隠蔽工作
アールは石畳を音も立てずに街中を歩いていた。
ここ浮遊都市フューシャデイジーでは、潮風の吹くブルーローズとは異なり、ひんやりとした空気の薄い風が吹いていた。
「……ぁははは」
「おっせー! 早く来いよ!」
アールの進む先からは子供たちが両腕を真っ直ぐ横に広げながら、元気いっぱいに走り回り向かってくる。彼らは道の真ん中を歩くアールに誰一人として気づかない。
そして子供たちは自然とアールにぶつからない動きをとり、すれ違う。
街路樹を避けるような自然な動きだった。
「第三ソルはどこにするー?」
「偏屈ばぁさんとこの木ノ実! 俺が一番にゴールだ!」
「あっ、待てって!」
真っ昼間の街はどこも同じ、のどかで平和な風景が広がっていた。
「……ソル、ねェ。お前らも同じだろうニ」
アールは町の宝飾店の裏口に辿り着くと、扉に触れずに鍵を開けて中に入る。
迷いない足取りで重厚な扉まで辿り着き、中へと入る。
一見して平凡な事務室だった。
部屋のあちこちが焼けこげているという点以外は。
「……既に焼かれたカ」
机や棚は誰かに意図的に焼かれたようだった。
そんな中、店の主人が焼かれた部屋に入ってくる。
店の主人は至って何事も無いかのようにアールへと話しかける。
「ん? マリーちゃんじゃないか! パンの配達の途中かい?」
男はアールをマリーちゃんと呼ぶ。アールがそう見せているのだ。男にとって最も好感を抱いている人物に、そう見えるように。
「裏口から入らずに表から入ってくれば良かったのに! いやぁ……散らかった事務室を見られるなんて恥ずかしいな……」
店主の目には、こんがり黒焦げに焼かれた部屋がいつもの部屋に映っているのだろう。この幻に関して、アールは何ひとつ関与していない。
「少し様子を見に来ただけダ」
「あはは! 心配しなくても、仕事の合間にちゃんと食べてるよ」
状況が、そして会話が、どれだけ不自然であっていても、男の脳では辻褄が合う。
合わせられている。
「……」
アールは店主の男を無視し、焼けこげた部屋の隅に近づく。
そして暖炉と壁の隙間に挟まった書類を見つける。アールが指を示せば、ひとりでに書類がひらりと飛び上がる。
焼けこげた書類がアールの鎧の指に挟まった。
アールは焦げて煤まみれの書類を摘み上げる。書かれた内容を下から覗いた、その瞬間——
書類が燃え上がり、空気の黒いシミとなる。
黒い枯れ木の様な煙だ。
首も胴も無い、手足だけの枯れ木の煙。
見た目はクロス。不気味なその存在は、命溢れるモノにとっての天敵だ。元精霊が空っぽになった存在だ。
触れれば全ての命を吸い尽くす、堕ちた輝き。
ソレは苦しみから逃れるように手足をばたつかせ、黒焦げの床を転げ回る。
アールは不愉快そうにソレの動きを眺める。
「げっ、何だこの気持ち悪いっ! あっちい……け……」
堕ちた輝きを足で蹴り抜く、というより、すり抜けてバランスを崩した店主は床に崩れ落ちる。
そのまま店主はぴくりとも動かない。
その顔は一気に老け、老人を超えてもはやミイラと化していた。
堕ちた輝きは今も苦しみ、ばたつき、暴れ回る。
木の棚をすり抜ければ、急に棚が経年劣化で白くなり歪み、傾き崩れる。
石の壁をすり抜ければ、壁に凹凸が増え、砂のようにボロボロと壊れ始める。
暴れ回るソレに壁などまるで関係が無かった。
防ぎようの無い天災に店の外から悲鳴や怒号で埋め尽くされる。
そしてすぐに静かになる。
「くだらン」
アールは不快そうに鼻を鳴らし、暴れ回るソレを踏みつける。
足の下でソレは霧となって霧散した。
その直後——
アールの足元から折り畳まれるように世界が無機質なグレーに変化していく。
目に見えるものは何も無い。
家も、人も、植物も。
地はグレーの無機質な色。
空もグレーの無機質な色。
金属の板の上に立っているような感覚に襲われるだろう。
自身以外の息遣い全てが無くなってしまった世界だ。
アールにとって酷く退屈な世界。
空腹を思い出させる嫌な世界だ。
「ン」
アールは不快そうに空を手で払う。
——瞬時に雑音が世界に戻った。
「おい! お前は誰だ! なぜ俺の事務所が焼かれているんだ!!」
「……」
店主の怒鳴り声は完全に無視。
アールは手元の書類にそっと息を吹きかけて煤を吹き飛ばす。
書類の真ん中には墨で丁寧な文字が大きく書かれていた。
"外れ"
「ライらしいナ」
幻は徹底的にしておいて、その発動のきっかけとなる書類の文字は淡々としたもの。
アールであれば見た者を煽るような文字を書くだろう。
「答えろ! 何をして……」
「あんたが依頼したんだろウ? ボクは部屋の損壊箇所の確認に来たんダ」
「……え? あ、あぁ……そう、いえば……そうだったか……」
店主は一瞬、虚な目をした後に、アールにニコニコと笑顔を見せる。
「今回の点検費用は……こんくらいだナ」
「ええ! すぐにご用意致します!」
そうして懐を暖かくした後、笑顔の店主に見送られる。損ねた機嫌を取り戻したアールはまた町の中へ消えるように繰り出した。
「さて、奴等の狙いの候補はふたツ。どちら……ン?」
アールは耳を澄ませる。
いや、遠く離れた場所に意識を集中させた。
『アール、今少し良いか?』
声の主はレストだ。
声色からして恐らく厄介な話なのだろう、と思うも聞き直す。
『……どうした?』
『行方不明のアンドロイドを探したいんだ。何か、良い案は無いか?』
テスの件を思い至ったアールは少し思案した後、レストに助言を告げた。
『スクラップ場へ行け』
『嫌な予感しかしない』
『ボクを何だと思ってる』
アンドロイドへの不正アクセスくらい、バレなきゃ問題ないだろうと思いつつ、レストに詳細を告げないまま。
とりあえず向かえ、とだけアールはレストに告げたのだった。




