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3 英雄には心当たりがない(1)

 *


 顔や腕の痣について聞かれて「カイル・ハウゼル卿とやりあった」と正直に言えば、周囲は真っ青になってフェリル一族全体へのお悔やみの言葉を述べてきた。


 なにせハウゼル公爵家と言えば、国の要職に就く人間を何人も輩出してきた名家で、多くの主要産業に出資する資産家で、その家の嫡男と言えば女王の幼馴染みで、そして王配の最有力候補なのだから。


「国境に理性置いてきた? ノンケに粉かけるのもどうかと思うのに、よりにもよってカイル殿を狙うなんて」


 裏通りに建つ宿の一室。

 ただでさえ傷跡だらけの腹部に、くっきり浮いた痣に顔をしかめたのは、バーティクス侯爵家の次男、ハワードだった。


「ばかか、違ぇわ。……そこ触んな」


 痣のついでのように肩の銃創へ伸びてきた手を払うと、ルディウスは半端に服を着こんで寝台から立ち上がり、外に面した窓を開けた。空気の入れ替えついでにと、煙草のためにマッチを擦る。


 相手をかばう気がないのでカイルの名前は隠さないが、理由を聞かれるとはぐらかすしかない。リネットの素行まで誤解されたらことだ。

 そうすると、たいていの人間は接点のない二人の喧嘩に首をかしげるのだが、ルディウスの性嗜好を知っている人間はおのずと()()()()勘違いをする。


「ふざけやがって。あんなん俺の好みじゃねぇし、そもそもそういう相手を殴ったことなんか一度もねぇよ」

「じゃあ手を出したのはきみからじゃないの? 殴る方の意味でね」


 ルディウスは無言で煙を吐いた。ハワードも大して興味がないのか、続けて出たのは気のないフォローだった。


「気にするなよ、誰も本気でルディウスが襲ったとは思ってないって。軍の訓練所時代からの英雄だし、そもそも、もし本当に襲ったなら公爵家が黙ってないんだから」


 ハワードは床に落ちていたシャツを拾い上げながら「ただ、」となおも言い募る。


「王配殿下とまじで喧嘩したんなら早めに謝ったほうがいいよ。軍事大学の講師ならともかく、争いも娯楽もない、ド田舎の駐屯地に左遷されたらいやでしょ? 先方は表向き、急病にて屋敷内で療養中って話だから、お見舞いだけでも出しておけば。なんなら侯爵家(うち)から口利きしよっか?」


 ――こいつ、自分の男色趣味(女役)が、今他人事のように話している王配候補にばれてるとは思いもよらないんだろうな。

 ルディウスは、慣れた手つきで身支度を整える相手のあっけらかんとした態度に少々同情しながら灰を落とした。


「……まだ〝王配殿下〟じゃないだろ」

「ほぼ内定だって。父上のとこに情報回ってきた」


 げ。


「……こういうときだけ仕事しねぇよなぁ新聞社は」

 

 ハワードが無責任な笑い声を上げた。


「男爵家が没落したら囲ってあげるよ。リネットさんはともかく、君含めた四人兄弟は」

「兄貴たちストレートだが?……そもそも心配いらねぇわ。俺一人なら傭兵だってなんだって生きてけるし、家は巻き込む前に縁切る。むしろリネットの嫁ぎ先こそ世話してくれよ、絶対まともなところ」

「縁切る? 覚悟決まってるねぇ」


 覚悟というか、いつかそうしないといけないような気がしていたのだ。

 男も女も性愛の対象になると自覚してから、ぼんやりと、ずっと。

 

 昔と違い、同性愛は犯罪ではない。けれど露見すれば社会から異質なものとして見られるし、血統を重んじる貴族社会では家を揺るがす大きな醜聞になる。

 幸い、自分は女性とも身体の関係を持つから、適齢期真っ只中の今も、未婚の理由として世間には〝女好き〟で通せている。実家は田舎の男爵家ではあるが、四男なので子どもを持たなくてもさほど困らない。


 ルディウスは、今の自分に満足している。

 家に迷惑はかけたくないし、家もルディウスにまで財産は多く残せないだろうから、出世して稼ぐに越したことはない。困ったときに頼れる人脈もある。どれも捨てるには惜しい現状だ。


 けれどカイルに喧嘩を売ったことも、後悔していない。

 品行方正な王配候補が実は奔放だったとしても、どうでもいいが、まじめなリネットをひっかけるのはマナー違反だ。非は向こうにある。

 それに多少なりとも良識があれば、ルディウスとの諍いを公にして困るのは向こうのほうだ。女王との婚約発表を控えているなら、なおさらに。

 ――二重の意味で。


 けれど、やはりわからないのは、彼がそこまで自分を疎む理由だ。

 侯爵家での夜会でリネットに声をかけるより前から、彼はルディウスを睨んでいたのだ。


(男が趣味、なんだとしても、話したことない俺を恨むのはマジでなんなんだよ)


 そして男が趣味ならなんでリネットに声をかけたのだ。女王と結婚することから考えても、彼も両刀なのだろうか。――で、なんで女王と接点のないルディウスを睨むのだ。思考は堂々巡りして進まない。


「……なぁハワード」

「なに?」

「俺カイル殿に何かした?」

「……鏡見たら、思い出せると思うけど」


 いやそうじゃなくてよ、と言っても、相手はもう客室の出入り口へ向かうところだった。


「じゃ、僕先に行くけど。くれぐれも時間空けてから出てよね」

「わぁってるよ。……あと、おまえんとこの屋敷の、この前の部屋。カーテンちゃんと閉めきれてるか確認しとけよ。覗き穴とかの有無も」

「は? もしかして敵国のスパイとかいる感じ?」


 怪訝な顔の友人を適当にはぐらかして煙草を灰皿に押しつけると、ルディウスは風にあおられたカーテンを手でおさえ、窓を閉めた。


 捨てるに惜しい今ではあるが、覚悟はできている。もとより激戦地帰り。とっくに死んでいたかもしれない命なのだ。

 王配も公爵も何を恐れるに足るだろう。


 それに、いざってときは向こうも道連れだ。

 


 *



 膠着状態だった隣国との戦争に、決着がついたのはほんのひと月前のこと。

 国境地帯でのにらみ合いにしびれを切らし、打って出てきた敵方を囲い込んで叩き、戦線を押し戻し、果ては相手の国境の内側まで、第二師団が完全に押し切ったところで和平交渉が始まった。和平条約はすんなり締結。かねてから隣国との軋轢の種だった国境は確定され、戦争は終わった。


 国の中枢が戦後処理に素早く切り替わったのに対し、貴族を含めた民衆は新聞が華々しく称揚した第二師団の活躍に拍手喝采だった。

 最前線で相手の猛攻を抑え込み、銃弾を肩に受けても反撃の手を緩めなかった指揮官、ルディウス・フェリルの名は、英雄として一躍有名なものとなった。


 ――その英雄は、王宮からほど近い軍の訓練所に寮から出勤するなり上司に呼び出され、重い息を吐いた。文字通り死に物狂いで働いた自分たちの予算が削られることはもう知っていたからだ。


「来月から徐々に第二師団の残留部隊を引き揚げる。隣国とも取り決めた通り、これからは復興補助に長けた第三師団が入れ違いに入っていって、向こうの軍と協力して戦後処理にあたることになる」

「……わかりました」


 まぁ。

 勝つのが仕事の自分たちの、当面の出番が終わったのは確かだが。


「だからこの予算計画ってわけだが、納得いってない顔だな少佐」

「……次が起きたら、もう勝てなくなりますよ。負傷兵は使い捨てですか」

「殺気を収めろ、ここは東方戦線じゃない」


 渡された書類を睨むルディウスに苦笑して、執務机の向こうの上司は背もたれに上体を預けた。


「東との関係の再構築に人員も予算も割きたいのだ、陛下は。一度爆ぜた場所で、今後煙すらも立たないように」

「陛下が、ですか」


 ほんとかよ。


「なんだ、ハウゼル補佐官の差し金だと思ってるのか」


 痣のあとがうっすら残るルディウスの目元を見て、上司は片頬を上げていた。ますますルディウスの機嫌は下降する。


 たった数日で、自分たちは犬猿の仲だという噂が世間に広まった。新聞はこぞって揉め事の真相を知りたがり、大貴族の屋敷にひきこもるカイルではなくルディウスに付きまとい、沈黙をいいことに好き勝手な憶測を書きたてている。散々だ。


 そして、事の発端ともいえるリネットには当然のように泣かれた。カイルの暴挙にではない。本人に断りもなく話をつけに行き、カイルを殴った兄に対してだ。

『お兄様の馬鹿! 脳筋! 世界で一番凶暴なゴリラ!』

 すれ違う人間の多くが二度見した顔の痣も、妹にだけは見えなかったらしい。本当に散々だ。


「……違うとお思いですか。彼は軍にあまりいい感情をお持ちでない」

「まあ、あの人は、大学でのことがあるからな。しかし今さら、分別のあるお前が何でハウゼル補佐官とやり合ったのか疑問だったが、この通達が来て儂も腑に落ちた。……だがおまえ、一体どこでこの情報を知った?」


 上司はルディウスが予算のことでカイルと揉めたと勘違いしているらしい。多少はそれもあるが。

 これは新聞でも同じように書かれるだろうなと思うと憂鬱だったが、あえて否定はしないでおいた。


「本人がおっしゃられましたよ。聞いてもないのに」

「手負いの、しかも訓練所上がりの軍人にそれはいけないな。黙っていればいいものを、補佐官も妙なところでバランス感覚が鈍い。その様子だと、いい話の方は聞いてないんだろう」


 書面を冷たく流し読みしていたルディウスは、その言葉で視線をあげた。


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