ずっと側に居た
饅頭モンスターが魔族を追い払った後も俺とバンダーは周囲の警戒を続けた。今の所それ以外で魔獣の乱入などは無い。バンダーによると、さっきの魔族がイレギュラーなだけで野生動物や魔獣なら普通は呪いを感じて近寄らないという。
そうこうしている内にノエル達が居る方向から一際大きな光が輝いた。あまりの眩しさに俺は手で顔を隠す。光が収まったその直後、ノエルが膝から崩れ落ちた。
「っ!? ノエル!」
「ジジイくたばってねぇな!?」
俺とバンダーはノエルに駆け寄った。仰向けになったノエルは汗で額に張り付く前髪を疲れたように払う。そして荒い呼吸をしながらひと言俺たちに告げた。
「お、わったよ……」
「! それじゃあ」
俺はノエルをバンダーに任せ、アールの方へ急いで向かう。見ればアールも仰向けになっていた。口だけで饅頭をもそもそ食べている。うっかり落としてしまいそうな食べ方に思わずはらはらする。けれど、今のアールの顔は随分と血色が良いように見えた。
「……アール」
「ム、じ……シ、し心配……かけタナ」
「喉どうした? めちゃくちゃ声がかれているぞ」
「外から……操作、シテタ……カラ。筋肉、使ってナイ。衰エ」
「……まさか全身そうなのか? はは、じゃあ体調良くなったら筋肉付けないとな」
「むゥ」
アールは少し唸って饅頭を食べた。俺はアールの側にどかっと座り込む。安心感からだろう、俺は暫く動けそうに無かった。
今回はかけられた呪いの半分だけを封印した。深刻な呪いを優先して腕に偏らせたと聞いているが、それでも呪いの半分はまだアール本人にかかっている。でも、それでも。思わず目頭が熱くなるのを止められなかった。俺がアールに出会ってから見ていた中で今がいちばん元気に見える。俺は深く息を吐いた後、誰にも見られないように目元を手で覆い隠す。
完全に喜ぶのはきっと今では無いから、心に留めておくだけにしておく。きっと今言葉に出せば感情が溢れ出して止まらなくなる。
呪いを封印出来て。
アールが無事で本当に、良かった。
「————で、シルヴィアヴラムがここの歪みの森だけで無くブルーローズの町まで消し飛ばす勢いだったんだね? 君にかけられた呪いを消滅させる為に」
「…………」
ノエルの問いかけにアールは沈黙している。またかと息を吐いた俺はアールに問いただす。
「そうなんだな? アール」
「……そう、だナ」
俺がアールに聞くとアールは渋々返答を返す。さっきからずっとこの調子なのだ。
封印を終えた後、俺たちは守護竜シルヴィアヴラムの死について何があったのか聞き込んでいるのだが……俺は記憶が無いのでノエルは主にアールに質問している。しかしアールはノエルが聞いても中々答えようしないのだ。けれども俺がアールに聞くと、嫌そうな顔しながらも一応答えるのだ。
「そんな時にヴェ……彼がやって来たんだね?」
ノエルが俺を示してアールに聞く。俺がアールの名を呼ぶと、アールは渋々頷いた。
「うん、大体何があったのか分かったよ。後は僕が教会に説明をしておくから安心して」
俺が聞いてもアールの反応が鈍くなってきた。ノエルもそれを感じたのだろう。これで聞き取りは終わりのようだ。ちなみにバンダーは隣で不機嫌そうに聞いていた。バンダーも最初は聞き取りに参加していたのだが、アールの語彙がバンダーへの罵倒にしかならなかったのである。どうも仲が悪いようなのである、このふたり。
そしてノエルは守護竜シルヴィアヴラムの死体をアイテムボックスに回収する。その死体を見て俺は気になっていた事を思い出した。
「そういえば魔族は邪魔なホワイトドラゴンを排除するのが目的じゃないのか? さっきの魔族はシルヴィアヴラムの死体を見て〝ドラゴンアイがくる〟って言ってたんだ」
「どうやら守護竜が死んだらドラゴンアイが来るとビ……魔族は考えているようだね。僕もドラゴンアイの名前は知っているよ。なんせ今回参考にした呪いの封印方法が書かれた著者は全てドラゴンアイだったから」
「そうなのか! じゃあ本当にシルヴィアヴラムの死体の元へドラゴンアイとやらが来るのか……」
「……生きているかどうか怪しいけどね」
「? どういう事なんだ?」
「今回、僕が参考にした書籍は狂ったオウディアム神を封印したとされる記録だよ。それこそ神話の時代、何百万……何千万年前の話なんだ」
「そんな昔の話なのか」
「ドラゴンアイだの何だの、ただの世迷い言だろうよ。魔族の言う事なんかいちいち気にすんな」
バンダーがばっさりと切り捨てた事でこの話は終わった。ノエルとバンダーはこのあと、シルヴィアヴラムの死体を持って教会とギルドの上層部に報告をするらしい。その為、暫く連絡がつかないとの事。なので俺は今のうちに俺の知り合い、元勇者パーティーの残り三人の連絡先を教えてもらった。いろんな話を聞ければ俺の記憶を取り戻すきっかけになるだろう。
「そうだ、死体を持っているノエルにさっきの魔族がまた襲って来るんじゃないか?」
「ま、あれだけの手傷を負えばこねぇだろう」
「そうだね……急ぐだけの何か余程の理由なら来るだろうけど、僕とバンダーが居ればまず問題ないよ」
僕らは魔王を倒したパーティーだよ、とノエルは微笑む。どうやら心配は無用だったらしい。
「それじゃあ、また今度ね」
「あ、待ってくれ。ひとつだけ頼みがあるんだ」
ノエル達が去ろうとした時、俺は引き留めた。どうしても伝えたい事があったのだ。
この場の現場検証をした時、俺が目覚めた場所には俺の持ち物が散らばったままだったのである。そこにあったのはボロボロの血だらけでバリバリになった服、それも上だけ。靴やズボンは見つからなかった。ノエルやバンダーは魔獣に荒らされたと判断していたけれど。
「ノエル……もし守護竜シルヴィアヴラムの死体の中、胃袋とかに俺の……持ち物があれば連絡くれないか? 無かったら良いんだ。あ、いや何も無かったら無いって教えてくれ!」
「? うん、分かったよ」
俺の頼み事にノエルは不思議に思ったようだが了承してくれた。何も無かったという言葉だけが欲しいのだ。よぎった不安をそのまま言えば頭のおかしな奴だと思われるかも知れない。ズボンや靴なんてどうだって良い。気になるのはそれらがこの場に無い事。俺が言えない探しもの。
だって言える訳が無い。
あり得るはずが無いのだ。
もう既あるのに有ったらなんて。
ふたつと同じものなどある筈がないのに。
あの鏡を見た時から嫌な予感が拭えない。
もしシルヴィアヴラムの体内に————
——俺の下半身があるかどうかなんて。
ブルーローズにある教会の一室。夕日が窓から差し込む中、俺はアールが眠るベッドの側にいた。椅子に座り、割れた鏡を持って眺める。
「やっぱ映ってないよなぁ」
真実の鏡とやらは俺のズタボロのズボンだけを映す。またズボン買わなきゃいけない。今度は耐久性がある物にしようと心に誓った。
そして俺は割れた鏡を傾けて、鏡越しにアールを見た。真っ黒いもやのようなうねりが見える。しかしその黒い何かは以前に見た時よりも半分ほど減っていた。今なら黒いもやに包まれたアールが辛うじて見える。そしてアールの姿にダブってとある人物が見える。その人物はライに瓜ふたつの姿だった。でもどちらかといえばライの方が少し黒っぽいだろうか。ちなみにライは今、歪みの森で封印された右腕の影に潜んでいる。
「なんだ」
俺は思わず呟いた。もう既に何となく察していた。
ノエルとバンダーに饅頭を食べるか聞いた時、まだ人で居たいからとふたりに全力で拒否されたのだ。拒否された理由が全く理解出来なかったのだが、以前に食べた事があったらしい。
精霊のレイから饅頭を勧められたと。
「……ずっと側に居たんじゃないか」
元勇者パーティーの精霊術師ヴェンジ、彼と共に居た精霊レイ。レイは魔王パンドラの討伐後、仲間を庇って魔王の呪いをその身に受ける。そして何処かへ行方不明になった。
間違いないだろう、アールがレイだ。
何ですぐ言わないんだよこのバカは。
「はぁ…………これが魔王の呪いか」
真実の鏡に映っていた黒いもやは呪いらしい。アールの姿が見えなくなるほどの呪いだった訳だ。半分だけ封印したから黒いもやも半分になっている。
……レイとアール、どっちが偽名なんだろうか。いや、アールは俺に嘘がつけないから偽名では無いのかもしれない。それにレイはどうしてライに似ているのか、それとも逆でライがレイに似ているのだろうか。アールは何故レイだと明かさなかったのだろう。疑問は尽きない。
どんどん知りたい事が増えていくが今は休まないと。俺も体を洗って寝よう。ずっとボロボロの装備で居る上、血と魚の生臭い匂いが体から発しているのだ。俺は部屋を出て教会の浴場へ向かう。浴場の場所は事前に把握しているのだ。
そもそも何故教会にいるのかというと、呪いの封印が安定しなかった時の為にここに居させて貰っているのだ。ある程度なら呪いを祓える人がすぐ近くにいる。封印が緩んで呪いがうっかり溢れたなんて事になれば対処がすぐ出来るようにである。
そして俺が廊下を歩いている時だった。
『——————、——!? ——!』
「……何だ?」
何かの焦りと恐怖を感じた。まるでライが喋っているような感覚だった。何かあったのだろうか、徐々に数が増えて聞こえる声も大きくなる。
『魔族! 魔族が町に入った!』
『血がでてる』
『狂った獣がやってきた!』
『こわい、こわいよ』
『何か探してる』
『匂いをたどってる!』
『はやく、はやくだれか』
空気がビリビリと響く。この声はまさか街灯の精霊か? そしてデバイスから突然不安になるような警報音が鳴り出した。それと同時に町中から機械音声が聞こえてくる。
ブルーローズに魔族の侵入を確認しました。
直ちに屋内へ避難して下さい。
繰り返します。ブルーローズに……
……
「魔族が町に入った……?」
不安を煽る音に包まれる中、慌ただしく走りまわる教会の人を見つけた。俺は急いでその人の元へ向かっていったのだった。