黒蝶付き
レッドドラゴンが大きく息を吸う。
その喉奥から炎が見え————
「おい待てって! こいつはまだ生きてるぞ!?」
俺が腕の中の小さな命を見せるも目前のレッドドラゴンは全く動じない。
そして何の迷いもなくドラゴンの口から炎が放たれた。俺は頬に熱気を感じつつ、横飛びで回避する。直前まで攻撃は振りでは無いかと疑ったが違った。まるで躊躇なく攻撃を仕掛けてきたのだ。
「嘘だろ!? お前の子じゃないのか!?」
怪我したコイツを俺ごと殺す気だったのは明らかだった。このドラゴンの子ではないにしてもだ。こいつはまだ小さいし怪我もしているのに。
今はとにかくコイツを安全な場所なやらないと。
俺はレッドドラゴンを見据えつつ少しずつ後退する。
次の攻撃が来たら回避。
その直後に崖を駆け降りる。
降りた後はハイドと森の中に隠れる。
よし、完璧な作戦だ。
斑らなレッドドラゴンは避けられた事に苛立ったのだろう。大きく喉を鳴らし、突進してくる。
来た————
俺は再度回避しようと全力で足を踏み締める。
しかし、踏み締めた地面がガラリと大きく崩れた。
「いやちょっ! 待っ!?」
ドラゴンの爪が俺の上を掠めるのを目前で見る。回避は出来た。仰向けで。追加で言うと崖下に落ちている。いや、これは回避では無いな。ただ崖から落下しているだけだった。
「クソッ!」
岩壁に手を伸ばすも掴むところが無い。高さはそこまで無いのでじきに地面に着地するだろう。しかし俺と落下して、腕の中のコイツが衝撃に耐えられるのだろうか?
俺は壁を手で撫でるのは辞め、両腕で怪我したこいつをしっかりと抱きしめる。死んでくれるなよ。
俺の様子に気付いたのだろう。アールが俺に助言する。
『足で着地した瞬間に体を丸めて転がれ!』
『了解、ってか一発勝負か……!』
足が地面に接地した瞬間、足を曲げて体を丸める。そのまま全身で斜めに地面を転がった。その勢いは止まらない。俺はそのまま転がり続けた。全身で砂埃を立たせながら。腕の中の生命が潰れてしまわないように気をつける。そしてしばらく転がり続け、何かが背にぶつかった。
……ようやく止まったようだ。
俺は砂煙立ち込める中、そっと腕の中を開く。
「…………生きてるか?」
ぴぃひょろと小さい鳴き声が聞こえた。良かった。しかし一安心している場合ではない。レッドドラゴンはどうなったのだろうか。
振り返って見れば、ハイドがレッドドラゴンにハンドガンを数発撃っていた。ハイドは俺をチラリと見た後、怒鳴るように叫ぶ。
「さっさと森へ隠れろ!」
「あぁ、分かった!」
ハイドのハンドガンはまるで効果が無さそうだ。俺も鱗剥がしをした際には全然効果が無かったので当然…………いや、ハイドの当たった弾がドラゴンにへばりついているような気が……? 周囲を取り巻く黒い蝶でレッドドラゴンが見にくい。
俺が立ち上がりかけたその時、アールの声が頭に響いた。
『右に転がれ! レスト!』
急いで右へ転がる。直後、真横でガチンと大きな音がした。音の発生源を見れば穴から長細い生き物が這い出てくる。穴付近にはズレた岩が転がっていた。どうやら俺が岩にぶつかってしまった為、下にいたイワワニが起きてきたようだ。
「あ、どうも。おはようゴザイマス」
四足歩行で長細い生き物だ。足は短く、長細い口は非常に頑丈そうだ。起こされて怒っているようだ。俺に向かってガチガチと顎を鳴らしている。
「おい何してる!」
「寝てる奴起こしちまった! すぐなんとかする!」
ハイドが斑らなレッドドラゴンの顔に向けて何かを投げつけた。投げた物から吐き出す霧にレッドドラゴンは嫌がるように身を捩っている。ハイドがレッドドラゴンを引きつけているものの、そこまで悠長には出来ないだろう。
こちらでは怒りを溢れさせたイワワニが飛びかかってくる。俺は跳躍し、更にその上を取る。
「すまん! 二度寝しててくれ!」
イワワニを蹴飛ばし、地面へと叩きつける。地面を跳ねたイワワニは元いた穴へと上手く落ちていった。
「うっし!」
「おいさっさと来い!」
俺はハイドと共に森へと入る。チラリと後ろを見ればあの斑らなレッドドラゴンは悶え苦しみ、明後日の方へ飛んでいった。
「あのドラゴン別の所に行ったな。さっきのは何を投げたんだ?」
「催涙弾だ。次に遭遇したら俺に攻撃の矛先が来るんだぞ。感謝しろ」
「そうなのか、悪い。助かったよ」
「……………………本当に言うか?」
「え」
感謝したのに変な目で見られた。俺とハイドはその後はひたすら無言で歩いた。何故だ。
そしてようやく俺とハイドは森の開けた場所まで戻ってきた。そこには何故かアールがひとり待っている。
「アール、なんでここに?」
「そいつ見に来たんだヨ」
アールは俺の腕の中を目線で示す。この怪我したドラゴンの子の事か。アールは適当な口実をつけてここに来たらしい。何してんだよ。
ハイドは俺とアールを見た後、少し離れた場所を指し示して呟いた。
「…………俺はあのレッドドラゴンの報告をしておく」
「あぁ、頼む」
そうしてハイドは俺たちと距離を取った。アールは何か手に抱えているようだ。
「アール、何持ってるんだ?」
「これカ。ボクは要らないからやるヨ」
アールが持っていた物を押し付けられるようにして俺は受け取った。代わりに怪我した小さなドラゴンの子をアールが受け取る。
アールから押し付けられたものはというと。
「本と赤い石とタオル?」
「『女の子ならこういう精霊石は好きだろう? ドラゴンが集めていた物だったんだ。あぁ、ドラゴンを知るならこの本の特にここの……』とまぁえらく長い話でナ。要らないものを押し付けられるし面倒だっタ」
「お、おう。そうか」
アールはその時を思い出してか、不機嫌な顔だ。……そのドラゴン話を聞いてる時もこんな顔してたんじゃないだろうな。
アールから渡されたのは『全て丸わかり! ドラゴン大全』というタイトルの分厚い本、なんの変哲もない赤く透明感のある拳大の石、色んな足跡の模様が並んだタオルだ。これらを『竜の足跡』のリーダーから貰ったのか。
……これ逆にアールが勧誘を受けてないか?
当のアールはというと、ぴいひょろ鳴く腕中の生物をじっくりと眺めている。怪我の様子を確認しているようだ。
「ドラゴンの巣を見つたんだ。そこにこいつが居てさ。後、冒険者の遺体もあった」
「ふぅん。ならボクのやる事は終わりだナ」
「えぇ……流石に早くないか?」
「ボクは全滅した場合の情報の報告要員ダ。戦力の期待はされていないから、この場所で待っていても問題なイ」
ドラゴンは発見されたんだからもういいんだよ、とアールは地面に胡座をかき、その上にドラゴンの子を乗せる。俺は渡された本などをポーチにしまった。その代わりに救急箱を取り出してアールへ渡す。救急箱を受け取ったアールはその中を漁り始めた。饅頭を食べながら。
……いいなぁ、俺も饅頭食べたい。今が依頼途中なのが悔しい。さっさと依頼を終わらせよう。このドラゴンの子も早く治療出来る所へに連れて行きたいのだ。
「……なぁアール、そのドラゴンの子さ……どうやったら飼えるんだ?」
「むぐ、こいつはドラゴンじゃないゾ」
「うん? ……ドラゴンじゃない?」
「ブラックカイト。まぁ鳥だナ」
「鳥」
鳥って空を飛ぶ羽を持った動物だよな、こいつみたいに。あ、こいつ鳥なのか。じゃあドラゴンみたいに大きくならないのか。鱗出来たりとか。
「……じゃあ飼っても問題ない?」
「問題なイ」
そうか、問題ないのか。ドラゴンだったら駄目だったけど、鳥なら大丈夫なのか。
俺は膝を地面につき、怪我したドラゴンもとい鳥を撫でる。
「よ……良かった……お前、俺の所に来ないか?」
弱々しく鳴きつつも俺の指を軽く噛む仕草をしてくる。これは了承で良いのだろうか。……良いことにしておこう。可愛いなちくしょう。
そんな風に小さな生命を愛でている時だ。突然デバイスが震える。連絡が来たようだ。アールは自身のデバイスを操作して内容を確認している。
「レッドドラゴンに付けた発信器が確認されタ。指定ポイントに集合だってヨ」
「了解。ハイド呼ぶか」
俺はハイドが居るであろう場所まで近づく。そしてハイドが見えた時、木の枝を退かしながら声を掛けた。
俺がしたのはそれだけだった。
「おーい。そろそ……ろ……」
ハイドは頭の装備を脱いで休憩していた。デバイスを確認していたので俺が来た音に気付くのが遅れたようである。そして俺を見て何故か慌てて頭の装備を被ったのだ。あまりの慌てようでデバイスが地面に転がった事に気付いて無いようだ。被った頭の装備越しに俺をじっと見つめている。もしくは硬直しているのかもしれない。
……この状態でなんて声を掛ければ良いのだろう。
しばしの沈黙の後、ハイドは重苦しい声を出した。
「………………見たか?」
「すまん、顔見ちまった」
顔を隠したかったのだろうか。頭部が全く見えない装備をしていたからそうなのかも知れない。うっかり見てしまって悪いことをしてしまった。
「…………耳」
「耳? 耳に怪我でもしたのか?」
「……いやいい。今すぐ忘れろ」
「? ……あ、あぁ……?」
顔をバッチリ見たのは良いのか? しかし耳と言ったのは気になる。まぁ本人が気にしているなら突っ込まない方が良いだろう。俺が忘れられるかはともかく。
そうしてアールを置いて俺とハイドのふたりは指定のポイントへ足早に向かう。そして珍しくハイドの方から俺に口火を切った。
「……アールと依頼を受けたのなら、何故俺と組んだ?」
やはり気になったのだろう。他の冒険者たちは知り合いで固まって捜索をしていたのだ。さっきの俺とアールのやり取りを見れば不思議に思うのも無理はない。隠している訳ではないので俺は素直に目的を告げた。
「俺たちパーティーメンバーを探してるんだよ。シェアバングルってのが使いたくて————」
「勧誘か。俺はパーティーは御免だ。それに……俺は体内の魔石……魔力が少ない」
「魔石?」
「……お前らの期待には添えない」
これ以上話す気はないと言うようにハイドの足が早くなる。勧誘は断られてしまったようだ。
バングルは魔力の多さで容量が変わる。その為、ハイドひとり分はそんなに増えないと言っているだろう。
しかし魔石というのはなんだろうか。話しぶりからして体内にある物のようだが。
アールに魔石について聞いてみようと思った時だ。そう遠くない場所で何かの暴れる音。そしてドラゴンの咆哮が空気全体に響き渡った。
「おい、もう交戦してるぞ!?」
デバイスを確認しようと触れた瞬間に『竜の足跡』リーダーから連絡が来た。合流地点に向かっていた冒険者がドラゴンに見つかり、追われていたようだ。そのまま指定のポイントに誘導して先に戦闘を開始したらしい。
「……あのドラゴン、魔力の過剰使用にしてはやけに気が荒いな」
魔力の過剰使用? 気が荒いのはそのせいなのだろうか? 大量に群がる黒い蝶なんかも異常に見えるが。
……ハイド反応に何か少し違和感を感じる。少し聞いてみるか。
「あの周囲の黒い蝶や黒い斑らが原因だったりしないのか?」
俺の言葉を耳にしたハイドは驚いたようで少し体を揺らした。そして焦るように俺に言葉を返す。
「待て、黒蝶の方か!? ……あぁ、そういえばお前は精霊が見える奴だったな」
「あぁ、ハイドは見えないのか?」
「……俺は見えない。黒蝶が見えるのは精霊が見える奴だ」
あの黒い蝶は誰にでも見える訳では無いようだ。精霊が見える人は限られているようだから何故暴れているのか分からないのだろう。記憶の無い俺は黒い蝶で暴れる理由も分からないが。
「……今度"花の神殿"行ってみろ。面白いものが見れるらしいぞ」
ハイドは楽しそうに俺に告げる。花の神殿とは何か分からないが今は後回しだ。
丁度、指定のポイントに俺とハイドがたどり着く。そしてハイドが『竜の足跡』のリーダーに向かって声を上げる。
「おい! そのドラゴンは黒蝶付きだ!! 気を付けろ!」
ハイドの言葉によってその場全ての冒険者が動揺したのが分かった。そしてすぐさまリーダーが俺たちに向かって声を荒げる。
「このドラゴンにどのくらい群がっている!? 黒い斑ら分はあるか!?」
ハイドが振り返り、俺に返答を促す。俺はこの場の全員に聞こえるように声を張り上げて答えた。
「ドラゴンが見えない位大量に群がっている!」
「ちっ、かなり不味い状態だな。予定通り対象のレッドドラゴンを討伐するぞ!」
この場には九人いる。アールを除いて俺たちが最後のようだ。そして斑らなレッドドラゴンの討伐が始まったのだった。