沈黙する泥
砕け散り、壊れる装置。
消滅する擬似太陽に一安心したのも束の間だ。
「騎士がっ!」
「気をつけて下さいっ!」
俺はフィーサとディカの警告と同時に背後からの一閃を半身で避ける。
「貴様だけは切る!」
上から振り下ろされた刃は炎を纏っていた。
その炎は徐々に黒い色が混ざり、炎自体が焦げているかのようだ。
「あの炎の色っ……!? 気をつけて下さい!」
「あぁ、何だこの魔力は……っ! 力が湧いてくるようだ!」
「黒蝶……!」
一瞬だけ小さな黒い蝶が見えた。
俺はすぐさま饅頭を取り出し、炎の騎士の元へと突っ込む。
炎の騎士は自身の状態に気づいていない。
所々、肌の色も濃い紫色に変化している。
そして変色した所から黒い炎が現れ、体を焦がしている。
焦げたその部分は砂となってしまってこぼれ落ちていた。
そんな炎の騎士は俺がアイテムボックスから取り出した饅頭を注視する。
俺が何を取り出したのかを把握した彼は目を見開いて動きを止めた。
戦闘中に取り出す物では無いのは俺も知っている。
だが、油断したな?
「なにをっ、むごっ!?!?」
「……悪いな。俺はすぐにスワンの所へ行かないといけないんだ」
炎の騎士の口に無理やり饅頭を叩きつけて押し込む。
計画通り、うっかり齧ったようだ。
スワンの時と同じ反応、いやそれ以上だった。
彼は動きを止めて口をワナワナと……いつの間にか丸々一個平らげていたようだ。
「な、なんだ……この……食い物は……」
炎の騎士は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
体のあちこちが砂になり、先ほど昂っていた感情はすっかり消えてしまっているようだ。
「……」
「後は頼んだ!」
「わ、分かりまし……た?」
「騎士の彼に何を食べさせたんだい……?」
俺はそんな炎の騎士をフィーサとディカに任せてその場を後にする。
そして地上へ落ちるように壁を駆けて行く。
焦る心を押さえながら。
泥の泉から私は何度でも蘇る。
押し潰されようが、泥が散って無くなってしまおうが、何一つ問題などない。
ただの窪みだった場所。
ただの窪みに泥が溜まっていただけの場所。
今の私にとっては、始まりの場所。
私を攻撃してきた雷獣に憎しみはもちろんある。
けれど同時に感謝もしている。
雷獣が私を偶々あの場所で攻撃してくれたおかげだ。
私は理性を保ったままあの場所から何度でも蘇る。
私の全てが溶けて混ざった場所で。
だから、あそこにある泥が存在する限り、私はそこから生まれ続ける。
そう、その筈だったのに。
(オリヴィエ……馬鹿な男だったわ……私はこうして蘇るという、の……に……?)
泥温泉の中で体を形作ろうとした。
けれど、泥が集まらない。
(久しぶりだから、かしら……?)
心に少しばかりの不安が芽生える。
何せ泥温泉から体を蘇らせる事はここ最近では無かった。
全くと言っていいほどに。
(形作り方は合っているはずよ……!?)
何故なのだろう。
体がつくれない。
(……どうして?)
何度も何度も試しても指一本、形作ることが出来ない。
(どうして、どうしてっ?! どうして、ここから出られないの!?)
まるで全身が完全に固まってしまった感覚だった。
ただの泥の中で意識だけが存在している。
苛立ちのまま叫ぼうにもそれすら出来ない。
(——!!)
泥の温泉は波ひとつ無い。
生き物の息づかいも何も無い。
ただただ沈黙を貫いていた。
そうして泥の温泉からはもう何も生まれる事は無かった。
泥の温泉のある場所。
いや、温泉があった場所と言える。
その場所の側で1人の騎士がざくりと氷の剣を突き立て、崩れる体を支えながら息を荒げた。
そして氷漬けとなった泥の温泉を、自身の魔術で凍ってしまったそれを見つめる。
「これを……狙っていたのか……」
少し前までは雷と熱を帯びていたはずの泥の温泉。
今は泥の温泉から氷柱が天へと斜めに幾つも伸びている。
氷の中には砂粒が入っているのが遠目からでも見えていた。
泥の温泉を凍らせただけにしては、やけに氷のサイズが大きい。
温泉の中にある泥の容量と全くと言っていいほどに合わない。
しかしそれには理由があった。
氷の騎士が語りかけた相手——スワンは白い息を吐いていた。
周囲の温度は非常に低くなっており、彼女の呼吸は荒い。
スワンは寒さに耐えながら——凍った自身の片腕を拾い上げる。
「そのままじゃ……泥が多くて……完全に固まらないだろう?」
「……それもそうだ」
スワンは拾い上げた片腕を抱きしめて氷を溶かす。
「掠っただけでこれか……ギリギリだったよ」
「ギリギリだと? 俺は完全にしてやられた。俺はお前の水魔術ごとお前を凍らせるつもりだったんだが?」
「あぁ、あの氷魔術を見れば分かるよ。……直接ぶつかれば勝てないと分かったからね。急遽予定を変更した。水魔術を貴方にぶつけるよりアレを封じる方へ」
スワンは泥の氷漬けを目線で示した。
氷の騎士は深くため息をつく。
しんと静まり返った空間で、白い息が上へと伸びる。
「……咄嗟に体を切り離すとはな」
「全身が凍ってしまうよりよっぽど良いからね」
「……あの時あの一瞬で行動は賞賛に値する」
ザクザクと氷を踏み締める足音が近づいてくる。
その人物——ベクターは饅頭を口にして味が薄くなったとぼやいている。
「そこの騎士、気分はどうだ?」
「……晴れ晴れとしている……こんな気持ちは久しぶりだ」
「ふむ、そうか」
ベクターは氷の騎士の様子をざっと適当に眺めた後、さっさと去っていった。
向かった先は泥の大波になっていた住民たちの所だ。
「彼は他の住民の様子を見てくれているんだね……うん?」
スワンはこちらに走ってくる人物を見つける。
「レスト! 無事でよかった。……すまない……サラを逃してしまって」
「スワン、その腕は……また……」
「溶かしたらくっつけるよ。この位なら平気だ」
「あぁ、体温で溶かしているのか。交代するよ、寒いだろ?」
「大丈夫っ待っ、危なっ!?」
遠慮して下がったスワンが足を滑らせる。
咄嗟にレストがスワンを抱えた。
レストとスワン、ふたりは倒れずに済んだものの……。
「スワンもかなり冷えてる」
「君……」
「どうしたんだ?」
「何でも無いよ……」
「何かありそうな顔してるぞ」
「………………酒を飲みたくなった。今すぐにだ」
「よく分からんが、落ち着いてくれ。俺は酒を持っていない」
「それは知っている。レストは饅頭しか持っていないだろう」
「あぁ、食うか?」
「…………ふふふ、ではひとつ頂こうか」
「了解! ほらどうぞ」
「ありがとう」
ゆっくりと齧るスワンに対し、レストはとんでもない早さで饅頭を平らげる。食ってない時間が長かったのだとレストはスワンに話していた。
近くの氷の騎士は何故か死んだ目をしていたのだった。
イースは崩れかかった塔の上で瓦礫をどかしながら散らばった泥をどかし、何やら探している。
「最悪や……もう1人の魔石が見つからん……」
その手に持った魔石は乾いた泥がまとわりついている。
「体が泥になるて……そんな魔術あったか?」
禁忌でもあったかどうかなぁ、とイースは眉を下げる。
乾いた泥をどちらかといえば砂をかき集める。
「だいぶ乾いてもうた。……まぁ水が腐るからそっちのがええか」
イースは魔石と共に乾いた砂を瓶に詰め、更に乾燥剤を放り込んで蓋をする。
「騎士団か冒険者ギルドに身元調べてもら……うん?」
瓶の中で砂が僅かに動いた。
しかし、違和感を覚えたイースがじっとそれを見つめるものの、特に動く事は無かった。
見つめていてもただの砂である事に変わりない。
「……気のせいか」
イースは砂と魔石の入った瓶を仕舞い込む。
そしてレスト達のところへと向かっていったのだった。
次回本編 2810字 & 1/6 7:00予約投稿完了
闇の力(徹夜)の代償が……出てしまう……!
あ、すみません。
しれっと4章スタートさせちゃいました!!!!!!
それでは!!!
楽しんで!!!