プロローグ
足跡をつけるのが躊躇われる程真白な雪が一面に積もった朝だった。
一番凍える頃でゴーレムが除雪してくれるけど、追い付かなかったら登校に時間が掛かるから嫌々早目に家を出た。防寒着でブクブクの格好ですんなりギムナジウムには着いたけど、門を潜った辺りでまたハラハラと雪が降って来た。
私ネーナ・ヴィンクラーが通うカール・フリードリヒ・ギムナジウムは同名の大学の付属学校で、ノリキ=エスタリヒ帝国のカランタ自由都市にある。鉱山で栄える自由都市連合の一市で、学園都市とも呼ばれる帝国でも名高い学校が多い都市なんだ。
それもそのはずで、私は生まれも育ちも自由都市だから肌感覚としてわかんないけど、自由都市連合の外はキッチリした階級社会だから、自由に勉強出来ないらしい。領主の中には下剋上を心配して領民の教育に熱心でない領主もいるし、成績が良くても貴族や良家の子女が優先されると聞く。
だから貧しくても成績が良ければ奨学金が貰えて、身分の上下を問われない自由都市に優秀な頭脳が集まっちゃうんだ。
ま、ここにそういう差別が全くないか、といえばそうでもないけど、外から編入した学生達は口を揃えて自由だというから、外はもっと身分差別が厳しいのだろうと推察してる。
園内では花柄のゴーレム達が除雪してたから外よりも歩き易かった。
(雪の日って何でこんなに静かなんだろう)
黙々と作業するゴーレムは私が傍を通る時も黙礼するだけで、怖い位の静寂が強調されて本当に意味もなく怖かった。
ギュギュっと雪を踏む音がして何かが動く気配があった。反射的にそっちを見ると巨大な垂れ耳兎が積み上げられた雪の上に頭を覗かせてた。
(デカッ⁉)
何か作業をしてるのか、規則的に上下して少しづつ後ろに下がってる。
(誰かの使い魔?新しいゴーレム?毛皮つけてるゴーレムって見たことないな)
兎がつけたにしては人間的な足跡があったからそれを辿ると、積み上げられた雪の壁の裏で垂れ耳兎の被り物をした人が、鍋から雪に琥珀色の液体を落してた。
「飴だ。飴細工作ってるの?」
飴は大好きだ。
作業に熱中してた垂れ耳兎さんはビクッと驚いて鍋を落としそうになった。
携帯用のコンロにもう一つ鍋があって小人ゴーレムが火の番をしてる。
「だ…誰?」
背が高いし声が凄く低いから男性だ。声だけだけど若くて何となく同い年か年上位に感じた。
「あ、いきなりごめんなさい。私六年生のネーナ・ヴィンクラーです。おはようございます。飴を作ってるんですか?」
「ああ、学生さん?はい、子供用に喉薬を甘い飴にしてみてる」
作業に戻る。寒いから火から離したら固まらない内に形にしないといけないからね。
丸型だけじゃなくてプレッツェル型とか文字型とかがあった。可愛い。
「ええ!美味しそう、甘いんですか?」
「甘いと思うよ。その為に蜜蝋もたっぷり入れてるから」
彼が落とした飴が雪の上で固まると小人ドワーフが素早く大きな瓶に放り込んでる。
「お手伝いします」
「でも用事があって早く来たんじゃないの?」
「いいえ全然。道が閉ざされない様に雪が積もったら早めに家を出ることにしてんです。だから授業が始まるまで暇だから手伝わせて下さい」
「そう?じゃあ出来た飴を瓶に入れてくれる?」
寒さで固まった鍋を小人ゴーレムに渡してコンロからもう一つの鍋を取った。
「じゃあこっちへどうぞ、こっちの雪はまだ使ってませんよ」
雪で固めるなんて何ていい考えだろう、ワクワクして兎さんをまだ使われてない雪の方に案内した。
今から考えたら人懐っこいというか、警戒心が無いというか、初対面の人にも臆さない性格だったから、何処でも直ぐに知り合いを作れた。
垂れ耳兎さんはダンテと名乗って、お喋りな私を嫌がる風もなく質問にも答えてくれた。
「ダンテ・ギッティさんですか?」
「伯父がフルヴィオ・ギッティで薬学の臨時教師として雇われたんだ。俺は助手」
薬学の先生は病気で最近長期休暇に入っていた。私は家の稼業が薬屋で薬学をする為に入学したから、早く後任が決まってくれないと困るんだよね。薬学は魔法学部や医学部の生徒にも必須だから、もう一人先生がいたけど生徒も多いし大変そうだった。
「じゃあ私の薬学の先生になりますね。家が薬局してるんで勉強したいんです。何か人手がいる時はお手伝いしますよ」
「ありがとう嬉しいよ」
寒いから鍋の中の飴も直ぐに固まって何度も鍋を交換した。
「この喉薬はオリジナルですか?」
「いや、オズレム・セレンギル博士の『調剤事典Ⅰ』にある基本的な調剤法そのまま」
「でも『調剤事典』の調剤法って、良く効くけど材料の調達が難しくないですか?」
「最近までは調達が難しくない所に居たんで、ある程度材料は持ってるんだ。材料が古くならないうちに作ってしまおうと思って。よく知ってたね、それも授業で習った?」
「セレンギル博士の薬は良く効くんで、高めでも直ぐ売れるから材料が入ったらうちでも作るんです」
「それも手伝ってるの?」
「はい。家族経営なんですよ。私が初等部に入学した頃から薬局が軌道に乗り出して、それまではゴーレム買えなかったから、薬擂り潰したり薬草の花と実の選別なんかを手伝ってました」
「面白くなかった?俺も伯父と一緒に同じことしながら暗唱したり昔話聞いたりして楽しかった」
「ですよね。面倒臭いけど、近所の奥さんや娘さんが手伝いに来てくれて、皆でお喋りしながら作業するのは楽しかったな。誰もいないとつまんないけど」
もうそういう機会も滅多に無くなってしまった。商売が順調なのもあるが、私自身も勉強が忙しくなってきたからだ。
「じゃあ卒業したら君は家業を手伝うんだ」
「両親は専門の大学課程を修めて欲しいって。兄と姉がいるんですけど、どちらも調剤とか薬の研究よりは、材料の調達とか薬の販売の方が性に合ってるっていうんで、私が家業の本業を継ぐことになりそうです」
「兄姉がいるんだ。仲が良いのかな?」
「兄、姉、私なんですけど、歳が離れてるんです。兄と姉は兄妹喧嘩するけど二人共私には優しくて。姉は春に取引先の息子さんと結婚するから花嫁衣裳作りに夢中になってます」
布で作った小さな花を散らしてドレスに縫い付けたり、髪飾りのリボンの色を何色にするかに悩んだりしている姉ちゃんは幸せそうだった。勿論私も参加してる。
一つ姉ちゃんが懸念してるのはお相手の男性が魔力が強くて自分より長生きするということだ。共に老いることは出来ない。
このカエルレウス世界では誰もが多少なりとも魔力を持って産まれる。ただほとんどが持ってても使い様のない魔法の場合が多くて、大多数の人が百年から百五十年の寿命で終わってしまう。
魔法師になるには四百年以上の寿命が見込まれる魔力が基準だとされていて、魔法学部を受験する際は寿命も選考基準の一つだ。寿命は神殿で計ってもらえるが計れる神殿は決まっている。
姉は精々二百年と計測され、お婿さんは三百年を超えるらしい。
そんなだから我が子より若い容姿の親も多いが、一般的にはやはり親の方が先に老ける家庭が圧倒的多数だ。うちは母が魔力が強いので、両親が並ぶと親子に見える。
因みに薬局は母方の家業で母の実家は帝都で家業を続ける老舗だ。
私はお喋りなので、聞かれなくてもベラベラと自分でも呆れる程に話してしまうのが常だ。
「粒を揃えてませんけど、誰かに上げるんですか?」
「旅の途中でお世話になった孤児院にね」
大きな神殿には病院か孤児院が付いてて、安宿を提供して収入を得たりしている。
「ところでその被り物は防寒着代わりですか?」
「それもあるけど趣味。手作りなんだ他にもいくつか作ってる」
精巧に作られてるからかなり器用なんだろうな。毛並みだってフワフワしてて触りたくなる。
「目は魔晶石嵌め込んでますよね。けど兎は両側に目があるじゃないですか?視難くありません?」
「うん、だから目の位置はちょっとずらしてる。けど目に魔法を掛けてるから正面から来られてもちゃんと見えるんだ」
「ええ、魔法掛けてるんですか、見てみたいです!」
「ごめんね、伯父さんに禁止されてるんだ。皆欲しがる様になるから、あげるんじゃない限り被らせたらダメだって」
「残念です。でも魔晶石って高いでしょう?そんな風に使うなんて贅沢だなあ」
「自分で作ってる」
「自分でぇ⁉」
私が目を剥いて驚いたんでダンテさんはたじろいだ。だってこれは驚かずにいられないよ。
魔晶石は魔法者の魔力が大きく必要になるし、魔法者の能力も製品の質を左右してしまって、均一な製品を複数個作るのも難しいから量産品じゃない。うちでも少量取り扱ってるから、レンズ大の大きさの魔晶石がすっごく高額なのを知ってた。ある意味宝石よりも価値がある。だから魔法を掛けた魔晶石を自分で作っているとなるとかなりの魔法者なんだ。
「凄いですダンテさん!」
「そ、そう?ありがとう。でもあんなもの魔法陣があれば作れるじゃない」
「作れますけど、ダンテさんはそうやって作ったんですか?呪詞の文句や発声間違えたらダメでしょう?」
練習する時は一続きでは発声せずに必ず幾つかに分ける。
「俺は魔法陣を助けにして自分の魔力で作るけど、師匠…伯父さんは呪詞の訓練だって魔力抜きで作らされることがある」
「難しいじゃないですか!呪詞によっては太古の言葉だったりするでしょ?」
「覚えればいいだけじゃない」
事も無げに言われて私は自分でも解かる程大口開けてしまった。
「ダンテさんは出来る人だぁ」
「うん、まあそう言われるけど…伯父さんにマンツーマンで教えてもらってたからよく分からない」
(否定しないで自分で言っちゃったよこの人!)
そして何となくあることに気付いてしまった。
「もしかしてダンテさんって本を一、二度読んだら暗記しちゃう人?」
「他の人は違うんだよね。俺も最近まで知らなかった」
その時ガブリエラがヒョイと雪の壁の裏を覗いた。
「あ、やっぱりネーナの声でしたわ。おはよう」
「ガブリエラ、聞いて!ダンテさんって凄い人だよ」
「おはようネーナ」
ガブリエラの頭の上にスヴェンの頭が覗いた。
「おはようスヴェン。あ、忘れてた、ガブリエラおはよう。二人共聞いて」
「聞いていましてよ。ダンテ氏が凄い方だから貴女は朝の挨拶を忘れる程興奮してしまったのよね。ホント誰とでも仲良くなれるのですから、この子ったら」
「羨ましい才能だよ」
お喋りしながらもダンテさんは喉飴を作る手を休めなかったから、私も雪で固まった飴を次々に瓶に入れた。
「で、二人で仲良く飴を作ってらっしゃいますのね。ロマンティックだこと!」
「これは子供用の喉飴なんだって。ダンテさんは新しい薬学の先生の甥御さんで助手だよ。先生見付かってくれてよかったよね。作りながらお喋りしてたんだ」
「それはさぞうるさかったことでしょうね、ダンテさん」
スヴェンが揶揄った。
「そうでもない。楽しかったよ。作業も早く終わったし」
私は最後の飴を雪の中から拾い上げて瓶に入れた。
「良ろしかったわ。貴女のお喋りが邪魔になるだけじゃなくて役に立って」
「確かに私はお喋りだけど二人共それはないんじゃない?」
ダンテさんが笑ったんじゃないかな被り物の奥から吐息が聞こえた。
「手伝ってくれてありがとう。終わったからお友達と行ったらいいよ」
「あ、はい。また用があったら気兼ねなく呼んで下さいね」
それが垂れ耳兎のダンテさんとの出会いだった。