第十一集:霊力花
ついに鬼幻祭祀が始まった。
「跪キ、頭ヲ垂レヨ」
杏花と瑞雲の前に迫っていた鬼の一団が、地面に自ら頭を叩きつけて潰し、息絶えた。
「今のは」
「呪言。喉に負担がかかるから一日三回くらいしか使えないけど、便利でしょう?」
話しつつも、互いに抜刀し、次々と悪鬼羅刹を斬り伏せる。
「梅園、攻撃態勢」
白梅は刀で薙ぎ払い、紅梅は弓で遠距離から沈め、青梅は黒い刃の二刀流で悪鬼羅刹の首を斬り落としていく。
杏花が仙力の渦で妖邪を一列に浮かせると、その頭を紅梅が一本の矢で射貫く。
まとめて浮かせれば、白梅が一刀で首を斬り落とす。
青梅は殿に立ち、後方から攻めて来る悪鬼や妖邪を処理していく。
時折、地鳴りと共に何かが弾け飛ばされているような轟音が響き渡る。
「菫鸞も頑張ってる。私達もどんどん行こう」
瑞雲は頷き、杏花の手を引いた。
「あ」
杏花の耳の横を矢が通り抜けていく。
「ありがとう、瑞雲」
瑞雲は矢を掴み、飛んできた方向へ投げた。
何か重いものが地面へと落下した音がする。
「紅梅に射手を始末させた方が良い」
「わかった」
杏花はすぐに紅梅へ指示を出した。
紅梅は弓に何本もの矢を番え、木の上に隠れている射手を撃ち落し始めた。
とにかく、一体でも多く倒して目標討伐数を早くこなさなければ。
霖氏一行は夕方までほとんど休憩せずに戦い続けた。
「一度休もう。夜に備える必要がある」
「うん。すぐに準備する」
杏花は梅園に「守備体制」と合図を出した。
「四方拝ノ陣」
仄かに翡翠色に光る大きな四角い結界が張られた。
「白梅は負傷者の治療を。紅梅は食事の準備。青梅は索敵。紅梅の守りを破れそうな奴が来たらすぐに処理して」
梅園は「かしこまりました」と拱手すると、すぐに仕事にとりかかった。
杏花は身体の周りに仙力の渦を作ると、それを地面に敷いた。
「これは……。霊力が回復していく」
「私の仙力を霊力に変換してみんなに補充しているの」
「そんなことをして、身体は大丈夫なのか」
「そんな、一日目で倒れるほど弱くないよ。治療では、患者自身の霊力を使って自己治癒能力を高めさせなきゃいけない。それだと、せっかく傷や病が治っても立ち上がれないでしょう? だからこうして霊力を補充する必要があるの」
瑞雲は白梅を見たが、白梅も頷いたので、大丈夫なのだと安堵した。
しっかりと休憩をとった二人は、深手を負っている負傷者はこのまま紅梅が張った結界の中に残し、近くで戦うことにした。
血の臭いにひきつけられ、すでに多くの悪鬼や妖邪が集まってきている。
「跪キ、頭ヲ垂レヨ」
結界を包囲していたものから片付け、北を杏花が受け持ち、東を瑞雲、南を青梅、西を白梅、援護に紅梅と門下生がつく。
休むことなく戦い、気付けば微かに朝陽が昇ってきたことがわかる。
「少し寝よう、瑞雲。その間は梅園が戦ってくれる」
「わかった。怪我は、体調は、気分は」
「大丈夫大丈夫」
正直、疲弊はしている。
身体に関して言えば、白梅は杏花を縛ってでも休ませたいだろう。
それでも、精神が安定している。
心が「まだまだ戦える」と言っている。
「じゃぁ、少しの間おやすみなさい」
杏花は薬を飲み、すぐ横になった。
瑞雲はその隣で杏花が本当に眠ったのか確認しながら眠りについた。
三時間後、目を覚ました二人は門下生達と簡単な食事を済ませ、また梅園と共に戦場へ出た。
「今日も頑張ろう」
瑞雲は頷くも、杏花の顔色が昨日よりも悪く見えて、とても心配だった。
過酷な日々を過ごし、一週間が経った頃。
「何かおかしい」
いくら広大な土地だとはいえ、ここまで七代法霊武門はおろか、それ以下の武門にも出会っていない。
「これ、引き離されているんじゃ……」
「私もそう思う」
二人は顔を見合わせ頷くと、一番わかりやすいであろう雪氏一行を探すことにした。
「……こっちから轟音がする」
「行こう」
駆け寄っていくと、まるで壁のように大きな悪鬼が現れた。
「どう考えても偶然じゃないよ」
「協力できないよう、妖邪を操っているのか」
瑞雲が悪鬼の足の間を滑りながら腱を斬り、大きな音を立てて膝が地面に突いたところで杏花が首を斬り落とした。
「今のうちに!」
菫鸞の名を呼びながら飛ぶように走っていく。
すると、二人の声に気付いたのか、菫鸞が振り返った。
「杏花! 瑞雲!」
雪氏の門弟達はだいぶ疲弊し、立っているのがやっとの者が半分。
「梅園、守備体勢!」
紅梅が四方拝ノ陣を張り、全員で入った。
「白梅、重傷者から順に全員の治療を」
杏花は仙力を地面に敷き、全員に霊力を分け与える。
「どうやってここに? 私も二人を探していたんだよ。何かおかしいよね?」
「菫鸞もそう思うってことは、やっぱり変なんだよ。さっき近付こうとしたら大型の悪鬼が出てきたもの」
「これ、もしかして、私達をこの山に足止めしているとか……?」
三人の頭に、それぞれの家族や街のことがよぎった。
「この隙に各武門に攻め入って神器を探しているってこと⁉」
菫鸞が「兄上……、不凍航路のみんな……」と呟いた。
「鬼幻界と繋がっている門を閉じなきゃ!」
「でも三人じゃ……」
その時、静姉弟と如昴が走って来た。
「良かった。やっと合流出来た」
「早く陣の中へ! 三人とも怪我が酷い。私が治療する」
杏花は白梅から診療道具を受け取ると、すぐに手当てを始めた。
「三人はどうやってここまで来たの?」
菫鸞の問いに、如昴が答える。
「召鬼陣を壊しながら来たんだ」
「そんなものがあったのか」
瑞雲が菫鸞と顔を見合わせた。
「柔桑が気付いたの。地面の下から邪気を感じるって。この子そういうのに敏感だから」
「そこのも壊しておいたよ」
三人の治療を終え、杏花が先ほどの推測を話した。
「それはかなりまずい状況だぞ。鬼幻門を探そう。みんなで閉じるんだ」
「でもどこにあるのか」
「大丈夫。紅梅、感知して」
紅梅がその場に座り込み、感覚を広げた。
「ここから北東へ。しかし、新たな結界を張るには相当量の霊力が必要です」
杏花は「梅園」と呼び、三人の手に触れた。
「杏花様! いけません!」
三人の腕に杏花紋が現れた。
「今のは何?」
茜耀の質問に、杏花が答えた。
「私の仙力を三人に幾らか渡したの。これで三人は私が側にいなくても活動できる」
杏花は三人に向かい、「私達が北東へ行くために、白梅は露払いを。紅梅は重傷者を守りながら空を飛ぶ妖邪や悪鬼、射手を一掃。青梅は殿を務めて。誰一人置いて来ては駄目」と命令を出した。
「さあ、行こう」
比較的怪我が軽度の瑞雲、菫鸞、杏花を先頭に、六人は北東を目指して走り出した。
武門を分断させるために敷いてある召鬼陣を柔桑と茜耀が破壊していく。
如昴は弓も使いながら先頭の三人を援護する。
「大型怨鬼が厄介すぎる」
北東へ近付くにつれて悪鬼羅刹の強さが増し、その大きさや素早さも格段に上がっている。
「三人は先を行け! 必ず追いつく」
如昴の言葉に、杏花は「梅園、後続を護りなさい」と指示を出した。
「二人とも、とにかく駆け抜けよう。矢くらい、私達なら躱せる。現れた悪鬼は私が何とかするから」
菫鸞に従い、杏花と瑞雲は鞘に納め、走り出した。
杏花は自身の中に残る仙力を確認し、その一部を霊力に変えて菫鸞へ。
「見えた! ……え、あ、あれは」
嘘だと思いたかった。
見間違いだと、強く願った。
でもそれは近付くほどに視界に鮮明に映り、絶望に変わる。
「り、莅月姉さん!」
鬼幻門の前に、鎖でつながれた莅月がいた。
その両腕の袖は裂かれ、腕に召鬼陣が刻み込まれている。
血が流れ、もう泣くことすら出来ないほど憔悴していた。
「やっぱり来たか」
木々の後ろから現れたのは、音兄弟と佳栄、そして音氏の兵五百に、鳳氏の兵百。
「気付かれるかもとは思ったが、こうも早いとは。悪いが、お前達を山から出すわけにはいかない」
「門に再び結界を張るには、我が妹の命を奪うしかありません。そんなこと、あなたに出来ますか? 星 杏花」
杏花の瞳が強く光る。
同時に、心が割れる音がした。
瑞雲が抜刀する。
「おっと、霖 瑞雲。兵士は脳味噌単細胞な悪鬼羅刹じゃない。鍛え抜かれた精鋭六百人を相手に、たった三人勝てるとでも?」
「たった三人だと? 音 隆戦。お前は数も数えられないのか」
杏花達の後ろに現れたのは、如昴、茜耀、柔桑。そして、率いるは五十人の門下生達。
「こちらも精鋭だ」
隆戦が嗤いだした。
「満身創痍のお前らに何が出来る」
隆戦が隆誠に目配せする。
一歩前へ出た隆誠は、兵士たちに向かって言った。
「兵士たち、命は奪わず、動けなくなる程度に痛めつけろ。私達の刀傷や剣の傷跡が残ると他の武門から追及を受けることになる。奴らは悪鬼羅刹の餌になって死ぬのが望ましい。やれ」
六百人の兵士たちが襲い掛かってきた。
「言っておくが、我々の兵が向かったのは何も法霊武門だけではないぞ。扶桑にも三万の兵が侵攻している。間に合うかな?」
隆戦の嘲笑が雑音となって耳をつんざく。
杏花の身体から仙力の渦が巻き起こる。
しかし、普段は綺麗な翡翠色のそれに、黒い稲妻が混ざる。
「青梅、私の求めに応じ、今一度、禍津鬼神として召されよ」
青梅の周囲に黒い靄が出現。
それは彼の身体を包み、次の瞬間、霧散した。
「兵士を全員殺せ」
瞬きほどの、刹那。
黒い刃の閃光だけが皆の視界を横切った。
首が百、地面に転がり落ちる。
また百、百。
三百の頭部が身体に別れを告げた。
「かはっ」
杏花の口から血が流れる。
「杏花!」
瑞雲が駆け寄り、二人を菫鸞と白梅が護る。
「杏花様! もうおやめください! 青梅を戻すのです!」
血が止まらない。
杏花はとぎれとぎれにしか出せない声で「あお、うめ、も、もどり、な、さい」と言った。
青梅は従者の姿に戻り、杏花に駆け寄った。
「ふ、二人は、みん、な、を、援護、する、の」
白梅と青梅は足が固まったように動かない。
「こ、これは、つよ、い、命令、よ」
白梅と青梅の瞳に杏色の光が流れた。
二人は悲しい顔をしながら戦闘へ戻っていった。
「杏花、杏花……」
杏花の身体を抱きしめながら、瑞雲が一筋の涙を流した。
「なか、ない、で」
身体を仙力で包む。
「まだ、大丈夫」
杏花はあたたかな瑞雲の腕の中から立ち上がると、杏花刀を抜刀した。
「瑞雲、菫鸞。私と茜耀姉さんを援護してくれる?」
二人は頷き、戦いの中へ。
「茜耀姉さん! 莅月姉さんを助けるのを手伝って!」
「すぐに行く!」
すでに音兄弟と佳栄は逃げていた。
二人で莅月に駆け寄る。
杏花は莅月の身体を繋いでいる鎖をすべて断ち斬った。
崩れ落ちる身体を、茜耀が抱きとめる。
「召鬼陣に霊力を吸われているのね。このままじゃ、霊力花が枯れてしまう」
杏花はぐったりと俯く莅月の頬を撫で、茜耀に言った。
「私の全ての霊力を、莅月姉さんに。一人では移しきれないから、茜耀姉さんも手伝って」
茜耀は目を見開き、声を荒げた。
「何を言っているの! あなたはその身体を、命を、生成される霊力の半分を使って生きているのよ。もし全霊力を失えば、確実に」
「それしかないもの。それに、私には仙力がある。すぐに霊力に変換して身体を満たせば」
「間に合わないのはわかっているでしょう。体内で仙力を必要充分な霊力に変換するのに、いったいどれほどの時間がかかると思っているの? あなたが身体の維持に使っている霊力は、法霊武門の人間二人分もあるのに!」
「でも! そうしなければ、莅月姉さんを救えない!」
「霊力を失い、それと同時に意識も失った状態で、仙力を霊力に変換できるとでも?」
茜耀の医術師としての信念と、友人としての愛情が、杏花を阻止する。
「ふ、ふたり、とも」
「莅月!」
掠れた声。
もう意識を保つことで精いっぱいなのだろう。
霊力も、底をつき始めている。
「わたし、は、もう、だめ。だ、から、せめて、と、友達、の、手で、死に、たい」
杏花の目から滂沱と涙が流れた。
「そんなこと言わないで」
「お、ねが、い」
その時だった。
白い閃光が、兵士を突きながらこちらへ向かってきた。
「杏花!」
「若蓉兄さん! 扶光兄さん!」
「遅れてごめん。雷氏と静氏の門下生の方々が私達を探してくれて、やっと来られたんだ」
茜耀は手短に現在の状況と莅月のことを説明した。
「義兄上、私は戦場へ」
「うん。気を付けてね」
若蓉が杏花の隣に座り、微笑んだ。
「私は霊力が多い。莅月を救う位なら、充分だよ」
「でも」
「杏花と茜耀なら視られるでしょう? 私に残っている膨大な霊力量」
「これなら、救える」
茜耀が頷いた。
「じゃぁ、二人とも。お願いします」
若蓉は懐から一本の美しい簪を取り出し、一度解いた髪をまとめた。
すると、どういうわけか若蓉の霊力が大幅に強化され、左腕から伸びる霊力花の光が増した。
(まさか……、神器なの? でも、今はそんなことどうだっていい)
若蓉と莅月の消えかけている霊力花を結び、杏花と茜耀で布瑠ノ陣、招魂ノ陣を展開した。
莅月の身体が光で満たされていく。
霊力花が息を吹き返した。
「召鬼陣を取り除く」
杏花は仙力の渦を莅月の腕に巻き付けた。
「もう痛くないよ。大丈夫」
血が止まり、刻み込まれた文字がゆっくりと消えていく。
「あ……、み、みんな!」
莅月の目に気力が戻った。
「よかった……。もうあんなこと言わないで」
「うん、うん!」
杏花は若蓉の方を向くと、「このまま、鬼幻門も閉じたい。協力してくれる?」と聞いた。
「そのために来たのだから」
若蓉は少し疲弊していたが、それでも、杏花を除き、今この場にいる誰よりも霊力が残っている。
「これに関しては霊力を使うしかない。見逃してね、茜耀姉さん」
茜耀は溜息をつくと、「危険だと判断したらそれがどんな状況でも止めるからね」と言った。
早くしなければ、死んだ兵士の血の臭いにつられて次々と悪鬼や妖邪が集まってきている。
「いくよ、兄さん」
「頑張る」
「紅梅、結界を書いて!」と、杏花が叫ぶ。
紅梅はすぐに飛んできた。
自身の中に記憶している結界の中から一番強力なものを出現させ、それを両手で門へと貼り付けた。
「今です、杏花様」
杏花と若蓉は頷くと、霊力花を結界に這わせ、力を注ぎ始めた。
「加勢する」
「あんまり残ってないけどね」
兵士を片付け終えた瑞雲と菫鸞が隣に立ち、霊力花を結界へ。
光が強くなっていく。
眩い幾筋もの閃光に、悪鬼羅刹が肌を焦がし、焼身していく。
「私の力も持っていけ」
如昴の霊力花が伸び、結界に触れた。
結界は回転し、火花を散らして門に焼き付いた。
「で、出来た」
ちょうど戦いも終わり、その場にいる全員が地面に倒れ込んだ。
「みんな、私の近くに」
「駄目だ」
瑞雲が杏花の腕を掴み、菫鸞が目の前に座った。
「もう杏花の仙力はもらえないよ。私達も移動している間に回復できるから」
杏花は頼もしい婚約者と親友の言葉に、「わかった」と呟いた。
「みんな、疲れているとは思うが、なんとしても音氏と鳳氏の行軍を止めなければならない。急ごう。それぞれの家へ」
如昴の声に皆が頷き、立ち上がった。
「二人の共通の親友としてお祝いの言葉を考えなきゃならないのに。忙しいね」
菫鸞は可憐な笑みを浮かべ、「じゃあまたね!」と、門下生たちと氷妃河へ向かった。
「私も行く。無事でいてくれ」
「瑞雲もね」
杏花は瑞雲の出立を見届けると、柔桑に「莅月姉さんのこと、頼んでもいい?」と尋ねた。
「もちろん。任せて」
柔桑は莅月を抱き上げ、茜耀と如昴と共に空へと飛びあがった。
「私たちも行くよ」
梅園を伴い、杏花は飛び立った。
音氏と鳳氏に、扶桑へ進軍したことを後悔させるために。