足掻いて何が悪い
次の日の今日は、タクシーを使った。
ロン爺ちゃんの取材まではいつも通りで、その後、薬を買ってからの移動はタクシー。
そして今回は、猫に爪を立てられても大丈夫なように二枚ほどシャツを重ねて、薬の瓶は割れないように鞄の方に入れた。
そうしてあの女の子の家の近くで降ろしてもらって、そこから歩いて行くと。
・・・いた。
女の子と子猫が木の上に。
ああ、良かった。
まだ助けてもいないうちから安心するなんて変だけど。
でもどうしてか、そういう気分だった。
門の横に鞄を置いた、万が一にも薬瓶が割れないように。
そして木の下まで行って、俺は女の子と子猫を受け止める。
今回は木の枝も上手く避けられたぜ。
慌てて飛び出してきた母親に軽く手を振って答えてから、今度はレストランへと向かう。
駐車場で発作を起こしたじいちゃんに、鞄にしまっておいた薬を飲ませ、救急車を呼び、家族に連絡する。
今回は間に合った。
やっとどっちも助けられたんだ。
俺は安堵の息を吐いた。
すごく、すごく、嬉しくて。
どうせ明日もまた同じ今日がやって来るのに馬鹿だな、そう思うけれど。
誰も、俺がこんなに気を揉んでるなんて知らないのに、そうも思うけど。
だけどやっぱりとても嬉しかったんだ。
その後も、おばあさんの買い物袋を持ってあげたり、迷子を交番に連れてったりと色々やった。
良いことをして気分が良くなる、自分がそんな単純な性格をしてるって事に今まで気づきもしなかったよ。
あまりの変わりように、自分でも笑っちゃうけどさ。
そのうち、そんな活動もルーティン化して効率よくやれるようになって、だいぶ時間の余裕が出来たから。
俺は何か趣味を見つけることにした。
だって気がついたんだ。
朝になれば持ち物も時間も行動も、何もかもが巻き戻るけど、記憶だけは。
俺の中の記憶だけは、一つひとつ蓄積される。
失うことなく俺の中に貯まっていく。
それだけは誰にも奪えないし、決して失くさないんだ。
それが、何かどうしようもなく嬉しくて。
コツコツと習い事を始めた。
気がつけば、ピアノやヴァイオリン、チェロ、ドラム、フルートとかの楽器を一通り、それに水彩、油絵、彫刻、木工もやって、他に料理なんかもそれなりに出来るようになっていた。
あとは水泳とか、社交ダンスとか、車の修理とかも習得したぜ。
今日という一日が過ぎても、また同じ日が来て何もかもがリセットされても、それでも変わらずに俺の中に「この日」を過ごした証拠が残る。
たとえそれを知っているのが俺だけだとしても。
朝になって、皆がまた俺を忘れて、またもう一度今日という日が始まるとしても。
俺の中には、消えて無くなったそれまでの今日が無駄じゃなかったって証拠が残るから。
それが俺の支えになって。
だから俺は毎日続く同じ今日という日を前向きに頑張れた。
つまり元々これって、自分のために身につけたスキルだったんだよな。
それでも、自分を納得させるために身につけたスキルが、意外と村の皆の役に立つことに気づいて。
日々リセットされる虚しさを何とかスルーしつつ、それでもそれなりの充足感を味わえるようになったんだ。
それでも村の皆の初対面の挨拶を聞くたび、胸が抉られるような寂しさを感じてはいたけどさ。
もう、ありのままを受け止めるしかない、そう思ったから。
そうして、もう何度リセットしたかを数えることも諦めた頃。
体感的に言うと、何十年とこの今日という日を繰り返した気がするほど、この日が続いた後。
俺はようやくあの子に出会ったんだ。