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4 英雄には心当たりがない(2)


「良い方の話?」

 

 訝しげに繰り返したルディウスの目の前に、別の書類束が差し出される。


「負傷した退役軍人への年金の増額と、遺族への支援の拡充。国境の補強もかなったから、おまえの懸念する〝次〟は、まあまあ先までこないだろうよ。決議結果が出たあとの財務大臣ときたら、見ものだったぞ。歩く屍のようで」


 ルディウスは、極秘と書かれた書類の字を追った。その目がところどころで見開かれ、まじか、と小さな呟きが口をつく。


「……どっから出たんですかね、この原資は。賠償金、ずいぶん相手に優しい金額だったと思いますけど」

「そりゃ方々削ってひねり出したに決まってる。金は湧いてこない。新たに決まった国境もほとんど金を生まない。おかげで和平条約がすぐ締結できたんだろうが、戦争にかかった金を考えたら大赤字だ。発議者もそれが分かってるから、足りない分は持ってる奴らから削り取ることにしたんだろう」

「持ってる奴?」


 決済欄を見れば、要職にはほとんど回っている。財務大臣のサインは若干曲がって枠からはみ出ていた。


「お貴族軍人だよ。ほぼ叩き上げのおまえと違って、軍事大学出たあと軍服とよくわからん勲章だけもらって、家にいて特に何もせず給与だけもらう奴ら。あの辺の給与をバッサリ切ったそうだ。おかげで来年以降はその手の大学から貴族の子弟が減るだろうな。いいさ、代わりにやる気のある若いのが、逃げた奴らの倍入って来る。なぁ?」 


 含みのある言葉尻に、ルディウスは面喰らう。


「……おっしゃる意味がわかりかねますが」

「英雄の活躍には憧れがつきものだ。次は自分が、敵の正面を突破してみせるって息巻く小僧たちが、辞める甘ったれの倍は入って来るよ」


 まあ残る奴の数を見たら、今までととんとんかもしれんがなと、上司は日焼けした頬を吊り上げた。


「しかし寂しくなるなぁ、おまえきっと、近いうちに昇進と一緒に異動の話も出てくるぞ。第一師団の花形、中央連隊の指揮官が退官するから、きっとそこだろう。……しまった、これまだ内密事項だったな」




 誰か聞き耳でも立てていたのだろうか。

 そう思ってしまうのは、訓練所を出たルディウスが、もうすでに昇進が決まっているかのような祝福の言葉をあちこちで浴びたからだ。


「おめでとうございますフェリル少佐!」

「さすがは俺の後輩、次は結婚だな!」

「いやまだまだ遊ぶだろ、おまえは独身の希望だからな!!……まだしないよなダーリン?」


 無責任なことを言う周りに合わせてルディウスは笑った。まだ決定じゃないとまじめくさって訂正するのは野暮だし、結婚についてはするもしないも考えていない。つい数週間前、行けば帰れないかもしれないと言われた激戦地からどうにか帰ってきたばかりなのだ。

 だけど周囲の状況はルディウス本人を置いて刻々と変化していっている。都合のいいことも悪いことも。


 ――いつもうっすらと、頭の中にあった。何かの折に口に出したこともあった。

 国のために戦った人間に、もっと報いてやれないのか。遺された家族にも。王都から遠く、いつも脅威に晒される国境の守りを、もっと固められないのか。

 ぼんやりと思っていたことを具体的な形にまとめた書類を見て、これは政治の場ではこんな風に形になるのかと、不思議な気持ちで読み進めた。


 発議者の名前の欄には、何度読み直してもカイル・ハウゼルと書いてあった。共同発案者の名前はいずれも、もとから彼を高く評価していた老齢の高位貴族たちのもの。鉄の財務大臣を殴るには十分な影響力だったことだろう。


 これが。

 これが、彼の政治手腕というものなのだろうか。――蜜を削られる貴族軍人の中には、彼自身や、彼の身内に数えられる人間も多数いる。


(なんなんだあいつ)


 軍の手厚い改革を推し進め、実現のためには身を削りもするくせに、英雄と称えられたルディウスをあんなにも毛嫌いしていた。憎んですらいるようだった。ルディウスが憎くて妹に手を出したのだろうかと思うほど。


 そんなにも憎むなら、なぜこの前のことに報復してこないのだろう。

 こんなにも噂が回るのが早い王宮で、出仕を再開したカイルがフェリル家やルディウス本人に何らかの処罰を加えようとしているという話は全く聞こえてこなかった。


 カイルの方にも後ろ暗いところがあるからだろうか。

〝あのこと〟を、ルディウスがばらすかもしれないと思っているのだろうか。

 ならなおさら、自分は早急に社会から抹殺されそうな気がするのだが。


「ねぇルディウス様。あなた偉くなるのなら、そのお力で国境だけじゃなくお友達も救ってあげたら?」


 肩をつついてきたのは、数年前から交流を持っている高貴な未亡人だった。

 しかし言われた内容に心当たりがなくて、ルディウスは眉を寄せた。


「友達、ですか」

「あらご存知ないの?」


 やや驚いた様子の婦人は、扇を揺らしながら少し声のボリュームを落とした。


「バーティクス家のハワード様が、スパイ容疑で勾留されてるって話」





「お話があります、ハウゼル卿」


 二度目の呼び出しは人目もはばからなかった。

 女王とともに謁見の間から移動しようとしていたカイルは、不愉快さを隠さずルディウスを一瞥した後、部屋の主に向き直り二言三言囁いていた。ルディウスから表情は見えなかったが、漏れ聞こえた声は心底申し訳なさそうで、女王も不安そうにルディウスを見遣ってから「先に行きますから、なるべく早く戻りなさいね」と返していた。


「私の執務室で話を聞きます、フェリル少佐」 


 カイルはためらいなく、ルディウスをひとけのない場所にいざなう。

 それはルディウスにはとても好都合だったし、同時に確信させた。

 聞かれたくない話なのだ。彼にとっても。


「で。今度は何かね」


 部屋の扉を閉めると、カイルは部屋の真ん中に佇むルディウスを通り越して執務机の椅子を引き腰を下ろした。

 きれいに整理されたその机を、ルディウスは怒りに任せて強く叩く。


「しらばっくれるな! ハワード・バーティクスが隣国のスパイ? 冤罪にもほどがある、あのちゃらんぽらんにそんな腹芸できるわけあるか!」


 額がつきかねない至近距離で睨みつけても、カイルは目を伏せたまま、顔色ひとつ変えない。以前に殴った痣はもうずいぶんと薄くなっていた。


「……冤罪かどうかは、今審議中でね。彼の個人的な輸入品には、経路の怪しい物が含まれている」

「それが表向きの理由か。外国産の煙草の件なら外務省に特例許可を得てる。おまえにとやかく言われる筋合いの物じゃない」

「それが事実だとわかったら釈放する。彼が潔白だと確信しているなら、なおのこと大人しく待っていれば済むことだ」


 そう言うと、カイルは机の引き出しを開けて、中から琥珀色の酒で満たされた瓶を取り出した。

 これ見よがしの余裕に、ルディウスの怒りはますます燃え滾る。

 

「……ぬかったよ。多少なりともおまえを見直した自分が許せねぇ。おまえの口からあいつのことが出てきたときに、警戒すべきだったのに」

「自分を責めるのは勝手だが、八つ当たりは困るな少佐」

「八つ当たりじゃない、タイミングが全部物語ってる。捕まえた本当の理由は、俺への嫌がらせなんだろ。まわりくどいことしやがって」

「話題のニュースはもれなく自分と結びつけなきゃ気が済まないか、英雄」

「あいつは無関係だ!」


 とうとうルディウスは前回のように胸倉を掴んだ。力任せに引き寄せるが、カイルの目はルディウスを見もしない。顔は手元の引き出しに向いている。

 音を立てて、磨かれたグラスが机の上に二つ置かれる。先に置かれた酒は既に開栓済みだった。上品な顔立ちの持ち主にはそぐわない、強い酒。

 引き出しに手を入れたまま、カイルは片方の口角をくっと上げた。


「必死だな。ずいぶん大事な男のようだ」

 

 ルディウスの目元がぴくりと動いた。

 ハワードとは性的にお互い都合よく使い合うだけの関係だが、それを除けば善良な友人の一人だ。軽い男だが、自分のトラブルの巻き添えを食ういわれはない。

 夜会でたまたま自分と一緒にいただけでルディウスのアキレス腱だと思われたのなら、その誤解を払拭するのは自分の役目だ。そう考えるルディウスに対するカイルの声は冷え切っていた。


「こんなにわかりやすい男が軍神だなんて持て囃されて、作戦立案にもかかわっていたとは信じられないな。自分への嫌がらせ? きみの中の私はずいぶん単純なんだな」

「……おまえ、なんか勘違いしてるようだが」

「まぁ浅慮なのはわかりきっていたがな。自分の立場も忘れて最前線に飛び出すくらいだし」

「よく聞、」


 ルディウスは言葉を切って、カイルのタイを掴む自らの腕を見た。

 そこに深々と刺さった、注射針を。


 緑の目で冷たく見上げ、美貌の男が吐き捨てる。


「二度と姿を現すなと言ったのも、すっかり忘れているらしい」


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