第四章 沈まぬ太陽5
「そう。船にする。そしてこの国のものじゃなくするんだ。便宜置籍船、という言葉を知ってるかな?」
「べんぎちせきせん?」
「そう。税制などの優遇を期待して、わざと外国に船籍を申請したりすることだよ」
類はきらりと瞳を光らせた。
「この島を外国船籍の船にするとどうなる?」
一爽にはまだ関連がつかめない。
「難民申請ができる。僕らプラチナベビーズにはまだちゃんとした戸籍がない。まだ人間として認められてないからね。パスポート無しで他国へ逃れる方法は、難民申請しかない」
「外国へ? そんなことできるのか」
一爽は半信半疑で類をみつめる。
「多少の障害はあるかもしれないけどね。僕の父は国際弁護士だから、すでに各方面に準備と根回しを進めている。船籍はパルマ共和国で申請しようと思っている。便宜置籍先としてすごく人気のある国だ。この国は税金が安くて、なにより手続きが簡単だからね。
すでに父は僕を船主としてペーパーカンパニーの設立を申請してあるそうだ。あとパルマの海技免状のある乗組員が必要なんだけど、それも神田造船の神田社長がひき受けてくれることになった。このフロートに遠隔操作可能な設備があることと、神田さんが日本の海技免状を所有していることを申請すれば、パルマでは通るそうだ。
この島が外国籍の船になった場合、公海すなわち日本の領海十二海里を超えて航行すれば、『旗国主義』が採用されてこの船内はパルマの国法が適用されるようになる。そこで難民申請が通れば、パルマは軍隊を持っていないが、屈強な武装警察を持っているから、武装ヘリで保護してもらえるはずだ。
この国とパルマ共和国の間には犯人等引渡条約は締結されていない。万が一、僕らの身柄について法的に引き渡しを求められても、応じることはないんだ」
まだ話についていけず、ぽかんとしている一爽の顔を見て、類は鼓舞するように笑いかけた。
「あとは、僕らが力を合わせてこの島を船に変えることだ。もうひとつ。この計画は本来プラチナベビーズのための逃げ道だった。でも、それを今、監視者のみんなとわかちあいたいと思っている。彼らも一緒に生き延びるんだ」
一爽の心に光が差した。
この騒動が始まってはじめて、希望らしいものをみつけた気がした。
類が微笑む。
「命に変えられるものはない。ここに残った全員、無事に脱出するぞ」
「でもそれは、結局、あいつらに契約金をあきらめさせることになるんじゃないのか」
澄人の、血の涙を流す決死の形相が、一爽の心に突き刺さっている。
「一爽、虹太が言っていた契約金の条件を思い出せ。本人死亡や行方不明でもいいんだ。監視者は全員ここで僕らと戦って死ぬんだ。そしてあかの他人に生まれ変わって新しい国籍を得るんだ。ただそれを、トゥエルブファクトリーズの監視データ上でごまかす仕掛けさえできればいいんだ」
類は、春待のタブレットを指先で叩いた。その仕掛けはもうここにある、と言いたげに。
がたっと椅子の音をたてて一爽は立ちあがった。
「それじゃ、優吾はちゃんと弟を救えるんだな」
「うん、うまくいけば」
「僕らが人間として生きる権利。国籍。人権。それから監視者の生徒たちの命と生活費。進学費用。全部手に入れよう。この地球上で、自由に生きられる場所を探し出すんだ」
一爽は拳を振りあげた。
「やってやろうぜ! プラチナベビーズの人権、そして監視者達の契約金。全部むしりとってやるからな!」
「この計画を実行するには、監視者側の協力がいる。そのために君の能力を使ってほしい」
類の熱を帯びた口調に、拳をおろした一爽は困惑した。
「え、俺の? ……こんな能力、本当に役に立つのか?」
まだ半信半疑の一爽に、類は自信たっぷりに笑いかけた。
「君の能力はたぶん『手で触れた相手が本当に望んでいるものを、本人にだけ具現化して見せてくれる能力』だと思う。僕はこれを『沈まぬ太陽』と名付けたい」
沈まぬ太陽。一爽は口の中で繰り返してみた。
「優吾にはパフェグラスが見えたんでしょ。そう言ってたんでしょ」
澪の声だ。一爽は驚いてソファのほうを振り返った。
いつの間にか澪は目を開けていた。類の話をきいていたようだ。
「え、なんで、それを……」
不思議そうな顔をする一爽に、澪は訳知り顔で語りだす。
「じゃんけんパフェのグラス。優吾はそれを見ると、思い出すんでしょ。自分の欲しいものは、お金なんかじゃないって。誰とも戦わずに、家族が仲良しだった頃の家に帰りたかったんだって。……優吾が本当に望んだのは、親友を騙してまで手に入れる三千万円じゃない。家族とまた笑いながら平凡に暮らすこと。それが本当の願望だった」
でしょ? と澪は厚い前髪の下から、一爽をみつめた。
「優吾は一爽の能力のおかげで、最後に大事なことを見失わなかった。全てを捨てて自分の希望を、誰かの未来に託した。『沈まぬ太陽』、私もいい名前だと思うよ」
澪は目を細めて微笑む。それは、不思議な神々しさをもった笑みだった。幼子を見守る地蔵や観音像のような。丸い童顔ながら慈愛に満ちた笑みだった。
「君がみんなを明るく照らすんだ、一爽。監視者たちに希望を与えてくれ」
類の声が背中を叩く。
照らす。本当にそんなことができるだろうか。
一爽は自分の両手をみつめた。そして目を閉じる。
(俺が、与える)
ただ与えてもらうのを待っているだけじゃない。
与えられた運命を嘆くばかりじゃない。
自分で行動してなにかを変えなければ。
一爽は一度砕け散った自尊心の欠片をかき集めて、自分を奮い立たせた。
決心して目を開く。
「類の考えた作戦を教えてくれ、やってみる」
まだ自信はない。それでもやるしかない。
※ ※ ※
午後二時過ぎ、類は自分のほうから遥馬に連絡した。
『そろそろ刻限だからな、こちらからも通信をするつもりだった』
遥馬は相変わらず感情を見せない仏頂面だ。場所は監視者の施設内のようだ。
「遥馬、澄人くんの具合はどうだ? 本土へ運ばなくて大丈夫なのか?」
類の言葉に、遥馬の瞳が翳った。眉間に深いしわが刻まれる。
『……本土へは行きたくない、と本人が言うんだ。みんながいるここで死にたい、と。今は少し、回復の兆しが見えてきた』
「そうか、薬がきいてきたのかな」
嬉しそうな類の声に、遥馬は至極嫌そうにしながらも、かすかに首肯した。
類の後ろで話をきいていた一爽は、胸に硬くしこっていた気がかりがひとつ、溶解していくように感じた。
「遥馬、このあとの話をするのに、こちらの保守回線を使わせてくれないか。こちらからの最後の交渉だ。トゥエルブファクトリーズの幹部を遮断したところで話をしたい」
遥馬は片眉を上げた。
『プラチナベビーズサイドに、保守回線があるのか?』
「僕の父を誰だと思ってるんだ。この計画の元大ボスだぞ。まあ、金の力でトゥエルブファクトリーズに乗っ取られてしまったけどね」
類はちゃかすように言ってから、手元にあるタブレットを画面に映るように持ちあげた。
遥馬の顔が一瞬でこわばった。おそらく、監視者たちも血眼で探していたものだろう。
『お前、それは』
「ここに春待太一のタブレットがある。これを君たちに返したい。保守回線を利用するためのアプリケーションは、その春待のタブレットの中に入れておく。その通信用アプリを立ちあげて指示に従ってくれ」
遥馬はすぐにうなずいた。
『了解した。では交渉の続きは保守回線で』
「このタブレットを、今から一爽が監視者の施設に渡しにいく。リーダーである君が、彼から直接受け取ってほしい。一爽は澄人くんに薬をあげた張本人なんだから、礼くらい言ってくれるんだろう?」
遥馬は画面越しに、類の奥にいる一爽をちらりと見た。猜疑心の強い切れ長の目が一爽を射すくめる。
『わかった。葉月一爽、会えるのを楽しみにしている』
ひんやりした声とともに画面は暗黒に戻った。




