第三話 セキニン
我が耳を疑った。この女は、生まれの差だけで人を地獄に落としていたのかと。
「不快なんだよ、その見た目や声。それに弱っちい様も」
「それだけで?」
「さぁ?」
シラを切る。その様に、今まで凍らせてきた心が溶解してゆき、マグマのような熱い激情が沸き上がってくるのを感じ。
「……ふざけんなよ」
今までやられてきたこと。合計二十二年強もの仕打ちが脳全体、そして身体全体へと広がる。
「復讐だってんならわかるよ。けど俺お前に何かしたか?」
「っ……黙れ」
「一年の頃から俺をターゲットにして、嘲笑って、何でそんなことするんだよ!?」
「知らねえよ」
「知らねえ、じゃねえよ! 《《二十数年》》もこんなことして、知らぬ存ぜぬなんて」
「うるせえんだよ、このクズ野郎が!!」
とうとう奴の我慢も限界に達したのか、低く体勢を作りレスリングのようなタックルを仕掛けてきた。
混乱した俺は避けられなかった。そのままドアごと押し倒され、馬乗りにされ、掌底を何度も飛ばされる。
「全部お前のせいだ、ワタシが『こうなった』のも! だからこれは当然の報いなんだッ!!」
七瀬美香の表情は、まるで悪魔を見るように鬼気迫っていた。
いや……何か焦ってるのか? じゃないと、こんな無責任なことを言えないだろう!
「お前、いい加減に」
「何の騒ぎだ!」
「っ!?」
「……ぁっ、せんせぇ〜〜っ!!」
しまった、今の音が響き渡って大人たちが集まってきやがった!
奴は俺と違って世渡りが上手い。それに写真データを盗み出したのがバレるのもまずい……!
「音無くんがぁ、ワタシのこと虐めてくるんですぅ!」
「ち、ちが」
「何でそんなことしたの! 謝りなさい!!」
結局俺が悪いことにされて、殺そうとした噂が広まって。
「べーっ」
(何なんだよ。マジで何なんだよ、コイツは!!)
俺の父は職を失い、その様を悪魔は嘲笑っていた。
〜〜〜〜〜〜
家では中学卒業頃まで、会話が全く無くなってしまった。
それでも家事の殆どを請け負っていた。俺のせいでこうなった、だから少しでも負担を減らしたかったのだ。
「……高校には行くの」
ある蝉の鳴いている夜、数年ぶりに父が口を開いた。
正直、拍子抜けだった。前世では、俺が高校に入る頃には亡くなってしまったから。
「その、さ。ぼくのせいで、父さんに迷惑かけちゃったけど、さ」
「けど?」
だから俺の発する声も、罪悪感も相まって辿々しいものとなってしまう。
だがすぐにハリを取り戻し、真っ直ぐとした瞳を向け。
「一年半でいい。高校には、行かせてほしい。奨学金借りて、バイトもするから。それで満足したら働いて、父さんに絶対楽させるから」
ある目的のために、偏差値の低い高校へ進学したい旨をハッキリと伝えた。
「卒業しないの」
「そんな金ないし、ぼくのせいで、父さん苦労させちゃったしさ。だから」
「なら行かないほうがいい。中卒で働くか高校を出るか、二つに一つだ」
「……」
どうして、そんな決めつける。
そう言いたげな顔を見てか、父さんが俺の肩をガシリと掴みハッキリと告げた。
「父さんは、お前の親なんだ。子供を守る責任があるし、子供の失敗を背負う義務もある」
「……っ」
どの口が、とは言えなかった。母が蒸発してから育ててくれた姿勢を見ているから。
「金のことは心配するな、一人前になってから返してくれれば」
「それじゃダメなんだよ!」
「少しは私に父らしいことをさせろ!!」
思わず、すくみ上がってしまった。怒鳴る父なんて初めてだったから。
「私は酷いことをした。親として最低だ。だからもし、悪いことをしたのだと思っているなら。お前を一人前にしてやるまで、責務を果たさせてくれ」
「……っ」
嬉し涙を流したのも、初めてだった。
こんな最高な父のもとに生まれてこれた俺は、マジの幸せ者なのだ。
「ありがとう……俺も、頑張るからっ……!」
今世でも高校は出よう。それが親孝行になるのなら、絶対に。
それで金を貯めて、スーツ買って、身嗜みを整えて。
在学中に高卒を積極採用している企業に応募しまくって、少しでも父さんに良い思いをさせてあげよう。
そして俺は、三周とも同じ高校へ進学した。
ここでやることは二つだ。一つは決意した通り、俺を支えてくれた人への恩返し。
「花宮さんっ!」
もう一つは、唯一俺と対等に話してくれる、顔も心も綺麗な少女との再会だ。
(本当に会えたっ……花宮さんと、また)
前世での記憶が蘇る。
また会えるという言葉は本当だった。
「……そっか。やっぱり、そうなんだ」
「花宮さん、その……何から話せばいいんだろう。もしよかったら、一緒に勉強を手伝って」
「君。何周目?」