イースとイノ
「——で、本に吊るされた人の下ろし方が書いてあると思ったんだ」
「それをはよ言うてもろて……」
「ほんと悪い、今から下ろすよ」
俺の設置した罠にかかった目の前の彼は俺に暴行されると思ったようで、先ほどまで必死に助けを乞うていた。
勿論、俺は彼にそんなことをつもりなど全く無い。
しかしその気は無いと言っても中々伝わらず、怯えた彼を何度も宥めすかしてようやく落ち着かせる事ができたのであった。
どうやら彼はさっきのやり取りが恥ずかしかったのか、少し不貞腐れた様な恥じらいを誤魔化す様な口ぶりで文句をこぼす。
「はぁ。……大体何やこの失敗したソーセージ」
僕のナイフでも切れへんって相当やで、と彼は地面に落ちたナイフへと手を伸ばした。ぶらぶらと全身を揺らして取ろうとしていたが全く届いていない。
俺はみるに見かねて代わりにと地面のナイフへ手を伸ばす。
ふと、そのナイフに刻まれた文字に俺は既視感を覚えた。しかしそれが何なのか頭に引っかかるもののすぐには思い出せなかった。
どうもすっきりしないまま、俺はそれを頭の隅に追いやりナイフを手渡した。
すまんな、と彼は一言告げて腰にナイフを仕舞い、後は重力に身を任せてゆらりゆらりと揺れている。
俺は彼の顔の方へ向き、一応訂正しておこうとロープを指差した。
「これ実はこれロープなんだよ」
「素直か。それは知っとるよ、見たら分かるわ」
見たら……分かる……だと……
俺が初めて作った歪なロープを?
見れば分かる……と。
知り合い以外の、初対面の人に、
認められた……!
「分かる……のか! 一目で分かってくれたのか!? ありがとう……!!」
「何のお礼よ!? 逆に見ても分からんってあるか?!」
「もし俺なら初見では分からない」
「そ、そうかい……」
それより早く彼を下ろしてやらないと。ずっと逆さ吊りもキツいだろう。
俺は吊るされた彼の足とロープをよく観察してみる。彼のブーツの上からロープが食い込んでいる様だ。これではブーツを脱いで逃げる事も出来なかっただろう。本当に申し訳ない。
彼がロープを切ろうとして切れなかったのなら結び目を解くしかないだろう。
俺は上に吊るすロープから輪の繋ぎ目にある結び目を探してみる。
しかし何処にも全く見当たらない。どうやら結び目が隙間なく付着し滑らかな繋ぎ目となっているようだ。
「結び目が完全にくっついてるな」
「結び目がくっつく? このロープ一体何で出来てん。僕が見た事無い素材やけど」
何で出来ているかってそんなの……何だろう?
俺の手から出したのは確実だ。
なんか腹から力を入れれば出てくる……
…………にゅっとした……
……
「こう、何と言ったら良いか……光る……光るもの?」
「は? これ光るん?? 燃えたり爆発はせんよな?」
燃えたり爆発しないかって、その発想は無かったなぁ。
まぁ今はそんな事になってない様だし大丈夫だろ。
作ってからの状態と今と比較してもその形跡は無いし。
結局ロープが何で出来ているかは分からない所だが。
「燃えたり爆発はしないと思う。多分」
「多分?!?!」
彼は急に酷く狼狽えだした。
きっと彼は心配性なのだろう。
にしても、どうやってこのロープを外したものか。切れない上に解けないロープか……
「少し時間くれ」
「……ほ、ほどけるやんな?」
「安心してくれ、俺が1から初めて創ったロープだ。なんとでも出来るさ」
「待てや初めて作ったってなんやそ「あ、消えた」——ンヒィ!?」
俺がロープをイメージして手から出したのだ。だから逆をやってみた。つまり消える事を触れながらイメージしたら一発で出来た。
意外とすぐに何とかなって良かった。
そしてロープを消した直後。どさり、と鈍い落下音と共に変な悲鳴が聞こえて地面が揺れた。
地面の揺れ具合からして、彼は小柄な見た目に反して体重がかなり重いのだろうか?
「おい、平気…………あ」
落下した彼を見て俺が声を上げた瞬間だ。
彼はそれに反応して非常に素早く顔のゴーグルを腕で隠した。
「見たか」
凍るような一言だった。
さっきとは全く異なる声色に俺は驚き、戸惑う。
「あ、いやその……悪い。耳見た」
「……………………耳?」
大きなゴーグルの位置を手で何度も確認する彼。そんな彼は俺の言葉に呆けた声で返した。
「ここ、完全に丸い人を初めて見た」
俺は耳の上部を指刺す。
とても些細な違いだ。ハイドの件が頭をよぎらなければ気づかなかっただろう。
にしても負傷して削れた様には見えないな。
生まれつきか?
「………………今時やろ? ここ、ごひゃく……最近は増えてるで、耳が尖って無い奴」
「そうなのか。周囲にそういう奴は居なかったし、知らなかったな」
俺もアールも、ロンジやスワンだって丸くは無い。一番丸い耳に近いのはノエルだろうか、それでも目の前の人物ほどでは無いが。
にしても彼の調子が良くなったようで安心した。目元を見られたくなかったのだろうか。今でもその大きなゴーグルにズレがないか確認している。
「まだまだレアやからな。僕は個性の範囲やと思うけど、魔族みたいやて石投げる輩も居るから外で言及は気いつけや」
逆の場合もあるけどな、と言って彼はようやく立ち上がった。
にしても魔族も彼みたいに丸い耳なのか。俺が彼女達と遭遇した時は気付かなかったな。
彼は落ちていた角灯を拾い上げ、とても丁寧な手つきで土埃を払う。きっと彼にとって大切なものなのだろう。
「無事か、イノ」
彼は優しい声色で角灯へと語りかける。
ガラスで四角く囲まれた角灯の中には赤い精霊石がひとつ入っていた。その精霊石は今にも消えてしまいそうな鈍い光を放っている。
精霊石が光っているなら中に精霊が入っているのだろう。
そっくりの赤い精霊石を俺も持っているが、精霊が入っていないので光ってはいないのだ。
「イノって、その精霊の事か?」
「せやで。名乗っとらんかったな。僕はイースって呼んでくれ。こっちがイノ」
「俺はレスト。今回はほんと悪かった。イノさんもごめんな」
俺の言葉に対して、イースは振り気にしなくて良いと手を横に振る。精霊のイノは何の返答も反応もなく、ただ鈍くぼんやり光るのみであった。
今まで見た街灯の中の精霊は元気いっぱいだったが、随分と大人しい。そのせいか発する光もかなり弱く見える。
イースはその背丈よりも長い金属の棒を地面から拾い上げ、先端の丸く曲がった部分に角灯を引っ提げる。
棒に吊るせば見た目が本当に街の街灯そっくりだ。
「僕やったからええけど、罠作る時は人がかからん様にな」
「おう、罠はもう二度と作らない」
「僕そこまでは言っとらんで」
まぁ不得手ならやらんて決めるのも大事やけどね、と呆れた顔をしながらもイースは最後に俺を肯定した。
「また縁が有りゃその時はよろしく」
そう言って彼は森の外へと去っていくのを俺は見送った。
「にしても罠は全滅か。ここも鱗を回収して帰るか……うん?」
ぱっと見ただけだが、地面に突き刺した筈の鱗がどうも見当たらない。イースが落下した時に下敷きになったのだろうか。地面を手探りで探す。
「どこにも……無い……?」
何度も地面を撫でても叩いても、あの大きな鱗は見つからなかった。軽く地面を掘っても埋まっている様子は無い。
「まさか……」
昨晩は風が強くは無かった。その為、どこかへ鱗が飛んでいった事はないだろう。となると、誰かが鱗を持ち去った可能性が高い。
まず間違いなく怪しい人物に心当たりがある。考えられるのはひとりだけだった。
「イースに……とられた!?」
単に通りすがりで罠にかかったのでは無いのだろう。目的も無しに旨味の無いこの森へとわざわざ来るはずが無い。
そうか、鱗が欲しくてココに近づいたから俺の罠にかかったのか。
この森にシルヴィアヴラムが降り立った事は既に街中で噂されていた。そこから知ったのだろう。
「……まぁドラゴンファンならいいか」
ドラゴン好きじゃないのに盗ってたら許さん。
しかし獲物がゼロか。何か動物がかかっていたら宿屋のティーラに捌いてもらおうと……あ。
「そうだ、"神武の名刀"だ」
思い出した。イースのナイフに刻まれた文字を。ティーラの包丁と全く同じ文字が刻まれていたのだった。
包丁以外もあったのか。俺の大剣を真っ二つにしたあの激切れ刃物。折角なら何処で入手したのか聞けば良かった。包丁であの切れ味だ。剣なら相当良いものだろうな。
残念な気持ちを抱えながら俺は罠の片付けを行ったのだった。
レストの設置した罠から離れた場所。
「見つかって良かったわ、ほんま」
イースは先ほどまで足早に森を歩いていた。
足跡を消し、後から追跡されない様にして。
彼は白く大きな鱗を日にかざす。
守護竜シルヴィアヴラムの鱗。
彼はシルヴィアヴラムの死亡をすぐに感じ取っていた。そして遺骸の場所のある森へたどり着いたまでは良かった。しかし幾度と臭いを辿れどシルヴィアヴラムの遺骸には辿り着けない。何処をどう進めども見つからなかったのだ。さらにシルヴィアヴラムの臭いも妙に薄くなっていた。
先に来たという勇者ノエルに回収された後だったか、と肩を落としていた時だ。
誰かに導かれるかの如く、開けた場所にたどり着いた。
そこで地面に刺さる鱗を見つけたのだ。
何処からどう見ても罠でしかなかった。
しかし幾度となく周囲を確認しても鱗以外に何も無い。
明らかに怪しいが彼には必要だったのだ。
次の守護竜へ記憶の引き継ぎをする為に。
予想通り罠だった為、一晩宙吊りになる羽目になったのだが。
「鱗一枚ありゃ十分よ」
イースは大きく口を開け、手に持つ鱗を噛み砕く。ガキンゴキンとおおよそ食事とは思えない音が辺りに響く。嚥下後に彼は息をつき、言葉を続ける。
「にしても黒蝶が来んで良かったわ。あんだけ同じ場所に留まっとったのに、今日は運がええな」
なぁイノ、とイースは赤い精霊石へと語りかける。しかしその精霊は沈黙を保ったままであった。
彼はそれを気にする素振りも見せずにまた言葉を発する。
イノに言葉が届いているのかどうか、イースは知らない。それでも彼は言葉を口に出し続ける。いつも世間話ばかりだがイノが退屈にならないように。
「変な罠にかかってもうたけど、今回は結果的に良かったわ。嫌なもん見ずに済んだしな」
ほんまは鱗ひとつでも見たくないけどな、と彼は嫌悪感を露わに吐き捨てる。
「あぁせや、学園祭に出した包丁。代理人がもっと数くれ言うてたっけな」
時間出来たし追加でなんぼか持って行こか、とイースは歩みを進めるのであった。