牢の先客
ひんやりとした鉄格子を握り周囲を見渡す。この部屋はこちら側と入り口側を鉄格子が分け隔てている。触れる鉄格子はつるりとした感触で頑丈そうだ。
2人の騎士が出て行った分厚い扉は暗証番号を入力すれば自動で開かれる仕組みらしい。分厚さは俺の頭ひとつ分くらいだろうか。案外脆そうだったので俺なら恐らく蹴破れるだろう。
床には陣が光っているがどんな効果なのかは見ただけでは分からない。転移陣とは模様が違っているからそれ以外だ。
「えっと、俺もだけどさ……どうして牢屋に入れられたんですか?」
牢の先客の二人は悪いようなことをしそうな人物には見えなかったのだ。若い女性の方は暗めの髪色のストレートのショートヘアーで目つきが鋭く、眼鏡を掛けている。
初老の男性も同じく眼鏡を掛けているが目つきは柔らかい。しかし白髪の多い短髪と刻まれた皺、そして暗い表情から非常に疲れを感じているように見えた。
若い女性も少し疲れた表情で顔を上げ、俺に言葉を返す。
「知ってしまったから」
「……知ったって、まさか」
「ええ、あなたも見たんでしょう?」
「でなければこの牢ではなく通常の牢に入れられているよ」
女性は俺をじっと見つめ、男性は項垂れて深くため息をついた。
「泥か」
この返答だけで十分だったのだろう。女性は肯定するように頷いた。
「いったい何時からこうなっていたんだ?」
俺の疑問に対して男性は顔を上げ、重々しく口を開く。
「はっきりとはしていない。が、20年ほど前からは確実に起こっていたね。……見たくなかった。知りたくなかった。気づいてしまった……もう僕は……知らなかった頃には戻れない……“彼ら”の正体に気付いてしまっては……見て見ぬふりの生活など出来るわけがなかったんだ……!」
「お、おい落ち着けって!」
「無理もありません。知っていたとしても、直接この目で見た時は動くことが出来ませんから。……私もそうでした」
結果この有様です、と彼女は枷を示した。
聞けばその枷は魔術やスキルの使用を封じる魔道具らしい。装着する者の所有する魔力を勝手に消費して魔術やスキルの使用を出来なくさせるという厄介な物だ。
何故俺は拘束されなかったのだろうか?
「そういえば……俺がここに連れてこられた時、“魔術がどの程度使えるんだ?“とか。”スキルはどんなものなんだ?“ってしつこく聞かれたな」
確かあの時、両方碌に使えないと何度も答えた。それに冒険者ランクも本当にCランクなのかと何度も聞かれた。
「……もしかして弱いと思われたか?」
「そのようですね」
「よし。次に会ったら二対一で勝ってやる」
「よしなさい、相手は騎士だ。歯向かえば連れていかれる」
「俺なら勝て……って連れていかれる? どこにだ?」
「どこに連れていかれたのかは分かりません。……以前は私たち二人以外にも数人ここに囚われていましたが、騎士に反抗した者たちから外に連れていかれていました……これまでに誰一人として戻っては来ていません。外の大きな衝撃が起こる少し前には私たち二人を残して皆外へ連行されていたので恐らくはもう……」
「ここで生かされているのは失敗した時の保険だろう。僕の場合は鏡の仕組みに詳しかったからだ」
「鏡……真実の鏡の事か?」
「詳しいんだね。あれは倉庫から一般公開する前に僕が割って……いや、待った。僕は君に見覚えがある」
騎士を振り切った後の路地で、と目を丸くして俺を見た。
俺も彼の発する単語は妙に聞き覚えがある。
鏡を割る人物。路地に居た男性。捜索していた騎士たち。
俺が初めてブルーローズの町に来た時だ。アールを小脇に抱えて宿に向かっている途中の路地で鏡を割っていた人物だ。
「あ、あの時の」
「はは……参った。そうだったのか」
彼は息をつき頭を掻く。
「少し前の話になるが……倉庫に仕舞っていた美術品を確認していた時の事だ。真実の鏡を移動させようとしたら、偶々通りかかった新顔の男性職員が鏡越しに映り込んだんだ」
“人の姿をした泥が歩いていた”
と、虚空を見つめて彼は言う。
「何度も目を疑ったよ。何度も」
彼は眼鏡を外し、目頭を押さえる。
この年になると老眼が酷くなってくるが……そんな程度で収まるものか、と彼は俯き呟いた。
「鏡に咄嗟に布をかぶせたよ。バレずにすんで良かった。少し不思議がられてしまったけれどね……今思えばあそこで忘れてしまえばよかったのに」
彼は心の底から後悔するように、頭上で手を組む。まるで神に祈るかのようだった。
「その後は何度も鏡を検査した。ガラス内の魔力、銀膜の魔術、額縁に掘られた陣! すべてにおいて異常はなかった! 鏡に関する過去の文献や記録にもそれらしきものは何一つ出てこなかった……! ……だから原因は鏡じゃない」
腹の底から唸るようにまくし立てた後、彼は落ち着きを取り戻し、ぽつりと呟く。
「彼自身だ」
気付いてしまった事の後悔だろう。
「好青年だった。私と同郷ですぐに意気投合したよ。彼は健康が自慢らしくてね。けれど昔はそうではなかったようだ。ある時を境にして全く体に異常がなくなったと言っていた」
「……ある時って?」
「万病に効くと噂になっていた泥湯に行った時だそうだ」
「泥湯って、まさかそれが」
「正解だった。そこは昔から有名だったんだ。雷獣様が町へ侵入した魔族を倒し、偶然泥湯に雷が残った場所でね。僕も姪を連れて行ったことがあるんだ。……あったんだよ! この意味が分かるか!? っ、僕はなんてことを……僕はただ、あの子の夢をかなえてやりたかっただけだったのに……!」
興奮している彼に近づく。
彼は嗚咽し震えていた。
はっきりとは言っていないが彼の様子で分かる。
彼の姪もそうなったのだろう。
「……ここを出るぞ。大事な人なら会いに行った方が良い」
「それは……」
彼は言い淀んだ後、諦める様に肩を落とす。
「しかし出るとは言っても、枷のある状態では不可能だ」
「魔力を使っているんだっけか。魔術が発動していない唯の枷ならなんとか出来るか?」
「だからそれは無理だと――え?」
彼の枷に触れてみた。少し熱さを感じる魔道具に力をぶつけえてみる。光る紐を出すときのイメージだ。魔力と相性が悪いという、とんでもなく美味な力である。
すぐさまシュンと小さく音が鳴り、枷の熱が消えていくのを手で感じた。
「お、やっぱり出来た」
「なんだこれは……?」
彼は枷に手を触れ、魔術を使って手首のそれを外して落とす。
近くの彼女にも同様にして触れてみる。
そうすれば彼女も魔術で簡単に外すことが出来てしまった。
「……ありがとうございます」
そういえば名を名乗っていなかったことを思い出し、ふたりとも落ち着いているうちにと聞いてみる。
若い女性はフィーサ、初老の男性はディカと名乗った。
「じゃあ出るか。そうだ、床の陣は何の効果があるんだ?」
壁をぶち破って出るにしても、良く分からない魔術で邪魔されるのは避けたいのだ。
フィーサの説明によると、床の陣は探知系の魔術を阻害するらしい。つまりここに入れられた人物は外から探すことが出来ないようにされているようだ。さらには建物自体が空気中の魔力を吸収するような仕組みとなっていて簡単に魔力の回復が出来ない。それどころか空気中の魔力が少なすぎて身体能力も落ちるらしい。
「念のため魔法陣は壊しとくか」
ディカとフィーサが動きづらくなるのは困るだろう。
枷を外した時と同様に力を少し込めて、踵を床にたたきつけた。
その途端。
床が抜けた。
俺も落ちた。
「っ、てぅえ!? この床脆くね!?」
下の階に着地をした後、崩れた床にバランスを崩して落ちてきた二人を跳んで掴む。瓦礫の無い場所へと二人を降ろした時だ。
すぐ近くで人影が二つ動く。
立ち上がったその姿は見覚えのある人物たちだ。
傍にあった机を雑にどかしながら、ふたりの騎士が俺たちを睨みつける。
俺を牢に放り投げた人物たちだった。
「……えっと、どうも先ほどぶりですね。少し外の空気を吸いたくっ、うぉ!?」
なんの挙動も無しに二人同時に俺へと切りかかって来る。
息はぴったりのようだ。
すぐさま横に跳ね、落ちた床を騎士に向かって蹴り飛ばす。
方向はディカとフィーサから騎士を引き離すように。
「俺がこいつらを抑えておくから先に逃げててくれ!」
「あなたにひとつだけお願いがあります! どうかデバイスを貸していただけませんか?」
騎士たちの鋭い剣筋を回避しながら、即座に俺はデバイスをフィーサに投げて渡す。
「受け取れ!」
投げる場所を碌に見ていなかったが、フィーサはうまくつかみ取ったようだ。視界の端に見えた彼女はデバイスを胸にぎゅっと握りしめていた。
「ありがとうございます!」
俺は騎士ふたりを相手にしながらも、ディカとフィーサが出ていくのを見届ける。
騎士はうまくいかない状況に腹を立てた様子だ。
「逃亡を企てるもの」
「反抗の意思を示すもの」
「「すべて漏れなく粛清の対象だ」」
騎士たちが掲げた剣は一方が炎をまとい、一方が凍り付く。
「あぁ、俺も騙してくれたお返しがしたかったんだよ」
二人の騎士は殺意とともに飛び込んできたのだった。
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