人外パーティーまんじゅう屋 〜記憶喪失の俺に押し付けられたまんじゅうがモンスターだった上に数が尋常じゃないので食える奴を勧誘する〜

一章 封印されし生臭い右腕

とってもお得な契約

「……ぉい！　ね……、きょ……ょく……にごウ！」

　声が聞こえた。

　驚きと焦りが混ざった声だ。

　誰かが俺に話しかけている。

　横たわっている体の内側から徐々に感覚が広がっていく。

　まわりは風で葉のこすれる音や鳥のさえずりであふれていた。

　瞼の裏の光が眩しい。

　吸った空気の冷たさで意識が徐々にはっきりしてきた。

　吸った息の、むせ返るほどの血の匂いではっと目が覚める。

「…………ぅ」

　瞼を開けば強烈な光が差し込んだ。ふと目の前が陰り、誰かがこちらを覗き込んだのが分かる。

　何度か目を瞬かせ、ようやくその人物を認識した。とても小柄な人物だ。目の下は隈がひどく、顔色がすこぶる悪い。体調が悪いようだ。俺と目が合っている筈なのにこちらを見ていない。

　第一印象として少し……どころか、かなり怪しい人物である。どう見ても関わっていけない人だ。

　どうやらこの場には俺と眼前の不審者以外に人は居ないらしい。

　とても、非常に躊躇する。してしまうのだが、声をかけるしかないので思い切ってみた。

「……どちらさまでっへぶっぅ」

　俺は誰かと問いかけた。それだけなんだ。なのに何が起こったって？

　いきなり手が顔面に飛び込んできた。

　つまり突然、顔を鷲掴みにされたというわけだ。

　……すぐに逃げればよかったのかもしれない。

　ぎりぎりと顔に指がめり込んでいて少し痛む。

「何なんだダそれ！　クソがっ」

　俺の耳に飛び込む言葉は怒りを含んでいた。何故だろう。ただの声だ。しかし、その発声には得も言われぬ気持ち悪さを感じた。

　どうしてそう感じるのだろうか？

　それに何故怒っているのだろうか？

　頭の中は疑問だらけだ。

「えっと、とりあえず……痛いので手を放してくれませんか……？」

　俺はなるべく相手の気を荒立てないように注意を払いながら声をかけた。指だけじゃなくて爪までが顔に食い込んで痛い。

　俺の気遣いが通じたのか、目の前の不審な人物は突然パッと顔から手を放す。ただし、急に。何の前触れもなくだ。

　まさに言った直後に手を放された為、反応が遅れる。後頭部が重力にしたがって落下し、濡れた地面に接触して思わず声が出た。

　俺は無意識の内に自ら頭を持ち上げていたらしい。

　顔から手が離された事で視界が開ける。

　どうやら、俺がいるのは森の中らしい。

　俺は森の中で横たわっていた。

　きしむ体を動かして、上体を起こす。

　周りを見渡せば木々はなぎ倒され、地は抉れて焦げた臭いを発していた。未だあちこちで煙が燻っている所を見るとこの状態はそう時間が経っていない事が分かった。

　そして目の前の森が荒れていた原因をすぐ近くに見つけた。

　大きな生物の死体だ。

　軽々吹っ飛ばせそうな太く長い尾をしている。そこには裂傷が数多くあり折れた刃が突き刺さっていた。

　尾の近くには筋肉質な胴体と手足が離れて落ちている。これらは白くて光沢のある大きな鱗で覆われていた。しかしその鱗はあちこち剥がれ、更には肉が抉れている。

　胴体から大きく広がる白い翼は穴だらけ。

　そして胴体から少し離れたところにドロドロに溶けた塊がひとつ転がっている。

　じっくり観察して分かった。

　その塊は頭部だ。

　なんせ溶けだした肉からは純白の角と牙が覗いていたのだ。全体的に白い生物である為、ピンクの肉の色や血の色がとても目立つ。

　この死骸はかなり大きく、頭の無い躯だけで俺の身長の十倍は超えていそうだ。周囲に死骸はこの一体だけなのに圧迫感で押しつぶされそうだ。

「何だ、あのでかい生き物……？」

　目の前の凄惨な光景に頭がついてこない。ふと俺自身の周囲に目をやると、食器や小ぶりなナイフ汚れた布切れ等この場所に似つかわしくない物が散乱していた。

　そして俺自身は全裸だった。

「は！？　えっ、服は？」

　何故に全裸？

　先ほど感じた圧迫感や何やらは全て吹き飛んだ。例え全裸であろうが近くに誰も居ないならまだしも——何もよくはないが——俺の顔を鷲掴みにした人物がいるのである。その人物はというと、俺の真横で虚ろな目をして頭を抱えていた。

「あの、何か前を隠すものを持っていませんか？」

　何やら困っている所に声をかけるのは少々気が引けたが、俺も人としての尊厳が現在進行形でズタズタになっていて困っている。

「あぁ、うン。前を隠す物だナ」

　そう言って目の前の人物は空に手をかざしたかと思うと、白くて丸い物体をいつの間にか手に持っていた。それはとても食欲をそそる匂いを発していた。

「…………」

　目の前の人物は隈の濃い目を少し見開き、手にした丸いものが消えたり現れたりと繰り返している。それを俺はただよく分からず見ていた。

　いったい何をしているのだろうか？

「ヤバい」

　謎の人物は一言か細い声で呟き、元々悪かった顔色をみるみるうちに悪くしていった。まるで世界の終わりを目の前にしたような反応だった。俺は暫く無防備な状態が確定したらしい。

　未だ真っ青な顔の人物は死んだ目をしたまま、取り出した白い物体をもそもそ食べていたかと思えば、一度ピタリと動きを止めた。そして突然俺に目を合わせて正面に近づいてきた。

　いきなり距離を詰められて驚いた俺は少しのけぞる。その間にできたスペースを埋めるように目前に突き出されたもの。それは隣の人物が今現在食べているものと同じものだった。

　いつどこから出したのだろうか？

「食え、美味いゼ」

「これは一体何だ？」

「饅頭だよ、ほラ」

　俺に饅頭を勧めた人物はさっきまで百面相していたとは全く思えないほど大輪の花が咲くような満面の笑みを浮かべている。

　何故そのような笑顔なのだろうか。

　ひとまずこのままだと後ろに倒れてしまいそうだったので半ば無意識に饅頭を手に取ろうとして気づいた。

　俺の手に血がべっとりこびり付いていた。

「血？　誰のだッむご」

　無理矢理に饅頭を口に突っ込まれた。少し口に入れただけなのに全身がしびれる強烈な体験。

　ほのかに甘味を感じる生地はふかふかで嚙み締めたらそのまま咀嚼を止められない。いや、止められないのではなく、もっと求めるように噛み締める速度が速くなっている。

　包まれていた具材は肉がぎっしり詰まり肉汁を舌で感じているはずなのに脳みそまでガツンと届いてきた。さっきまでの疑問や状況など何もかもすべて意識の外に出していた。

　全身の細胞が歓喜しているのを感じる。

　今はただただ目の前の饅頭をむさぼることしか頭にない。俺は口から幸せを摂取していた。気づけばすべて飲み込んでいた。しかし一度流れ出した唾液は一向に止まらなかった。

「う……う、美味すぎるっ」

「実はまだまだあるんダ。たくさん食エ。ところでだ、今後大量に饅頭を食べますといった……まぁざっくりそんな内容のとってもお得な契約が此処にあってだナ」

　次々と饅頭を俺に渡してくる傍らで、何やら一枚光り輝く羊皮紙を見せてきた。そこには神秘的な文字が輝いている。そして親しげに俺の肩を組んだその人物はその契約書の一番下の欄を指し示す。

「ここにチョイと名前をサインするだけでいイ。それでこの饅頭が食べ放題になるんダ。あぁ契約書は読めなくても大体の内容はさっき言った通りダ………………まぁ嘘つけなくなるってのはあるが、本当にメリットしかないこの契約、結ぶなら今しかなイ。早くしないとこんなにもおいしい饅頭が無くなっちゃうかもなァ」

　俺は饅頭を食べながら、楽しげに語られる説明を聞いた。

　サインするだけでこんなにも美味い饅頭が食い放題なんて、なんて素晴らしいことなのだろう。饅頭うまい。今しかないなら急がないといけない。ほんと美味い。手渡されたペンを持ち、促されるまま羊皮紙にサインしようとしてふと手が止まる。

「……名前…………」

　俺はつぶやいた後、隣の人物を見やった。

「何か気になることがあるなら後で答えてやル。今はさっさとサインを——」

「君の名前は？」

「……ボクのことはアールと呼ベ」

「アール……俺の名前が分からない。——俺は誰なんだ？」

　俺の名前は何なのだろうか。アールは俺の知り合いなのだろうか。俺が何故ここにいるのか。ここで何があったのかも何もかもが分からない。　

　さっきまでの多幸感がきれいさっぱり消え失せた。俺は突然真っ暗闇の中に放り出されたような、宙ぶらりんで何もかもがすべて恐ろしく感じたのだった。