とても素敵な鱗ですね
建物の角から出会い頭にぶつかったその人物。彼はサイズの大きなローブを羽織っており、大きなゴーグルを目元に着用していた。肩に担いでいる長い棒の先端には角灯が提げられている。
俺は抱えた鎧がひしゃげる感覚を覚えたのち、地面に背を打つ。
「ぅごっ!?」
「っ、すまんな!」
ローブの人物は俺をチラリと一瞥したのち、人気のない学舎のさらに奥へと逃げて行く。
俺は地面から背を起こし、去り行く人物へ声を掛けた。
「待っ……!?」
俺がローブの彼に手を伸ばしかけた途端。
ぞわり、と全身に悪寒が走る。
悪寒の元は真横から。
すぐさま視線を嫌な予感の方へ。
ぶつかってきた人物が来た方向へと向けた。
建物と建物の間から闇が異様な勢いで迫って来ていた。日陰の暗さなどでは無い、全てを飲み込む闇だった。
こちらに近づいてくる闇の正体はすぐに分かった。
おびただしい数の黒い蝶だった。
「何でこんなに居るんだよ!?」
通常なら舞い踊っている、ただそれだけの黒蝶は一心不乱にこちらへ飛んでくる。
俺は鎧の腕を地に置き、迫り来る闇へと駆け出した。
建物の角を出れば人が大勢いる。
黒蝶が路地から出てくる前に叩く。
「ちくしょう! 壊れてたらっ、どうしてくれるんだよ!!」
群れる黒蝶へ飛び込み、私怨まじりの蹴りを叩き込んだ。空気がぶつかり割れる様な音、そして強い光が辺りを包みこむ。
着地し、素早く周囲を見渡す。
「残りは……居ないな」
かなりの数の黒蝶がいた筈だが、さっきの一撃で全て消し飛んだ様だ。思ったよりも攻撃の勢いが良かったらしい。
俺は薄暗い路地を出て、鎧の右腕を回収して中身を見る。
破れた包み紙から覗くのは大きく歪んだ鎧の腕。これではとてもアールの腕として使えそうにない。
当たって欲しくなかった予想に肩を落としていると、去って行った筈のローブの人物が焦った様に戻って来ていた。
路地の前で足を止めた彼。建物を陰に、そっと顔を路地の奥へと覗かせる。
何でおらんのや、と彼は不安を滲ませ呟いた後、俺へと振り返る。そしてゴーグル越しに俺を上から下までじろじろと眺めた。
「君、気分悪くなっとらんか?」
「俺は大丈夫だ。それよりイース」
「うん? どっかで会っとったか……?」
俺が名前を呼ぶと、イースは少し驚いて顎に手を当てて首を捻る。彼は俺と会った事を忘れているようだ。
思い出そうと唸るイースに向け、俺は極めて冷静に問いかけた。
「ドラゴンは好きか?」
「は? あんな気持ち悪いもん、何がええねん」
好きな訳ないやろ、と彼は平然と言い放つ。
彼の返答を聞いた後、俺は一度落ち着く為に深く息を吐いた。
「……罠の、シルヴィアヴラムの鱗は?」
「シルヴィ……あ」
あるドラゴンの名前を呟くと、彼は動揺した様に体を揺らした。
これはほぼ確定だ。
俺はイースに指を差して最終確認をする。
「盗ったんだな……?」
「すまん、代わりに金払うから」
「売ったのか!?」
「あれは売らんて! 食べてもうたんや!」
「鱗を食えるわけないだろ!?」
「そ、そらそうやけど!!」
「齧っても口の端が切れただけだから無理に決まってる!」
「齧ったんか!?」
普通はせんやろ、と彼は口を引きつらせて一歩下がる。
どうして俺から距離を取るんだ。俺は鱗の耐久がどの程度なのか知りたかっただけなのに。結果としては鱗に歯形ひとつつかず、口を怪我して終わっただけだったが。
それは兎も角、どうして鱗を食べたなど嘘を付くのかが俺にはさっぱり分からない。
もう二度と手に入らないだろう鱗を彼は一体どこに流してしまったのか。
さらなる追求をしようとしたところ、彼は慌てたように俺の胸元を指さした。
「そっ、それ直すから勘弁してくれ!」
「……この鎧か?」
指さした先は俺が抱えている歪んでしまった鎧の右腕。これはそもそもイースとぶつかって壊れてしまったのである。
「君が持っとるのは知り合いの鎧でな。制作工程やら色々と聞いとるし、僕ならすぐに修理できる」
他の義手を探せば良いと思うかもしれない。けれど、この鎧の様に本人の意思で動かせる物で軽い義手や義足は確かに殆ど見ないのだ、と販売していた女性が言っていた。
しかし、すぐに修理出来るのならして貰う方が良いだろう。
鱗の代わりというのも少し不本意ではあるが。
悩んだ末に俺は緊張した面持ちのイースへと頷きを返した。
イース向かった先は学園の敷地の端にあった工房だ。建物は2階建てで頑丈そうな造りをしている。中に入ると長い通路が伸びており、いくつか部屋があった。扉が開けっ放しの部屋は空室だそうで、今この建物内では誰も使用していないらしい。
廊下に入ってすぐ、彼はひと部屋づつ何かを細かく調べた後、裏口に一番近い部屋に入った。
「鍵かけるけど、僕が出てくるまで絶対扉は開けんといてくれ」
「お、おう」
鍵をかけるのに扉を開けるなとは不思議な事を言う。扉を壊して入ってくる人物でもいるのか?
イースは扉を閉じかけるが、思い出したかのようにまた僅かに扉を開く。
「忘れとった。もし嫌な予感がしたら、この建物から出て離れや」
「? 分かった」
そんじゃ少し時間貰うからな、との言葉と共に扉が閉じられた。嫌な予感と言われてもよく分からないが、まぁ良いか。
手持ち無沙汰になった俺は建物中央の階段近くに見つけた長椅子に座り、暇を持て余して饅頭を食べる。
座り込んで空腹を満たしていると消えていた筈の眠気が戻ってきた。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
うつらうつらと、うたた寝をしていた時だ。目の前を何か黒いものが横切った気がした。寝ぼけながら、ふと顔を上げてみた。
黒い蝶が一匹飛んでいた。
すぐさま眠気が吹っ飛んで立ち上がる。急いで廊下に出てみると、異様な光景が広がっていた。
ある一部屋の周囲にびっちりと黒い蝶が群がっていたのだ。
群がっていたのは、イースが居る部屋だった。
あまりの数の多さに気持ち悪さと吐き気がする。俺は扉を破らぬように黒蝶を蹴散らしていくが、何度散らしても何処からともなく発生し、壁や窓に張り付いてくる。
「だから何でこんなに!?」
黒蝶は俺が近寄れば逃げるように避け、握り潰せば消滅する。それでも執拗に壁に張り付いてくる黒蝶。
見れば隣の部屋にまでも何十匹と大量に入り込んでいた。隣の部屋の黒蝶も、とある壁にだけびっしりと張り付いている。イースの居る部屋の壁だ。
奇妙な現象に嫌な予感が膨らんでいく。僅かにだが、シューと空気が漏れる音と変な匂いが辺りを漂い、空気がなんだか粉っぽい。
「くそっ!」
扉を開けるなと言っていたが、イースもここから離れた方が良い。俺が扉を蹴破ろうとした時、裏口から息を切らした人が飛び込んできた。
「なぁあんた、小柄なローブの人物を見なかったか!?」
「えっ、ここに居……いや、すぐに建物から出ろ!」
裏口から来た筋肉質な男性に見覚えのある。俺が鎧の右腕を購入した場所で懇願していた人物だ。俺が扉を蹴破ろうとしている体制を見て彼は表情を引き締めた。
「扉が壊すんだな」
「ちょっ……?!」
走って来る彼にぶつからないよう、俺は慌てて避ける。彼が閉じた扉に肩から体当たりすると、扉だけではなく周囲の壁までもが軽く吹っ飛んでいった。空いた穴から見えたのはつなぎ服のイースだ。髪を後ろにひとつ括りにして大きなゴーグルをしたまま作業していたようだ。丁度終わった所だったのか鎧の右腕を抱えて立ち上がった瞬間で、扉を破ってきた俺たちを見て非常に驚いていた。
そして、筋肉質の男と俺が中に居たイースを目視したその瞬間。隣の部屋から大きな爆発音とともに衝撃と瓦礫が俺たちに襲い掛かって来た。俺は衝撃を受けて転がった後、頭を起こして周囲に目をやる。筋肉質の男も俺同様に床へと倒れこんおり、イースは倒れずに鎧の腕を庇うように抱えて立っていた。
衝撃が収まったかと思った直後、天井までも大きく砕けて落下しているのが見えた。
「イース?!」
俺の声に反応した彼は鎧の腕から顔を上げ、天井を見上げる。直後、落下してきた天井がイースの顔へと直撃する。そして俺の視界も大きく揺れて意識が途切れた。
鍛冶工房に群がっていた黒蝶は爆発と共に全て消え去った。何故なら爆発の規模を大きくするための純粋な魔力、ただのエネルギー源となったのである。
イースは崩れゆく建物を横目に、担いでいた2人の人物を地面にゆっくりと下ろす。ふたりを抱えていた彼の腕。それは体躯に似つかわしくない程に大きく、皮膚はドラゴンの鱗でびっしりと覆われていた。
彼は一緒に担いでいた街灯を木に立てかけ、指先の鋭い爪でゴーグルだった物を顔からつまみ上げる。
現れた彼の顔には、目元の広範囲でドラゴンの鱗が並んでいた。
そして人ならざる、竜の瞳に映っているのは先ほど横たえた2人の人物。
ひとりはアンドロイドの人物。機械のボディはあらゆる箇所で損傷が激しいものの、頭部や胴体の内部深くは稼働していた。内部動力源、通称コアと呼ばれるアンドロイドが活動する為の動力を作り出す器官は動いている。これは人や動物でいうと心臓と魔石の機能を兼ね備えたものだ。
「こいつは修復出来そうやな。そんで、君は……」
イースは視線をもう一人の人物、レストへと向ける。
彼の右手からはバキリバキリと音を立ち、爪が小さく、鱗が引いて、小さな人の手に戻っていく。
体温も血色もない彼の手がレストの首元にそっと触れた。
「……。逃げろ言うたやろうに」
割れた頭、曲がった手足、さらに脈も無い。
イースはそっと立ち上がり、木に立てかけた街灯へと向かう。街灯の角灯部分には彼のローブが結ばれていた。彼は結ばれたローブを解き、包んでいたものを取り出す。レストが持っていた鎧の右腕だ。彼は修理した鎧をレストの傍へ置き、ローブを遺体の上に被せる。
「こんだけ騒いどったら、じきに人が来るから」
イースは目を伏せ、立ち去ろうとしたその時。
がしり、と鱗に覆われた大きな左手を”何か”に掴まれた。
ヒッ、と彼の喉から引きつる音が飛び出す。
大きく見開かれた竜の瞳が先ほど掛けたローブへと向く。
ローブの下から伸びる腕。血に濡れた腕がイースの左腕を掴んでいた。
「ァ」
イースの眼が恐怖で彩られる。そして奇妙な声が彼の耳に届いた。
「とても素敵な鱗ですね」
声の主の可能性など一つしかない。しかし常識的に考えてあり得ないのだ。彼が死んでいたのをイースはしっかりと確認したのだから。
先ほどイースが掛けたローブが風ではらりとめくれ、割れた頭がゆっくりと起き上がる。
「ところで、饅頭にご興味は……?」
「ぎゃああああああああ! ゾンビィィィィ!!」
恐怖一色の悲鳴が周囲をつんざく。立てかけられた角灯が、風も無いのにカラリと揺れた。




