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饅頭と和解せよ

「……どこまで記憶があル」


 少しの沈黙ののちアールは俺に尋ねた。俺は何か少しでも頭に思い浮かぶものが無いかと記憶を探るが全く成果は出なかった。寧ろ焦りで頭は真っ白だ。


「さっきアールに顔を掴まれて目覚めた時から今まで……起きるより前は全く覚えて……いない……」

「記憶が全部ねぇのかヨ……いや寧ろそのほうが好都合なのカ?」


 アールは俺が記憶喪失であることにさほど動じていないようだった。それよりも俺は"好都合"というアールの言葉が引っかかった。そしてさっきまで目をそらしていたアールに対する不信感が徐々にあふれ出してくる。


 ひょっとしたら饅頭を食べた幸福感で今まで塗り替えられていたこともアールの策略なのではないのだろうか?


 まるで冷水を浴びせられたような気分だった。俺は一体何をしようとしていたのかと契約書を見つめる。


 神々しく感じていたそれは、禍々しく見えた。


「忘れちまったモンは仕方ねえよナ。フむ、なら名前が必要だナ。今からお前の名前はレストだ。文字は分かるか? "レスト"はこう書くからそのまま契約書に写せば大丈夫、それで契約完了ダ」


 アールがそう言った途端、風も吹いていないのに周囲の落ち葉がくるくると空を舞い踊り、俺たちの傍に大きく文字を形作った。


 木の葉の文字が"レスト"と表していることが理解できた。どうやら契約書の文字とは違ってこちらは読めるようだ。木の葉がどうやって宙を浮いて文字を作っているのかはさっぱりわからなかった。


 そして勝手に名づけられてしまったレストという名前が俺の本当の名前なのか全く違うのか、俺には分からない。俺は、何も……


 俺は——


「っすまん! 俺はサインできない!」


 俺は契約書とペンをアールに押し返した。急な心変わりだと自覚している。その為、俺はアールの顔を見ることができなくて頭を下げ、言葉を続けた。

 俺が手に持っていた饅頭が地面に転がっていったのに気づかずに。


「饅頭は確かに美味かった、けど……」

「疑問があるなら、っておい! 饅頭!」


 アールの焦った声を聞き、食べかけの饅頭を手放してしまっていたことに気づいた。饅頭を持っていたはずの手に目線を映し、転がっていっただろう場所を見ると奇妙な光景が目に飛び込んできた。


 饅頭につるりとした白くて長い虫の足がついているのだ。数にして六本。


 あと、心なしか饅頭が大きいような。いいや、よく見ずとも今も徐々に大きくなっているのがわかる。饅頭だけでなく、饅頭に付いている足も併せて大きくなっている。


 大きくなった饅頭が六本の足によって支えられ立ち上がった。俺と饅頭で立って背比べしたら、饅頭は俺の胸あたりの体長だろうか。饅頭をよく見てみると俺の齧った跡までそのままで中身の具が見えていた。今はもう具ではないのかもしれない。なんせ露出している具は力強く脈打っているのだ。そして白い生地は足同様に白く艶やかなものに変わってしまっている。そして生地に切れ目ができたかと思えばそこから恐ろしい鳴き声が聴こえてきた。


 ギギギッ! ガチガチ、グッギィィィ……

 

「……え? 何あのモンスター」

「オイ! さっさと謝レ!」

「いや、いきなり謝れって言われても……」


 饅頭を落としただけなのである。

 どうしてこうなったのかまるで分らない。


 記憶のない俺にはわからないことだらけだ。しかし、折角くれた饅頭を落としたのは申し訳なく思い、謝罪の言葉をアールに伝えようとした時だった。

 物凄い速さだった。饅頭が瞬きの間に俺たちに接近し、鋭い足を振り下ろした。俺は殆ど反射的にアールを抱え、紙一重でなんとか回避した。しかし、攻撃による余波によって2人無様に転がる。転がってしまった事で饅頭から目を逸らしてしまったことに焦る。俺は慌てて饅頭の方、さっきまで俺たちがいた場所に目を向けた。そこには地面に長く深い溝が出来ていた。


 あんなもの一撃でも食らえばひとたまりもない。一瞬で体が真っ二つになること間違いなしだ。


 ギギギギギギッ!


 饅頭は当たらなかったことに苛立っているのだろう。不快そうな鳴き声を発している。そして足を二本高らかに上げると、それらを擦り上げて甲高い音を発生させて威嚇のような行為をしていた。


「逃げるぞ!」

「早く謝ったほうが良いゾ」

「はいはい! ごめんな、アール!」


 アールを小脇に抱えなおし、すぐさま俺は森の中に入って走った。木々を障害物に距離を稼げばそのまま撒けるかもしれない。

 そうして俺たちと饅頭の命がけの鬼ごっこが始まったのだった。


    

 

 一体どのくらい森の中を駆けまわったのだろうか。素足に何かが刺さって皮がめくれているが止まらない、止まれるはずがない。


「ハハッ、レストお前すげぇ足早ぇナ」

「遅かったら! あの鎌? いや足か!? そいつで真っ二つだろうがぁ! って、全っ然! 引き離せねえええええええええ!」


 何なら俺たちと饅頭モンスターとの距離は徐々に縮まっている。饅頭が足を軽く振ると次々と障害物が吹っ飛んでいく。俺の背後で森林破壊が急激に進んでいた。偶に吹っ飛ばされた木や岩がこちらにも飛んでくるのが厄介極まりない。もしかしたら、饅頭がわざと障害物を飛ばして当てようとしているのかもしれない。


「このままだとじきに追いつかれるゾ。まぁ、ボクの饅頭は最強だからナ」

「でめぇどっちの味方なんだあああああ!」


 アールは嬉しそうに饅頭を自慢している。というか自分で走れ。ふと、アールを落とさないように片手で抱えなおして気づいた。さっきの言葉から察するに饅頭がモンスターであることをこいつは元々知っているのではないだろうか。


「アール! あのモンスターのこと知っているのか!」

「普通の饅頭だヨ。地面に落とされてちょっと怒っているだけダ」

「アレが普通なのか!」


 饅頭が怒ってモンスターになるとは知らなかった。俺が失った記憶はあまりにも多いようだ。しかし記憶がないからといって今の状況がどうにかなるわけでもないのである。


「おい! あの饅頭倒せるか?」

「いや無理に決まっているだロ。物理及び魔法耐性がアホほど高いからナ」

「詰んでいるじゃねぇか! どうすればいいんだよ!」

「弱点があル。精神攻撃とか情に訴えかけるんダ。早い話今すぐ土下座して謝ればなんとかなル」

「俺に死ねってか!?」

「真摯な謝罪は饅頭に届くゼ? 手助けしてやるから、ホラ」


 アールはどうやら冗談を言っているわけではなさそうだが……謝罪で饅頭が退くとは思えなかった。しかし、饅頭モンスターはもう既に背後まで迫ってきている。他に選択肢はないようだ。


「クソッ! やるっきゃねぇか!」


 飛んできた樹木をしゃがんで躱し、今まさに俺たちに足を振り下ろす直前であった饅頭に向き合った。

 俺は腹をくくった。


「饅頭様! 落としてしまい大変申し訳ございませんでしたあああ!!」

「饅頭、レストが落ちた饅頭も食べたいってヨ」

「え、食えんの!?」


 アールが俺を親指で指してとんでもないことを言った。元は饅頭だとは言え今現在はモンスターになっているのだ。あの状態で果たして食えるのだろうか?

 けれども今はこの場を収めるために食うしかないだろう。


「いやそうそう! 土は払えば大丈夫だから! 寧ろ美味すぎる饅頭にとっては良いスパイスにしかならないんじゃないだろうか!? より一層美味くなっちまうかもな! どんな味になっているんだろうな!?」


 俺は無茶苦茶なことを言っている自信はあった。しかし、全裸で饅頭に土下座をしている時点でもうやけくそだった。本当に効果はあるのだろうかと俺はちらりと饅頭の様子を伺った。足を上に掲げた状態でギギギと鳴き声をあげ、小刻みに震えている。動きは止まっているが……失敗なのだろうか? やはり今からどうにかして逃げる手段を、と考えた時だった。


『……ギギッ、ヒロイグイ ヨクナイ ケド……。ツギハ オトサナイデ ネ』


 そして饅頭はゆっくりと振り上げた足を下ろし、ポンとモンスターから元の食べかけの饅頭に戻った。アールはそれを手で受け止め、土を払った後に饅頭を俺に手渡した。俺は呆然と受け取った饅頭を見た。まさか、思いもよらなかったのだ。


「喋った」


 饅頭に拾い食いを注意された。見た目はモンスターなのに常識的なことを言った。

 あと普通にじゃりじゃりして土の味がするだけで美味い饅頭だった。

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