「庶子の乱」って何だよ!
疲れた一日だったけど、このままでは休めそうもない。吐き出したくて大量の贈り物を地下室に持ってく振りしてギッティ先生と話しに行った。みんなの様子やフェルディナント殿下との一件、マルガレーテ殿下が話してくれた事なんかを丸ッと一切合切だ。
お菓子を頬張りながら音楽会の下りは楽しそうに聴いてくれたのに、両殿下との事は興味が無さそうだった。
「先生はどう思います?」
「いいんじゃないか音楽会は。儂もその場に居たかった」
「音楽会の事じゃないです。殿下達の事です」
分かってるくせに~。
「特に…フェルディナントもマルガレーテも自分の心に描いた未来に向かって進んでる。何も言うことはない」
「呼び捨てしちゃダメだよ先生」
「お前には、解かってる様だから念を押す必要もないだろうが、友達として一生付いて行ってやる気がなけりゃあ必ず距離を置けよ。学友はいいが心の距離を取るんだ。マルガレーテの人生設計に巻き込まれて自分の人生が、お前の為の人生があることを忘れるな。一時の感傷で大切なたった一度の人生を誰かにくれてやったりするな」
ガサガサとまた一つお菓子の箱を開けて嬉しそうに笑った。
やっぱりだ。先生は皇族の方々からのお召しを有難がったり名誉だとする精神構造がない。シェファルツから来たんだっけ、あっちも王制なのに忠誠だの何だのって気にしないのかな。
「現実をきちんと把握出来る力があって先生は嬉しいぞ。フェルディナントに難癖付けられて手に余ったらダンテのとこに逃げ込め。予め言っといてやるが、最悪、もしかしたら事態はお前が思い描く未来をお前から奪うかもしれん。皇族が絡んでるからな。覚悟だけはしとけ。だからって挫けることは許さんからな。お前が自分を失わなけりゃ何処ででも人生は開ける」
未来を奪われる想像は私をゾッとさせた。心楽しくないけど頼もしい助言だ。私のは、千歩譲ってしょうがないかもだけど、家族の夢は奪わせたくない。
「でもいいんですか?ダンテさん頼ったりしたら、また面倒なことになっちゃいますよ」
「気にするな。儂らは逃げ足が速い。何処ででも生きて行けるしな」
「今は逃げないんですか?そういえば何してたんです?昼間」
考えてみたらダンテさんやクラリッサを連れてさっさと逃げればいいんだ。
「昼寝。逃げる時期を見計らってるんだ」
「絶対嘘だ」
「地下室は借りてるが巻き込むつもりはないから探ったりするんじゃない」
瞬間、先生の雰囲気が鋭くなった。
「はい…」
それは分かってるけどついつい好奇心が動いちゃうんだもの。
「そうだ。先生のご家族ってどんな人だったんですか?」
先生の魔力は強くてそれは寿命に直結するから長生きしてるはず。家族にも魔法師がいるのかな。
「儂か?訊いて楽しい話じゃないぞ」
「思春期はとんでもなくグレてたとか?下の兄弟は何処かの高官になってるとか?あ、話し難いならいいんですけど」
「そんなこたぁない。人が可哀想に儂を見るのが胸糞悪いだけで、本人は至って何とも平気なんだ」
「へぇ」
「儂は名前で分かる通り聖ルカスの生まれだ」
「はい」
「家族は貧乏の子沢山でな、強い魔力を持って産まれた息子を教育する金もないから、金持ちに奴隷として売ったんだ」
「はいぃ?我が子を、ですか?」
藪蛇でとんでもない事聞いちゃった。そんなの信じられない。
「自由都市には奴隷はいないから驚いたろうが、よくある話だ。悪い話でもない。奴隷主からすれば教育する代わりに魔法師として働かせられる。儂はそうして貯めた金で自分を買い戻せばいい」
「じゃあご家族の思い出なんて…」
「奴隷制のある国じゃ貧しさから子供を売るのは日常的なもんだ。もっと悲惨な場合の方が多いんだから、儂なんか悲劇でも何でもない。親も悪い人達じゃなかったんだろう、金の無心に来ることは決してなかった。だから兄弟がたくさんいたのは朧に覚えてるが顔なんかはさっぱりだ」
どうしたって可哀想だと思っちゃうけど、表情に出ない様に頑張った。
「寂しかったですか?お金の無心に来てくれなくて」
意外そうな表情をしてからちょっとだけ寂しそうに先生は笑った。
「ほんのチョットだけな」
(ありがとう先生)
ごく普通の家庭で育った私にこういう人生もあるって正直に話してくれたんだね。親元を離れて他人の下で育った。だから何処ででも生きていけるって気になるのかな?スヴェンにも訊いてみよう。もしかしたら、嫌だけど、こうなってきたら本当に覚悟は必要なのかもしれない。
心配するから家族に打ち明けられないことを、話せる相手が身近に出来た私がホクホクしてる間に、事態は目まぐるしく進展していた。
授業は翌日から通常に戻って登校する生徒数も日に日に増えて日常を取り戻しつつあった。
いつ何時故郷を離れないといけなくなるかもしれないから、私は一層勉学に身を入れて励む様になっていたある日、スヴェンが特別捜査官に連れてかれた。
校長が交渉したから逮捕は放課後を待たれたって話で、登校して吃驚した。
「ガブリエラ!」
「ネーナ!」
互いの姿を認めると私達は駆け寄った。
「兄様に他言無用と厳しく戒められておりましたの。だから直ぐにでも連絡したかったのですけど、出来ませんでしたの」
「嘘だよねスヴェンが犯人なんて」
「当然ですわ。じきに容疑も晴れます、必ず!」
スヴェンは当日都合よく体調不良で休んだことと、最近急に他の庶子達と連絡を取出してたこと、連絡係に特別捜査官でも正体を掴めない、得体の知れない連中を使っていたことが判明して連行されたのだ。
私達は授業もそっちのけで校庭の人気のない片隅で話しあった。
「庶子って兄弟で連絡取り合ったってだけでしょう?」
「スヴェンも同母兄弟がありませんでしょう?いきなりで驚いてましたけど、嬉しそうに返事していたのです」
だよね。母さんは亡くして父の陛下にはほっとかれて、自分を気に掛けてくれてる兄弟がいたらそりゃ嬉しいよね。
けど途中から連絡を取るのが憂鬱そうになってたらしい。理由を訊いても答えてもらえなくて、ガブリエラだって無神経に兄弟間のことに立ち入ることなんて出来ないもんね。ただ、帝都に呼ばれた、つまり移住を誘われたことは話してくれたそうなんだ。
「帝都で何があったのでしょう?きっとその所為でスヴェンは巻き込まれたのですわ」
そうとしか私達には考えられなかった。無関係な人間をしかも同じギムナジウムに通う仲間達を、無情に殺害する人物じゃ絶対ない。それにスヴェンが仕組んだのならガブリエラは巻き添えにしたりしない。自分に薬を盛った様に彼女にも盛って登校させないはずなんだ。
「スヴェンに会うことは出来ないの?」
直接会って話を聞きたいよ。けど彼女は頭を横に振った。
「差入れは許されているのですけど、面会は許されていないのです」
翌日には新聞に庶子数人を含む人達が、皇族暗殺未遂で逮捕された記事が載ってた。その罪を暴いて立役者になったのはエドゥアルト皇子の庶子だったんで、この事件は「庶子の乱」と呼ばれるようになった。安直じゃない?どことなく悪意のある命名だよね。
それでガブリエラんちは早々にスヴェンを放り出すことに決めた。縁を切るってガブリエラの父さんが宣言したそうで、娘にも金輪際関わり合いにならない様に告げたから、彼女は酷くご立腹で父さんだけでなく宮廷に出仕する姉や兄までこき下ろしてた。
アマーリエ講堂の火災は帝都でも大きく報道されたから、それまでもギムナジウムの周辺で記者が情報を集めてたけど、段違いに増えて誰彼構わず質問する様になってた。
もうお分かりかと思いますが、私はその標的になって家業に支障が出る程家にも押しかけられた。当然私に獅子人の血が顕現したことも取り上げられて、センセーショナルに書き立てられたのは噂で耳に入ってた。知らなきゃそれで過ごせたのに、そういう記事をわざわざうちに放り込んでく奴もいる。
敷地に落ちてた石を包んだ紙を何気なく広げると否が応でも文面が目に入って、それが酷いのなんの!下劣な創作記事で私とスヴェンが不純異性交遊してたりして、私は清純派の花も恥じらう乙女だっつうの。
家人は他にも拾ってて、どれも酷い物でしたよ、ええ。こういうのは公共の誌面じゃなくて、エロ本として密かに流通させるもんじゃないの?それにしたっておぞましさと怒りを同時に感じた。
カランタ市に流通する新聞は二誌しかなくて、他はギルド間で発行されてる物とかなんだけど、カランタ市だけでこんなに卑しい記事がたくさんある訳がない。明らかに他所の地方のも含んでるんだ。誰か知らんがどえりゃー暇じゃないかい⁉
取敢えず記者を引っ掴まえて調べてやろうと怒り心頭の私は、玄関に先回りした兄ちゃんに宥められた。
「何所に行くつもりだ。そんなんで飛び出したら余計にない事ない事書き立てられるぞ」
怒りの持って行き場がなくて苦しかった。自分のしようとしてることは間違ってるって、事態をもっと悪くするだけだって解かってても何もしないでいられない。感情が治まらない。
兄ちゃんとしばらく睨み合いが続いた。
「解かってるけど兄ちゃん。一を十、否百にもして嘘ばっかり書き立てられて腹が立つ!この怒りをどうしたらいいの⁉教えてよ」
「水でも浴びて頭を冷やせ!冷えるまで浴び続けろ!」
井戸の方角を指差した。
だから私は走ってって井戸に飛び込んだ。水を被るより手っ取り早いッて考えたんだけどね。
(冷たいいいぃぃ⁉)
水の冷たさに震え上がった。そりゃそうだ地下水は年中冷たいもんだし、季節はまだ春になり切ってない晩冬なんだもの。冷たいのなんのって、一瞬で身体の芯まで凍えた。
「お~い、売り言葉に買い言葉で井戸に飛び込むバカがいるとはね」
「何よ⁉」
暢気そうに顔を覗かせたのは姉ちゃんの未来の旦那ニクラスだった。来てたんだ。
「ほら、これで登って来い。毛皮じゃねぇんだから冷たかろう」
縄梯子を垂らしてくれた。
「恐れ入ります」
虚勢も張ってられない冷たさで素直に梯子に掴まった。
「早く昇って来なさい!もうバカなんだから、バカバカバカ」
姉ちゃんも泣き顔を覗かせた。いや、何で泣くの?
昇ろうとして早くも身体から体温が奪われて、手がかじかんで梯子をしっかり掴めない。すると急に水が温かくなった。
「へ?」
井戸の壁面に「バカバカバーカ」の文字が浮かんだ。
(絶対ギッティ先生だ)
井戸から出たらすかさず姉ちゃんが毛布で包んでくれた。
娘が身投げしたって父ちゃんも母ちゃんも腰を抜かして、兄ちゃんは言葉を失って魚みたいに口をパクパクさせてる。
何だよ兄ちゃん自分で言ったんじゃん。飛び込めとは言われてないけどさ。私としては頭を冷やしただけなんだけど、腰抜かす程両親を心配させちゃってた、ごめん。
兄ちゃんとしては、怒りを物にぶつけさせたら獅子人の破壊力で家まで壊しかねないし、何より私が怪我をしたら可哀想だから水で頭を冷やせ、になったらしい。
ああ、ホントに思い遣りが届かない妹ですみません。
それでも悔しくて悔しくて腸が煮えくり返って、でもこれ以上家族を心配させたくないから部屋に籠ってボロボロ泣いた。
ガブリエラだって酷く書かれてた。あんなに綺麗で女神みたいな後光をビシバシ感じる心も綺麗な女性を!スヴェンもガブリエラもそんな厭らしい、卑劣な人間じゃない。そんなの二人を知ってる人間なら明白な事実なのに、知らない人相手に面白おかしく書き立ててご飯のタネにして。そんなのをご飯のタネにするんじゃない。ご飯が不味くなんないの!
コンコンって軽いノックの音は兄ちゃんだった。
「兄ちゃんと話さないか?」
「ほっといて!…ごめん、今そんな気分じゃない」
「ネーナ、ホットチョコレート淹れたよ」
姉ちゃんの声が優しい。
けど今は無理なんだよ。ホントごめん、苛々するからほっといて。誰も私を構わないで。たったそれだけ告げるだけなんだけど、それじゃあ兄ちゃんと姉ちゃんを傷付けちゃう。ああもう!
「じゃあ、俺の話を聞いてくれ」
何も答えられずにいたら、戸の向こうで兄ちゃんが優しく告げた。
悪いけどそれだって鬱陶しい。今はホントに誰の話も聞きたくないんだよ。放っておいて欲しいの。私に兄ちゃんを傷付けさせないで。酷い事言わせないで。それでなくても私、産まれただけで厄介者なのに、家族にも親戚にも面倒掛けてるのに、これ以上酷い思いさせたくない。
「返事はしなくていい。兄ちゃんが勝手に喋るから、嫌なら聞かなくてもいいよ」
ハイハイ勝手にしてよ。腹立つなあ。私の気持ち解かってる様で解かってなんてないんだから!聴きたくないから聴かないんだからね。
「……何でお前ばっかりそんな辛い目に遭うんだろうな。俺達両親が同じ兄妹なんだから獅子人の血なんて俺に顕現してもよかったんだ。女の子なのに妹なのにお前にばっかり辛い目させてごめんな」
何でそうなるのさ。頭おかしいよ。兄ちゃんがこんな思いしなくていいんだから当然でしょ。私でいいんだよ。熊の心臓なんだし。他の誰にもこんな思いして欲しくない!
「怒っても俺に怒りをぶつけさせてやれない兄ちゃんを許してくれな。エルヴィラだったら殴られてやれるんだけど…。お前が殴っても平気な物が家にはないし。ちっこい頃から我慢ばっかりさせられて、大勢の友達や先生の命救ったのにあんな酷い記事書かれて。母ちゃんの言う通り善いことしたって素直に褒められない。苦しいよな。酷いよな。気持ちは痛い程解かってるのにどうもしてやれない、情けない兄ちゃんでごめんな」
そんなことないって、解かってるくせにそんな風に言わないでよ。悲しくなるじゃない。兄ちゃんは自慢の兄ちゃんなんだから。厄介者の妹にも優しい兄ちゃんなんだから、謝る必要なんかない!
「一番辛いのはお前なんだ。父ちゃんも母ちゃんもエルヴィラもそれは解かってる。大して力になってやれない家族だけど、これだけは覚えておいてくれ、俺達家族はネーナの味方だからな。どんなことがあっても、どんな時もお前の味方だ」
私はまた涙がどっと溢れて来て、どうしようもなくて枕をポカポカ叩いた。大声で泣きながら枕だけじゃ足りなくなって布団を叩いた。階下には私の号泣と破壊音が届いてたんだけど、今度こそそっとしておいてくれた。
ギッティ先生の朝は遅い。授業に間に合う様に起こすのが一苦労だとダンテさんも愚痴ってた。
就寝中です。襲わないで下さい。
家族には魔法が通じるけど私は獅子人の血を引いてるから、全く通じない訳じゃないけど効き目が薄い、なので地下室には私にだけ読める札が掛かってる。
「ならばお望み通りに襲って差上げますよ先生」
先ず地下室に降りる扉は突破した。次は先生の使い魔達だ。
〔こ、困るんでしゅ。ネーナに危害を加えちゃいけないち、でも通ちちゃいけないって言いつけられてるんでしゅう。お許ちくだちゃい〕
先生も解かってるから力強い番人なんか置かない。モフモフ系の小動物とかひたすら幼児型の魔物なんかを配置してる。前に眠れなくて真夜中に来ちゃったら、この数を頼んだ可愛い達に癒されまくったんだ。
「今日はあんた達に癒される訳にはいかないの。化けの皮を剥がしてやるわ」
心を鬼にして威嚇すると、元の姿に戻る(私が勝手にそう思ってるだけだけど)んじゃなくて、奥に控えたおっきな魔物にみんなして縋り付いちゃった。何それ可愛いじゃねぇか!
おっきな魔物というのはオラーツ氏だ。
彼もまた人間によって作られた生物の末裔だ。魔法師と闘わせる為に犬系の亜人と魔物が掛け合わされたんだ。人間に従わせる為に犬種は温厚で我慢強く賢いザンクト・ベルンハルトシュンドが選ばれた。先生も北方系獅子人が絶滅したのに彼が残ってるのは奇跡に近いって。魔物だから問答無用の召喚から逃れる為に先生の使い魔でいるんだそうだ。
能力の高い魔法師ならこの近辺を調べれば、我が家の地下に何かいることに気付いてしまう。探られた時先生の代わりにオラーツ氏の存在がフェイクになる。その為にいるだけで、魔物系は基本人間と関わらないからこちらから話し掛けても返事もしてくれないんだ。
小さな魔物にたかられてうるさそうに起き上がったオラーツ氏は、垂れ目が印象的な筋骨隆々の大男だ。のんびりした愛嬌があるのにお喋りしてくれないのは残念だった。
ホント人間なんかに興味ないんだろうな。私のこと一瞥しただけで、うるさそうに小さな魔物達を手の一振りで消しちゃって荷物に寄っかかってまた寝始めた。
(通っていいってこと?)
拍子抜けして茫然としてると、大きな手が振られた。通れって。
ならば気を取り直して進みましょうとも!
「先生!」
「うわあ!」
先生は寝床の上で飛び上がった。黒猫のイスメトが寝床から飛び出して何処かに隠れた。
「嫌ぁ、朝から何するのよ」
きつく握りしめた上掛を胸元に引寄せる。
教えてやろうとも、私は一晩中考え抜いたんだから。
「犯人をこの手で見つけ出します。何としても⁉」
泣いて浮腫んで目も腫れぼったいみっともない顔なんて、見せたくなかったけどゴーグルはつけなかった。目と目を合わせて覚悟を認めてもらわないと。
「もう、短絡的にそんな考えに飛びつくんじゃない。オラーツ、どうして彼女を止めてくれなかったんだ!」
オラーツ氏は手だけで答えた。知らん、って感じに横に振ったんだ。ってことはさっきのは「通れ」じゃなく「勝手にしろ」っぽいな。
「召喚関係解消するぞ、ったく!」
髪の毛をクシャクシャにするとそのまま体を掻き始めた。
(お風呂入ってます?)
臭くはないけど、そこんとこ気になる。のはほっとく。
「協力して下さい。先生だってもしかして、暗殺集団に依頼した真犯人捜してるんじゃないんですか?」
「捜してない!断じてな。そんなこたぁするだけ無駄なんだよ」
「何で断言出来るんです?」
「次の帝位に向けての権力闘争はこれが始まりに過ぎないからだ。有罪無罪関係なく人が陥れられて大勢の被害者を出す。そんなものに儂は関わりたくない。火災の実行犯や依頼した黒幕を捜し出しても、もう一方に利するだけだ」
「けどスヴェンは助かります」
次の帝位ってなんだ?遠過ぎて全然私の中に落ち込んで来ない。大きな陰謀を暴こうなんて私だって思ってない。無実のスヴェンを助けられて安心して暮らせる日常が戻ってくればいいだけなんだから。
「儂だって可愛い優秀な生徒を見捨てたくないのは山々だ。だがな、スヴェンは庶子で連中に目を付けられちまったんだ。これが最後じゃなかろうさ」
「だったら指咥えて見てろって言うんですか?」
「そうです。儂ら小市民に出来る事なんてない。質の悪い嵐だと覚悟してやり過ごすしかない」
何を失っても自然には逆らえないってそんなこと承服出来ない。
「私の大切な人達が傷付けられるのを指を咥えて何て見てらんないよ」
怒りで身体が震える。
「お前が何かすれば家族までカランタに居られなくなるぞ。自分が微妙な立場にいるのを自覚してるか?ないだろうが。今の所講堂の火災の英雄として同情が集まってるが、行動一つ、向こうの考え一つで共犯にされちまうんだぞ」
背筋が冷えた。芯が凍ってしまいそうだった。井戸水の比じゃない。
「お前は感情だけで突っ走しって第三者的な視点を持てないでいる。頼むから、いつもの人懐っこいけど冷静なネーナの視点を取り戻してくれ」
「……」
「苦しいなら愚痴だって何時間でも聴いてやる。破壊衝動を解放したいなら出来る場所を提供してもやる。だから我慢してくれ。それが最良の選択なんだ」
「そんな…スヴェンは?スヴェンはどうなるんです?」
「連中の駆引き次第だろう」
「それは、フェルディナント殿下やマルガレーテ殿下に訴えたら…」
「二人は蚊帳の外だ。フェルディナントは下手をしてここに追放された」
どうすればいいんだろう。感情的になってるのは認めるけどあんまりにも辛いよ。
「お前のことだけならマルガレーテを唆して別の自由都市に逃げるのも手だぞ。彼女の計画に乗れば問題は別次元に移るから、お前も家族も安全だ。自由を欲する皇女を護る獅子人の少女、悪くない看板だろう?」
父ちゃんや母ちゃんや兄ちゃんや姉ちゃんにはその方が良いのは解かる。
そうなんだ。私が下手に動いたら今度は家族まであらぬことを書き立てられて、私の大切な大切な家族が傷付けられるかもしれないんだ。
涙って涸れないんだな。また溢れてボタボタ床に落ちた。
「ううっ…う…」
洩れてしまいそうな嗚咽を必死で抑える。
「せ…先、生は、火事の犯人が、解かってるんですか?」
「実行犯はな…暗殺集団の一つだ」
「暗殺集団が、幾つもあるって、心楽しい事実じゃないね」
勢い込んで地下室に乗り込んだのに、現実に惨敗してまたみっともなく泣いてるなんて、何て情けないんだろう自分。
「朝から…お騒がせしました…」
傍を通り抜け様としたら超意外なことにオラーツ氏に話し掛けられた。
「お前、人を殺す覚悟はあるか?」
「へ?」
いきなり何て物騒な。
「人を殺す覚悟はあるか?と訊いてる」
「ないよ。絶対やだよそんなこと」
「なら蛆虫ってるのがお似合いだ、人間。相手はテメェの為なら何百人殺そうと歯牙にもかけない。そんなのにまともな神経で渡り合えると考えるな」
オラーツ氏の瞳は数々のその場に居合わさされた本気の瞳をしてて、言葉がなくても経験の凄惨さが窺えた。一体人間にどんな命令をされて、戦わされたんだろう。感傷的な涙なんて引っ込む程衝撃的だった。
「オラーツ、余計なことをペラペラ喋るなよ」
何て恐ろしい世界なんだろう。そうなんだ。事の発端からそうだったじゃないか。講堂が炎に包まれた時から私達はその世界に否応なく巻き込まれてたんじゃないか。九死に一生を得て生き延びたんじゃない。まだその世界に身を置いてるんだ。
「ネーナ聞くんじゃない。将来の為に勉強に打ち込むんだ。辛くてもそうして嵐をやり過ごせ」
「でも先生。勝てないにしても嵐に備えないと。後手後手になったら全部持ってかれる。強い風が吹き荒んで攫われて壊される」
「ネーナ」
「ギッティ先生お願いがあります。いつでも逃げられる様にお友達に紹介状を書いて下さい。お願いします」
「止せ、お前には太刀打ち出来ん」
止める声を振り払って地下室を出た。
勘違いかもしれない、だけどこれは私に与えられた使命の様な気がした。私がどうなっても家族やガブリエラやスヴェン、ギムナジウムで仲良くしてくれたみんなの未来が安全ならそれでいい。夢に向かえる環境ならそれでいいんだ
出来る事は小さいし何程の者でもないけど、それが私の生まれた意味なんだって。




