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第五章   狩野遥馬2

   ※   ※   ※


 遥馬は、本部執行室にひとり座ったまま目を閉じていた。

 この島に自分の父がいるはずはない。これは幻覚かなにかのはずだ。それでも、ふたたび目を開けると、彼はまだそこにいた。

 この男が、まともに妻子を養わなかった。それが自分たち姉弟の不幸の始まりだった。

 類が説く『平和的な解決』や『平和な未来』と、遥馬が今よりほんの少しだけまともな暮らしがしたい、まともな教育が受けたいと望むことが、なぜこの世界では両立しないのだろう。

『軍事産業の金にたかる俺達みたいなウジ虫がいるから、いつまでたってもこの世界から戦争がなくならないんだ』

 それは遥馬が、いらだちにまかせて類に叩きつけた言葉だ。

(そうだ。俺は戦場の死体にたかるウジ虫だ。だがウジ虫にだって生きる権利がある。羽化して飛び立つ権利がある)

 金のない苦労を一番知っているはずの姉の理央は、遥馬を裏切った。

『私は類の考えに一票入れる。お金は命には替えられない。私はまた惨めな生活に戻ってもいい。それでもいいから、遥馬に生きていて欲しい』

(俺が一人で生き残ったところで一銭にもならないじゃないか)

 遥馬はいらだつ。

 すでに、春待太一が負傷し、永友優吾が命を落とした。水渓澄人も死線をさまよった。ここで契約金が発生しなかったら、彼らにどう報いることができるだろう。

(もう引き返すことなどできない)

 遥馬は一瞬、父の背中を、力一杯蹴り飛ばしてやりたい衝動にかられた。

 お前が! お前のせいで!

 何度も何度も、蹴りあげ踏みにじってやりたい。

 それなのに、体は動かなかった。喉がふさがったように言葉さえも出なかった。息子に土下座をしなければならない人生をこの人は生きたのだ。それはそれで、どうしようもなく惨めな人生だと、遥馬は憐憫さえ感じていた。

 遥馬は、息子の断罪に震える薄汚れた背中を見ていた。以前にこんな姿勢で父親に蹴られたことを思いだした。遥馬が父親と話した最後の記憶だ。

 あれは小学五年の冬のことだ。わずかな小遣いとお年玉を入れた、貯金箱と財布を抱えて遥馬は床の上に丸くなっていた。

「ほら、二倍、いや四倍にして返してやるって言ってんだよ。お前が持ってたってどうせ、漫画かなんか買っておしまいだろ? だったら俺が有効に使ってやるって言ってんだよ」

 父は、相手が遥馬でも容赦なく金をせびった。

「ほら、一発当てたら遊園地も連れてってやるし、欲しがってたゲーム機だって買ってやる。お前だってそのほうが嬉しいだろ?」

 遥馬が動かずにしゃべらずにひたすら腹を内側にして丸まっていると、尻のほうから力一杯蹴り上げられた。遥馬が泣きだすと、父親は力ずくで裏返し、貯金箱と財布をむしりとって出ていった。

 遥馬は父親の背中を見て思った。

(ああそうか。この人もそうだったのか。一発あてて、人生を変えたかったのか)

 仕事を失い、妻の細々とした収入にすがって貧しい生活をするなんて、みじめで耐えられなかったのだろう。

 一発あてれば。

 子供を遊園地に連れて行ってやれる父親。

 子供に欲しがっていた玩具を買い与えてやる父親。

 人並みにそんなものになって、胸を張って家に帰ってくることができたのか。だから必死になって、現実味のない可能性にすがろうとしていたのか。

 今の人生は、自分の本当の人生じゃない。

 今の自分は、本当の自分じゃない。

 自分は、もっと他人に尊敬される存在のはずだと。

 自分の生き方は、もっといいことがあるはずだと。

 だからこそ今まで我慢して必死にやってきたんじゃないか、と。

 ほんの少し見栄を張って、過信して。

 捨てきれない希望をもてあまして。

 たどり着いたところはここだ。

 ――プラチナベビーズと交戦し、三千万円を手に入れる。契約者の生死は問わない。

(そうだよ。俺は、まぎれもなくあんたの息子だ)

 人生の一発逆転ができると信じて、全てをつぎ込んでしまった。もうこの命さえ、自分のものではなくなってしまったかもしれない。

 どこで間違えたのだろう。どうすればよかったのだろう。

 遥馬には今もわからなかった。

 ただ、誰かに謝ってほしかったのかもしれない、とかすかに思った。

 苦労させた。苦しめて悪かった。お前たちはなにも悪くない。

 誰かにそう言ってほしかった。この嘆きを受け止めてほしかった。そうすれば、自分の人生は、どこかで変わっていたのかもしれない、と。


   ※   ※   ※


 吉住類は自分の書斎にいた。隣には澪が立っている。ふたりで遥馬から入電を待っていた。

 少し前、一爽からメッセージが届いた。計画通り、狩野遥馬に春待太一のタブレットを渡し、右肩に触れることに成功した、と伝えていた。

一爽「俺はこのまま虹太を助けに行く。なにかあったら連絡してくれ」

 午後二時四十五分、沈黙を破って通信機が鳴った。

 類は受話器を取り、時間をかけて、遥馬に亡命計画を説明した。

『メガフロートを船舶とする条件はなんだ? 本当にそんなこと可能なのか?』

 やはり遥馬は慎重だった。類は一爽にした説明をくり返した。

「条件のひとつは、自力走行できることだ」

『自力走行? ディーゼルエンジン一基で、こんなでかい島が動くのか』

「大型ディーゼルエンジンは、全長一キロ以上、建築物でいうなら五、六階建てに相当するような豪華客船によく採用されている。同系統のエンジンで出力が二、三倍あれば、この島の規模でも充分実現可能だと僕は思っている。

 そして、そういった客船でディーゼルエンジンが採用されているもうひとつの理由は、これが安定した電力を供給する発電機としても利用できるからなんだ。この島の最深部にあったディーゼルエンジンは、おそらく島の巨大な発電機として今も機能している。本土からケーブルで電力を補給していない分、これで発電していたわけだよ。

 神田社長の話では、これをマニュアル操作で走行モードに切り替えなくては動力を得られないらしい。その操作を、一爽に頼もうと思っている。実はそこに、もと監視者の芝虹太が監禁されているようなんだ。彼も救出したい。

 そして自立走行可能な状態ということは、つまり海底や沿岸に係留されていてはいけないってことだ。

 ここからが大がかりな仕事になるけど、本土とつながるみどり大橋、ガーデン大橋のふたつの橋を破壊して島から切り離すこと。それから海底に固定している三十六本のワイヤーを巻き上げること。この状態にして船主、船長、海技技師の登録を行い、パルマ共和国の船籍を取って初めてこの島は船となる。……おそらく橋の破壊には時間がかかると思う。ガウスガンを使える理央にやってもらいたいけど、できれば援護が欲しい。監視者の君たちも協力してほしい」

 遥馬はまだ決心がつきかねているようだ。

『パルマ共和国が、本当に俺たちを難民として受け入れるという保証があるのか? お前の父親の話を信じて、危ない橋をみんなで渡ろうというのか? お前たちはもともと俺たちと敵対する立場だろう。俺たちがこの話に乗る必要はあると思うか?』

「もう気がついているだろう。理央は、君の安全のために僕の側についた。僕が最後まで戦う意志を持たないと信じてくれた。遥馬、戦いを避けよう。命を危険にさらすことはない。ここで僕らが、金のためにつぶしあう意味はないだろう。

 遥馬、知っていると思うけど僕は過去に事故を起こしてしまった。人を傷つけてしまった。そのせいでプラチナベビーズのみんなにも不自由な生活をさせている。

 僕はプラチナベビーズの仲間を守りたかった。僕の武器は特殊能力なんかじゃない。知識と情報だと思っている。そう思ったからこそ、今まであれこれ調べて知識をためこんできた。それでも足りなかった。君たち姉弟の話を聞いて、自分の視野が狭かったと痛感した。実際のところ僕は、ある程度めぐまれた暮らししか知らないんだ。今となっては、君が、そんな僕とは理解し合えない、と言った気持ちもなんとなくわかる気がしている」

 類は少し笑った。下を向く。

 そこには動かなくなった細い両腿と、車椅子の座面があった。

「僕はね。こうなってしまってから、人の手を借りないと生活できなくなった。父、ヘルパーさん、学校のボランティアスタッフ、友人……いつも周囲の人の力に支えられて生きてきた。みんなが差しのべてくれる親切な手が、いつもとっても有り難くて――同時に、はらわたが煮えくりかえるほど嫌いだった。

 どうして僕は、いつもほどこされる側なのか。僕だって、好きでこんな体になったわけじゃないよ。それでも僕は、その手にすがって今まで生きてきた。周囲に支えられなくては生きられなかったからだ」

 類は左手で受話器を支え、右手を、きゅっとにぎりしめた。

「だから、君もこの手をとってくれ。僕のことを大嫌いなままでいい。それでも僕ら人間は、立場の違いと個人的な感情をのりこえて、手をとりあえる。今だけ、君のプライドを捨ててそれを証明して見せてくれ。君は『軍需の金にたかるウジ虫』なんかじゃないだろ。

 遥馬、人になれ、共に生きよう」

 遥馬はしばらく黙った。

 類は祈っていた。

 この想いが届くように、と。

 受話器の先で、ふっ、と笑い声が漏れた。ふ、ふ、と優しい声音がした。

 皮肉なかげなど一片もない、素直な十七歳の少年の笑い声だった。

 理央の笑い方がくっきりと思い浮かんだ。やはり兄弟だな、と類は思う。

『類、俺たちはもうとっくに手をとりあっている。澄人が回復してきた。それだけで十分だ。俺たちも借りを返させてもらう』

(届いた)

 類ははるかな天体の輝きを見るように、書斎の天井を見やった。

「……そうか。澄人くん、良くなってるのか。よかった」

 胸が苦しくなって、泣き笑いのような顔になってしまう。

『では、ここからは共同戦線だな。橋の破壊に武装班二小隊を派遣する』

 また事務的な口調に戻り、遥馬からの通信は切れた。

 ゆっくりと受話器を戻した類は、となりにいる澪に向かって首を垂れた。

「……澪。ひどいことを言ってすまなかった」

「え? ひどいこと? 私に?」

 澪はとまどった顔をしている。

「君は共同生活をするうえで、たびたび僕の手助けをしてくれたのに。それを……遥馬との交渉のためとはいえ、あんな言い方して」

 澪は破顔した。こちらも一点の曇りもない慈愛に満ちた顔だった。

「類も人間ってことだよ。これで私たち、やっと対等になれたよね」

「澪……そうか、もう全部わかってたのか」

 類は、思わず声を詰まらせた。片手で目元を覆う。こんなの自分らしくない、と思うのに、あごが勝手に震えてしまう。

「……怖かったんだ。これを、口に出すのが、ずっと、怖かったんだ」

 小さな子供をあやすように、澪がとんとんと背中を叩くと、類は咳きこみ、むせび泣いた。


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