呪いの意味
イースはアールを振り返った状態でぴしりと体を硬直させた。
「あれ、救世主さん……?」
呟く彼の声は酷く震えていた。
うん? 俺が思っていたよりイースの反応が大きい。
とても良い笑顔で現れたアールは俺に目配せをする。
『こいつを仲間にしたいのか?』
『? ……あ、あぁ』
淡々とした質問だったが……何故だろう。アールの笑顔を見ると、安心から一転して不安が酷く押し寄せてくる。イースが酷い目に合わされたと言っていたが、本当に何があったのだろうか。
爽やかな雰囲気のアールは警戒するイースへ向く。
「女に興味ハ?」
「え、あの興味無いことは無いけ……ですが……何故その質も——」
「まさか!? おい待て?!」
俺の静止は全く間に合わず、アールがイースの肩にポンと左手を置いた。
彼はびくりと肩を跳ねさせ、椅子から飛び出してアールから距離を取り驚いた。
「なっ、何をっ?!」
イイじゃないか、と言ったアールの非常に嬉しそうな声。
くそっ、やられた。俺の時もそうだったが、いきなり過ぎるだろうに。俺は勧誘の話をしただけで、返事を聞いていないのにこれだ。
アールに対して警戒を強めている彼。
イース外見の変化は早かった。
既に体格が全体的に丸みを帯びているのが見て取れる。
……もし俺がいきなりこんな事になったら、訳が分からなさ過ぎて焦る。間違いなく。
未だアールの挙動を観察するイースに向けて、刺激しないように俺はそっと声をかける。
「イース。良いか、落ち着いてくれ。えっとその、冷静に……」
俺はイースの胸元を指差した。彼が俺の指先を視線でなぞり、自身の変化を認識した瞬間。
「ぁ」
彼は、いや彼女は俺の目の前で悲痛な雄叫びをあげながら、膝から崩れ落ちたのだった。
ブルーローズの宿は未だに宿泊客が居ない。そして現在、女将さんの代わりに宿を管理している娘さんのティーラは不在だ。
その為、好都合な事にラウンジには俺とアールとイースの3人、そしてアールの膝上に乗るグラフォリオンが嘴で羽を整えている。
両足を抱えて椅子に座るイースは膝に頭を乗せてぼんやりと遠くを眺めていた。実は先ほどまで床にうずくまって動かなかったので、ひとまず椅子に座らせたのだ。
斜め右に座るアールは機嫌良さそうに饅頭を食べている。
「アール、イースの呪いを戻してくれ」
「女の方がイイだろウ。戻す理由が無イ」
「全然良くないだろ?!」
俺の言葉にイースが頭を上げて反応し、虚な竜の瞳を俺に向けた。その眼は少し悲しげに見えた。
「良くないんか……?」
「ち、違う! 女性が嫌だとか外見が良くないと言った訳じゃないんだ! イースの鱗は相変わらずカッコいいぞ!」
よく分からないが行き違いがあるような気がする。俺は慌てて、今のイースを全否定している訳では無いと必死で伝えた。目元のドラゴン要素は本当に羨ましい。
イースは力無く笑った後、一筋の涙を流した。
「……君がドラゴン馬鹿で安心したわ」
「安心って何が?!」
何故泣く?! まさかアールによる精神攻撃でもされ——っ、そうか女体化の呪いのショックが大きいのか!
くそっ、でもドラゴン馬鹿とやらの安心要素は全く分からないぞ!?
救世主さんに完全に目つけられた、とイースは膝に顔を埋めた。
そもそも魔王の呪いに女体化なんてものがあるからこんな事になったのだ。俺は不満をぶつけるようにアールへ同意を求めた。
「こんな意味の無い呪いを作るなんて魔王パンドラって奴は頭おかしいだろ!?」
「作った奴に意図はあったヨ」
「? 意図ってなんだよ」
「間違った常識を利用すル事」
「……なんだそれ?」
「なんにせよ、わざわざ手間をかけてまで要らない呪いは作らんだろうヨ」
アールはそれ以上を言うつもりが無いようで、饅頭を咥えながら膝上のグラフォリオンを撫で始めた。
先程アールがイースに呪いをかけたようにする以外に何があるんだ、と考えて俺はふと違和感を抱いた。
アールが所持する魔王の呪い。それは魔王自身が呪いを創り出し、彼女自身の体に溜めていたんだよな?
一体俺は何に違和感を感じているんだろうか。
ほんの少しの疑問だった筈が徐々に胸騒ぎが大きくなる。
無視してはいけないような、そんな気がした。
ノエルやバンダー、そして恐らくヴェンジも魔王を倒すまでは呪いの事なんて知らなかったようだった。じゃあ誰が呪いの経緯を詳しく知っているのか。思いつくのはアールとライ、魔王と魔族だ。
魔王は居ないし、魔族とは会えば問答無用で殺される。俺はライには何故か拒絶されているので、聞くならやはりアールだけだ。
しかし何を聞けばいいのか、それすらも思い浮かばない。
まるで雲をかき集めるような、掴みどころのない思考をしている最中、アールの声が割り込んできた。
「仕方ないナ」
アールは嫌々といった風にイースへ向かって顎でしゃくる。
「饅頭を全て食べ切ったら呪いを取り除いてやル」
「……その言葉、ほんまやな?」
イースは伏せていた頭を上げていた。
アールはニヤリと笑みを浮かべる。
「あぁ、嘘偽り無いとモ」
「お、おい……良いのか……?」
俺はどうにか思考をまとめようとしていた為、2人のやりとりの反応が少し遅れてしまった。
アールは饅頭を食べ切ったら呪いを取り除くと言っていたが、3人で食べたとしていつ頃食べ終わるのだろうか?
そんな俺の不安を他所にイースは一転して声色が弾む。
「……良し。冒険者とパーティーの登録やな? さっさと食い切ったろうやんけ!」
「決まりだナ」
アールが俺へと振り向き、やってやったぞという自信に満ちた笑顔を見せた。
呪いの事を考えている場合では無さそうだ。それに呪いの事を考えたところで、俺の記憶を取り戻す事になんの関係も無いのだ。
それより目の前の事だ。
……なんだか騙す様なやり方で心苦しいが、正直言ってイースが協力してくれるのは非常に助かる。
女体化の呪いを取り除くのも、すぐに饅頭が無くなれば問題はない。
「本当に助かるよ。さっさと食い尽くそうぜ!」
イースも同じ気持ちの様で、机に積まれた饅頭を急ぐように口へと運んでいた。
「饅頭はどのくらいの数あるんや?」
「このブルーローズが15個分埋まるくらいダ」
「……なんやって?」
イースが食べる勢いを急激に失い、あんぐりと口を大きく開けた。
そりゃそんな反応になるだろう。俺は饅頭の数を言ってなかったのだ。
「町が15個埋まるってやっぱ多いよなぁ……あれ?」
町が15個分? 前は12個分だとアールは言ってなかったか?
「おいアール、前より大分と増えてないか?」
「増えてるが大した量じゃなイ」
「大した事やろ!? 店でもやるんか?!」
平然とアールは饅頭を食べ続けている。
しくったか、とイースは頭を机に強く打ち付ける。彼女は饅頭の想定外の多さに酷く後悔しているようだった。
しかし、俺はさっきのイースの発言が気になる。
「店をする、か。良い案だよな」
「は? ほ、ほんまにやるんか?」
「……レストがしたいなら良いゾ」
イースは目を丸くして戸惑っている。アールは一瞬だけ目を細めたものの、俺を見た後にいつも通りに饅頭を食べ進めた。
2人とも店を開く事に抵抗は無さそうだ。
「でも饅頭食えない人の判別は出来ないから、店を開くにはまだ厳しいか」
「好き嫌いは誰にでもあるやろ」
饅頭が苦手なら最初から店には来ないとイースは言う。そういえば、饅頭が合わない人は食べるとおかしくなる事を言っていなかった。
俺は以前に勧誘した人やギルド職員が食べた際の反応をイースに詳しく伝えた。
「……僕そんなもん食わされとったんか……?」
「でも美味いだろ?」
「せ、せやな……」
そんなもんとはなんダ、とぼやくアールに俺は取り敢えず饅頭を渡し続けて宥める。
イースはといえば、饅頭をゆっくり咀嚼しながら何かを探る様に考えていた。
あ、と一言イースは驚き、齧った饅頭をまじまじと見つめる。
「……ひょっとして神気か?」
饅頭を見つめてイースはポツリと呟いたのだった。




