正体を知る旅
騎士団の詰め所を後にした俺たちはスワンから貰った地図を手に冒険者ギルドに向かうことにした。
因みに、宿屋に行く前に冒険者ギルドに寄ることについては……アールの意見は聞いていなかった。違うんだ、俺が意見を無視しているではない。単にアールの反応が薄いのである。今のアールは俺の言葉を聞いていない気がする。
「お、冒険者ギルドの看板見つけたぞ、アール。ここ寄った後に宿屋までは連れて行くから、少しだけ待っていてくれ」
「…………」
アールの反応が無い。俺は少しかがんで脇に抱えているアールの口元に耳を近づけてみた。
「……ゥマ……ム……ゥマィ……」
饅頭の咀嚼音とともに味の感想を呟いているのが微かに聞こえた。饅頭が美味いのは俺も分かる。しかしアールはさっきからずっとこの調子なのだ。
取り調べの前、アールの体調を心配したスワンが診療所に連絡しようとしたが、大丈夫だとアールは頑なに断っていた。その時は反応出来ていたが、今や会話が成り立ちそうに無い。
今のアールの顔色はまるで死人のように見えるほど悪く、その……若干白目をむいているのだが……本当に大丈夫な状態なのだろうか?
そうこう考えているうちに冒険者ギルドに到着した。
冒険者ギルドは港町ブルーローズの中でも標高が高い場所に位置している。この港町は切り立った崖を削っていく形で建物が立ち並んでいて、ギルドから海辺の方へと視線を移すと、白い漆喰の建物と青いペンキで塗られた屋根の家が窮屈に立ち並んでいるのが見えた。家々が立ち並ぶさらに向こうの遠くに見える海は赤い夕陽に照らされ、幻想的な風景を彩っている。
温かな潮風が頬を撫でるのを感じながら、目に映る美しい風景を脳裏に焼き付け、俺は冒険者ギルドへと足を踏み入れたのだった。
俺とアールがギルドの中に入った途端、一斉に向けられる鋭い視線の数々。
外まで聞こえていた喧噪は一瞬で静寂に包まれた。あまりにも急激な変化に思わず戸惑ってしまう。
何か変な所でもあったのだろうか。
と、俺は俺自身を確認してみた。
だぼついた白いパーカー。
大きめの藍色ジーンズ。
足元はフリーサイズのビーチサンダル。
これらは騎士団の詰め所近くの店で買ってきてもらった服だ。サイズはよく分からなかったので適当に大きめのものを頼んだ。
周囲を伺うと鎧を身に着けた人が多い。……先ほどの指すような視線は和らいだもののあちこちで警戒されているように感じる。場違いな格好をしているかと思ったがラフな服装の人もちゃんといた。その人たちは周囲の反応に不思議そうに頭をひねっていたが、周りにつられるように俺たちに視線を向けた後、慌てて目を逸らすのだった。
まるで見てはいけない物を見てしまったかのようだ。
俺は居心地の悪さを感じながら壁際の休憩所の空いている椅子に向かった。
「ここで待っていてくれ、すぐに済ませるから」
そう言ってアールを椅子に座らせる。すると近くで座っていた人々は急いで席を立って何処かへ去っていった。
これはどう考えても避けられている。
少しばかり物悲しくなりながら俺は一番空いている受付に向かった。
俺が向かった先、そこには無精ひげを生やしたおっさんが手に持つタブレットデバイス越しにこちらをねめつけていた。どうやら俺の方ではなくアールに視線を向けているようだ。そして俺が口を開く前に声をかけてきたのだった。
「……お前さんの連れ、ありゃ不味いだろう。診療所はここじゃなくて裏だからな?」
「あ、いや。あいつは大丈夫だって聞かなくて、診療所は拒否しているんだ」
「……まぁそう言うか。本人が良いならいい。で、あんたの用件は?」
おっさんはアールから視線を外し俺に向き直った。俺の正体などすぐには分からないだろうとは思いつつも、少し緊張しながら俺はギルドに来た目的を告げた。
「俺が冒険者登録を既にしているかどうか調べてくれないか?」
「そんくらい思い出せよ」
「いや、実は記憶喪失なんだよ。今朝目覚めてから以前のこと全て覚えてなくて困っている。俺が行方不明者のリストに引っかかるかも見てくれないか?」
「厄介ごとか……つうか、アイテムボックスに冒険者タグ入れてんじゃねぇのか? まずはそこ探してみろ」
「アイテムボックス……どうやってアイテムボックスから出すんだ?」
おっさんは大きなため息をついた後、手から出したいものを強く念じるのだと俺に教えてくれた。
早速冒険者タグをアイテムボックスから出そうと俺は自分の手を見つめて念じてみた。
「強く念じる……冒険者タグ……タグ……」
より強く念じられるようにアイテムボックスから出す対象を口に出し、勢いよく空間を掴む──手に柔らかな感触を感じた。成功した! アイテムボックスから無事にものを出すことができたのだ。初めてアイテムボックスから所持品を出す不思議な感触に感動した。まさかこんなすぐに出来る事だとは思わなかったのだ。そして手に持った冒険者タグを見て——冒険者タグ?
饅頭だった。
俺は饅頭を持っていた。どこからどう見てもアールがアイテムボックスから出した饅頭と同じ饅頭だった。さっき俺がアイテムボックスから出したのは饅頭だったらしい。
うっかり間違えて出したようだ。やはりアイテムボックスは慣れていないと失敗するものなのだろう。とりあえず出した饅頭は戻そう。
「出したものはどうやって戻すんだ?」
「遊んでないでさっさとしろ。さっきの逆で収納する物を強く念じればいい」
饅頭を収容するように念じれば、手から饅頭が消えていた。おぉ、成功した!
あとは冒険者タグを出すだけだ。俺は再度タグを出すように手をかざす。
——饅頭を掴んでいた。
……掴んだ饅頭はもう一度収納しなおし、あのヤバい肉饅頭以外が出るように念じた。
すると先ほど出した饅頭より小ぶりの饅頭を手に掴んでいた。
とりあえず一口食べてみた。
中身は甘くて黒い餡子だ。
脳みそが溶けそうなほど美味い。
「おい何喰ってやがる。ふざけてんなら外に放り出すぞ」
「おっさん……大変だ。冒険者タグが出ないどころか……俺のアイテムボックスが饅頭しか詰まってねえ」
「……は? どんな頭してたらアイテムボックスに饅頭しか入れねぇんだ!」
おっさんは俺に叫んだ後、さっきより更に大きなため息をついた。そしておっさんが少し待っているように告げて席を外した。しばらくして戻ってきたと思えば手のひらを出すように言ってきた。
俺はカウンターの上に大人しく手のひらを出す。おっさんは手に持った小さな板を俺の手の指目掛けて勢いよく叩きつけた。何の声掛けも予兆もなく、だ。
あまりにも唐突だったので驚きのあまり俺は心臓が跳ね上がった。
「うお!? ……び、びっくりした……」
さっき叩きつけられた場所、俺の指を見るとほんの少量の血が出ていた。そして小さな透明の板に血を吸わせた後、その板をよく分からない装置に差し込んでいた。
「さっき取った血液で冒険者登録リストの照合をする。ここで少し待て。あぁ、それとこっち向け」
冒険者登録とは血液で登録を行っているようだ。こっちを向けと言われ、装置からおっさんの方に目を向ける。さっきまで持っていたタブレットデバイスを向けられていた。俺が困惑している間に用は終わったようで、もういいと言ってすぐにデバイスを机に置いた。さっきのは俺の顔を映していたようだ。行方不明者リストはデバイスで撮った写真から見つけるらしい。
そしてしばしの待ち時間。
受付のおっさんは未だアールのことを気にしているのだろう。目線がアールの方に何度も向いているのが分かった。
俺もアールが心配になり後ろを振り向いてみた。アールは机に突っ伏したまま饅頭を口にしていた。ぎりぎり椅子から落ちてはいないのだが、かなり心配になる座り方だった。どうやらアールはまだ調子が悪いままのようである。気になった俺は待ち時間を利用しておっさんに相談してみた。
「なぁ。アールの、あいつのことだが……どう見ても調子悪いだろうに大丈夫としか返事しなくてさ、どうしたらいいと思う?」
「……聞き方は良くないな。持論だが、ダンジョンで負傷した仲間には"立てるか"とか"出口まで歩けるか"って聞くもんだぜ」
大丈夫というのは人によって、その時の場合によって異なってくるらしい。ちょっとした傷だから回復魔法を掛けるほどもないので大丈夫、全く動くことができないが死に至るほどではないから大丈夫、もうじき死ぬが痛みはそれほどではないので介錯は大丈夫、など様々だろうとおっさんは言った。
厄介なのは特に見た目では分からない時、単なる負傷だけではなく毒や精神に作用する魔法を掛けられている可能性だってあるのだという。思考が鈍っている場合でも"はい"か"いいえ"で答えられる具体的な質問を投げることが良いと助言を受けた。
おっさん天才かよ。次から俺はアールに具体的に質問してみることにした。
「お、結果出たな。うん…………?」
「どうだったんだ?」
おっさんはデバイスを前にして片眉を器用に上げた。結果はどうだったのだろうか……俺は固唾を呑んで出される言葉を待った。おっさんはデバイス画面に向けた目を右へ左へと動かし、指で操作を行っている。
「……エラーかもしれん。行方不明者リスト方の一致はゼロだが、冒険者登録の方はもう一度調べるぞ」
「まじかよ」
とうとう故障したか、と言ったおっさんは鬱陶しそうに血液を入れた装置をひっくり返して舐めるように見ていた。
ひょっとしたら俺は冒険者ではないのかもしれない。そうなると俺は誰なのか、記憶を思い出せるまで手がかりを自分の足で地道に調べなければならない。俺は心を決めた。もう一度調べて何も分からなければ、どこかにいるであろう俺の家族や知り合いを探すのだ。他にもよく買い物に行っていた店を見つけられればそこの店員さんが俺の顔を覚えているかもしれない。そして俺は記憶を取り戻すために旅を——
「うっっわ!! ヴェンジ!?」
冒険者ギルド中に響き渡る力強い声だった。俺は声の発生源に目を向けた。二階へと繋がる階段から降りるふたりの男性がいた。片方は身長の高く、冒険者ギルド職員の制服と同じタイプで付けられた装飾が多く、地位の高い人なのだろうと思われる。お偉いさんらしき人は真横で大声を出した人物に視線を向けて眉をひそめていた。
大声を出した本人である彼は腰や腕にポーチや小ぶりのナイフなどを装備した身軽そうな冒険者であった。ぱかりと大きな口を開けていた彼だったが、すぐに口を結ぶと足の筋肉だけで残る階段の段差をふわりと一足飛びに降り、真っすぐ向かってきた。
何故か俺に向かって。
「ははっ! レイは見つかったのか? 一瞬誰か分かんなかったぜ。そういや、お前のスキル"復讐の炎"発動してない時こんなんだったな! そりゃあ今まで常時発動してたらまぁ分かんねえわ! 今のお前はなんか顔つきも穏やかだしよ! お前そこそこ顔は良いんだし黙ってたらそっちのほうがモテるぞ!」
「な!? うわちょ、やめっ」
そして俺の頭をもみくちゃにかき混ぜ、何やらまくし立ててきた。しかし、すぐに手を放し、共に階段を下りてきた男に向き直った。
「悪りぃギルマス、急ぎだったよな。すぐに依頼行ってくるわ。ヴェンジ、今度元パーティーの皆で飲みに行こうぜ、身内だけで魔王討伐の祝いはまだだったからな。これから俺は急ぎの依頼あるからこれで。じゃまたな!」
「え、あ、おう……?」
嵐が去っていった。俺の髪を無茶苦茶に荒らしながらよく分からないことを矢継ぎ早に言った男。
俺をヴェンジと呼んだ? レイって誰だ? スキル? 復讐の炎? 何がともあれ今俺が知りたいのは……
「今の誰だ……?」
「……あいつは勇者パーティーのひとり、バンダー・ディッド。Sランク冒険者だ。あとさっきのはエラーじゃなかったようだ。お前は冒険者登録している」
おっさんはそう言ってタブレットデバイスの画面を俺に見せた。そこにはヴェンジという名前と登録情報の文字列が並んでいた。その横には顔が映し出されている。眉間に深い皺を刻み、憤怒の形相が顔に染みついた青年だった。短い髪は少し逆立っていて赤いオーラのようなものが画面に映っている。
「お前はヴェンジ。Aランク冒険者で勇者パーティーのひとりだ」
そうして俺の正体を知る旅は決意した直後に終わったのだった。