市場の氷
崩壊するダンジョンから命からがら脱出することが出来た俺たち。先に出口に向かったアンクスもどうやら無事に脱出したようだ。
アンクスは出口が埋まらないよう岩を風魔術で割って外に放り出しながら俺たちを待っていたようである。そのおかげで出口までの道も確保できた。その上、俺がダンジョンから出る時間を稼いだ防御魔術はアンクスの魔術だった。あの僅かな時間が無ければ無事では済まなかっただろう。
「アンクスありがとう! さっきの防御魔術は助かった」
「間に合ってよかったぜ。それより何で俺の後ついてきてないんだ……ってアール! 腕はどうしたんだ!?」
「右腕は拾ってあるんだ。この腕は回復魔術で付けられるか? そうだ、カナンとシーリンは何処にいるんだ?」
アンクスはカナンとシーリンのもとへ向かったはずだ。ふたりは無事なのだろうか。カナンが近くに居ればアールの腕を治せるかもしれない。
「今ふたりはブルーローズに戻って魔族が出たことを知らせている。町に戻れば腕をくっつけられる奴は大勢いるぜ」
「治せるんだな、良かった……! それじゃあ急いで町へ戻るぞ!」
今ここにカナンは居ないようだが、町に戻ればきっとアールの腕を治せる。俺とアンクスはブルーローズへ急いだ。
町では人々が慌ただしく動き回っていた。ここの市場では次々と店仕舞いをしているようだ。幸運にも俺とアンクスはすぐにカナンを見つけた。カナンは町の人々に叫んで回っているようだった。
「魔族がゴブリンの洞窟に現れました! 皆さん外出を控えてください! 魔族が————っアンクス!」
「カナン、丁度良かった。レストこっちへ。アールの腕を治して……」
「!? は、離れてください!」
アンクスはカナンに駆け寄って俺を呼んだ。しかしカナンは俺とアールを視界に入れるや否や慌ててアンクスの手を引く。そして強引にアンクスをその背に隠したカナンは酷く震えて俺を見やる。いや、カナンは俺を見ているのではなくアールを見ているようだ。
「カナン……?」
困惑した俺はカナンの名を呼んだ。アンクスもカナンの行動に驚き戸惑っている。カナンは怯えた顔で首を横に振った。もしかしたらアールの腕を付けるのは思ったよりも難しいだろうか。他に治せる人が居ないか、俺は周囲に目線を向ける。すると周囲いる住民たちが動きを止めて俺たちを遠巻きにしていると気づいた。俺とアールを見る住民たちの表情は皆、固かった。
「アールを治せないのか?」
アンクスがカナンに優しく問いかける。カナンはアールから目を逸らさず、震えた声で答えた。
「治せないに、決まってるじゃないですか……だって……」
アンクスが目線でカナンに言葉の続きを促した瞬間。カナンの瞳から大粒の涙がボロボロと零れ出した。
「こ、こんな大量の……こんなにも邪悪な呪いにかかっていれば……治したくってもっ……治せないですよぉ……うっ、ぐす……」
「これが……呪い」
アンクスはひと言つぶやいた後、苦渋に満ちた顔で押し黙った。俺は目を見開いて驚く。アンクスにも何処か心当たりがある様子だった。
「呪いが身近にない一般人でも、アンクスだって何となく感じているでしょう? アールさんが酷い呪いにかかっているって事は! 回復魔術なんて効きやしない程の呪いなんですから……! アールさんにかかっている呪いの数すらっ……ぐすっ、私は把握できません……ごめんなさい。未熟な、私でっ……」
「回復魔術が効かないって……この腕が治せない……?」
俺はカナンの言葉に耳を疑った。呪いで回復魔術が効かなければ、アールはずっとこのままなのか。いつ死んでもおかしくないような状態でこのまま?
「何故こんなにも多くの呪いが表に出ていないのか分かりません。でも今……呪いが非常に不安定に見えます……アールさんに近づけば呪いがうつるかもしれません。こんな呪い……誰だって祓えやしません……。私はっ、アンクスだけには死んで欲しくないんです!」
カナンはとめどなく流れる涙を腕で拭って言い切った。カナンがアールを治療出来なくても誰か何とか出来る筈ではないのか。俺は周囲を見渡してすがる思いで助けを求める。
「っ誰か」
「こんな状態なら早く楽にしてあげるべき」
俺の呟きに被せて無感情な言葉が聞こえた。いつの間にだろう。シーリンがカナンの傍に立って俺とアールを見ていた。
先ほどのシーリンの言葉が理解できない。
耳に届く意味は分かってはいる。
しかし脳が理解を拒絶していた。
そんな真っ白な頭でも否応なしに周囲のささやきが耳に届いた。
あの冒険者……殺してやるなら町の外に出した方が良いんじゃない?
町中で呪いが広がれば不味いよな。
歪みの森、とか。
歪みの森なら空間が歪んでいるから。
本来の広さより広くなっているから呪いが広がっても被害はすくないだろう。
無慈悲に届く言葉の数々。そうか、ようやく分かった。だからアールは森に帰ると言っていたのか。万が一を考えて、周囲に被害が出ないようにずっと森に居るつもりだったのだ。
『……レスト、ボクをあそこへ。歪みの森に連れて行ってくれないか。あぁ、でもこのボディを殺されるのは不味いからそれだけは辞めてくれよ? 今はちと呪いの対処で手一杯だが後で怪我は何とかするから』
アールの言葉が俺の空っぽの良く頭に響く。
「……俺にアールを見捨てろって?」
誰しもがアールを殺す事をささやいている。
誰もアールを生かすことが出来ないと思っている。
誰が厄介な呪いにかけられたアールに関わりたいと思う?
誰が自分の身を危険にさらしてまでアールを助けたいと思う?
「そんなことっ! 出来るわけないだろう!!」
そんなの、俺しかいないだろう?
「呪いは分からん! 腕の傷口を先ず何とかするぞ!」
アールは体の怪我は後で何とかすると言っていた。けれども今の状態を見る限り間に合うのかどうか怪しいものだ。
回復魔術が効かないのがなんだ。俺はポーチから救急箱を取り出して中身をぶちまける。
近づけば呪いが移る? 俺はさっきから血まみれのアールを背負っているのだ。慎重にアールを地面に横たえる。アールの血がべったり付着した手のままで先ほどぶちまけた中身を漁る。
「くそ、いきなり実践かよっ……! 事前にもっと使い方を調べときゃよかった」
いつかゆっくり覚えようと思って碌に救急箱の中身を把握していなかった。でも今は後悔している場合じゃない。傷口を塞ぐものらしきものを俺が手に取った時だった。
「レスト、それ使え! 俺のも渡すから!」
アンクスが俺に液体が入ったボトルを投げて渡す。
「カナンに聞く限り、俺がアールの血液に少し触れるだけで多分即死だ。何でレストが無事なのかは分かんねぇけど、俺が指示するからお前がアールを手当しろ!」
カナンの背後から出たアンクスが俺に近づく。そんなアンクスにカナンとシーリンが後ろからしがみついた。
「ここまで。何かあれば咄嗟に反応出来ない」
「…………念のため防御魔術を重ねがけします……」
「……そんなに強くしがみつかなくでも大丈夫だって」
カナンとシーリンの言葉にアンクスは少し困ったように答えた。
その後、アンクスのハッキリした口調、カナンの震えた声、シーリンの鋭い言葉。三者三様の言葉を聞き漏らさぬようにして俺はアールの手当を行っていった。
「————今できるのはこれだけだ。けど呪いを何とかしようにも……その前に腕が腐るぞ」
「う、腕が腐る!? 腐らないようにする方法は何かないか!?」
「氷で冷やす」
「氷魔術を使える人なんてそう居ないので、どこかからかき集めるしかないですね……」
「氷……って……!? あれだ!」
俺は周囲の人々が避ける中、ある店に向かった。
「おっちゃん! その箱と中の氷くれ!」
「お、おう!? 何するか知らんが、こんなもんで良けりゃ使え!」
店仕舞いをしていた魚屋のおっちゃんは箱から魚を取り出す。そして氷だけ入った長細い箱を蹴って俺に渡した。
俺は魚屋のおっちゃんに礼を言い、すぐさま箱を抱えてアールのもとへ戻る。そして先ほど手当したアールの腕を箱の中に急いで突っ込んだ。
『……? …………!?』
「悪い、アール! 冷たかったか!?」
アールの右腕を氷に漬けた後、驚いたような感情が頭に伝わった。少し反応が遅れていたが、氷に漬けたことに驚いたのかも知れない。
『……ニオイ………………いや……いい、何でもない……』
「は!? レストお前……傷口はちゃんと塞いだし良いのか?」
葛藤する唸り声が微かに頭に響いた後、諦めたようなアールの声が頭に響いた。アンクスは戸惑い混乱しているようだ。シーリンとカナンは硬直していて動かない。
皆に何があったのか分からないが今は悠長にしている余裕などない。現状ではアールの怪我の手当をしたし、右腕が腐らないように氷にも漬けた。後はアールにかかった呪いを何とかするだけだ。呪いの対処がアールひとりでは手一杯なら誰かと協力すれば良い。俺は呪いの事など全く分からない。けれど俺には知っていることがあるのだ。
「呪いに詳しい人物なら知っている、ノエル!」
「——僕を呼んだかい?」
俺がノエルの名を呼んだ時だった。宙にふわりと彼が現れた。ギルドの図書室で会った少年、ノエルだった。彼は聖職者の様な厳かな装いをはためかせて地に降り立った。
「あぁ、良かった。今度はちゃんと転移出来た」
来るのが遅くなってごめんね、とノエルは柔和に微笑みかけたのだった。