行き倒れの魔術師
砂埃が舞い散り、視界がすこぶる悪い。俺はスワンを抱え、ゆっくりと、しかし早足で塔に向かっていた。
周囲の建物の多くは崩れたり傾いてしまっていたりしており、近づくと危ないだろう。
「スワン、砂が当たって痛くないか?」
スワンは未だに固く目を閉じて、ぴくりとも動かない。生きていることは確かだ。けれど未だに欠けた手足から少しずつ砂になってしまっている。
早く砂を遮れるような壁や屋根のある場所まで辿り着きたい。
そんな思いで足を進めていると突然、何かに蹴つまずいた。
「っくぅ!? 何だ!?」
「…………ぐ……」
腕の中のスワンを抱き抱えて地面を踏ん張る。幸いにも転ぶ事は無かったが、冷や汗が流れて俺の心臓が大きく跳ねた。スワンを落としてしまえばどうなることか想像するだけでも血の気が引く。
何があったのかと足元の方へ視線を下げてみた。
地面に倒れていたのは人だった。
「何……が……、って人!? 人だ!」
蹴飛ばした瞬間に呻き声のようなものが聞こえた気がしたが、空耳だと思ってしまっていた……まさか本当に人がいるとは思わなかった。
喜んだのも束の間、俺は横たわっている人物をよく観察してみて息を呑んだ。
倒れている人物の状態があまりにも酷いものだったのだ。
うつ伏せに倒れている人物の装いはあちこちが破れて血が染み付いている。雑に切られたであろう肩までのザンバラ髪。アザがない場所が無いほどに肌が変色し、切り傷や火傷が多く見られた。一方的に痛めつけられたようだ。見ているだけで非常に痛々しい。
それにしても、俺が死んだ時ですらこんなボロボロの服にはなってなどいない。もはやここまで酷い様子だと生きているかどうかも怪しいくらいだ。やはりさっきの呻き声は俺の空耳で合っていたのだろうか。
ゆっくりと近づき、しゃがみこんでみる。スワンを抱き抱えたまま恐る恐る倒れた人物に声をかけてみた。
「え……その、生きてます……か?」
ぐごご、とわずかに腹の音が聞こえた。
間違いなくしっかりと。
「生きてる!? ……返事は無理そうか」
耳に届いたのは今にも消えてしまいそうな腹の音だけだった。
俺はぴくりとも動かない怪我人の前にして、ここから塔への距離をはかる。
ざぁざぁと砂が空間を荒らしまわっている中、塔はまだ比較的見える状況だ。しかし相変わらず視界が悪い。
「……怪我人2人は流石に運べないか」
俺1人で2人怪我人の状態を気にかけながら運ぶとなれば自然と足は遅くなる。素早く塔へと移動するにしても2人の負担は大きいだろう。
となれば、俺が2人とも抱えて塔に連れて行くには少々難しい。
この際、無事な建物でなくていい。何処か少しでもこの砂嵐を遮れる場所をあればと思い辺りを見渡してみる。
屋根と壁は付いているが少し傾いた建物がすぐ近くにあった。
「……屋根が落ちても俺が支えればいいだろ」
上を警戒していれば何があっても対策はすぐに出来るだろう。打ち所が悪くて死亡なんて事は避けられる。
そう祈りながら俺はスワンと足元の人物をゆっくりと担ぎ上げ、傾いた建物へと足を向けたのだった。
いつしか辺りは薄暗くなり、ぽつぽつと雨が降ってきた。傾いた建物はどうやら個人の小売店のようだ。古くからある建物のようで、石で出来ている。中にも石の陳列棚は倒れて商品が床に散らばっている。水などの飲料はいくつかが棚に押し潰されて中身が漏れていた。その他にもペンや日用品、雑誌が乱雑にばら撒かれている。お土産物が多いから観光客が多いのだろう。状況が落ち着いたらこのレッドアゼリアの町をみんなで観光したいものだ。
"雷獣様のご利益付き! 地元民おすすめ健康泥湯特集!"の観光雑誌を横目に俺は中へと足を踏み入れた。
周囲はより一層雨の匂いが強くなってきていた。
「雨か」
ぱらぱらと降っていた雨は徐々に雨が強くなり、いつしか叩きつけられるような強さになっていた。本格的に降る前に屋根のある場所にたどり着けて良かった。2人が雨に濡れてしまえば体力が削られる事になるから暫くは雨宿りだ。
「……雨が止めば視界も良くなるな」
舞っていた砂が雨粒で地面に叩きつけられる。乾いた地面の窪みがぬかるみとなって元々の泥沼へと徐々に戻っていった。足元は少し悪くなるだろうが、深い泥沼なら浮いている橋がかけられているから問題ない。
「…………ぅ」
「饅頭ならあるが、食えるか?」
行き倒れていた人物が僅かに身じろぎした。
それを見て彼が空腹だった事を思い出す。俺は店の陳列棚にあった大皿をひとつ借りて饅頭を並べて置いてみた。
「ゆっくりで良い。食えそうなら食ってくれ」
「……っ!」
皿を置いたと同時に彼が饅頭を食いはじめた。
あまりにも早い動きだった。どこからそんな力が湧いて出てきたのか驚くほどだ。
「お、おい。そんなに急がなくていいだろ? 喉に詰まるぞ……?!」
行き倒れの男は俺が饅頭を食うのと同じような速さで饅頭を平らげていく。
何か飲み物でも取ってこようかと腰をあげた時には積んだ分の饅頭は無くなっていた。
数は少なかったが、食うのが早い。
彼は空の皿に手を置いて饅頭を手で探した後、ぼそりと何かを呟いた。
「……っと」
「と?」
「……もっとこの刺激ブツを……!」
怪我をした男性が手を震わせながら必死に俺へ手を伸ばす。
「刺激物って、饅頭の事か?」
「早く……!!」
「あ、あぁ気に入ったなら良かった……?」
俺は饅頭を彼の近くに更に多くの積み上げていく。
彼は食べるペースを落としてはいたが、食欲は尽きるどころか増しているようだ。彼は食べながら皿へ指差してもっと寄越せと、もごもご言っている。
皿を3つに増やして饅頭を急いで積み上げ、俺はスワンの状態を見る。移動していた時は体が少しずつ砂になってこぼれていたが、今は体が崩れておらず問題なさそうだ。揺れが良く無かったのか。
「にしてもこの砂、回復魔術だったら治せるか……?」
回復魔術なら腕を切られてもくっつける事が出来るらしい。けれど手足が砂になって無くなっている場合はどうなるのだろうか。
「何を言っている。治すも何も無いだろう?」
行き倒れの人物が淡々と告げてくる。
彼は饅頭を食べながら自身を回復魔術で治療しているようだった。どうやら彼は回復魔術が使える魔術師らしい。
「お前は何か知っているのか?」
「……元々がそうだったと言う話だ」
彼が饅頭を手に持ったまま店の外を示した。どうして外を見る必要があるのだろうか。何も関係ないだろうと思いつつも示された先を視線で辿る。
「外を見たって何も……………………え?」
外は少し雨足が強まっていた。
雨粒が地面に叩きつけられ、影が蠢いている。
地面が波打ち、せり上がる。
いいや、観察していて理解してしまった。
あれは影なんかじゃない。
泥だ。
人が天に救いを求めて手を伸ばしているように見えた。
俺がそんな風に思っていると、段々と泥が細い手指を形作っていく。
指から徐々に腕が出来、天へと伸ばされた人の腕となった。そして肩が形作られ、頭と人の顔が現れる。泥だったモノがもう片方の腕や胴体となり両足が形作られた。
目の前で泥から人が出来た。
それも1人じゃない。数十人。あるいはもっと人数が居るのかもしれない。ひと塊だった泥から顔がみっつ出てきたかと思えばそれぞれに別れて人になる。
そうして人の形となったものたちはお互いを見る。
泥となる様を。自身の変化を。置かれた状況を。
乾く乾く。
もっと水をくれ。
なんで、体が崩れる。
こんなのわたしじゃない。
大雨に打たれる人々の混乱と嘆きが雨音と共に鼓膜を震わせる。
「泥で出来た人だ。人に戻せなんて、この俺ですら不可能だ」
魔術師の男は躊躇うように呟いたのだった。




