影武者
とある学園構内、豪奢な部屋で明かりひとつ点けずにひとりの少女が佇んでいた。その真っ暗な部屋の中、彼女はくすくすと楽しげな声をあげている。
「ふ、ふふふ。今日という日をどれほど待ち望んだ事でしょう」
彼女は胸に手を当てる。頬を赤らめるその姿はまるで恋する乙女の様であった。
「私ね、今とっても胸が高鳴っているの。まるで小ネズミみたいね」
うっとりした表情で周囲を見渡す彼女。しかし部屋の中は彼女以外に生き物は誰も居ない。
「大丈夫よ。私たちならきっと計画通りに出来るわ。そうよね、みんな」
彼女が周囲に声をかけたその時、空気が冷え、シャンデリアや額縁、調度品が細かく震える。
カーテンは風もなくはためき、部屋中の影が蠢き彼女を取り囲む。
何処からも声など聞こえていないにも関わらず、それらの様子を見回した彼女は頷いて返答する。
「ありがとう。とっても頼もしいわ」
そして彼女は手元のメモ用紙へ目を向け、指でなぞる。その紙は水に濡れたのか不恰好に紙が波打ち、文字が滲んでいた。
しかし彼女は世界にひとつの宝物だと言わんばかりの慈しむ様な手つきでそれを撫でる。
「私は……リリスは、貴方様を心よりお慕い申しております」
彼女は目を閉じ、小さく呟いた。
「どうか私を見守っていて下さいませ、———様」
彼女はその手に持つメモ用紙に唇を落としたのだった。
今から俺は指示通り動くだけの人形だ。
そもそも1時間で何が出来るのだろうか。
あの不発だらけの罠も講習は1時間程度だった。ただ聞いただけでは習得したとは言えない事を俺は知っているのだ。
あの後、俺は小型の映像記録装置やイヤホン、そしてメガネを受け取った。
これらは何に使うのかというと。イヤホンで依頼人の言葉をそのまま口に出し、メガネに映る振る舞いをそのまま真似る。映像記録装置は映る出来事をこの装置に全て記録するものだそうだ。
記録装置は記録時間が長いらしいので、借りてすぐに記録開始しておいた。
そのように爺やの説明を聞きながら、俺は変装魔法とやらで依頼人の姿に成り代わる。声まで変わっていて変な感覚だった。
因みにさっき知ったのだが、依頼人はトレヴァー・カニングという名だそうだ。
そして出発の直前、部屋に来た依頼人トレヴァーは俺の姿を見てひと言。
「……気持ち悪りぃ」
自分の姿を見て気持ち悪いって何なのだろうか。彼は不機嫌な様子のまま、俺が服につけた記録装置を指差す。
「この記録装置のデータはリアルタイムでも僕へデータが送られるが、死んでも離すな。映る出来事を全て記録しろ」
「分かったよ」
俺の返答を聞いてまた気持ち悪いものを見たと言わんばかりにトレヴァーは顔を歪める。
ほんとなんだよその反応。
依頼を途中で投げ出せばどうなるか分かるよな、とトレヴァーは俺に指を突きつけてきた。どうなるかは全く分からないが、依頼を投げ出す予定は俺にはない。
俺が頷くのを見た彼は、フンと鼻を鳴らして部屋を去っていったのだった。
依頼人の屋敷から学園までは少し遠く、転移陣での移動を2回繰り返して学園まで行くらしい。学園まで直接転移すれば1度で行けて楽なのではないかと思うが、転移距離が長いほど身体への負担が大きくなるようだ。その為、今現在で設置されている転移陣は距離と行き先が決められているらしい。
俺はイヤホンから聞こえる依頼人の声に従い、転移陣にて転移をする。無事に2回転移が完了した後、俺は人の流れにのって建物の外に出た。
そこには視界いっぱいに古めかしい煉瓦造りの建物が目に飛び込む。広大な敷地には建物の他にも綺麗に管理された木々が広がり、中央の大きな噴水は彼方此方で水が飛び回っていた。なにやら荘厳な雰囲気に思わず背筋が伸びる。
そしてイヤホンの指示通り門をくぐり、大きな入口へと進む。その入口の側に立つ人物はどうやら受付らしい。
その人物へと近づけば顔色が悪いようで、少し青白く見える。寝不足なのだろうか。
俺の疑問をよそに、受付の男は俺に声をかける。前を歩いていた学生にかけたのと同じ言葉だ。
「学生証の提示をお願いします」
「『ほらよ』」
「出席を確認致しました。こちらを胸に刺して入場下さい。お帰りの際に回収致します」
俺は黒い造花を手渡され、それを胸に刺す。
そのまま俺は前夜祭が開催されるホールへと足を運んだ。
ホール内部にて何人目かの声がかけられた。
「トレヴァー! ……お前、変装はマナー違反だろ」
「『怪我して隠してんだよ、悪いか?』」
「何やってんだ」
入場してからこれまで、トレヴァーこと俺に話しかける学生が数人ほどいた。その数人は難なく対応出来たものの、今初めて変装を見破られてしまった。
しかし依頼人は全く動じてはいなかった。
そのまま一言二言彼と言葉を交わした後、すぐに彼は何処かへ行ってしまった。
一息つけると思ったものの束の間、また別の学生に声をかけられたのだった。
声を掛けてきたのは堂々とした振る舞いの存在感を放つ男性だった。
「よう、久々だな。お前も今日は流石に来るか」
「『それはお前もだろ。明日の学園祭の参加か今日の出席のどちらか必須だなんて、かかる労力が比較にな——』」
会話の途中で非常に微かなノイズ音と共に依頼人の声が途絶え、釣られて俺も言葉を止める。
その様子を目の前の彼は不可解に思ったのか、俺に聞き返してくる。
「おい、どうした」
これはまずい。
何があったのかは分からないが、通信が途絶えているようだ。
俺が何を言うのか考えないといけない。
少し変な振る舞いくらいなら後でトレヴァーがカバー出来るだろうか。もし失敗すれば学園とは無関係の俺がここに居るとバレて、確実に通報されるだろう。そうなることはなんとしても避けたい。
トレヴァーの良いそうな言葉は————
「何でもねぇよ。お、僕は用事を思い出したからまた後で」
……こんな返事だろうか。バレる前にさっさと人気のないところへ行こう。
そして俺が別の場所へと足を向けた時だ。
がしりと肩を強く掴まれて俺は足を止めざるをえなかった。
俺を引き留めたのはもちろん目の前の彼だった。
「まだ何か……?」
俺の返答に彼は目を細めて俺を睨め付ける。
きっと先程の返事に変なところはない、と信じたい。
友人ではあるだろうが、初めのやり取りからして距離は近くないと思ったが、少し違ったか?
「胸の造花の色」
「え?」
「お前のスキルはどう反応している?」
俺と目の前の彼も、胸に刺すのは黒い花だ。
周りを見渡してみても様々な色の花を胸に刺しているので、目立つ事は無いと思うが。何か気になるのだろうか。
それよりもスキルの反応って何だ?
俺は依頼人トレヴァーのスキルなんて全く聞かされてなどいない。
まずい……変な事を言えばまず間違いなくバレるだろうから……何も無い事にしておくか。
「……特に何も」
目の前の彼は俺の返答に眉ひとつ動かさない。ただじっと俺を見ている。
再度彼が口を開くと、さっきとは別の話が飛び出してくる。
「お前。全身に魔力の層が見えているが、変装か」
「これは……怪我をして隠しているんだ。マナー違反で悪いな」
姿を偽っている事を不思議に思っているのだろう。しかしさっきもこの返答で納得している学生がいたから問題ない。
彼もそれで納得出来たのか、俺の肩から手を離した。
「そうか」
そのまま彼は俺の肩を叩き、そのまま真っ直ぐ立ち去ろうとした。
しかし俺の横を通り過ぎる時だ。
彼は耳元で俺に囁いた。
「"お前"のスキルは危険察知だぜ? 頑張れよ、影武者殿?」
振り向く俺に、彼は意地の悪い笑みを見せた。
危険察知が何なのかとか、目の前の男は結局誰なのかだとか、気になる事だらけだが今はそれどころじゃない。
な ん で バ レ た。
そして俺の様子を見てクツクツと楽しげな笑い声をあげる。そして彼は近くを歩いていた青年に花を無理矢理交換させて会場の出口から出て行ったのであった。
12/10は小話です。




