本部の危機
拡大映像に巨大蛾と選手の落下が映された。解説者がマイクへと身を乗り出し、唾を飛ばして叫び出す。
『なっ、なんという事態でしょう!? 墜落っ! ネビュラ・ノクス選手と大水青幻蛾トゥエイルが墜落です!』
観客席から悲鳴、どよめきが一斉に湧き上がる。泣き崩れる女性ファン、そして青ざめて立ち尽くす人までいた。
しかし、墜落自体は決して珍しい光景では無い。そのため、ざわめきは徐々に落ち着いていった。
『本部、救援を! ……しかし、魔術の誤作動にしては少々不自然に見えましたが……ん?』
本部オフィスの方向で不意に閃光が炸裂した。遠目からでも分かるほど、異様な光が建物内から発生していたのだ。会場の歓声に混じり、雷鳴も轟いている。
『まさかトラブル……!? 本部、そちら大丈夫ですか? 応答を!』
ざざっ、と奇妙な電子音が流れる。
直後、通信が繋がり大きなノイズ混じりで声が流れた。
『誰かは知らぬが、それどころではなくての』
***
「——それどころではなくての」
バチン——ッ!
雷撃が黒い塊を直撃する。
ノヴァはひしゃげた黒い塊から目を離さず、通信中のデバイスを雑に投げ捨てた。
あの黒い大きな塊は魔族たちが複数体合わさった存在だ。
「——ァァ——ァアァアァァァァァアア」
異様な悲鳴で空気がビリビリと震える。
黒い塊はぐらりと倒れ込み、大きな機器を薙ぎ倒しながら床に沈む。
粉塵が舞い散る中、飛び出る腕をビクッビクッと小刻みに振るわせていた。
「ひっ、ひぃぃ」
小太りの男性が両耳を塞ぎ、ノヴァの足元で蹲る。
白髪混じりの薄毛は乱れ、脂汗をかきながら足を大きく震わせていた。
「汝、早う外に出ぬか」
「あ、ああ足が……う、動かない……」
カツンと、甲高い足音がノヴァ達へ近づく。
「ン、ンー。魔族の悲鳴はノらないのよ、ワレ」
濃い紫の燕尾服を纏った男——ヴォイス・コレクターは手の甲を耳に当てながら吐息を漏らす。
ヴォイスのその両指には、十を超える指輪が嵌められていた。ヴォイスは指輪の石から発する音を聴いていたのだ。
「もっと、もっともっと"生"という蝋燭を焦がして、皿まで割れるような苦しみを、痛みを、幾つもの苦痛の重奏をっ……はぁぁ……それこそがワレの側坐核を幸福で満たすのよ」
身悶えし、興奮する男に。
「知らぬ」
バチン、と間髪入れずに放たれる雷撃。
しかしその雷撃は男に届く前に、小さな存在に阻まれる。
『——! ————!!』
精霊だ。
雷撃に飛び込まされる形で精霊が召喚される。
男の盾となった精霊は苦しみの悲鳴を上げ、ふわりと消滅する。
「ふぅぅ……これよ、これ」
恍惚とした表情でヴォイスは息を荒くする。
「れ、隷属系の精霊使い……禁忌じゃないか」
一層青ざめる小太りの男性。
ノヴァは一歩出る。
「外道め」
「ンー、偉大な精霊が屈服して使い放題なのよ? あの"月夜の湖面"のセルフィーナは知っておる? 毎夜、ワレの寝床で心地よい悲鳴を上げる素晴らしさといったら」
ヴォイスは頬を赤らめて体をくねらせる。
「それに、悪名高い"不羈の天災"の颶獣と雷獣! ワレの消耗品共を大量に擦り潰せば、その片方、グジュウを裏返す事も出来たのよ!」
「……」
「ふぅぅ……裏返りの精霊の苦痛の悲鳴は、何物にも変え難い——」
「…………」
「ンン? もしや、チミの契約精霊でも居たかね?」
ノヴァは動きを止め、ヴォイスをじっと見つめた。
小太りの男性が様子が変わったノヴァに縋り付き、必死の形相で訴える。
「は、早く助けを! 竜騎士を! ガンドール は? シルバはどこだ! パージュ・テレスも近くにいるだろう?!」
「……汝が走れば済む話であろう。糸目の女なぞは大きな荷物を持ち、誰よりも脱出が早かったぞ」
「心臓に毛が生えたあの女と一緒にしないでくれ……!」
「ふむ」
ノヴァは周囲を確認し、小太りの男性の服を引っ掴む。
そして崩れた螺旋階段のある吹き抜けへ、軽々放り投げる。
「なっ何を、辞めっ……!?」
しかし、螺旋階段の吹き抜けには、今にも落ちそうな布ばりの大型のドラゴン模型が揺れていた。
小太りの男性は叫びながらドラゴンの模型の上へ落ちる。
吊り下げていた糸がブツリ、と重さに耐えきれずに切れて落下する。
ドラゴンの模型は螺旋階段や壁にぶつかりながらも、勢いを吸収し、男は布の上を滑り落ちるように地上へとたどり着いた。
ノヴァはそれを見届け、肩の荷が降りたとばかりに息を吐く。
「これで心置きなくゴミを焦がせる」
ヴォイスがぴくりと眉を一度だけ震わせた。
「……ンン、チミの悲鳴でドラゴンレースを飾るのも一興よね」
ヴォイスが指揮棒を懐から取り出す。
その間に、壁や床が静電気の小さな音がぱちぱちと溢れてくる。
「声など不要。塵と消えよ」
指揮棒が真下に振り下ろされ——
——同時に世界が一際白く輝いた。
***
なんだ?
遠くの空が一瞬光ったような……どこかで雷でもあったのだろうか。
不穏な空気を感じながらも、俺は次の浮島を見下ろした。
「雪と氷の浮島スノーバイト・ラヴァ」
巨大な針葉樹が四方八方に生えたような形の氷の浮島。
普通に呼吸するだけでも、肺の中まで凍る環境だ——だが、対策していれば何も問題はない。
「イノ、そろそろ頼む」
俺がポーチに手を触れると、待ちくたびれたというように、大輪の薔薇の炎が俺たちを包み込んだ。




