学者という名の愚か者
厄災の悪霊を追放して、ドロテーの代わりにヘルガがなって、それで一件落着したかっつーとそれが全然なんだな。
フェルディナント殿下はアマーリエ講堂の火災については潔白になったけど、じゃあ犯人はって公式には未だ不明のままだし、ヘルダーリンの奴も手ぶらでは帝都に帰れないんで居続けてるし、だけでなく、どうもガブリエラを狙ってて頻繁に周囲に現れてくれてる。彼女の美貌もさることながら、実家の財力や宮廷への影響力も半端じゃないからね。
女生徒達はキャーキャー騒いでるけど、私の胸はムカムカ騒いでて、獅子人の血なんだよね、絶対!目にする度に私の右腕が拳を握りしめちゃうんだ。バーデンは更迭されたらしいんだけど、だからどうしたって話だし。
日常が戻って来た様であっても、ギムナジウムの生徒だけでなく教師の心にも、放火犯はまだ捕まってないって恐怖が存在してるのは折に触れて感じた。
毎年アマーリエ講堂で行われてた「春宵祭」は中止となり、その代わりに市民の方々も来場してもらってのバザーが企画された。校長先生は生徒達が学校を嫌いにならない様に、暗い記憶を引き摺らない様に腐心されてる。収益は福祉に寄付されて、面白い企画なんかは賞が用意されてて、だから薬草研究部とかだけでなく有志でも自由な企画が進んでて、生徒達も「春宵祭」以上に浮かれてた。
私もヘルダーリンの奴のことは脇に置いといて浮かれたいんだけど、バーデンの置き土産に日々ストレスを溜め込んでる。
魔法生物や亜人を研究する学者達からのラブコールを、家族も私に隠しきれなくなったのは、絶滅したはずの獅子人を一目見たい、だの、直接私に研究協力を申し込みたい、って連中が押し掛けたからだ。勿論記者達もうるさかったさ。
そしたら暇人ってのはいるもので、今度は「ネーナ・ヴィンクラーの自由を守る会」だの「獅子人の権利を守る会」だのの連中が押し掛けて、そしたら「北方種獅子人保存会」(いつからあった、そんなもの!)なるものがしゃしゃり出て一触即発になったりして、一難去ってまた一難な始末だ。
今からでもバーデンとヘルダーリンを闇討ちして、家族の迷惑にならない様に国外に出奔しようかな~って、堪忍袋の緒が切れる前に動いてくれたのがまたもやリースマンさんだ。懇意の市議やなんかに働きかけて連中の立入りを規制してくれた。ギッティ先生も密かに裏で彼らの所属する学術団体なんかに働きかけてくれたそうで、大分目につかなくなったけど、私を研究対象にしたい学者連と守りたい人達の諍いは続いてる。
私の心情としては、何にも解決してない上に次の難が暴風となって降り懸かってきてる状態。
一日、私の武術の師であるクヴァシル神殿の神官フー師から呼び出しがあった。
基本亜人に武術や格闘技を教えるのは禁止されてるんだけど、かといってハーフや私みたいな先祖返りが人並外れた怪力の加減を知らずにいるのも危険で、そして何やかやと紛争なんかがあった時には戦力にもなるから、とかとかの理由で、市の上の人達が信用のおける師の下に幼い頃から通わされてた。現在は月に一度位教えを請いに行く程度になってる。
ゴットリープ・フー師は東方の血が混ざった方で、何処かオリエンタルな容貌をしてる。刃の付いた武器は私に持たされないからって、棒術に三節棍や旋棍、錘を教えてくれた。厳しい師ではあるよ。
「だからですねぇ先生、騒ぎは大きいんですけどぉ、私自身は拳で一発軽く決めた程度なんですよ。そりゃまあ素手で八つ裂きにして熊にでも食わしてやりたい奴はいましたけど、実際八つ裂きなんて無理でしょう?どう考えたって」
稽古の後お話したんだけど、超真面目な顔のままで筋肉をピクリとも動かさないから、内心が推し量れないんだよフー師は。イケメンじゃないけど精悍な男性だ。
「承知した。今後も貴様だとバレる様な暴力は行使しない様にしなさい」
おいおいバレなきゃいいのかよ。ちょいちょいフー師は感覚がずれてる。まあ、本当は私の師になんてなりたくないのに、私を獅子人だって診断したエイル神殿から話が回って、上の人達から押し付けられたんだもんね。
「フー先生は理不尽な暴力を強要されたことがありますか?」
「ある」
(あら即答)
「フー家に生まれた事自体が不幸だとも思った。才能があることと暴力の行使とは違うものであるのに、フー家の人間としては習い事では済ませてもらえなかっただけでなく、戦場に出されて兵士の士気を上げることを強要された」
「ああ、フー家は所謂、武家って奴なんですね。それは不幸でしたね」
「うむ、本家の当主にも家族にも理解してもらえず、結局理解してくれる知人を頼って神殿に逃げた。だから貴様に武術を教えることが嫌だったのではない。期し方のあれやこれやを思い煩って憂鬱なのだ」
(あらバレてた)
慌てて私は用意してた小箱を差出した。淡い蒼のレースの縁取りのあるリボンだ。
「これ頂いたんで、先生が喜ばれるかと思って、髪を結んだ時使って下さい。ほら、私も結んでるんですよ、お揃いです」
「おお!」
「先生可愛い物がお好きでしょう?」
「バレていたか」
「時々小声で心の声が漏れてましたから。長いんで半分こです」
「……私とお揃いは嫌ではないか?」
「全然。けど先生は常に神官服だから使う機会が中々ないですよね。お揃いだからお稽古の時にでも結んで下さいよ。師弟で揃いになれます」
フー師はほんの少~しだけ笑った気がした。
「父に、自分の顔を鏡でとっくりと見て物を言え、と言われた。嫌悪感丸出しでな。花柄や可愛い小物が好きだと打明けた時だ。確かに私は男として美しくもなく、武骨な醜男でそんな物が似合う訳がない」
「何言ってんでしょうねお父さん。そんなこと言ったら、女の八割は可愛い物見てきゃわきゃわ出来ないじゃないですか」
「で…出来ないか?」
驚いたフー師に私は人差し指を立て振ってみせた。
「そうじゃないですか。女に生まれただけで可愛い女になれるものじゃないですよ。可愛い女の子になる努力が必要なんです。私は適当なとこで手を抜いてますけど、自分が可愛い女の子に見える為にみんな凄く頑張ってるんです。可愛い物見て可愛いってはしゃげなきゃ可愛くないでしょ?バカにしてる女の子は可愛くないじゃないですか」
「そうか」
「そうですよ」
「このリボンは大切にさせてもらう」
「はい」
「話は変わるが、今日呼立てたのは事情を聞くだけではない。三点あってな。一点目はこちらにも研究に協力する様説得して欲しいと話が来ているのだ」
「やな連中!断っちゃって下さいね。それだけはお願いします」
「うむ、耐えねばならぬことも多かろうが、これからの長い人生でも幾度もあることだろう、暗黒的感情の吐き出し方流し方を会得する様にせよ。貴様がしたと分かる様な暴力の発露の仕方はくれぐれもせぬ様にな」
(おいおい、ホントにそれでいいのか)
「もう一点は暗殺集団討伐への参加の打診である」
「それって…?」
「うむ、聞くのも辛かろうが、貴様の学校のあの…火災を成した連中の、この地方での根拠地を発見したので、討伐に加わって欲しいというのだ」
フー師も私の気持ちを慮って、アマーリエ講堂の火災(最早虐殺未遂って言っていいよね)を口にし難そうだ。
「従軍年齢に達してませんが私が参加させてもらえるんですか?」
暴力は嫌いだ。人の命を奪うのは凄く怖い。けど問答無用で私達を害そうとする連中は許せない。
「うむ、貴様はアマーリエ講堂の英雄だ。その英雄に来てもらってこの件に大義を与え、かつ決着をつけたい思惑と、連中の中に半亜人がいるという実利からだ。年齢に関しては貴族でも若くして家督を相続したならば例外もあるし、戦時は見て見ぬ振りをされる。問題はない」
「成る程成る程」
「貴様は暴力を好む性格ではない。それは私と同じであるから参加に抵抗もあろうが、初陣を果たしておく方が良い」
フー師はちょっと苦しそうに告げた。初陣とは大層だな。
「元から貴様に武術を学ばせたのは健康の為などではないと承知しておろう?聖ルカスが起こした戦争が拡大の一途を辿っている。我が国が加勢するもしないもまだ決しておらぬが、加勢するとあらば出征した兵の代わりに国内を守る義務が生じる。分かるか?」
「はい、その場合否応もなく召集されるんですね」
「うむ、なるべく私の側に居られる様働きかけもするが、その前に初陣を果たしておくに越したことはない」
「討伐には先生も?」
「行く」
警固隊の隊員が足りないなんて訳がないから、きっと私の為に参加してくれるんだ。
「はい、お話よく分かりました。お受けさせて頂きます」
「決断が早いな。本当に理解しておるか?」
「はい、私も最近、大分色々ありましたから」
警固隊の庁舎でバーデンの部下を殺したと自覚した時、私の中で何かが変わったんだ。血が苦手なダンテさんが頑張ってその人を助けてくれたけど、それでも変化はそのままだった。
言葉に表現するのは難しい。仮に表現する言葉があったとしても私は知らない。人の命の脆さを体感し、自分は人を殺せるんだと認識し、知らなかった私が壊れて知った私が生まれた。人の人生を終わらせた私の人生は続いてる不思議。そういったものが私の中でごちゃとごちゃと一時に溢れた。人を殺した事のある人はみんなそんな思いをするんだろうか?フー師に問うてみたかったけど、巧く話せる自信がなくて問わなかった。
「………そうか。深くは問わぬ。吐き出したく成れば我が元に来るといい。聞くだけならばしてやろう」
「ありがとうございます。その時はお言葉に甘えますね」
明るく返答したものだから、先生は何だか意外そうなどう反応すればいいか迷った表情になった。
「では続ける。最後の一点だが、我が国出身の剣聖を得ようとする動きがあってな。これも戦争に起因するものだ」
私に繋がる糸口がなくて?だったが説明を黙って聞いた。
「現在エウリュシア大陸に三人の剣聖がおられるが、二人はシェファルツ王国、一人はアルトワ・ルカスでわが国にはおらん。近い内にもう一人剣聖が誕生するという情報があり、それもシェファルツ王国だ。アルトワ・ルカスの剣聖ダユーが才能を認めた人物であるという」
「はい」
シェファルツ王国は強兵の国でもあるもんな。才能のある人が多いんだ。
「亜人に剣聖位が与えられた試しはないが、剣技を磨いた者はいる。貴様も候補者達と共に剣技を磨いて来てはどうか、という話だ」
「私に剣技を磨かせていいんですか?」
「現剣聖候補は練習相手に熊人を使っているそうだ。最強の熊人と言っていい白熊人の子熊のミーシャが相手なのだ」
「子供なのにもう最強の称号を⁉そりゃ凄い人を相手にしたものですね」
驚いたのも束の間、もう子供ではないそうだ。
「教えてくれた方の言葉をそのままにすると「ガキの頃から強くてブイブイいきっててよ、ガキの癖に強いってんで子熊のミーシャ。大人になってからはガキの頃からブイブイいわせてたんだぜ!の子熊のミーシャ、ってな。熊人で最強の白熊人で、白熊人で最強の子熊のミーシャだ覚えとけってこった」とのことであった」
「要するに大人になっても変わらず暴れん坊のミーシャさんなんですね」
たまに心が成人しない人っているよね。学者なんかも好きな物をがむしゃらに続けてるって感じするものな。その熱意がウザかったりするんだよ。
「で、向こうが熊人ならこちらは獅子人ってことですか?」
大人が考えたにしては対抗意識剥き出しで安直過ぎないかい?北方種の獅子人が私だけだからって最強を名乗らされたりするの?
「職人横丁の者共は貴様に好意的だが、市のお偉方ではそうではない。体よく厄介払いしたい考えもチラチラ窺えるというものだ」
「そこまで邪魔ですかねぇ私…」
そう考えたらなんだか落ち込んじゃう。
「私個人の考えとしては気にしてやる必要はない、と助言しておこう。野に咲く花を愛でるか、雑草として刈るかはその人次第。悪意ばかりを気にしていたら身が持たんから止しておけ」
「その言葉有難く受取っておきますね。じゃお断りしますってことでお願いします」
「承知した」
ホッと安堵というより、課せられた苦しい難問を果たした後の呼気をフー師は洩らした。
「身分を問われず自由に生きられるカランタとはいえ、人の世に生きれば不本意も往々にして強いられる。貴様だけではない」
「はい、はは、その言葉の意味をここのとこよく身に染まされてます」
「であるか。したが、私もここに居ることを忘れてくれるな、よいか?」
私は思いっ切り笑顔で返した。
「はい」
この時、フー師はもう一つ言伝を受けてたのを告げなかった。「皇帝の庶子として輝かしい未来のあるスヴェンに近付くな」ってものだ。
ネーナの未来だって輝かしいはずだ。この友情が悪いはずがない。そう考えたのだと後年告げられたんだ。つくづく善い人達に恵まれたよなあ、私。
帰ったら父ちゃんと母ちゃんが工房の片隅でへたってた。
もう学者からの手紙を読むのは止せって言ってるのに読んじゃったんだ。
学者だから許されると思ってるのか、連中は非人間的な要求を平気でするんだ。今度のは北方種の獅子人の血を引くと思われる男性と子孫を作って欲しいってので、まあこういう提案は何度もされてんだけど、子供一人で幾らとかの金額も提示されてた。
「読んだだけで頭に血が昇ったんじゃないよ!返事を書いてやろうとしたら、文面考えてて白熱したんだよ」
頭に濡れタオル乗せた母ちゃんは薬湯を苦そうに飲んだ。父ちゃんはまだ顔を蒼くしてる。
「似た様なもんじゃない。もう読まないでよ」
研究への飽くなき情熱ってもうもうウザい!頑張ればいつか認められるって思考をどうにかして欲しい。
家族は私を愛してくれてるし私も愛してる。だからこそこんな事続くなら、やっぱ愛して離れることを考えなきゃいけないのかな、って考えちゃうよね。
ネーナ十六歳、乙女心揺れる春。
って感傷に耽ってたのに、
「お嬢さん荷物運んでくれませんか?重くって」
って住込みのエーレンフリートさんから声が掛かって、表にどっさり荷物が届いてた。バーデンが乗り込んで来た時壊されたんだよねゴーレム。行きゃあいいんでしょ、行きゃあ。
雅なことにギムナジウムでは長い昼休憩に、ヴィオラ・デァリーヴって弦楽器が頻繁に演奏される様になった。演奏者は音楽教師のダンビエ先生だ。甘く温かい音色が流れると誰もが心癒された。
「今日も心の温まる演奏だねぇ、ずっと聴いてたくならない?」
「奏者として宮廷にだって勤められる腕ですわ、素晴らしい」
そういうガブリエラは時折曲に合わせて歌ってたりする。
「ダンビエ先生が演奏された日は植物もよく育つよね」
薬草研究部としては有難い話である。スヴェンはお弁当をグリットことマルガレーテ殿下と分け合ってる。グリットはフルコースの昼食を止めて一般の学生の様にお弁当を持って来る様になった。それでも豪華なので独り暮らしになったスヴェンもご相伴してるって訳だ。温かい珈琲もポットで届けられる。
彼女がいるとヘルダーリンも近寄って来ない。彼女の背後にいるブライトクロイツ公に遠慮してるんだってさ。ほほほ、なんかあったね。ブライトクロイツ公、感謝。
「昨日ブライトクロイツの方から情報があったわ」
「フェルディナント殿下の処遇が決まったのかい?」
釈放されて帰って来られるのは嫌だとは口に出来なくて黙ってた。
「それもあるけれど、貴方の爵位が決まったの。父上様はこの学年が終わったら帝都に呼寄せるつもりよ」
「ずっと断ってるのに!もういっそ庶子年金も断ろうかな」
「生活費はどうするの?」
「僕は慎ましく暮らしてるし、アパートメントもガブリエラがただで貸してくれてるから、大学卒業してもしばらくは困らない貯蓄があるんだ」
飾らないスヴェンは物欲もないしね。頷ける。
「でもさ、どんな爵位か興味あるよね。何処が決まったの知りた~い」
「でしょでしょ!折角情報を持って来たんだから聞いて聞いて」
「ネーナ!グリット!」
グリットと二人ではしゃいでるとスヴェンが渋い顔した。
「まあまあスヴェン、わたくしも知りたくてよ」
「そうそう、スヴェンだって実は知りたいでしょ~~。貰う貰わない関係なくさ、心の何処かで知りたい~、って気持ちあるでしょ~~?」
肘でツンツンとスヴェンを突いてやった。
「聞いとかないと断る時心残りになっちゃうかもよ。それを断るんだ~、って覚悟しとかないとさあ」
「分かった分かった。はいはい、で?何処って?」
渋々応じてくれた。
「わ~い。グリット何処だって?」
「では発表しましょう。最終的にルウル伯位とケルテンデン大公位が上がってたのよ」
「げぇ!ケルテンデンって」
「はいネーナ、最後まで喋らせて。そのケルテンデン大公位が授けられることに決まったわ。因みに皆さんお解りでしょうがライムントより上よ」
最後の一言がスヴェンに響いたみたい。
「ライムントのクソより上……」
って顔がにやけてた。
「一言余計だよグリット。あいつより上になるってだけでグラッきた」
「え、しっかりしてよスヴェン!けど確かにあいつより上位って魅力だよね」
「ほほ、ならいっそ貰ってしまったらいいのではなくて?わたくし達だって帝国の有力者が友達だと何かと心強いわ」
「止めてくれ誘惑しないでくれ。土台領地経営なんて僕には無理だ。第一ケルテンデン大公だよ」
ケルテンデン大公領はここいらの自由都市連合も含んでるから、扱いが難しくて現在空位なんだ。
「やってみなければ判りませんわ」
「曲がりなりにも父上様が帝国の経営が出来ているのだから、それを考えたって大丈夫よ。私も力になるわ」
自由都市連合が結ばれた地方はシュタットシュタイネンと呼ばれて、ケルテンデン大公はシュタットシュタイネン総督を兼ねてる。中心はボルディアブル市だから、大公になったら総督府のあるらそっちに移住することになって、他の大公領に居館もあるから、たくさん拠点を持つことになるんだな。
「貴方はカランタ市で成長したのですものね。その事実だけでも自由都市連合は諸手を広げて歓迎してくれるでしょう。ロットシルト家の後援があることは陛下だってお解りなのだし」
ロットシルト家の後援はあるだろうけど、自由都市連合がそんなに簡単に喜ぶだろうか。政治学はチンプンカンプンだ。
「ホントに?そんなものなの?」
「亡くなった前大公ウータ・トルデリーゼ様はリベラルな方で、政治手腕もおありだったから、自由都市連合からの突き上げで追放されずに済んだのですけれど、大公位を誰に継がせるかで帝都と自由都市連合は何年も折衝していたのですわ」
「権威主義的な人物を据えたりしたら、下手したら自由都市連合の離反を招いてしまうものね」
グリットも同意する。
自由都市連合側はこちら側で学んだことのある皇族を望んでたけど、学んだからって思想を十分理解して宮廷と自由都市連合の仲裁が出来るかっていうと、皇族だから支配的な思想からは逃れられなかったりして人選は難航してた。決まったってことは自由都市連合もスヴェンで承知したってことなのだ、とグリットが説明してくれた。
スヴェンの人柄がどうして分かったのかっていうと、庶子の務めの一つとして当地の市長と月に一度は会食をしたりしてたからだ。その席に他の市の重役の同席は普通にあった。
「気にしてなかったのに。今にして思えば最近やたら人が増えてたよ」
下層階級からの叩き上げで市議となった人達も多い。スヴェンはそういう人達を尊敬してたから、会食させられるではなく、会食させてもらえると考えて、バカな返答をしない様に気を引き締めて臨んでたんだ。真面目だね。うんうん。
問われる事柄が難しくなってたのは、自分が大人と認められてきたからだ、と考えてた。
「いや、僕は断るから⁉ケルテンデン大公なんて僕には務まらないから⁉」
「ええ~、私スヴェンだったらお願いしたいなぁ」
うん、割とマジな話で。
「あのねぇネーナ…」
「そうですわよ、ロットシルト家に関係なくわたくしも全力で応援しましてよ」
「私もここに居易くなるから大歓迎だわ。応援を惜しまないわよ」
「君達ねぇ…」
苦り切ってスヴェンは言葉が見付からない。
「でもさ、そうすると妬ましい派から本気の嫌がらせがないかな?ケルテンデン大公領は広いし実入りもいいんでしょ?」
「妬ましい派って、ネーナ」
いいんだよ。妬ましがり屋の庶子達なんて長いでしょ。この場合正嫡の殿下達も入るかな?
「そこは心配ないわ。連中は間違いなく一刻も早く大公位に就いて欲しがってる。若輩者に難しいケルテンデンの統治が出来るものか。精々盛大に失敗して恥をかくがいい!ってね。それこそ何もしなくても失脚してくれるって大喜びしてる。賭けてもいいよ」
「うわ~、性格悪~い」
「でしょう!うちの兄弟軒並み性格が悪いのばっかりなの。私とスヴェンが別格!」
それ言っちゃいますか皇女殿下。
「淑女達、人の気も知らず他人事だと思って好き勝手言ってくれますな」
「他人事ではなくってよ。この市に、わたくし達の未来に関係してくるのですもの」
「いつ報せが届くか分からないけど、それまでゆっくり考えればいいのよ」
淑女っていうか女傑達が瞳を輝かせてた。君達言葉以上に何か企んでない?
「陛下は直ぐにでもスヴェンを手元に置きたがってるんだよね。爵位を受けたらそのまま帝都に残らされちゃうんでしょ?」
父の下に息子がいるのは自然だとしても寂しくなるなぁ。
「どうでしょうかしら?連合はギムナジウムの間はこちらで、と考えておりますのよ。多感な頭の柔らかい内に帝都で教育されるのは避けたいのですわ」
「回り回って私にまで情報が来たってことは、連合側の準備も進んでるでしょうね」
「準備って?」
それ不吉なことを尋ねる顔だよスヴェン。
「宮廷に染まらせられない様に側近という名の教育係だとか、相談役とか…ああ、教師は教師でも性教育係の夫人もあてがわれるかも。ライムントの母もそうだもの」
「うえええええぇぇ⁉」
これは私とスヴェンが合唱した。
「そんなそんな、そんなことをサラッと口にしないでよグリットォ」
「隠しても始まらないじゃない。何処から宮廷側が入り込んでくるか解らないから、万全を期してくるはずよ」
「抜かりはないでしょうね」
ガブリエラも冷静だ。いいのそれで!
「ハッ、もしかしてフェルディナント殿下に居るんだよねそういう人。グリットにもいるの?」
「まだ早いわよ。ただどんな男性が好みかって打診はあったわね」
「うおおおおおぉぉぉ、そうなんだ!そうなんですね」
生臭い問題は生理的に俄かに受け入れ難いものがある。そこで終わって良かったよ。
「近日中に護衛騎士やら側近やらが大挙して押し掛けることになるわ」
「じゃあ私は近付けなくなるなぁ」
「ええ⁉」
「心配いらないわよ。私が襟首掴んで大公殿下のお友達よ!って連れて行ってあげるから」
「待って、待ってくれよ。まだ話も来てないし、というか受けるつもりはないからね僕は。以前から言ってる通り、話が来ても断るよ!」
出来ればそうであって欲しいけど、この国の未来を考えたらスヴェンみたいな人も有力者として必要だよね。友達としては寂しいけど、かといって友の選択を蔑ろには出来ない。
いつか来ることは解かってた未来が、いきなり真ん前に来た感じがした。