半分足りない
そびえ立つ塔の頂上に乾いた風が吹き荒れる。
頂上の空に近い場所では一匹の小鳥がくるりくるりと首をあちこちへ見回していた。
小鳥はどうやらレッドアゼリアの町を観察しているようだ。
小さく鳴きながら町をくまなく観察していた小鳥であったが、何かを見つけたのだろうか。ある一点を見るとピタリとその動きを止め、そこだけをじっと睨みつけた。
直後に小鳥は透視の魔術を発動させる。
瞬時に小鳥の目の前には半透明のディスプレイが現れた。
映し出されたディスプレイ上には4人の人物が映し出されていた。
その内の2人は交戦している。敵意むき出しの騎士、そして彼の相手をとっているドラゴンの腕をした小柄な女性だ。
『——次は殺る』
『なぁっ!? 騎士さん落ち着いっ、ちょい待ちって!?』
彼ら2人以外は少し離れた場所にいた。魔術や瓦礫が飛び交う現場に巻き込まれないよう、初老の男性と若い女性が物陰に隠れていたのだ。
『フィーサさん、連絡を取りたい人がいるっていうのは?』
『問題ありません。彼は——ベクターは私の無事さえ確認すれば、町の問題解決に向かう筈ですから』
フィーサと呼ばれた若い女性の意思が籠った瞳が小鳥の目に映る。
フィーサからはディスプレイは勿論の事、魔術で見られている事さえ知りようがない。
知っている筈がない無いにも関わらず、彼女と小鳥はディスプレイ越しに視線が交わった。
「……全く」
小さな小鳥は安堵と不満が混ざったぼやきを呟き、くるりと後ろを振り返る。
塔の頂上より少し下には広いテラスがあった。広々としたテラスにはのっぺりとした太い柱のようなモノが立っている。
それは人の胸くらいまで高さのある何かの装置だ。古めかしい塔に設置してあるが、元々はその場所に設置していなかったのだろう。何故なら塔と柱のデザインがあまりにも合っていない。
装置の近くでは1人の騎士が誰かと会話していた。目の前の装置は蓋を開けて分解し、内部を確認しているようだ。
その装置の場所へと、小鳥は飛び込んで行ったのだった。
砕かれた石材が地面に散乱している。石材が落下した時によるものだろう、折られた木が地面にいくつも突き刺さっていた。
スワンの背を追い、荒れ果てた場所を歩く。
足元は酷くぬかるんでおり、一歩一歩進むごとに泥が跳ね上がる。
地面から細かな木材が素足に刺さってしまわないよう、慎重に歩みを進める。
「スワン、あいつらには本当に何もされていないんだな?」
「ただ手足を治してくれただけだよ」
彼らも必死なだけなのだよ、とスワンは騎士たちを擁護する。
歩く先の目の前に現れたのは温泉のような場所だった。何となく見覚えのある場所だったのですぐに気がついた。床に落ちていた雑誌の表紙にあった場所だ。
岩で出来た屋根には魔術陣が彫られている。しかし屋根の一部が崩れてしまっているため、陣も半端な形となってしまい、光を失っていた。
「来て欲しい場所って……ここか?」
この場にいるのは俺とスワンの2人だけだった。
「そうだよ」
スワンは後ろを一切振り向かずに前へと進み続ける。
感情のこもらない言葉だ。
やはりスワンの様子がおかしい気がする。
「ここは元々ただの窪んで泥が貯まっていた場所でね。私が生まれる前の随分昔……この町に魔族が侵入した時だ。偶々町に来ていた雷獣が魔族をここで倒したんだ」
スワンは泥が貯まった温泉の縁にかがみ込む。
「雷獣の雷と魔族が持っていた膨大な魔力が溶けて混ざった結果、とても高い治癒効果がある泥湯になったと評判になってね」
雷獣の雷が熱を保ち続けているのだという。
それで治癒効果があるなんて、不思議な事が起こったものだ。
ひょっとしてスワンの手足はこの場所で治したのだろうか。
「私も幼い頃、高熱を出した時に叔父に連れて来てくれた事があったんだ。魔石のある場所付近が焼けるように熱くてね……何の病気なのか叔父は教えてはくれなかったけれど、ここに浸かればすぐに治ったんだ。それ以来は怪我なし病気なしだよ。同僚に新人類だと驚かれるほどだったなぁ」
「……とんでもない効果だな」
俺もスワンの隣にしゃがみ込んで泥湯の温泉を覗き見る。
見たところで特に変わったものは無かった。
「レストは記憶喪失だったね」
覗き見た体勢のまま、隣のスワンを見る。
目の焦点が合っていなかった。
「スワン……?」
「私と同じになれば良い」
スワンは、俺を見ている筈なのに。
スワンは、何処も見ていなかった。
「記憶だってきっと取り戻せるよ」
「え?」
ぐい、と背中を強く押される。一瞬体がふらついた。
まるで重力を失ったようだった。
スワンの視線は俺を通り越している。
スワンは泥の沼をじっと見つめていた。
俺が落ちる視界の先、迫ってくる先に広がるのは一面の泥だ。
泥をこの目で認識したと思った直後、そのまま全身が叩きつけられる。
跳ねる泥が覆いかぶさり、触れた皮膚から熱さを感じる。ざらつく不快感と同時に皮膚から痺れが伝わってきた。単なる痺れだったはずのその感覚が瞬時に熱と痛みを増す。まるで刃物で切り裂く痛みだった。
触れる場所の全てを切り裂き貫かれる感覚が途絶えることなく続いた。
俺はそのまま意識を手放したのだった。
レストが落ちた。
温泉沼に落ちた。
彼女はただただその様子を眺めていた。
レストが完全に見えなくなると、バチンと一度大きな電撃が走り、温泉の沼全体を覆い尽くす。
その後、小さな電気が流れるだけの状態に戻り、泥の温泉から片手がゆっくりと現れた。
血の気を失った真っ白な手だ。濡れた泥に覆われた手は土の塊をぼとぼと落としている。虚空を掴む動きを何度か繰り返した後、這い上がろうとしているのか温泉の縁を掴む。
彼女はその手を掴んで引き上げる。
「っ、体の調子…………ぁ、え」
引き上げたのは上半身だけだった。
間違いなくレストの顔だ。
間違いなくレストの腕だ。
間違いなくレストの胴だ。
間違いなく、へそから下が足りていない。
「な……ぁえ……はん、ぶん……?」
彼女の手が滑り、レストの上半身が床にべちゃりと落ちる。彼女は座り込んだまま、それを眺めた。
上半身だけのレストはぴくりと少しだけ動いた後、脱力して動きを完全に止めてしまった。
「…………違う」
彼女は動かなくなった上半身を眺める。
「これはレストじゃない」
やり直さないと、淡々と彼女はレストの上半身を沼地に浸けた。
再度走る雷撃、そして這い出る人物。
彼女が先ほど見たのと同じ光景だ。
同じように出てきたレストの手を掴み引き上げる。
また同じようにレストの下半身が無かった。
「どうして上手くいかない」
彼女はまた繰り返す。
沼に浸ける。
何かが出てくる。
……また半分足りない。
「どうして同じになってくれない」
彼女は何度も繰り返す。
レストだったものが積み上がり、徐々に崩れて泥に戻る。
「どうして」
何度、何度も繰り返しても同じだった。
「どうして。どうして」
半分しか出てこない。
完全な身体が這い出てこない。
生きて動いているレストが出てこない。
「……ぁ……」
彼女の手が止まる。
その目は恐怖で塗り替えられていた。
自身と同じにはなれなかったのだと。
「私は、ただ……」
今更、元のレストが戻ってくるなんてないと。
もう戻れないのだと。
「受け入れてくれる人を増やそうと……同じになってくれたらと……」
彼女の手足を治した時、オリヴィエは彼女に告げていた。
ずっと気付かれないままで居られるはずが無いのだと。
あの時、濁った瞳で彼は言っていた。
真実を知ったとしても全ての人が受け入れられる訳ではないのだと。
震える全身を彼女は抱きしめる。強く強く。
「……なぁ、レスト。記憶があっても、身体が全て変わってしまったら……それは……本当に私なのだろうか……?」
彼女は俯き、この場にいない人物へ。
届くはずがない人物へ問いかける。
「もしも熱が出た時、もしも手足を失ってしまった時……あの日あの時に治療なんてしなければ……」
“君にこんな事をせず、私は私のままで終われただろうか?”
温泉の泥に水滴が混じる。
彼女の俯く顔からポタポタと落ちる水滴は大量の泥と混ざり、落ちてすぐに消えてしまう。
たかが少量の水滴が混ざっただけ。
大量の泥で出来た温泉は何一つ変わらない。
しかしこの時、この瞬間だけは違った。
「——っ、”天地の交差”!」
突然、温泉に入っていた泥が全て浮き上がり、周囲にぶちまけられる。
泥と共に転がった上半身、誰かの骨、上半身、誰かの靴、上半身、上半身、上半身上半身…………そして泥まみれの中で立ち上がる1人の人物。
顔や髪についた泥を乱暴に拭い去り、彼は周囲の状況に気づく。
自身と全く同じ顔の上半身が積み上がっている事に。
俺の予備にしては多すぎるぞと、レストは驚いた。
同じく突然転がり出たレストに彼女は目を見開いて驚く。
そんな彼女の元へとレストは足早に向かい、彼女の震えていた肩を掴んだ。
次回本編 3222字 12/2 7:00予約投稿完了!
(明日こそ早起き投稿します)




