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泉にかかる月の色  作者: うっかりメイ
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泉にかかる月の色─後編─

 板が閉じられ、外界との連絡が閉ざされる。僕が気でも狂ってそれを押し上げない限り、朝まで外の空気を吸うことはできないことがこれで確定した。裸電球の灯る薄暗い室内は意外にも涼しく、夏の蒸し暑い夜を感じることがなかった。暇つぶし用に置かれた本や漫画を漁りながらも、僕はアツシさんに聞いた話を反芻する。戦争末期、爆弾、水不足、少年の見つけた泉、そして行方不明と病気の流行。ふと目の前でいなくなった少年のことを思い出す。いままで呼べば近くにいた彼が下山途中では姿や声でさえも見聞きしなかった。

(セイ……)

 試しに心の中で呼んでみたが、来るはずもなく。僕は諦めて読んでいた漫画に目を落とした。

「兄ちゃん、呼んだ?」

 予想だにしなかったその声に僕はパイプ椅子に腰かけたまま後ずさろうとしてひっくり返る。なんとか声を抑え、前を見る。そこには着物を着た坊主頭の少年がいた。

「兄ちゃん、遊びに行こうや」

 普段とは逆で彼の方から誘われる。しかし、腕時計は21時を指している。陽は落ちてすっかり暗くなっていることだろう。しかけた蜜に集まるであろうカブトムシを採りに行くくらいはできるが、彼の提案に乗るわけにはいかない。しかし彼が僕の目の前に姿を現したということはどういうことだろう。もしかして泉の件については許してくれるのではないだろうか。恐る恐る僕はセイの顔を盗み見る。

「そないに黙ってたらわからんけえ、なんとか言いや」

 明滅する電球の下、その表情は薄暗くてはっきりとはわからない。しかし目の奥で異様に光るものがあった。あれが怒りなのか、はたまた憎しみなのか。今でもわからない。そもそも人智を超えた存在を感情などという人間の尺度で測ること自体間違っているのだろう。僕は思い切って身を翻し、部屋の奥まで走っていった。後ろであっという小さな驚きが聞こえたが、気配は比較的直ぐに振り切ることができた。しかし灯りはなく、彼が追いかけてきているのかもわからない。僕は進んできた道のわきにしゃがみ込み、息を殺して追手を躱すことにした。

 どれほど時間が経ったのか。セイが諦めたであろう時間は充分経ったと判断し、立ち上がる。いつの間にか迷い込んだ暗闇の中をゆっくり進むと目の前が俄かに開けた。そこはどこかの山中で、視界の中央には泉が見えた。その傍には甲冑を着た男が座っていた。

「おぬしか」

 彼の身体には数本の矢が突き立てられ、息も不規則で苦しげだった。脱いだ兜も髷を解いた髪の毛も泥にまみれている。

「わしは浮かれておった。今回の戦、下野守様や民部少輔様も仰っていたように背後を固めてから討伐に赴くべきであったのに。無謀な進軍を諫めるべきものを若さゆえの勢いとむしろおだてあげてこのような結果を招いてしまった。かくなる上はわしの首をそなたにさずけ、此度の戦の幕引きと主家の助命を願いたい」

 視界が上下に揺れる。僕が視界を通してみている”誰か”が頷いたのだ。しばらく鎧を外す音だけがその場を支配する。一通り準備を終えると彼は太刀を静かに泉に沈め、何かを一心に願う様子を見せた。

「花見山遠きに散るを追いもとめ 短日なるを忘るるなかれ」

 ようやく彼は脇差を抜き、一句詠むと白刃を自らの腹部に突き立て真横に引く。勢いよく飛び出た鮮血が清水を赤く染める。口角から紅混じりのあぶくを飛ばしながら彼はもう一度刃で己を突き刺す。先ほどの横一文字を斬る縦の線が気合と共に走る。

「あっぱれなり」

 頭にこだまするほどの叫びを一言と一閃の下に両断した。振り下ろした刀は彼の苦しみを長引かせることなく断ち切った。重要なものを失った身体は前に倒れ、本来の泉の水であるかのように血で満たしていった。


「わしぁ同じようにここで死んだ」

 振り返るとセイが立っていた。真っ赤な泉を懐かしそうに見ている。

「自分で腹を割ってってわけじゃないけぇ、ちと違うけど」

「セイ……」

 気が付くと僕の身体も小学生に戻っていた。彼は視線を真っ直ぐに淵を覗き込む。

「あのお侍さんが落とした刀、今はどこにあるろうな。そもそもわしが死んだ場所が同じとも限らんか」

「その、山を所有してた人はそういうの見つけたとか言ってなかったの?」

「さあの。あっても軍隊にとられるけぇ黙っとったんかも」

 セイは話始めた。この泉に訪れ、所有者に捕まったこと。その人の言い分としては以下の通りだ。抜け道を見つけ出したせいで収入が減った、それを教えてくれたら今回のことは見逃してやる。しかしセイは話すわけにはいかなかった。村長や土地を持っているようなお金持ちは問題ないが、自分の家族をはじめとして村人の大半は小作農として細々とやっている。安全な水が手に入らなければ長く持たない。しかし目の前の男はそんなこと知ったことではないだろう。村人の請願や村長の説得をきっぱりと断る、自分の儲けが全ての人物なのだ。だから少年は何も言わなかった。そんなことをしてただではすまないと覚悟していたが、それよりも家族の方が大事だった。

 男はセイから道を聞き出そうと非道な手段に打って出た。痛みを与えて情報を引き出す。つまり拷問である。はじめは見張りの男と交代で小突き、殴りつけた。しかし吐かない。少年の精神はタフで、一日中山で遊ぶ彼の体力は老境に入った男やだらだらと日常を過ごしてきた破落戸では手に負えないものだった。何より殴れば殴るほど彼の眼付は反抗の炎を大きくしていく。一日が過ぎ、村では家族の訴えにより山への捜索が行われた。その事実は村に食料を調達しに行っていた破落戸によって男の耳にすぐに入った。彼は焦り、半狂乱になった。まだ自分のやっていることが犯罪であると判断する良心はあったらしい。しかし、そのことが良い結果をもたらすとは限らない。

 こうなれば早く少年から道を聞き出して、今日の出来事を口外しないように言い含めなければ。

 彼は臨時で建てていた小屋から工具箱を取り出し、鋭利な刃物を探した。彼が手に取ったのは家から持ってきた、よく研がれた鋏。本当はナイフを使いたかったが、長年手入れしておらず錆まみれだったのだ。それをハンマーでたたき、留め具を外して片方だけにした。即席のナイフを作り出したのだ。彼は破落戸に少年を押さえつけさせ、足先から横へ線を引くように創傷をつけていく。一本傷をつけるたびに自白を促す。徐々に精神を蝕むような痛み、多くの血が流れ出ることでぼやける視界と意識の中で少年はうわごとのように家族を助けるようにと繰り返していた。

 男が誤って少年を殺してしまったと気づいた時にはすべてが遅きに失していた。山小屋には輸血できる設備もなければ血液パックもない。煙が立つからと傷跡を焼き固める火すらも起こしていない。もっとも、その処置によって今度は重度の火傷によって命を落としていただろう。彼は凶器となった片刃の鋏を泉の中央へ投げ入れ、少年の遺体を叢の奥深くに埋めた。そののち、何食わぬ顔で村長率いる捜索隊に協力するそぶりを見せるも少年の家族や数人の村人の証言により破落戸と共にあえなく逮捕。警察も交えて山狩りが行われるが、少年の遺体はおろか泉や男が建てた山小屋も跡形もなく消えていた。そのためふたりは証拠不十分で釈放。しかしその数か月後に男は自ら命を断ってしまう。


 おおよその話はアツシさんに聞いた通りだった。それゆえ少年のうけた尋問と奇病の症状が関連付けられ、目の前のセイという人物がとっくの昔に亡くなっていたことに驚きを隠せないでいた。

「じゃあこの泉は」

「わしが見つけ、村人の命をつないだもんじゃ」

 知らなかったとはいえ、それにコインを投げ入れてしまった。

「本当にごめん。そんな大切な場所だったなんて」

「ええんじゃ。もう済んだことや」

 セイはあっさり許してくれた。その顔には今までのような控えめな笑顔を浮かべている。

「じゃけぇ、ひとつ頼まれごとを聞いてはくれんか」

 その表情のまま彼は言葉を続ける。

「うん。なんでも言ってよ」

 友達なんだし。その言葉が喉まで出かかっていたが、次の彼の言葉で飲み込まざるを得なくなった。

「ごめん、今なんて?」

 セイの表情は穏やかに笑っている。だからこそ真意を図りかねている。

「じゃけえ、もう一度言うで」

 死んでくれる? 基本的にその言葉は相手の了解を得るものではない。そもそもそう聞かれてハイ喜んで、とはならない。だから彼がこちらの返答を期待していないことなど明白だ。

「何言ってんの?」

「あのさあ、兄ちゃんは死ななきゃならんのよ」

 セイが言うにはこの泉に関わった者は一定のルールで命を落としている。まず泉にたどり着くこと。そして刃物を沈めること。最後にその傍で血を流して死ぬこと。彼が言うには僕は最後以外を満たしているとのことだ。

「なんのことだよ。確かに僕は泉に行ったけど、刃物は入れてないだろ!」

「思い出してみ。兄ちゃんコイン投げたじゃろ」

「それが……どうしたんだよ」

 水底に沈んだ一振りの刀、証拠隠滅のために投げ入れた鋏の片割れ。そしてコイン。なぜか頭の中でひとつにつながる。

「まだ気づかん? 知らんうちに出てきた泉で刃物を投じて血を流して死ぬ。そうすることで彷徨う魂は山に迎え入れられる。けど死ぬべき当の本人が逃げ出したらどうなるじゃろうね」

「でもコインで人は切れねえだろ」

「そうじゃね。静かに投げてたらそうじゃろ。けど兄ちゃん」

 セイの口角が更に上がる。なぜか脳裏にその時の自分の行動がよみがえった。そういえば振りかぶって投げたではないか。

「あんなに力入れてなげちゃあいけんよ」

 水面に立つ小規模な水柱。エネルギーを感じる着水音。

「あれじゃあ”凶器”じゃけぇ」

 人に投げて皮膚の薄い場所にあたれば血が出るほどの威力はあったかもしれない。でも単なるこじつけではないだろうか。

「そうじゃね。そうやってかんがえとくとええ。今回のことが上手くいくか、わしも半信半疑じゃけぇ」

「いったい何を」

 いいかけて言葉が詰まる。地下でも見かけた彼の瞳の奥できらりと光る何か。怒りや悲しみなどではない。それとはおよそかけ離れたもの。

「ここにおるのも飽きたけえ、二回目で成功すればええな。どうなるか楽しみで楽しみでしょうがないのお」

 周囲の木々同士が擦れ、音を出し始める。陽の光が明滅し、セイの表情は再びぼんやりと不明瞭なものになっていく。風が吹き、木の葉が飛ばされる。そのうちの一枚が頬をかすった。一瞬遅れてやってきた痛みに僕ははっとした。右頬を撫でると僅かにとろみのある、赤い液体が手についていた。

「ちょっとずつ切り刻まれていけばええ。あの泉に連れ込まれ、水を飲んだ者の定めじゃけぇ、諦めて受け入れえや」

 風が吹く、木の葉が舞う、皮膚が薄く切れる。その繰り返しから逃げようにも泉の周辺は狭い。すぐそばの叢は低木が生い茂り、その葉も同様に鋭いように見えた。藪に飛び込めば全身がズタボロになるだろう。

「いやだ、やめて!」

 パニックのまま声を上げるが、彼は高らかに笑う。

「それはわしも言ったわ。あのジジイは止めてくれんかったけどなあ!」

 風が激しさを増し、出血がひどくなる。動いても無駄だと悟り、その場にしゃがみ込む。顔や首を守ればどうにか耐えられるだろう。その姿を見て彼は一層声を張り上げて笑う。

「あいつが狂ったように鋏振り回したのがわかる気するわ。楽しいのお! こりゃたまらんね!」

 手、肩、わき腹、ふくらはぎ、足首。いたるところに条が走り、うっすらと血がにじむ。だが、すぐに違和感が訪れる。思わず空を見上げた。風はなおも吹き続けているが、それとはことなる感覚が皮膚を刺激する。

 冷たい。

 その正体を知覚した瞬間、衝撃が身体を打つ。泉ではなく、どこか別の場所から、いや空から大量の水が降ってきたのだ。周囲の風景が一瞬にして溶け、僕はその勢いをもろにくらい溺れるような感覚に陥る。


 反射的に身体を起こし、せき込む。

「やあ、ユウト君。おはよう」

 そこには作務衣姿の男が険しい表情で立っていた。

 どうやら僕は眠ってしまっていたらしい。では今までのことは夢だったのだろうか。地下室の固い地面から身を起こす。しかし視界の下端になにか赤いものが見えた。

「な、なんだこれ」

 自分の足や腕に何本も走る条。血はとまっているが、所々でかさぶたになり、そうでなくとも薄皮がめくれて下の表皮が露出した状態だ。

「ユウト君。いいから来なさい」

 アツシさんが僕の腕をひっぱり、地下から出した。陽は天頂まで登り、午後の夏祭りに向けて大人たちは慌ただしく準備をしている。ふたりは彼らの前を足早に通り過ぎ、神社の本殿に入る。そこで座らされた僕の前にアツシさんは水の入ったコップを置く。促されるがままそれを口に含む。

(うげ……)

 反射的に戻しそうになる。ただの水だと思ったそれは塩水だった。決して飲み込まないように指示を受け、彼は何かを唱え始めた。10分ほどその状態が続き、アツシさんが唱え終わると、口に含んだ塩水はコップに戻され、彼によってどこかへ持ち去られる。

「じゃあ、ユウト君。すぐに東京の方へ帰りなさい」

 戻ってきた彼の言葉に少し呆気にとられる。急に言われても困るのである。母親が産婦人科から退院するまでは父親の実家である祖父母の家に預けられたのだ。それが唐突に帰れと言われても困るのは仕事をしながら母の見舞いなどで忙しい父であり、僕も迷惑をかけたくないのが本心だった。

「せめてお母さんが出産を終えるまでここにいることはできないのですか?」

 彼はやや驚きの表情を見せ、

「なるほど、それなら別の方法を取った方がいいか」

と、またどこかへ行ってしまった。そして再度数分後。

「よし分かった。君は京都へ預けることにする。僕の知り合いにも話を付けておいた。おばあちゃんにはこれから話しに行くけど、とにかくここから離れた方がいい。さあ、準備をしに行こう」

 アツシさんから話を聞いた祖母は全てをあきらめたような顔をしていた。

 僕はその日のうちに荷物をまとめてH市へ移動し、新幹線で京都のアツシさんの知りあいのお寺へ預けられることとなった。母の退院も近く、夏休みも終わりかけで五日ほどの滞在だったが、人生で二番目に嫌な思い出となった。食事は朝夕二回でその内容もいわゆる精進料理で肉の類が一切ない。毎日廊下の雑巾がけやトイレの掃除、それが済んだらお経を読み、座禅を組んで時々平らな木の棒で肩を叩かれる。他にも数名お坊さんがいたが、誰も一言も話さない。口を開くのはお経を読むときだけだった。


 さて、そんな地獄の数日を乗り越え、東京へ戻ると僕は今までの小学生生活に戻った。弟という新しい家族ができ、その世話もしながらそれなりに忙しい生活を送っていると時間はあっという間に過ぎた。そんな時だった、家の電話がなったのは。何気なくとった電話の相手は一か月前に世話になっていた祖母だった。彼女の声はかなり深刻そうで父に代わるよう言われた。しかしまだ帰ってきていないことを伝えるとそのまま切ろうとした。そこで僕は意を決してどうしたのか尋ねた。何かあったのかと。一瞬の逡巡の後、一言だけ。

 アツシさんが亡くなった、と。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

池にコインを投げ込む行為を元に話をつくってみました。

楽しんでいただけたなら幸いです。

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