とでも仲良くなれるタイプの人間。そんな彼女が笑顔で声を掛けてきた。
と、その瞬間。さっきまで暗闇だった空間の中に、なぜか自分の声が響き渡る。
――カナちゃん、今日もかわいいなぁ
「えっ?なんだ?」
――朝から癒されるよ
「これは?」
暗闇の中に響く声は、まるで彼女に対する自分の思いが言葉になっているようだった。その内容に、男はひとりで恥ずかしそうにしているが、自分の声は止まらない。次第に声の数は二つになり、三つになり、ドンドンと増えていく。
気付けば、さっきまでひとつだったモニターも二つになり、三つになり、声の数だけ増えていった。その画面には、彼女とのこれまでの思い出や、自分の妄想などが映し出されている。
「なんだよこれ!それにうるさい!」
空間の中には、無数のモニター。そして、多くの声が響き渡った。画面の光は眩しく、聞こえる声はうるさすぎて騒音そのもの。不快にしか感じない。男は目と耳を塞ぎ、なんとか耐えようとするが、次第に苦しくなってくる。
「ダメだ…耐えられない…」
男はその苦しさに耐えられず、ついにはひざまずいてしまった。
「…ん?…なんだ?」
苦しみながらも顔を起こしてみると、自分が居る場所を中心に辺りがピンク色に染まり始めた。周りをよく見てみると、ちらほら赤色になっている場所も見える。
「!?」
空間の色が変化をすると、今度は自分の中に『嬉しい』や『楽しい』といった感覚が流れ込んできた。さらにどこか『興奮』しているような感覚まで覚える。まるで自分自身が、映像の中の状況を味わっているかのように。
こういった感覚自体はどこか気持ち良くも感じたが、数多くのモニターに映し出された映像は目障りで、空間内に響き渡る無数の声には鬱陶しさを覚える。男は自分がどうにかなりそうな感覚に陥り、耐えられずにその場へ倒れ込んでしまった。
「く、苦しい…」
その状態がひとしきり続いたあと、徐々に空間内に響き渡っていた声が小さくなっていく。
「えっ?声が…静かになっていく…」
顔を上げてみると、空間の色は徐々に白色へと変わっていき、思い出や妄想が映し出されていたモニターは、ゆっくりと消えていった。
「ふぅ~、少し楽になったな…」
空間内のモニターがひとつになると、響き渡っていた声は止み、やっと落ち着ける状況になった。
「さっきのは何だったんだ?」
男は静かになった空間で、先ほどまでの状況を考えてみるが、答えは出ない。なぜなら、ここがどこで、何がどうなっているのか、まったくわからないからだ。ただ、彼は初めて自分がパニック状態に陥ったことだけは理解できた。そして、それがとても苦しいことも。
その後はしばらくの間、静かな時間が続いた。真っ白な空間にモニターはひとつだけ。視点の男はとくに喋ることもなく、黙々と棚に商品を並べている。
(今日は遅刻しなかったな)
「ん?店長か?」
(はい)
(次、遅刻したらさすがに時給減らすからな)
(わかりました)
モニターには店長が話している様子が映し出されていた。いつもの遅刻癖を怒られていたようだ。すると、店長の言葉に反応してか、再び空間内には自分の怒りの声が響きはじめる。
――うるせぇよ
「やばい!また始まった!」
怒りの声が響き渡ると、周囲には新たなモニターが増え、そこには過去の店長とのやり取りが映し出されていた。空間内は白色から瞬時に赤色へと変わり、ちらほら炎まで上がっているのが見える。
さらに今度はその場の温度までもが上がりはじめた。空間内はまるで真夏のような暑さだ。男の頬を汗がつたう。無数の映像や声だけでもキツイのに、そこへ暑さまで加わると、もはや地獄のような苦しみだ。
「くっ…、何で暑いんだよ!」
そんな厳しい状況の男の中に、お次は怒りの感情が流れ込んできた。
「やめてくれ…、頼む…、やめて…」
膝をつきながらもなんとか耐える男。怒りが強すぎるのか、一瞬でそれを爆発させてしまいそうになる。だが、それをやってしまうと、何か取り返しのつかないようなことになる気がして、ギリギリのところで踏みとどまっていた。
「これ…いつまで続くんだ…」
(怒られたの?)
「ん?」
イライラしていた視点の男の元へ、カナがやってきた。
(カナちゃん…)
(元気出して!)
(ありがとう)
彼女は男を元気づけるような言葉をかけてきた。すると、彼は冷静さを取り戻したのか、怒りの感情は消え失せ、空間内の温度は戻り、無数の声やモニターは消え去っていった。
代わりに今度は、空間内の色が温かみのあるオレンジ色に変化。体には感謝や喜びといった感情が流れ込んでくる。
「あぁ…、この感覚…、イイな」
優しくて温かい状況に、心と体は癒されるような感覚を覚える。それは自分にとって心地良いものであり、いつまでも『この自分で居たい』と感じさせるほどだった。
「はぁ~、気持ちいい…」
その感覚は、少しの余韻を残してすぐに消えてしまった。
それから1時間ほどが経ち――
男がいる空間内は落ち着いたままで、大して騒がしくなることは無かった。視点の男は仕事に集中していて、黙々と作業をこなしているのがモニター越しにも伝わってくる。
「ん?」
映像を見ていると、モニターの後ろから何かが揺れながら出てきた。それはまるで透明のビニール袋に水を入れたようなもので、プカプカ浮きながら男の目の前までやってきた。手で触れてみると、とても繊細な感じで柔らかく、本当に水のように感じる。
「これは?」
両手で浮いているそれを掴み、どうなっているのかまじまじと見てみると、そこには『肉体』という文字が。
「肉体?何?どういうこと?」
男はそれを掴んだまま、しばらくその感触を楽しんでいた。
「何これ?」
男はプカプカと浮くそれを手でつついたり、引っ張ったりして遊んでいた。見た目はとても可愛らしく、触り心地は柔らかい。そして、丸みを帯びた体は、つねに全体が波打っていて、少し触っただけでも簡単に形を変えた。
だが、いくら変形させても、それはすぐに元の丸い形に戻る。思いっきり振り回すと、波は大きく、荒々しく変わるが、振り回すのを辞めればすぐに元の波の状態へと戻った。
「う~ん、わからない」
男が首を傾げながら、プカプカ浮くそれを見つめていると、どこかから声が聞こえた。耳をすませてよく聞いてみると、その声は自分の声のように聞こえる。
「なんだ?何かが来る」
周囲を見渡すと、少し離れたところで、六人の黒い影のようなものがこちらへ歩いてきていた。それはあきらかに人のようだが、全身は真っ黒。喋る声は自分と同じで、なぜか親近感すら感じさせる。
「よぉ」
「なんだ?お前ら?」
「そうビビんなよ」
真っ黒な人間のようなものが男へ話しかけると、肉体と書かれた水の玉は、急に色が黒くなりはじめた。体全体の波は一定では無くなり、激しく波打ったと思えば、ヘドロのようにドロドロしたような波にも変化した。
「なんだ?玉が変化した」
「触ってみろよ」
男は水の玉の変化に気付くと、真っ黒人間の言う通り、恐る恐る手で触れてみた。
「イタッ!」
「あははは!!!」
「ぎゃははは!!!」
「何なんだよ!これ!お前ら何をした!」
男は怒りの表情で真っ黒人間に怒号を飛ばす。
「何もやってねぇよ」
「そいつが勝手に反応しただけだ」
「何?」
「何もしなくても、俺らがいるだけでそうやって反応しちゃうんだよ!」
どうやら水の玉は真っ黒人間が苦手なようだ。さっきまでは可愛くプカプカと浮いていたが、ヘドロのように変化してからは、あまり上手く浮かべないのか、徐々に足元のほうへと下がっていく。
その様子はどこか苦しそうにも感じられるが、男は自分ではどうしようもないことを痛感していた。助けようとして触っても、痛みが伝わってきて、何もできないからだ。
「お前、何同情してんだよ」
「はっ!?こんな状況の水の玉を見て、ほっとけないだろ!!」
「わかった、わかった、そうやってイイ子ちゃんにしたいだけだろ」
「カッコつけんなよ」
真っ黒人間は口々にイヤな言葉を男に投げつける。彼はそんな言葉にイライラを募らせながらも、なんとか水の玉に触れようとする。
「イタッ!くそ!痛くて掴めない」
「無駄無駄、そんなことやったって意味無いよ」
「俺たちに任せておけよ」
そう言うと、真っ黒人間のひとりが、男から水の玉を取り上げようとする。
「やめろ!何なんだよ!お前らは!!」
「俺たちはお前自身だよ」
「な、何言ってんだよ…」
「だから、俺たちはお前自身なんだってば」
「はっ?」
男の問いに、真っ黒人間たちは『お前自身だ』と語る。彼にはそれが理解できなかった。たしかに声は自分と同じだが、どうやってもそれが自分とは認められなかった。それは真っ黒人間たちがあまりにも醜く汚かったからだ。
だが、それと同時になぜか真っ黒人間たちに親近感のようなものを感じていた。それは彼にしかわからないことだが、目の前の真っ黒な人間たちが紛れもなく自分であると思わせたからだ。言い訳できないほどに。
「ウソだ!」
「ウソじゃねぇよ」
「お前も俺たちのこと知ってんだろ?」
「今まで散々俺たちのことを使ってきたじゃん」
「知らない!俺は知らない!」
真っ黒人間たちの言葉に男は、ひどく取り乱した。彼は膝から崩れると、頭を抱え、ひとりもがき苦しんでいる。とても自分自身だとは思えない存在に、紛れもなく自分自身である何かを感じるからだ。
「認めねぇとずっと苦しいままだぞ」
「お前カナちゃんのこと好きなんだろ?」
「良いカッコしたいよな?」
「バイトなんか面倒くせぇからさ、遊びにいこうぜ!」
「やめろ!やめてくれ!!」
苦しむ男に真っ黒人間たちは、それぞれが言いたいことを口にする。とても聞いていて気持ちいいものではないが、そのどれもが理解できた。なぜならそれは自分のことだっただから。すべて図星だからだ。
それでも彼は真っ黒人間の声に抗った。カナのことは好きだが、良いカッコするのではなく、そのままの自分で居たかったから。バイトも面倒くさいからつい遅刻してしまうが、それでも仕事自体はちゃんとしたいと考えていたから。
「くそっ!お前ら許さないぞ!」
「おっ?やるか?いいぜ!俺は勝負が好きだからな!」
男は苦しみながらも立ち上がると、ひとりの真っ黒人間と取っ組み合いの喧嘩になった。互いに殴ったり、蹴ったりして、その場はメチャクチャになったが、そこで男はあることに気付いた。
取っ組み合いをしている中で、相手の思いや考えていることが自分の中に流れ込んできたからだ。
『俺のほうがつえぇぇぇ!』
『店長も腹が立つからやっちまえ!』
『嫌いなヤツは全員ぶん殴れ!』
『俺が一番なんだよ!』
「くっ、なんだこれ…」
自分の中に入ってくるものは、相手よりも優位に立ちたいと思うものばかりで、それはまさに嫉妬だった。男はそれに納得できる部分もあったが、イヤな感覚が強く、ドンドン怒りの感情が強くなる。
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ!!!」
男は真っ黒人間を押し倒すと、マウントポジションを取り、顔面を殴りつけた。メチャクチャに腹が立つが、どこか憎めない感覚もあり、それがより一層彼をイライラさせる。
「もっと殴れよ!もっと!」
「黙れ!!!」
最後に一発本気で殴ろうと拳を振り上げたところで、その真っ黒人間はまるで霧のように消えていった。
「ん?なんだ?倒したのか?」
「あぁ~、やられちゃったね」
「お前そうやって自分が強いことを証明したいだけだろ」
「相手を倒して目立ちたいんだ」
真っ黒人間を倒した男に、その他の真っ黒人間たちは、まるで火に油を注ぐような言葉を口々に言い放つ。
「お前らぁ~!!!」
男はキレた。真っ黒人間たちの言葉にどうしても我慢ならなかったのだ。おそらくここまで何かに激怒したのは初めてだろう。相手はあと五人もいたが、関係ない。男からはもはや殺意のようなものまで感じられる。それぐらい、本当にキレたときの人間は怖い。
ひとり、またひとりと真っ黒人間を倒していき、ついには残りひとりにまでになった。だが、そいつは一切動じず、四人が倒されるのをただ黙って見ている。
「あとは…お前だけ…」
「お前さ、そんなことしてたらいつか死ぬぞ」
「はっ!?」
「まっ、死ねばいいんだけどさ」
「お前らがいけないんだろ!人のことを苦しめやがって!絶対許さねぇ!」
「でも、お前が責めているのはお前自身なんだぜ?」
「!?」
残った真っ黒人間の言葉に男は動けなかった。まるで自分自身に言われたように感じたからだ。
「どういうことだよ」
「最初にも言ったろ?『俺たちはお前自身』だって」
「だから、それはどういう…」
「お前もわかってんだろ?俺たちが言ってたこと?だって自分のことだもんな?」
「…」
「お前、そうやって自分に振り回されてばかりいると、いつか死ぬぞ」
「…」
「これは脅しじゃねぇぞ、死ぬほど辛い苦しみを味わったあとに、死ぬことになる」
「俺が死ぬように誘導してんだからな」
そう言って、最後の真っ黒人間は霧のように消えていった。男はその言葉に、納得いかないと感じながらも、どこか腑に落ちていた。それはおそらく自分自身のことだからだ。
「あいつら…、本当に俺自身だったのかな…」
男は元に戻った水の玉を両手で優しく触りながら、真っ黒人間について考えていた。奴らは全員自分と同じ背丈で、自分と同じ声で話し、自分のイヤな部分ばかりを刺激してきた。イヤな言葉で。
だが、男はそれに反応してしまった。図星だったから。だから、それを認めたくなくて、腹を立て、無理やりに消し去った。暴力をふるってでも。どうにかしてそれを無かったことにしたかった。
そう、男は自分自身のイヤな部分をごまかしたかったのだ。
それはそんな自分に耐えられなかったから。イヤでイヤで仕方が無かったから。なんとかごまかしてでも、『自分はそんな人間じゃない』と思おうとした。でも、奴らは言った。『俺たちはお前自身』だと。
「あいつら…、『お前が責めているのはお前自身』とも言ってたな…」
「そうやって俺は、俺自身から目を背け、絶対に認めようとしないばかりか、それをごまかそうとして、無理やりに消し去った…」
真っ黒人間たちは紛れもなく自分自身だった。その抗いようのない事実に、男の目からは自然と涙が流れ落ちる。
「くそっ!どうすりゃよかったんだよ!」
「あれが…、あれが自分自身なんて言われたってさ…、そんなの簡単に認められねぇよ…」
「だって、あいつら…ウザかったしさ…、なんか…話して聞いてるとさ…、イライラしたんだよ…」
男は真っ黒人間たちに対し、どうすることもできなかった。だから、怒りに身を任せ、それをどうにかして消し去ろうとしたのだ。たとえ、無理やりにでも。奴らがこの場にいるのが、耐えられなかったから。
それからひとしきり泣いたあと――
男はその場に大の字に寝そべり、ただ上を見つめていた。すると、視界の端のほうに、何かがあるのが見える。
「ん?なんだ?」
寝そべっていた体を起こすと、何かが見えたほうへ視線を向けてみる。
「ドア?」
なぜここにそんなものがあるのかはわからなかったが、男はとにかくそのドアに向かって歩き始めた。少しずつ近づくにつれ、そのドアには何か文字のようなものが書いてあるのが見える。
「魂?」
不思議そうな表情を浮かべてドアを開く男。その向こう側には、なぜか真っ黒人間が立っていた。
「えっ?お前が魂?」
「あっ、え~っと、そうだよ」
男は目の前の真っ黒人間を一瞬魂だと思った。それはドアに『魂』と書かれていたから。だが、真っ黒人間の反応を見て、何か違和感を感じ取った彼は、それを部屋の中から思いっきり引きずり出した。
「お前!絶対違うだろ!」
「あはっ、バレた?」
「どっか行け!」
「またねぇ~」
部屋の中にいた真っ黒人間は、男の言葉に素直に従うと、霧のように消えていった。
「一体なんなんだよ…、それにこの部屋はなんだ?」
意味がわからないといった表情を浮かべながら、部屋へ入ると、目の前には自分と瓜二つの人間が立っていた。
「やあ、久しぶり」
「え?」
男は自分とそっくりな人間を初めて目の当たりにし、驚きが隠せない様子。だが、目の前の男にも真っ黒人間と同様にどこか親近感のようなものを覚える。しかし、それは真っ黒人間に対するものとはまた違った感覚でもあり、言葉では表現できないものだった。
「あの…、えっと…、君は俺?」
「そう、君自身だよ、まぁもっと正確に言えば君の魂だよ」
「そうなのか?でも、何か初めて会ったわけではないような…」
「初めて会うわけじゃないよ、でも、とても久しぶりだ」
「そっか…」
目の前のそっくり人間は、『男の魂』だと語り、それを聞いた男は、よくわからなかったものの、そっくり人間の言葉が本当だと感覚的に理解できた。
「あのさ、ひとつ聞きたいんだけどさ、さっきの真っ黒人間って…」
「あれも君自身だよ」
「やっぱり…」
「でも、君はあれがイヤだったんだよね?」
「あ、あぁ…」
そっくり人間の言葉に、さっきまで大暴れして、真っ黒人間を消し去った自分の醜態に、男は恥ずかしくなった。
「あんなに振り回されてたら君がもたないよ」
「そう…だね…、ごめん…」
「でも、どうすればいいのか、わからなかっただけなんだよね?」
「そ、そうなんだよ」
「じゃあ、なんであんなのが居るのか、本人に聞いてみたらいいんじゃない?」
「へっ?」
男はそっくり人間の言葉の意味がわからなかった。あんなにも醜い真っ黒人間たちに何を言っても無駄だと感じたからだ。
「あいつらなんかに何を言っても意味無いよ」
「そんなことないよ、なんてたって自分自身なんだから」
「そうなの?」
「うん」
そっくり人間は、男に真っ黒人間との対話を勧めてくる。最初は『そんなこと無駄』だと感じたが、それでも彼の言葉はなぜか素直に受け入れられた。いや、疑うことすらできなかったと言ったほうが正しいか。なんにせよ、その言葉にはちゃんと耳を傾けられたのだ。
「どうやって話せばいいんだ?」
「なんであいつらがあんなことを言ってくるのか、質問していけばいいんだよ」
「質問?」
「そう、『なんでそんなこと言うの?』って」
「それをしたらどうなるの?」
「それをあいつらの答えが出なくなるまで続ければいい、そしたらさ、どこかで何が原因だったのかがわかるから、あんな風になった原因がさ」
「なるほど」
「原因がわかるまで質問を続けるとね、あいつらも言い返すことができなくなるから」
「まるで論破だな」
「そうだよ、論破だよ」
そっくり人間は真っ黒人間たちに『なんでそんなこと言うの?』と質問をすれば、奴らがあんな風になった原因を見つけられると言う。そして、その原因に自分で対処することができれば、居なくなるとも語った。
「でも、どうやったら対処できるのかわかんないよ」
「原因を知って、ただそれを辞めるだけだよ」
「辞める?」
「あんな風になった原因を知り、それを手放せばいい」
「そうか…」
「『もうやーめた』って捨てれば、それだけで自分の中から無駄なものを無くせるよ」
男はそっくり人間の『捨てる』という言葉を聞き、自分からわざわざイヤな部分を大切に握りしめていたかのような感覚を覚えた。なぜ自分がそんなことをしてしまうのかはわからないが、真っ黒人間のことすらも自分は大切にしていたのだ。
「なんだか、イヤなのに真っ黒人間のことを、大切にしていたような気がするよ」
「いいところに気が付いたね、本当にそのとおりだよ」
「でもね、『人間ってそういうものだから』なんて思い込みを持ってるとさ、イヤな部分さえも可愛く見えてきちゃうんだよね」
「でも、本当はあれがイヤでイヤで仕方が無かったんだろう?」
「うん」
「だったらさ、あれを無駄なものだとちゃんと知らなきゃね」
「自分であれが『無駄』なものなんだと知ることができればさ、今度は自分に『必要』なものがよく見えてくるから」
「これからは無駄なものを大切にするんじゃなくて、本当に必要なものを大切にしようね」
そっくり人間は真っ黒人間への質問や対処法を教えてくれたあと、奴らは何度でもやってくることも教えてくれた。それは本人が気付けないほど自然な形で、ごく当たり前のように、いつのまにか隣にいるのだとか。
だが、一度しっかり対処できていれば、簡単に論破することができるため、追い払うのも簡単だと言う。男は完璧にそっくり人間の話を理解できたわけではないが、自分に対する質問が解決の鍵になることだけはよくわかった。
そして――
「ん?あれ?バイト先?あれ?」
気付けば男はバイト先であるホームセンターの前に立っていた。さっきまで自分とそっくりな人間と話していたはずが、いつのまにか元の生活に戻っている。
「何やってんの?帰らないの?」
「あっ、カナちゃん」
「一緒に帰ろう」
「うん」
完