四神と四天王
東アジア・中国文化圏で大地の四方を司る神として伝わってきたものに四神がある
北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎が対応している
玄武とは亀に蛇が絡みついた象徴で色は黒を表す、青龍は龍の象徴で色は緑(青)を表す、朱雀は鳥の象徴で色は赤(朱)を表す、白虎は虎の象徴で白を表す
大相撲の土俵の上には大きな屋根が吊ってありその四方に大きな房がぶら下がっているがこれも北は黒、東は緑、南は赤、西は白とそれぞれの色の房になっている
私の数珠ブレスレットにも等間隔で水晶に描かれた四神を順番通りに配置している
ただ、数珠は輪なので方角は一定ではない
そしてこの四神の存在にふさわしいとされる地勢・地相を四神相応という
四神相応の地とは、北(玄武の配置するところ)に丘陵がある、東(青龍の配置するところ)に流水がある、南(朱雀の配置するところ)に湿地がある、西(白虎の配置するところ)に大道があるらしい
この国で四神相応の地として有名なのが平安京である
初めから四神相応の地に対応するように平安京の位置は決められた
それが功を奏したのか平安京は794年から1869年に東京に奠都されるまで1000年以上都としてこの国の中心地となった
ただ、東京奠都というのは遷都ではなく東京にも都を作ったということで、平安京は都でなくなったのではなく、新しい東京との2つの都体制になったと言う考え方もあるらしい
ということは今も都であるならば四神相応の効果が絶大だと考えてもいいかもしれない
平安京は北に船岡山、東に鴨川、南に巨椋池、西に山陰道を配する場所にある(対応する京都での場所は諸説あるようだ)
これが四神の司る方向に対応する場所である
現在、巨椋池は埋め立てられたので、朱雀はどこへ行ったのだろう・・・
平安京より時代を遡り奈良時代をもさらに遡りその前の飛鳥時代の中心地、奈良県明日香村で発見された高松塚古墳とキトラ古墳の玄室内の壁画にも四神が描かれている
盗掘などで壁が破壊されて確認できないものもあるが
玄武、青龍、朱雀、白虎が描かれていたと考えられている
ここでこの国には同じように四方を守護する仏様がいる
四天王と呼ばれる存在だが、北が多聞天(毘沙門天)、東が持国天、南が増長天、西が広目天であり仏教の歴史とともに広がり定着してきた
はたして四神との間に関係はあるのだろうか?
この国ではよく生まれた時はお宮参りで神社へ、死んだら仏教でお寺へと言われるように文化の融合が普通に広まってきたこともあって四神と四天王も交流しているようだ
仏像の顔を北の守護の多聞天は玄武の象徴である黒色に、東の守護の持国天は青龍の象徴である青(緑)色に、南の守護の増長天は朱雀の象徴である赤(朱)色に、西の守護の広目天は白虎の象徴である白色に塗ることもあるらしい
この国には四方を四神と四天王という二重の防御の備えを持っている
なんとかこの先も平和に機嫌よく過ごして生きたいものだ