人が砂になる
ブルーローズの宿屋内、イースは険しい表情でアールの自室へ向かって歩みを進めている。
そんなイースの進行方向のその先、通路の隅の方に小さな塊が動いていた。
「グラフォ?」
暗い場所で小刻みに震えていたのはグラフォリオンだった。イースは穏やかに語りかけながら、グラフォを怯えさせないようにゆっくりと近づく。
「寒いんか? アールさんの部屋に居らんでこんな所におって」
イースはグラフォを撫でながら腕の中に抱える。寧ろ暑い日やけどなぁ、と彼女は首を傾げている。震えるグラフォを宥めつつ、アールの部屋の扉を小さくノックした。
「アールさん、ちょっとええかい?」
返事は帰って来ない。長い沈黙が流れた。イースが知る限りでは、アールは部屋の外に出ていない。
イースは首を傾げながら扉のノブに手を掛けようとしたその時だ。
「体調悪いんか?」
「ッ、開ケるナ……!!」
「なっ、へ?!」
アールの怒号と共に、扉の隙間からひゅるりと何かが漏れる。
それは濁った真っ黒なモヤだった。
見ただけで生命を吸い取るような黒いモヤが廊下へ漏れては引いていた。
グラフォが興奮して鳴き声をあげ、イースの腕の中で翼を何度もばたつかせる。
「な、これっ! 魔王の呪いか?!」
「……コンな、時ニ……」
息を切らせたアールの小さな声がドア越しにイースの耳に届く。
「呪いが漏れとるんか!?」
「レストの奴、余計ナ動きヲッシ、テ……!」
「今はレストの心配してんと!? 呪いの方をなんとかせんなんやろ!」
「——ッ!? ……グ……ァ!」
アールは一際驚いた後、先程とは比べ物にならない程の苦痛に満ちた悲鳴を上げた。まるで上から落ちてきた重いモノを受け止めた時のような声だ。
アールの悲鳴が上がった後、宿屋の建物全体が揺れる。どこかしらの壁が小さく軋み、外を歩く人の驚きの声が飛び交っている。
「2度……目ハ……自力デ……防……」
「揺れ!? 地震か!?」
イースは震えるグラフォを抱えて扉を目にじりじりと後ずさる。
「っ、聞こえるか?! アールさん!?」
部屋の扉の隙間から呪いが漏れる。先ほどよりも漏れ出す量は多い。時折思い出したように少しばかり引っ込んでは漏れ出てを繰り返していた。
アールの返事は未だ無い。
「僕が呪いをどうこうするんは無理やな…………レストなら呪いが効かんかったか」
イースはデバイスでレストに連絡を取ろうとするもののレストから返事はない。
「あかんわ、繋がらん。さっきの地震のせいか? ほんならレストのデバイスの場所で探して……レッドアゼリアやな。ええね、位置情報は生きとる」
宿屋の入り口から、ただいまと幼い少女の声がした。ティーラが買い出しから帰ってきたようだ。見守り役を頼んでいたイノとティーラが仲良く会話している。
「アールさん! 今からレスト呼んでくるわ! すぐ戻ってくるからちょっとの間、辛抱しいや!」
イースはティーラとイノにグラフォを託し、レッドアゼリアの町へと飛び出していったのだった。
何が起こったのか、さっぱり分からなかった。
砂埃を大量に吸い込んで咳き込んでしまう。酷く乾燥した空気だ。頭の痛みを感じてようやく意識が覚醒してくる。
息を整え、心を落ち着かせた。
俺は腕を立てて体にのしかかる瓦礫をゆっくりと押しのけてどかす。手が滑ってこちらに落下するとスワンまで潰れかねないから慎重に。
腕立てする俺の下にはスワンが横たわっている。彼女は衝撃で気を失っているようだ。目を閉じたままだった。
「……スワン?」
声をかけても反応はないが息はしている。肌に触れれば体温もあった。
しかしどう見ても異常な変化がスワンに起こっていた。
「何で……体が砂になった?」
スワンの左腕と両足が無くなっていた。それだけじゃない。無くなった左腕と両足の場所には大量の砂があった。そして欠けた腕と足から今もサラサラと砂になって床に溢れていた。
「人が砂になる魔術か……?」
魔術について俺はほとんど知らない。しかし現状としてはスワンの体が砂になっているのは確かだった。それも俺が庇いきれなかった場所だった。
でも俺の体のどこも砂になっていない。
急に起こった出来事に頭がついてこない。
今、俺に分かっている事はひとつ。
「……攻撃されている」
周囲が光と衝撃で包まれる瞬間にアールから声が聞こえたのだ。
"2度目は自力で防げ"、と。
聞こえたアールの言葉はノイズ混じりで息も絶え絶えだった。
「アールが防いでくれたんだな、ありがとう」
俺の呟きにアールからの返答は無い。
ここからはアールの手助けは望めない。そして恐らくだが、再び同じことが起こってしまう可能性は高いだろう。いや、同じ事じゃない。アールが防いでいて今この状態なのだ。誰が何のために攻撃してきたか分からない。しかし防げなければもっと酷い事になる。
「とにかくここから移動するぞ」
この場には俺とスワンしか見あたらなかった。他の人は既に何処か安全な場所にでも避難して居るのかもしれない。俺は意識のないスワンを抱えて外へと足を踏み出す。
「うわっぷ!」
外は砂嵐が酷く、視界がかなり悪かった。目に容赦なく砂が入り込んでくる。
風が強く吹き荒れ、衣服が何枚も舞い踊り、靴が地面を転がっていった。外に居る人は誰一人としていない。
沼地は半分干からびていた。
「……殆ど何も見えないなこれ。とにかく無事な建物に……あぁ、塔は5つとも無事なのか」
視界が悪い中でも、レッドアゼリアの町にシンボルのように建っていた塔は無事のようだ。
「塔はここからだと少し距離があるな」
俺が走れば一瞬で辿り着ける距離ではある。しかしそれは出来ない。スワンが攻撃を受けてしまった左腕と両足は少しずつだが、パラパラと砂になってしまっているのだ。
俺はスワンがこれ以上崩れてしまわないようにゆっくりと塔の方へと歩いていった。
レッドアゼリアの町中にて、5つの塔の一角で苛立ちを爆発させている女性がひとりいた。
「何で!? 何でなの?!」
彼女はウェーブかがった短い髪を振り乱し近くに立っていた騎士の装いの男に詰め寄る。
「あのイカれ魔術師を連れて来なさい! 今すぐに!!」
「サラ。落ち着いて聞いてくれ」
「寝てるなら叩き起こしなさい! それでまたあの女を使って脅せば——」
「逃げた」
「…………なにそれ、本気で言ってる?」
「本気だ。見張りがやられていた。今探させている」
「魔力を全て搾り取って気絶させたわよね?」
「あぁ、徹底的にやってたのはサラも見ていただろう? 俺ら全員まんまと騙されたってわけだ。魔術師の癖にタフな野郎だよ。流石、勇者パーティーのひとり魔術師ベクターだ」
「保険として生かして置かない方が良かったかしら……厄介な奴はさっさと殺しておくべきね」
「今からでも遅くない。1回目で装置の魔力を使い切ってはいないんだ。2回目はこちらだけで十分動かせる。それに助手の女がこの町に居ると知っていて、あのベクター様々が町から逃げるなんて事はしないだろう」
「……あの女の場所は割れてないのね」
「奴は知らない。見張りの奴には情報を渡していないからな」
「壊れた箇所の修理を急ぎなさい」
「了解だ。……そう苛立つなサラ。どうにかなる」
「あなたには分からないわ、オリヴィエ」
「おいおい、こうして言葉を通わせられるんだ。分かりあえるだろう? 魔族と人だって」
オリヴィエと呼ばれた男はサラの髪を撫で付けた。
「魔族じゃないわ。貴方もゴブリンではない。そうでしょう」
サラはオリヴィエの手を跳ね除ける。不機嫌なサラを見たオリヴィエは苦笑しながら手を挙げて離れた。
「私たちは選ばれし者」
パンドラ様に赦しを得ないモノは片付け無いといけないの、とサラは虚空を睨み自身に言い聞かせる。
「そうだな、他の奴らは消さないと」
サラの異常なまでにパンドラを信仰している。その様子を見たオリヴィエは蔑む目線を気取られる事なく笑みで隠した。




