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第四章   沈まぬ太陽4

 類は両手を組み合わせてうつむいた。

「それなんだ。立場が一方的すぎる。なにか、こちらに交渉できる材料があればいいんだけどね……」

 交渉できる材料、そのひとつは『耐性菌感染症の薬』だった。しかし、一爽はそれを無条件に澄人に渡してしまった。

 一爽はふたたび頭を抱えたくなった。

 しかし、はっと思い直した。

 『重要なアイテム』はもうひとつあったはずだ。

 一爽は、ちょっと待っててくれ、言い残して、あわてて自分のリュックサックを持ってきた。帰ってきたときに、玄関に置いたままになっていたのだ。

 リュックはナイロン生地があちこち焦げていた。ジッパーを開けて、真尋から預かったタブレットを取り出した。

「これはどうだ。真尋が持ってた春待太一のタブレットだ。この中に、取り引きできるものが入ってるかもしれない」

 類は眉を上げた。

「隊長だった春待か。でもセキュリティがかかってるだろう」

「真尋からパスワード教えてもらった」

 一爽が自分のタブレットをテーブルに出すと、メッセージの着信のアラートが灯っていた。虹太からのようだ。とりあえず、真尋の送ってくれたパスワードを類に教えた。

「ええと、画像カメラの電波を妨害できる装置がこの島にしかけてあって、そいつをこのタブレットでコントロールできるらしいんだ。春待はそれを使って、監視カメラをごまかし弥生真尋を逃がしたらしい」

「わかった。僕はこのタブレットの内容を分析してみるよ」

 類の横で、一爽は自分のタブレットを手に取り、虹太からのメッセージを確認した。動画のようだ。

「ちょっとごめん。虹太から何か来てるんだ。大事な話かもしれない」

 席を立って、リビングのソファのほうにいった。動画を再生する。

 コンクリートを打ちっぱなしにした広い空間に虹太はいた。太古の神殿のような太い柱が高い天井を支えている。ここはどこなのだろう。

 周囲に海底ケーブルらしきものは見えない。本土の施設なのか。それとも、この島のゴミ焼却場の地下だろうか。

『やられた。……ほんと、やられたよ』

 弱々しい虹太の声がした。

 画面が揺れて、床にへたりこんでいる虹太を映した。自分の手でタブレットを持って撮影しているようだ。虹太は下着のタンクトップ一枚になっていて、それが体にぴったりと張りつくほど汗をかいている。

『一爽、ここには海底ケーブルなんか無かった。脱出できるトンネルなんてないんだ。この厳重そうな扉も、ただのカムフラージュだ。神田造船はやっぱりプラチナベビーズの味方だった。奴らはトゥエルブファクトリーズの幹部に嘘の設計図を渡したんだ』

 カメラがぐるりと反転した。大きな装置が映しだされる。二階建てのアパートくらいの大きさはあるだろうか。大型のロッカーをブロック状に組み合わせたような外観で、あちこちにパイプが走っている。装置の外側に黄色く塗られた足場と階段がついていた。一爽には、それがちょうど安アパートの外付け階段のように見えた。

 大型装置は天井から下りている透明なシャッターにぐるりと囲まれているようだった。虹太はその内側にいるのだ。

『海底ケーブルなんかない。地下でこいつが発電して、この島の電力を支えていたんだ。俺はここのセキュリティシステムに触れてしまった。見えただろ? あのシャッター。防弾仕様で俺にはどうにもできない。この場所から、出ていくこともできなければ、地上に戻ることもできないんだ』

 水が半分ほど残ったペットボトルを、虹太は振って見せた。

『一爽、俺の持ってる水分はこれだけだ。あと半日くらいしかもたないだろう。この画像を類に見せろ。この装置がなんなのか、この島のプリンスであるあいつなら、きっと突き止められるはずだ。そして、この実験から無事に脱出してくれ』

 虹太の眼鏡は、下半分がくもっていた。汗で濡れた前髪が束になっている。

『一爽、未来の戦争を止めろ。頼んだぞ』

 虹太は覚悟したように両目を閉じて、かすれる声で言った。

 動画は終わった。

「見てくれ、ちょっと、これ」

 あわてて類のいるテーブルに戻った。

 装置の映っている画像のところで動画を止め、拡大して類に見せた。

「これはなんだろう? 虹太は、類ならわかるだろうって言うんだ」

 さっそく春待のタブレットをいじっていた類は、ひょい、と首を動かして一爽の差し出した画面をみつめた。最初は不審そうに。そしてだんだんと、食い入るようにじっとみつめた。

 一爽はその様子をじれじれと見守っていたが、我慢できずにしゃべりだした。

「俺、虹太を助けに行かないと。よくわかんないけど、あいつ、あの装置を守るシャッターに囲まれてて身動きがとれないんだ」

 一爽を落ち着かせるように、類は一度一爽の手を握った。

「一爽、虹太は半日くらいもつ、と今言ったんだよな」

「でも半分は強がりだと思う。あいつは人を頼るのが嫌いだから」

 一爽の言葉に、類は何度もうなずいた。一爽をなだめるような様子だ。

「僕に考えがある。情報を整理するから、もうちょっとだけ待ってくれないか」

 一爽は悩む。それまで虹太の体力はもちこたえてくれるだろうか

「たぶん君にやってもらわなければならないことがある。君の能力を使わないとできないことだ。ひょっとしたら、あそこのセキュリティを解除して、虹太を拘束してるシャッターを開けられる可能性もある」

「わかった」

 がむしゃらに行動するよりも、今は虹太の言うとおり、類の知識を頼るべきなのかもしれない。一爽は焦る気持ちをこらえて、椅子に深く座りなおした。

 心を落ち着け、類を信じて待つことにした。


   ※   ※   ※


 一爽は時計を見上げた。午後二時を過ぎた。

 理央からの連絡はない。

 澪はリビングのソファに座って、静かに目を閉じている。瞑想でもしているようだ。

 類はあれから自分の書斎に閉じこもっている。そろそろ小一時間ほどたつだろうか。

 エレベーターの扉が開く音がした。

 一爽は少し緊張して類の登場を待った。類が車椅子のハンドリムをころがしながら、ダイニングのテーブルにやってくる。

「よし、作戦会議をはじめよう」

 類が、自分膝の上からタブレットをテーブルに置いた。春待のタブレットだ。

「まず、これの中身を解析してみた。監視者が設置しているこの島の監視カメラは、地上テレビ波を使って画像データを送ってるんだけど、たしかに、それと近い周波数の電波を発して攪乱するしかけがあるようだ。携帯電話の電波を使用した画像通信には影響を及ぼさないが、固定の監視カメラから送られている画像が受信できなくなるっていうしくみだ」

「島中心の展望台か? やっぱり、あれがテレビ塔みたいな役割を果たしてたってことか」

 類は首肯した。

「春待は隊長である自分の権限を利用して、そこになにか装置を仕込んだんだろう」

「すごい時間と手間をかけてんな」

 感心したように一爽が言うと、類はしみじみとつぶやいた。

「愛だね。もともとは真尋を逃がすためだったんだろう。これをうまく使えば、この島で起きていることを、トゥエルブファクトリーズ幹部の画像データに残らないよう細工することができると思う」

 それから類は自分のパソコンを開いた。

「それから、芝虹太の送ってきた装置の画像についてだけど、その前にまず、虹太が一爽に送ってくれたこの島の設計図を確認したい。監視者の内部資料だ」

 類は島の設計図を表示した。

「僕はこれを見て、すぐに違和感を覚えた。島の沖三十メートル四方にはりめぐらされているという、この消波ネットだ」

 類は図を拡大し、島をとりかこんでいる線を指さした。

「この島の電力は海洋発電、ごみ焼却による熱発電、あとは海底ケーブルによって本土から供給されている、と僕たちに説明されていた。しかし――」

 一爽はうなずく。

「周辺の波を消したら、波の力で行う海洋発電は不可能だよな」

「そういうことだ。この設計図は、島の建造を請け負った神田造船の設計者、神田奈月からトゥエルブファクトリーズの幹部へ送られた設計図だ。ただし、この設計図にはこの島の実際の構造とかみ合わない部分がある。なぜか? それはプラチナベビーズのために用意した仕掛けを、トゥエルブファクトリーズ幹部に秘密にしておくためだった、と僕は考える」

 類はマウスを操作し、図の海底ケーブルの部分にバツを描いた。

「監視者側に渡された設計図は、わざと違った情報を載せていたんだ。そこにだまされてしまった芝くんは残念ながら今、地下で動けなくなっているわけだけど、彼のおかげでこうして僕らには情報がもたらされた」

 一爽は、顔を両手で覆って天井を仰いだ。虹太は今どうしているだろう。

「これがどういうことなのか、僕は本土にいる父に確認をとってもらった。このメガフロートを設計した神田造船。その女性社長にして設計者、神田奈月本人と連絡がとれたんだ」

 類はパソコンを操作し、今度は画面に大きな装置の画像を映し出した。虹太の送ってきた動画の一部を切り取ったものだ。二階建てのアパートほどの大きさがある例の装置だ。

「そして彼女と通話できたおかげで、虹太くんが撮ってきたこの装置の謎が解けた」

 一爽はごくりと唾を飲みこんだ。

「類、これは?」

「これは、エンジンだ」

 類は少し間をとってから告げた。

「この島が自力航行するための大型ディーゼルエンジンだ。バラストタンクの一部が、海水タンクではなく燃料タンクとして機能するようになっていたんだ」

 そして類はパソコンの画面に視線を移した。

「神田さんは、プラチナベビーズの支援者だった。僕らの境遇に、理解と同情を寄せてくれる人だった。プラチナベビーズの行動観察実験にも共同出資してくれていた。ところが大型出資者トゥエルブファクトリーズが、巨額の出資金とひきかえに、この実験の運営権を一手に掌握してしまった。神田さんはそのことを危惧する一人でもあったわけだ。それで彼女はトゥエルブファクトリーズの幹部に知らせずに、この島にある仕掛けをしこんでおくことにした。有事の際、これがプラチナベビーズの命綱になるかもしれない、と考えて。

 施工完了したメガフロートがトゥエルブファクトリーズにひき渡されたあとも、浮体そのもののメンテナンスはひき続き神田造船の技術者に委託されていたから、今まで発覚することなく秘密は守られてきた」

「エンジンがあることが、どうして俺たちの命綱になるんだ? 海を航行できるってことか?」

 一爽はじれったくなって類にたずねた。

「よくきいてくれた。でも大事なのは、海上航行することじゃないんだ。このメガフロートを『島』ではなく『船』にすることが重要なんだ」

「船にする?」

 一爽は類の言葉をオウム返しにした。


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