救いの手か、地獄への誘いか
目の前で砂から泥へ、泥から人へと変化した。砂が人になるなんて現実味のない光景に目を疑った。けれど今この目で見たのは紛れもない現実だった。
「それじゃあ、この砂は……」
スワンの砂となって崩れる手足を見る。
外に居る人々とスワンはきっと同じ、なのだろう。
いつのまにか溜めていた息を意識して深く吐く。
泥から人へと変化した人々を見据え、両頬を叩いて気合いを入れた。
「っ、よし」
俺は空っぽの皿に追加の饅頭を積みながら、魔術師の男へ頼み事を伝える。
「少しここでスワンを、彼女を見ててくれないか?」
「お前……何を考えている」
「ちょっとそこにある泥を取ってくる。スワンの手足がそれで戻るんだろ?」
饅頭を積める限界まで積み上げ終わり、俺が外へ向かおうと立ち上がる。魔術師の男は俺の足を掴んで引き留め、苦い顔をして唸った。
「……元に戻るかはともかく、今あそこに飛び込むのは辞めておけ。パニック状態の民衆へ突っ込むな」
「もし何かあっても俺の足なら——」
「これはお前の話じゃない」
魔術師の男がスワンを一瞥して告げた。外にいる町の人々に気づかれないように小声だったが、告げられた言葉は力強かった。
「何かあった時、お前はそこの彼女とこの俺、魔力ゼロの魔術師がどこまで出来ると考えているんだ。これはお前だけの問題じゃ無い」
刺激をするな、と再度男が言った。
固く握りしめていた拳を緩め、俺は未だに目を覚さないスワンを見る。
俺だけが飛び込むのはいい。けれどここにはスワンと魔術師のふたり怪我人がいる。
「抑えろ。お前の感じる刺激は今の状況で害にしかならん。周囲が落ち着くまで隠れてやり過ごせ」
彼女がすぐに死ぬ事は無い、と魔術師の男は鼻を鳴らし、饅頭をひたすら食っていた。
少し饅頭を食べ進めてから、彼は思い出したように呟いた。
「……暇だったら寧ろ俺から実験の提案をしていた。それがどんな危険を孕んでようとな。しかし別件であいにく火急の問題がある」
立ち上がったままの俺に向かって魔術師の男が何度か手を押さえる仕草をする。
しゃがめ、ということらしい。
「……スワンは大丈夫なのか?」
「砂と魔石だけになった存在が人の形に戻るくらいだ、恐らくな。お前も見ただろう」
今は事を荒立てたく無いのだ、と男はいう。
俺はゆっくりと屈んで身を潜める。
間違いない。
この魔術師の男は何か知っている。
「何か知ってるなら教えてくれ」
「悪いが食い終わったら俺は出ていく」
「何でも良い、少しだけ。気になった事だけもでいいんだ」
誰がどうやって、何のために町ごと攻撃したのか。分からない事には防ぎようがない。既に事が起こった後なのだからどんな情報でも欲しいのだ。
きっと町の人々が泥から人へと変化した事と関係している。スワンも、本人が知っているか知らないか分からないが関わってしまっている。
今思えばスワンが転移陣から町を出られなかったのも無関係では無いのだろう。
魔術師の男をなるべく引き留めようと、皿の饅頭を絶やさないように更に追加で積み上げていく。
次から次へと積まれる饅頭に、魔術師の男は徐々に目を剥く。ここまで多いとは思わなかったのだろう。少しばかり引き気味に俺に目を向けた。
「……これ以外には、他には無いのか? 無いよりマシだが、量を食わねばならんのが煩わしい……美味ではある……美味ではあるが、ここまで魔力転換効率が最悪な食い物は初めてだ」
「魔力転換効率? それは何なんだ?」
「俺は今、食ったコイツを魔力に変換している。この刺激ブツは魔力に変えられる量が恐ろしく少ないという事だ」
魔術師の男は齧った饅頭を掲げて俺に見せる。どうやら饅頭を魔力に変換できるらしい。
魔力回復薬や聖水でも良いから寄越せと男は言っているが、あいにく持っているのは饅頭だけだ。
いや、まんじゅう屋の販売以外なら俺たちが普通に食べてる饅頭もあった。どちらも同じ饅頭だが、そちらの方が美味いし力がみなぎってくる。そっちなら魔力転換効率はどうだろうか。
俺は神気入り通常饅頭を取り出してみた。
「じゃあこっちの饅頭の方は……」
「バカか早くそれを仕舞え目の前に出すんじゃ無い、世界の破滅でも目論んでいないのなら今すぐにでもその超絶危険ブツを仕舞え、いいな? 分かったか? お前には理解出来ないかもしれないが、この饅頭に魔力があるんじゃない。この俺が、この危険ブツのカロリーを、この俺が、魔力に転換しているだけだ。この俺様に食えない化け物を渡すのは世界一愚かな行為だと思った方が良い。誰だこんなものを作ったのは。擬似太陽を掘り起こした奴もだが、どいつもこいつもやりすぎた行動だと理解していない。結果がどうなるか分かっていないのか? 間違えた時や失敗した時の事を考えているのか? どいつもこいつも考えなしの馬鹿どもばかりで本当に頭が痛い。そう思うだろう?」
とんでもない早口だったが、全力否定しているのだとは分かった。
「つまり、要らないって事か?」
「早く。仕舞え。今すぐに」
「おう」
俺は饅頭を急いで仕舞い込んだ。
「なぁ、そういえばさっき擬似太陽って言っ、っと。……あ」
饅頭を仕舞った時、足元にあった飲料のボトルをうっかり蹴飛ばしてしまった。
カコン、と思ったよりも大きな音が周囲にひとつ。
直後、辺り全体で響いていた嘆きの声が一斉に止んだ。
俺は嫌な予感がして、恐る恐る外へ目を向ける。
雨はパラパラと小降りになっていた。
俺たちを見つめる人々の眼、眼、眼、眼、眼。
「……えっと……出張まんじゅう屋です」
「……俺は。刺激をするなと。言ったぞ」
町の人々から向けられる虚な視線の数々。
目に込められた心は分からない。
俺は魔術師の男の方をちらりと見る。
「おい、どうす……居ない?」
魔術師の男はいつの間にか消えていた。あんなに積んでいた饅頭は綺麗さっぱり消えて空の皿だけが置かれていた。
魔術師の男がいたはずの場所には小さな鳥が羽ばたいていた。
「鳥だ」
小さな鳥から魔術師の男の声がした。
「ヴェンジ、代金は後で払う。お互い生きていたらな」
「へ? ヴェンジって……」
食い逃げのような台詞と共に小さな鳥が窓から外へと羽ばたいていった。
今さっき俺の事をヴェンジと言ったか?
「まさか、俺の知り合いだったのか」
記憶を失う前の知り合いだったらしい鳥が飛んでいくのをただただ眺めるだけに終わった。
呆然とした俺の背後では1人の町民の声が聞こえた。
逃げた。と雨音の中からポツリ呟いていた。
その言葉を皮切りにして次々に悲しみと怒りの声が人々の口からこぼれ出てくる。
同じじゃないの?
何で泥になってない?
助けて。
……敵?
あいつらのせいだ。
こんなのいや。
敵だ。
たすけて。
人の形をしていたはずの町の人々は一斉に泥に変化した。
「っな、泥に戻った……!?」
スワンを抱き抱え、慌てて入り口から距離をとる。
その直後に建物へ泥が叩きつけられる音がした。そして入り口から泥が溢れ、勢いよく流れて入ってくる。
建物ごと泥に埋まってしまう前にと、すぐさま窓から外へと飛び出す。窓の大きさよりも大きい穴が壁に開いており、飛び出すのは簡単だ。
外へ出てすぐに壁のある方向へと曲がるとその直後。窓から泥が吹き出して建屋を破壊しながら俺を追ってくる。
「俺の足ならっ……!」
しかし曲がったすぐ目前からも人の形と泥が混ざった人々が俺たちを捕まえようと手を伸ばしていた。
「前からもか!」
左右に避けようとした時だ。
"ぬるり"と踏み締めた足が取られ、視界が傾く。
「滑っ……!? だぁっ、くそっ!?!」
慌てて立て直そうとするものの、足の裏で泥が波打ち絡みついてくる。
どうにかスワンの体は崩さないようにと俺が背から倒れてクッションとなる。
仰いだ空からは泥の大きな手が俺とスワンを覆って——
「鎮まれ、同胞たちよ」
——空を大きかぶさる泥の手が見えない何かに消し飛ばされた。
同時に力強さを感じる野太い制止が鼓膜を貫く。
耳が壊れるかと思う程の声は異質そのものだ。
魔術では無い。
どんな事をすればこのような結果となるのか。
動いていた泥がたった一声で霧散した。
散った泥は行き場を失ったように地に落ちる。
「泥が……落ちた……?」
声の主は騎士の装いをした1人の男だ。
彼は静かになった周囲をぐるりと見渡した後、俺とスワンを見て手を差し伸べた。
「あぁ、可哀想に……こちらへ来い。安心しろ。彼女の手足は俺たちが戻す事が出来る」
彼は笑顔だった。何故かスワンを見ずに俺だけをじっと見つめながら、俺の腕を強く握り引き起こしたのだった。




