ネクロマンサー
「……ぁ……あぁ…………」
レナードは体を硬直させ、大きく目を見開く。目の前の出来事が信じられないと、脳が理解を拒んでいるという風に。
まるで画面の向こう側を見る感覚。
何度も何度も冒険者の背中へと斧が振り下ろされる。その鈍く光る刃が振るわれるたび、地に伏した冒険者が血を吐きながら体を痙攣させる。
スケルトンは淡々とただ斧を振り下ろすだけだった。
スケルトンは人骨と魔石で動く魔物だ。骨と魔石に外から一定量以上魔力が満ちた時に発生する。
この学園に通う者はスケルトンどころか他のどの魔物もほとんどが見たこと無い。それはレナードも例外ではなかった。
学園で学ぶのはホログラムなどの知識だけ。こうして肉眼で見たことが無い。経験したことが無い。何故なら町の外には出ないから。
魔物は町の外に出ればすぐに遭遇するだろう。
しかし町の外に出るのは冒険者か転移の金をケチる奴か、頭の可笑しな奴くらいである。
誰も命の保証など無い危険地域には、町の外には出たりしない。
それに学園都市には魔族すら侵入した事が無い。絶対安全な都市と言われている。いや、言われていた。
故に魔物と遭遇した今、適切な動きを知識で知っていても行動出来ない。パニックになる人がほとんどだ。それはレナードも同様だった。
まるで凍りついたかようにレナードの体は動かなかった。
現実味の無い風景をレナードはただただ見続ける。そんな彼の顔にびちゃりと生暖かい返り血が飛び散った。
頬の温かみを感じた瞬間にハッと意識が切り替わる。
目の前の死は。
これは、現実だと。
耳に音が戻ってくる。骨のぶつかる音。おびただしいほどの数だ。
そう、この冒険者の次はきっと——
彼は狂ったように叫び出した。掴まれていた足をがむしゃらに動かしてスケルトンの腕を蹴り飛ばす。叫びながら無我夢中で走り出す。
先程、この場の全員に教会へ逃げろと言ったのは彼だ。しかし既に彼の頭は混乱しており、そんな事はとうに消え去っていた。
どこに向かっているのか彼は分かっていない。
ただスケルトンのいない場所へと逃げていた。
フクリとカーラは己の生存本能に突き動かされるように教会へと走っていた。寄ってくるスケルトンを押し退け振り払い、彼女たちは教会の入り口へとたどり着く。
「閉めて! 早くっ!」
開けた扉から教会の中へと滑り込んだふたり。急いで扉を閉じ、腕を全身を使って押さえ込む。
フクリは近くにあった廃材を見つけ、扉のかんぬき代わりに差し込む。
その後、カーラは長椅子を引きずって扉を押さえこんだ。
「何よこれ何よこれ! こんな事をするなんて聞いてないわ! 先生達は何しているの!?」
「……これは流石にイベントの枠組み超えてるよね〜」
他の出入り口を閉ざす為、彼女たちが歩いていると懺悔室から物音が聞こえてくる。懺悔室の周囲の床に血痕が点々と付着していた。
それを見たカーラとフクリは顔を合わせ、懺悔室の扉をそっと開く。
中ではギーニャが隅に縮こまって震えていた。彼女は血が滴る腕を押さえて嗚咽している。
「ギーニャ、そんな所に居たんだ〜」
「ぅ……っく……嫌……も、もう嫌! もう嫌!!」
「貴方! 私たちを押し退けて真っ先に逃げておいて……!」
カーラは怒りで顔を真っ赤にし、フクリはギーニャを鬱陶しそうに見てすぐに興味を無くす。
「窓は高さがあるから入って来れない筈〜。他の出入り口閉じてくるね〜」
「ち、ちょっと待ちなさいよ!! 今ギーニャとふたりっきりは嫌よ!」
カーラはフクリに慌ててついて行こうとするものの、ギーニャによって腕を掴まれる。
「お、お願い……行かないで」
「離してよ! 貴方はそこでメソメソ泣いてなさい!」
そしてカーラはギーニャの手を振り払いフクリの後を追いかけた。
縋って床に倒れ込んだギーニャを置き去りにして。
カーラがフクリに追いついた時、目の前の扉からレナードが激しく息を切らしてやって来た。
レナードは死人のように青ざめながら扉を背に座り込む。
レナードを見てカーラはいい案を思い付いたとばかりに詰め寄った。
「そういえばあの冒険者は!? 魔法を使うタイプでは無さそうだったし力になりそうよね! どうしたの?!」
「…………ころっ、殺されたっ」
「だろうね〜」
レナードは手で顔を覆い、近くの彼女たちへ声を震わせて息を整えながら、平常心を装いながらゆっくりと伝える。
「スケルトンの居ない所を探して……端まで行って……何も無かった。この地の端は暗闇だけだった。どこに繋がっているのかも分からない暗闇だった。他の場所も探したんだ。狭かったからすぐに周囲を見回れたよ。あるのは枯れた木とこの教会だけだ。建物なんて他には何も無かったんだ。外に出口なんて何処にも無かった。どこに居ても、息をするだけで魔力が減って、常にスケルトンが襲ってくる……残る望みはここだけだ……」
「……この教会の中で出口を探すしかないね〜」
役立つか分からないでしょうがギーニャにも探させましょう、とカーラはレナードたちに告げて3人揃って聖堂へと戻る。戻った先の懺悔室の扉は開け放たれ、中には誰も居なかった。
「ギーニャは……居ないじゃない」
「血痕からして2階に行ったのかな〜」
見れば2階へ続く階段と手すりに血が付着していた。
「先に探しに行ったのね! グズの癖にやるじゃない! 3人で手分けして教会内に出口を探しましょう。全員運良く教会に集まれたのだからすぐに見つかるでしょ!」
その時、可愛らしい笑い声が聖堂に響き渡る。
その笑い声は酷く蔑んだような声色だった。
「っくふふふ……もぅ、あんまり笑わせないでよ」
おかしくて堪らないと笑い声を抑えようとする人物。
レナードたち3人は周囲を見渡して声の主を探す。
楽しげな声が上から響く。
「"運良く集まれた"って? 馬鹿ね。誘導されていたのに気がつかないなんて」
聖堂の2階の手すり部分、そこには黒いドレスの少女が腰掛けていた。彼女は足をぶらつかせ、頬杖をついている。
彼女にはひとつだけ目立つ点があり、右耳に血が滲んだガーゼを貼っていた。反対に左耳は何も貼っておらず、この場の誰より長く尖った耳をしていた。
「あんたはっ、ゴブリン女! ……あぁそう、そういう事ね。ネクロマンサーならスケルトンを使役出来るわよね! これは全部あんたの仕業なんでしょう!?」
「仕返しにしてはやり過ぎじゃない〜? でも今なら許してあげるから、出口はどこ〜?」
フクリの言葉にまたも面白いものを聞いたとばかりに彼女はクスクスと笑い出す。
「出口? ここに出口なんて無いわよ?」
その直後だ。嬉しそうな声が黒いドレスの彼女へと向けられた。
「リリス! これで良いのよね? わたしは助けてくれるのよね?」
ギーニャが入り口のかんぬきを、長椅子を外し、教会の扉を開けていたのだ。そしてギーニャは2階に腰掛ける彼女に明るい顔を向ける。
レナードは顔を青ざめ、フクリは目を見開き、カーラは悲鳴をあげる。
「ギーニャ! 貴方何をしているの!?」
「だって……どこにも無いのよ。あんた達より先に外に出ようと2階を急いで探したわ、けど出口は見つからなかった。……探索魔法も使った! 居るだけで魔力が削られていく中で! 魔力全部使い果たすギリギリまで! 死にかけてまでよ?! この教会の外まで範囲を広げて魔力の穴を探した! けどっ……!」
「探しても無駄よ。そんなの無いもの」
リリスが冷たく言い放つ。
開け放たれた扉から外のスケルトン達がぞろぞろと大勢入り込んでくる。武器を手にして。
スケルトンはレナード達を取り囲んでいく。ギーニャも例外では無かった。
「え? え? 私は助けてくれるのよね? リリス?」
「私を的にして魔法をぶつけて楽しかった?」
リリスはにっこりと口角をあげる。しかし彼女の目は笑っていない。
「毎日侮辱して物を盗んで壊してゴブリンゴブリン、レッテル貼りに勤しんで……水をか、けてっ……さぞ楽しかったんでしょうね!?」
「君たち……まさか」
「そういえば何でレナード先輩がいるのかしら? 他にオークラットとトレヴァーを招待した筈なのに」
「僕はオークラットと造花を交換したんだ」
「そう、じゃあ報告の死んだ男はトレヴァーね。オークラットはまた考えないと」
リリスは首を傾けて悩む。
ギーニャは取り囲まれ言語にならない叫びを上げていた。
カーラとフクリはどんどん外から増えるスケルトンを見て慌てだす。
「少しからかっただけでしょ! ここまでされる覚えは無いわ!」
「こんな事してバレないとでも思ってるの〜?」
「それだけの事をしたって自覚はないのかしら? それにこの計画は完璧……あぁそうだったわ。レナード先輩には悪いけど、目撃者も全員殺すわ」
魔法も使えない、相手は武器を持っている。その上に怪我で怯みもしない、魔力尽きるまで動くスケルトンが敵。数もあちらが圧倒的に上。そして今は囲まれている。出口は見当たらない。
「う、嘘つき嘘つき嘘つき! 助けてくれるって……!」
「これはもう〜……」
阿鼻叫喚の最中、この場の全員が諦めた目をしていた。
そんな時だった。
「っんの! クソ骨ええええぇぇぇぇ!!」
怒りに満ちた叫び声がレナード達の耳に届く。直後に教会のステンドグラスが割れ、数体のスケルトンがとんでもない勢いで飛び込んできた。
いや、飛び込んできたのはスケルトンだけではなかった。スケルトン達を足蹴にしていた人物がいたのだ。
細かく砕けたガラスが光に反射し、辺りを煌めかせる。墜落先のパイプオルガンが驚きの声を上げたかのように大きく鳴り響き、飛んできた残骸がこの場のスケルトンを何体も薙ぎ倒す。
そんな混乱渦巻く中でたったひとり、力強く立ち上がる者がいた。
彼はこの場の誰よりも強い生命力を感じさせていた。
「それお前の骨じゃねーだろ!? 何勝手に盗ってんだ!!」
窓から共に飛び込んで来たスケルトンへ彼は指を刺し、饅頭を片手に謎の説教をし始めた。
乱入者はレナード達にとって非常に見覚えのある青年だった。なんせつい先ほど、忘れもしない顔合わせをしていたのだから。
見間違いようがないのだ。
トレヴァーの振りをしていた人物だ。
レナードの目の前で殺された冒険者だ。
レナードは呆然と呟いた。
「ぁ……え……し、死んだ筈じゃ……」
「死んだよ!! 見ろよこれ!!」
冒険者はレナードの言葉にくるりと顔を向け、血でどす黒いズタズタの服を勢い良く引いて見せつけた。見せつける時に引いた勢いが強かった為、更に大きく裂ける服。そこから覗く肌には傷ひとつ見当たらない。
レナードは何度も目を瞬かせて彼を見た。
冒険者の彼は全くもって何処にも怪我をしていなかったのだ。
彼は更に裂けた服を見て一度動きを止めた後、ヤケクソに饅頭を食べ始める。
これも斧持ち骨野郎のせいだ、と大きく裂けた服を見て冒険者は怒っていた。
その顔は死人とは思えぬ程、血色が良かった。
レナードは彼の目を真っ直ぐに見た。
自分達とはまるで違っていた。
彼の心は一切折れていなかった。
「は……はは……」
レナードは気の抜けた顔で笑った。フクリやカーラ、ギーニャは目を白黒させて状況を全く理解出来ていない。
スケルトンに何やら見当違いな怒りを敵にぶつける冒険者。未だに何も状況は解決していないのだ。
しかし、不思議とレナードの心の中で確信が持てた事があった。
彼が居ればきっと助かる、と。




