地の底まで
俺たちの目の前に居るのは、魔族が歪に膨らみ、ひとつの塊となってしまった存在。5体混ざってしまったからポーン5と呼ぶらしいが、さっき俺とアールでひと塊の胴体を2回切り裂いた事で、今は恐らく3体が生きて動いている。
そして、あと3体倒すだけ。
簡単だと思っていた。しかし一塊になった魔族のうちの一体分の手足が変質し太く、筋肉質に変わった。脈動を強く打ち、存在感を放つ手足は、近くの大岩を易々と握り砕いて俺たちに迫り来る。
目の前の障害物を握りつぶしながら進む様は異様な執着を感じさせた。
だらりと垂れた他の手足を引きずる様は異常さを酷く感じさせた。
何故襲ってくるのかなど俺には全く分からない。
しかし、このまま放置は出来ない。
「谷底にあいつを落とすぞ」
黒い歪な巨体を引きずり俺たちの方へと追ってくる。胴体を引きずるほどに重いのであれば、深い谷に落としたら這い上がっては来れないだろう。
谷は丁度俺の真後ろの方角にあるそうだ。
「イース、このまま一旦後退して奴を進ませる!」
「はいよ!」
そして俺とイースは体を反転させ、並んで谷へと駆けて行く。追ってくるとはいえ、今までの速さからして振り切る事はないだろう。
俺たち2人が死の谷へと走り始めてすぐの事だ。
ぐちゃぐちゃと音を立てながら追ってくるポーン5から、まるで擦り潰れながら呻いている声が聞こえた。
「 ハ ぁ し テ ・ ン ぃ て 」
嫌な予感がして後ろを振り返る。すると追ってきていた黒い塊に変化が起こっていた。
変化は胴体の真下、丁度地面に引きずられる位置に生えていた細い腕がゴキゴキと折れるような動きをした後、膨らみ、縮まり、最終的には馬の様な足に変形した。
新たに出来た馬の様な足は少しばたつかせた後、蹄を地面に着地させ、ただひたすらに前へ進む動きを繰り返す。
先ほどとは比べ物にならない速度だ。
「は!? 追いつかれるぞイース!」
イースが振り向き、怯えるように顔を引き攣らせる。彼女は谷に到着するまでに追いつかれると判断したのだろう。
「イノ!」
後は頼むわとイースが俺に伝えた後、ポーン5の馬の様な足元から真っ赤な炎の薔薇が広がった。
『任せなさい! 全部燃やしてあげる!』
薔薇の炎がぶわりと大きく広がり、黒くて丸い胴体や筋肉質な手足も全て包み込む。火だるまになり、雄叫びを上げたポーン5だったが、いきなり何処からかポーン5を中心として水飛沫が周囲に撒き散らされる。
『水の魔術!? あんな状態でも使えるの!?』
驚くイノ、そして赤い薔薇は水の量にかき消されて消える。熱された水が一瞬で水蒸気となり視界を覆う。
そんな中、イースは足を止めてポーン5と相対していた。
ドラゴンの鱗に覆われた巨大な腕を振りかぶり、上から真っ黒な胴体を叩き潰す。
「すまんな!」
ぶぃひん、とポーン5から耳をつんざく悲鳴が短く響き渡る。弱々しい声がひとつ、雄叫びを上げる声がふたつ重なり合い、徐々に音が低くなり地を揺らす。
「あかん、浅かった!」
水蒸気から怨嗟の声を撒き散らしながら飛び出してくる怪物。俺は飛び出してくる黒い塊に向けて石を蹴り飛ばし、顔付近に命中して注意を向けさせる。
「こっちだ!」
イースは真横に転がって水蒸気の中に隠れたまま、俺だけが目の前に現れる深い谷へと走る。
たどり着いた谷のギリギリで立ち止まり、やってくるポーン5の方へと振り向いた。
太い腕を地面に叩きつけながら、獣の恨み声を発しながら俺に向かってくる黒い塊。
俺は足を振り上げながら、目の前の敵にひとつだけ忠告してやる。
「後ろには気をつけろよ」
振り上げた足を力いっぱい真下へ振り下ろす。
きっと攻撃されると思ったのだろう。俺が踏みつけた地面のギリギリ手前で停止する。俺の足の光の軌道は黒い塊に付いていた顔の目の前を通り、地面を割り砕く。
俺が地面を砕くと同時、真っ黒い怪物の真後ろに現れるイース。
「せいっ!」
竜の腕が背後からぐちゃりと黒い塊の胴体を殴り飛ばす。俺に気を取られていて拳をすり抜けさせるのに間に合わなかったようだ。殴られた勢いのまま地面を跳ねて谷へと飛んでいくポーン5。
俺は地面を砕いた瞬間に横へ跳ね飛ぶと、タイミング良く崩した足場が落ちていった。
谷へと飛ばされて、崩落に巻き込まれたポーン5は落ちまいと歪に腕を伸ばし、崖の淵に手をかけるが、掴んだ場所はガラガラと崩れ落ちていく。
そこから更に徐々に崩れた範囲が広くなっていき、俺が真横に飛び込んだ場もギリギリで足元が崩れてしまった。
「ぐっ、脆いな……!」
両腕だけで這いあがろうとした時だ。
崩れる音と謎の呻き声が混ざり合う。
「びぃ……・あぅ……」
俺の片足に何かが勢いよく巻き付いて来た。
『おい! 足元だ!』
「なっ!?」
「レスト!?」
引っ張られるあまりの重さに、腕だけでは支えきれず、谷へと引きずられる。
足に巻き付いていたのは太くて長い蛇だった。ポーン5の黒い胴体から飛び出していた蛇は俺の片足にしっかりと巻きつき離れない。
「こ、のっ! ぐっ、駄目だ!」
何度飛ばそうとしても逆に俺の足の骨を折るかのようにぎゅうぎゅう締め付けて来る。
それどころか俺の体を伝って登ってきていた。
「イース、このまま手を離——」
「そんな事させっか!!」
急に上げられた怒鳴り声に驚く。イースの目元には鱗の範囲がどんどん広がっている。彼女は歯を食いしばり鋭い眼差しを向けてくる。
「何も言わんまま、自己犠牲で消えるってか!? そんな事して喜ぶとでも思ってんのか!!」
「イース……」
イノの時も寂しそうな様子を見せていたのに。何も言わないまま消えてしまう所を、俺自身てイースに見せてしまう所だった。
俺が黒い怪物と共に消えるのは、今すべき事ではない。
今すべき事、そんなのひとつしかないだろう。
俺が奴を倒す。
それだけだ。
イースの手を強く握りしめる。そのまま引き上げようとするイースの名を呼んだ。呼ばれて顔を上げた彼女に向かって告げる。
「谷底でこいつにケリをつける」
イースは目を開き、俺を見た。
底が見えない程の深い谷だ。ここに落ちた時、どうやって地上に戻るのか、いつ戻れるかなんて分からない。
それも勝てなければ永遠に谷の底だろう。
それでも俺は。
「ついて来てくれ」
きっとイースと共になら勝てる気がしたんだ。
そんな俺の言葉に一瞬だけ固まった彼女。
はよ言え、とイースは力が抜けるように笑った。
「しゃーないな」
俺の手を強く掴んだまま、イースは谷へと飛び込む。
彼女が飛び込んでくる動きに躊躇いは一切無かった。
「地の底まで付き合ったる」
竜の眼と目線が合う。力強い眼だった。
もう大丈夫だ。
そんな勝利の確信が持てた。
もちろん根拠なんて無い、ただの予感だった。
「イノは上で待っとり!」
「アールはグラフォと後頼む!」
真っ黒な塊とそこから伸びる蛇に巻きつかれる俺、俺の手を取るイースが真っ暗な谷底に落下していく。
「はなれろっ」
落下しながら、巻きつく蛇を何度も蹴る。だんだんと暗くなる中では、うまく狙いが定まらない上に上手くすり抜けられてしまう。
視界の悪い中、上空からバサバサと大量に何かが落ちてくる音がして見上げる。すると炎が空に散らばって落ちてくるのが見えた。
「何か燃えてるのか?」
「嘘やろ……これは……」
『全く、世話が焼ける。ポーン5のボディストレージに入っていたスクロールだ。イノの炎で燃やしている』
アールが紙を燃やして谷に落としているらしい。俺がポーン5の胴体を蹴り飛ばした時に出てきた紙の事をスクロールというそうだ。
そのスクロールをグラフォが取ってきて、イノが燃やし、アールが燃えた火種で俺たちの周囲に明かりを作ってくれている。
「助かった、これで見える!」
イースの反応を見るとスクロールは燃やすものではないようだ。けれど、これで周囲だけでなく、俺に巻きつく蛇の姿が見えるようになった。
イースは空いた手を崖の壁に突き刺すようにして掴む。そして彼女は反対の、俺と繋ぐ腕を大きく振りかぶり、壁へと叩きつける。
「レスト、今や!」
「っ、離れろっ!」
俺は揺れる動きに合わせ、絡みつかれている足を思いっきり壁へ蹴り上げる。壁ごと黒い胴体をめり込ませ、締め付けが緩んだ隙に蛇を引き剥がす。
ようやく剥がせたポーン5の黒い巨体は落下し、谷底の闇に溶けるように消えていった。
「っ、あかん、落ちるで!」
叩きつける衝撃で壁から岩が剥がれ落ち、手が外れたらしい。俺とイースも2人で落下していく。
イースが壁を掴みかかり、俺が壁を蹴り上げる。
そうして谷底に辿り着くまで、落下の速度を落としていったのだった。
イースとたどり着いた谷底。ただ暗いだけの石に囲まれた場所。アールの操作する赤い炎が周囲を照らし出す。先客のポーン5は少し離れた所で3つの唸り声を谷中に響かせていた。
「イース、動く石ってのに注意しろよ」
「石て、あれちゃう?」
イースが指差す方へ、炎が真っ直ぐ飛んで行き周囲を照らす。
『注意する程でもないだろ』
そこには魔晶石なんて比べ物にならない程の巨石が存在していた。
「でっか!?」
知らずに見ていれば壁だと見間違うほどの大きな石だ。あれがどうやら動く石だそうだ。
にしてもただの大きな石だ。動いてなんかいない。
「動いてな……いや動いてる!?」
遅すぎて止まっているように見えるだけだった。
ずり、ずり、と微かに聞こえる。ひとりでに地面を擦る巨石。本当によく見ないと分からない。
「僕らがうっかり潰される心配はあらへんけどやな」
「……イース」
良い事を思いついた。俺はポーン5の動きを警戒しつつ、イースをチラリと見やる。
「持てるか?」
「余裕や」
朝飯前だとでも言うような軽い返答だった。
アイコンタクトを取った後、俺はポーン5へ、イースは動く石へと二手に分かれる。
俺が向かった先。そこでは黒い塊がごろりと転がっている。逆さになっていた馬の足が地面に着き、筋肉質な腕が乱暴に振り回され、蛇が鎌首をもたげる。
「こっちだ!」
俺は地面に転がる石を真っ黒な胴体にぶち当たる。俺に気づいたのか雄叫びを上げながら迫ってくる黒い塊。
周囲を照らす炎が幾つもポーン5を取り囲む。炎が苦手なのか叫びは一層強くなる。黒い胴体から水の魔術が使われるものの、前回よりもその量は微量で炎を消すには至らず。更にはアールのコントロールにより、直接水がかからないように炎が動き回っていた。
「気をつけないと燃えるぞ!」
炎に気を取られている隙に接近し、横から蹴りを叩き込む。光る足の軌道を無理やり変更して、斜め上へと蹴り上げるが、上手くすり抜けられる。
それでも構わない。
「どれだけすり抜けられるって?」
何度も何度も、攻撃の方向を変え、威力を変える。直接蹴るのではなく、石を蹴り当て、拳も入れる。
永遠にも思えるほんの少しの時間。
その終わりを告げる声が聞こえた。
「レスト!」
「っ、やってくれ!」
素早くポーン5から離れる。それと同時に浮いていた炎が全て黒い胴体や顔あたりに集まり、視界を塞ぐ。
そんなポーン5に向かって下される巨大な石。
イースがひとりで持ち上げていたのだ。その体格の何十倍もの大きさの石を。
「これ、っ、でっ、最後!」
振り下ろされる動く石。頭のてっぺんから石に触れた瞬間、ポーン5はするりと体をすり抜けさせる。
しかし。
「あぁ気をつけろよ、その石動いているから」
ポーン5の全身が押し潰される。いや、全身をすり抜けさせているのだろう。
普通の動かない石ならそれでも良いのだろう。タイミングを合わせてすり抜けさせれば良い。しかし動くならそれに合わせないといけない。
把握しにくい程の動きで。
もちろん収納するのを辞めれば石の中。
長時間もの間、すり抜けという繊細な技術が保てるのか。
ポーン5の悲鳴が聞こえてくる。それは地面よりも下へと落ち続けていく声だった。




