『リリス、もう辞めよう』
「これだけっ、魔力があれば!」
リリスは手に持つ球体の核を見て抑えきれない笑みを溢し、大きく笑い声を上げた。
『アールはレナード達を出口まで頼む』
『…………仕方ないな』
はぁ、と嫌そうなため息が聞こえた後、ずりずりと引き摺る音が背後から聞こえてきた。何故引きずる音がしているのかと嫌な予感がして、そっと振り返ればレナード達4人が地面を滑るように移動している。坂道でもない平坦な道のりでの横滑りというおかしな光景に思わず口が開いてしまった。4人全員が服を一点だけ引っ張られているようだ。
まさか服をつまんで引きずっているのだろうか。アールなら体を浮かせる事が出来そうなものだが……
出口まで引きずれば擦り傷が出来てしまうのでは、と思い気付く。
俺が出口から出る時はどうすれば良いのだろうか。
『なぁアール、魔力を使い切るって言ってもどうすれば良いんだ?』
『レストは何もしなくて良い。そのまま花畑に入れ』
『? 入るだけで良いのか。それなら楽で良い』
少し何かが引っ掛かるような気がしたが、俺が何もしなくても出れるのならそれで良いか。
今は目の前のリリスの事が先だ。
「あんたさえっ、あんたさえっ、いなければ!」
リリスの叫びに応じるように黒い蝶が何度も吹き出し、荒れ狂う。
視界のほとんどを埋め尽くすほど舞い散る黒蝶。
俺は顔の前に腕で盾を作り、合間に覗くリリスを見つめる。
「落ち着いてくれ! 君の周りにあるものが見えているか!?」
「うるさい!! こんなのどうだって良いのよ!」
リリスを守るように覆っていた骨の手が俺を押し潰そうと地面に叩きつける。しかし俺はそれを難なく回避することが出来た。
それもそのはず、不思議なことにスケルトンは攻撃前に一瞬だけ躊躇したようなそぶりを見せたのだ。今更殺しに躊躇するようなスケルトン達ではないと知っている俺は思わず驚く。
しかしリリスはそんなスケルトンの様子に全く気付いていないようであった。
「すぐに全員殺せば! 黒蝶なんて問題ないのよ! 邪魔をしないで!」
リリスが乱暴に手を横に振りきる。周囲に舞い散る黒蝶までもを振り切ると、その先の地から何体ものスケルトンがぼこりぼこりと這い出てくる。
出てきたスケルトンが俺へと向かってくるその直前。俺から真っ先に距離を詰め、地面に手をつき、勢いそのまま端から纏めて蹴り散らす。
近くを舞っていた黒蝶までもが俺の蹴りによって消滅する。
「さっきはごめん! 何ひとつ知らないのに軽はずみな事を言っていた!」
「っ! そうね、そうね! あんたには分からないでしょう! こんな切り傷でさえ治療を拒否されるのよ!?」
耳を指差すその先はガーゼの大きな範囲で血が滲んでいるのだ。こんな切り傷とリリスは言うが、ほったらかしになど出来ない傷だろう。
「すぐに外に出て治そう! 怪我を見せてくれないか!?」
「今更っ、懐柔されたりなんてっ、しないわよ!!」
リリスはスケルトンをただひたすらに増やしていく。俺は向かってくるスケルトンを次々と蹴散らしていくが、先ほどから気になっている事があった。
「なぁ、君は! 聞こえているか?!」
「うるさい、うるさいうるさい! 早く死になさい!」
気になっていたので注視していたが、やはりそうだ。リリスが感情を昂らせる度に増えていく黒蝶。それに大きなスケルトンが反応しているのは明らかであった。
「俺の言葉じゃなくて! そこに居る、君の大きな友人だよ!」
リリスはぴたりと動きを止める。
俺が見る限りでは、大きなスケルトンはずっと手で黒蝶を払う仕草をしているのだ。今もまさにそう。
「そこの大きなスケルトンは君に何て言っているんだ!?」
大きなスケルトンはずっとリリスを上から覗き込んでいる。きっと俺の事など全く気にも留めていないのだ。ひょっとしたらスケルトンはリリスに何かを伝えようとしているんじゃないだろうか。
リリスは今ようやく巨大なスケルトンの様子に気づいたのだろう。リリスは驚きく目を見開いた後、スケルトンをゆるりと見上げる。
スケルトンは黒蝶からリリスを庇いつつも首を傾けたり横に振るなどして、リリスに向けて反応をしている。
リリスはそれをぼーっと見ているだけであった。
俺は申し訳ないと思いつつも、2人が会話しているその隙に駆け出し、リリスへと肉薄する。
「きゃっ!」
「悪いっ!」
冷静に、確実に、リリスが持つ核へと蹴りを叩き込む。その光る足の軌道はリリスに当たる事なく核のみを捉える。核と共にリリスに纏まりつく黒蝶は弾け飛んで消滅し、蹴りの風圧で遠くに飛ばされた。
リリスは俺の攻撃に驚き、目をぎゅっと固く瞑る。
大きなスケルトンは油断したとばかりに一度大きく体を揺らし、俺を掴みに掛かってきた。
掴まれまいと俺は即、離脱した。
リリスの腰を掴んでそのままで。
「ひゃっ?! 離してっ、てば!」
「お前は後でちゃんと来いよ!」
リリスが暴れるが、落とさぬようにしっかりと掴み、スケルトンに後で来るように伝えておく。
俺の足なら出口までの距離など有って無いようなものだ。
体勢を低くしたまま、目前にある花畑に向かって疾走する。
アールは無事に4人を外に出したようだ。地面には引きずり跡が4つ分、出口までしっかりと残っており、花畑には誰1人として見当たらない。
「今から魔力を空にしてくれ! ぶつかるぞ!」
「きゃぁぁぁぁぁっ!!」
リリスの悲鳴を返事に聞きながら、薔薇でいっぱいの花畑へと躊躇なく飛び込む。
そのまま地面にぶつかってしまうのではないだろうかと思いきや、何も心配は要らないようであった。
花畑へと着地したと思ったその時、するりと足が地面を抜けてリリスと全身で飛び込んでいったのだ。
飛び込んだ先、リリスとふたりで見覚えのある廊下に着地した。背後を振り返れば入り口に使用した扉が大きく開け放たれていた。
俺たちの周りには廊下に倒れ込むレナード達が4人。俺はリリスを掴んでいた手をそっと離すと、彼女はそのままぺたりと廊下に座り込んでしまった。
「何っを、してっ……くれたのよぉ!!」
リリスは両手で顔を覆い、声を振るわせ、全てを台無しにした事に何度も悪態をついてくる。
嗚咽と鼻を啜る音がわずかに耳に届くのを聞きながら、俺はポーチの中身を漁る。
「あった……じゃーん、ほら俺のお気に入り"竜の足跡"タオル! 見てくれ、ドラゴンの足跡の比較が柄になっているんだけど一番端にあるのはドラゴン研究家で有名な人の足跡で……」
リリスにタオルを差し出した瞬間に引ったくられ、勢いよく鼻をかむ音が響き渡った。
リリスは何度か大きく音を出した後にポツリと呟いた。
「大事なもの……ならっ、ちゃんと、隠しておかないと……こうなるわよ」
「良いよ。タオルだから。拭くためにあるんだし」
顔をゴシゴシ乱暴に拭っていたリリスは俺の言葉を聞き、ぴたりと手を止める。
しばらくの沈黙に俺は気まずさを覚えていた。
「……馬鹿、じゃないの?」
「え」
「…………洗って……洗って返すわ……私、こういう所はちゃんとしているの」
彼女は冷たく突き放すような言葉の後、小声でぽつりぽつりと独り言のように呟く。
「そっか、分かった」
ガシャガシャと遠くから走ってくるような音がする。
遠くからやって来たのは騎士たちであった。見つけたぞ、と俺たちを発見して駆けつけて来た。
そうだった、ここには怪我人が居るのだった。廊下の床に倒れている4人はまだ起き上がらない。
こっちだ、と俺は手を振り騎士たちを呼び寄せる。騎士たちは俺を見るや否や走る速度を早め……
「不審者確保!!」
「俺か!?」
俺に向かって何人も覆い被さって来るのだった。




