まんじゅう屋
神気とは。この世の全てに干渉出来る力の化身であり、人には解明することが到底出来ない神秘であり、不可能を可能に書き換えられる現象である……らしい。
「神やそれに近しい存在を構成する源、そいつらが扱う力をひっくるめて神気と呼ばれてるんや」
「神気……神秘……?」
彼女は生唾を飲んだ。
何やら神気や神秘とやらは、恐れをなすほど凄いらしい。
しかし初めて聞く単語が多く、いまいち分からないな。
でも、不明な単語が多いが俺にだって分かることはある。何が分かるかなんて、今までのことを考えれば簡単だ。
饅頭は俺より足が速いから凄い。
それに饅頭はとても美味くて凄い。
つまり饅頭は凄い。
「にしても、なんやこの純度の高さは。食い物に入れるものちゃうやろ」
「じゅんど……神気は食い物じゃない?」
饅頭は食い物だぞ。
いや神気の話だったか。
俺が殆ど理解出来ていない事に気づいたのだろう。アールが饅頭を食うのを一時辞めて俺へ向く。
「レスト、精霊魔法を使う時の流れは分かるカ?」
「精霊魔法か。それなら分かる。精霊に何かしらの対価を渡す代わりに精霊が持つ力を使う事だろ」
魔術は魔力を消費してあらゆる現象を起こす。それに対し、精霊魔法は精霊に対価を払い、精霊に現象を引き起こして貰うものだ。対価は精霊によって様々。話し相手や友達になって欲しいだとか、人の作った物を求めたりもするし、対価を何も要求しない場合もある。
そして、命を対価にする場合もある。……この場合は特殊な為、精霊魔法の括りに入るかどうか意見が割れているらしい。調べても殆ど情報が無かったので、俺はあまり詳しくは無いが。
要するに対価を払い、精霊の持つ力を使用すること。
これが精霊魔法。
記憶を失う前の俺こと、ヴェンジは精霊術師として世間に知られていた事を俺は知っていた。だから記憶が戻る事を期待して色々と調べたのだが、何ひとつ思い出せなかったのである。しかし調べて勉強にはなった。
アールは俺の説明を聞いてそうだ、とひとつ頷く。
「精霊を神に置き換えてみロ。精霊の持つ力は神気と考えてみればいイ。魔力やスキル、加護なんかも神気の一種だヨ」
黒い月に封じられた古き神、狂った神から漏れ出た神気がいつからか魔力と呼ばれ始めた。
そして狂った神によってふたつに引き裂かれた女神は、裂かれた際にばら撒かれた神気が全ての生命に宿った。その力の発現をスキル。
今この世界を管理しているデザイア神、かの神に選ばれし者が受け取る神気が加護だという。
この世界に生きる生命は満ち溢れる大いなる力の化身から力を借り、または与えられている。
「大体分かった」
「にしてもな、とんでもないほど大きな力が饅頭に混ぜ込まれとんで。でも魔力さえ喰らう程の強い神秘なんて、僕は知ら……いや、まさか……」
「……ボク以外に誰が居ル?」
何を当たり前の事を聞くのだとアールは平然と言い放った。
神気の力関係について話しているようだ。
よく分かってない俺、顔を青ざめるイース。
俺たちの反応を確認したアールは不服そうだ。
口を戦慄かせていたイースが慎重に、刺激しないようアールに丁寧に問いかけた。
「ま、饅頭で世界征服が目的ですか?」
「……アールは饅頭を減らしたがっているからそれは無いだろ」
「レストの言う通リ。ボクって本当に良い奴だからなァ?」
イースは疑いの目で俺とアールを交互に見た後、饅頭へ視線を落とす。
彼女は少し悩む様に目を閉じた後、諦めて疲れたように息を吐いた。
「まぁでも。僕も早い事、減らすのは賛成や。神気だけ饅頭から取り出したら一般人も食えるやろ」
「ほ、本当か!? やったぞアール!」
「……まぁ良いカ」
俺たち以外にも食えるように出来るらしい。
これで饅頭の美味さを安全に広められるんだな!
俺は思わず立ち上がるほど嬉しい。のだが、アールは渋々といった反応だ。アールは最後のひとつまで俺に食わせようとしていたからだろう。俺としてはアールの作った美味い饅頭を広められる方が良いし、人が多ければすぐに饅頭を減らせるからめでたい事だと思う。
今後は饅頭が足りないなんて事になるかもしれないな。そうなったら少し寂しくはある。今ある饅頭が無くなったら、次は増えない饅頭をアールに作って貰おう。
明るい未来に心躍らせている俺と違い、イースもまた深く気落ちしているようだ。
「せやけどなぁ。僕知らずに邪神さんの神気を食ってしも、んっひゃう?!」
「っイース?!」
イースの座る椅子が唐突にガタガタと大きく揺れ、それに驚き飛び上がった彼女が床に転がり落ちる。どう見てもアールの悪戯だ。俺もつられて驚き、すぐに駆け寄る。
イースは饅頭を両手で持ち、小さく丸まって横たわり固まっていた。
俺はアールに見えない様に机の影で、彼女にそっと耳打ちをする。
(アールに"じゃしん"って言葉は禁句なんだよ)
(……今し方、身をもって体感したわ)
でも怒ってるにしては前より優しいとイースは放心しながら呟いた。追撃を警戒して丸まっていたらしい。
イースとアールのやり取りを見る限り、俺は暫くふたりの間を取り持った方が良さそうだ。
アールは腹を立てているのかと机越しに見ると、俺とばっちり目が合う。
まるで俺の反応を観察していた様で何だか居心地が悪くなる。少し視線を迷わせていると、机の鎧の右腕が目に入った。大事な事を忘れていた。
「そうだアール! これが言ってた右腕なんだよ、付けてみてくれ!」
イースに直してもらったアール用の鎧の右腕だ。俺は包み紙を取っ払い、アールへ鎧を差し出す。
「……くれるなら貰おウ。礼を言ウ」
アールの表情は全く変わらなかった。しかしなんとなくだが、アールの雰囲気が柔らかくなっている気がする。
鎧の右腕がふわりと浮かび、俺の手を離れてアールの右肩へ向かっていった。アールは鎧の右手を握ったり開いたり動かして観察している。
床から起き上がったイースは椅子に戻り、不可解そうにアールへ告げる。
「えっと、救世主さんは右腕をどうしたんや?」
「魚臭くなったから森に置いてきタ」
「あ、え? へ、へぇ……そうなんや……」
めちゃくちゃに端折った説明を雑に告げるアール。
そして、イカれた奴を見る目でアールを見るイース。
イースが机の下で俺の服を軽く引っぱる。俺に何か言いたい事があるようだ。俺は彼女の口元に耳を寄せてみる。
イースは荒ぶる声を抑えながら小さく俺へ告げてきた。
(世界中の誰を探しても、救世主さんだけはパーティーに入れたらあかんやろ!?)
(落ち着いてくれ、これには深い事情があるんだよ)
俺がアールの右腕を失うきっかけを作ってしまったのだと経緯を含め、俺はイースを説得した。
「レスト君は救世主さんの弱みでも握ってんのか?」
「アールの弱みなんて握ってないぞ。今の話で何でそう思ったんだよ……」
「救世主さんの邪魔して何も無しってのがな。それに前と比べてえらい大人しいのが気になるというか。……君もなんか違うけど」
どこかチグハグで奇妙な感覚や、とイースは何度も首を捻る。アールの変化だけではなく、俺の変化も気になるようだ。
以前のアールを俺は知らないそちらは分からないが、俺の変化は明らかに決まっている。
記憶が無い事、それしか無い。
しかしイースは俺がヴェンジだとは疑ってはいないそうだが、"何かが違う"らしい。記憶の有無やスキルでの見た目の変化での違い、ではなくてそれ以外。
「ま、気のせいかもしれん」
あっかからんとイースは言う。
しかしイースは気のせいだと思ってはいない、と俺は彼女の様子を見て思う。今はまだ分からないのだろう。であれば、俺も頭の隅に置いておくだけにする。
イースは急に思い出したかの様に話題を変える。少し芝居がかっているのは見ないふりをした。
「せや、パーティー名はどうするんや?」
「パーティー名か。考えて無かったな」
そうだった。冒険者パーティーを作るならばパーティー名を考えるのは大切だ。パーティーの顔になるものだからきちんと考えないといけない。何が良いのだろうか。
ひとまず何かひとつ案を出してみるか。
「……グラフォリオンとその一行」
「レストが良いならボクは何でも良イ」
「考え直せ。そこで寝とる鳥がパーティーのトップの印象になるんやで?」
ドラゴン好きなのは分かるがグラフォリオンの名だけは勘弁してくれ、とイースは俺に何度も懇願する。それほど嫌なのか。
「色々あるやろ。"火竜の咆哮"とか、"翼竜の疾風"、"水竜の奔流"とか」
「全て却下ダ」
アールはイースの案をバッサリと切り捨てた。イースは望みが絶たれたような表情をした後、何故か必死に俺に拝み始めた。漏れ出る言葉から名付けは俺に託すようである。
「ほ、他の案か。でもパーティー名ってどうやって名付けたら良いんだ?」
「レストが何を求めているかにもよるナ。好きなものや目的をパーティー名にすると良いだろウ」
「目的……」
それなら分かりやすい。俺の目的は記憶を取り戻す事と饅頭を減らす事のふたつ。
記憶を取り戻すのは俺個人の目標なので除外だ。
だからこの場にいる3人の目的であり、パーティー名にすべきものは、饅頭を減らすための名前。良い案がひとつ思いついた。
顔を上げると目の前の2人の様子が目に入ってきた。
イースは不安そうで、俺が何を言うのかずっと気にしている様だ。
対するアールはいつも通り気楽に饅頭を食べている。……俺が何を言っても肯定しそうである。
そんな2人を視界に入れ、俺は告げる。
「それじゃあ、"まんじゅう屋"はどうだ?」