なんのまだまだ
意識を失ってたのは多分、10分か20分ほどだと思う。
目を開けた時には、横で女の子が大泣きしていて、その隣には母親らしきお腹の大きな女性がぺこぺこと頭を下げていた。
心配だから医者を呼ぶと言うのを振り切って、俺はレストランへと向かおうとして。
そこで気づいた。
ポケットに入れた瓶が割れている。
中身が漏れて、ポケットに薄いシミを作っている。
ああ、失敗したんだ。
もう薬は飲めない。
じいちゃん、ごめん。
そう思った。
途中にどこか薬局があるかもしれない、なんて考えて、結局そのままレストランに向かったけれど。
残念ながらレストランへの通り沿いに薬局はなくて。
窓越しに、食事を頬張るじいちゃんの姿を見つめていた。
・・・薬がなくても、早めに治療を受ければ何とかなるかも。
倒れる時間に合わせて、救急車を呼んでおけばいいんじゃないか?
そうすれば、病院に着くまで保つかもしれない。
俺は、昨日の出来事を思い出し、じいちゃんが倒れたおおよその時間を割り出すと、大体その数分後に到着するよう計算して救急に電話をかけておく。
そして、食事を終えたじいちゃんを昨日と同じ手口で引き止めて。
予想通りの時刻に発作が起きたが、その3分後に救急車が到着してじいちゃんを運んで行った。
前回とは違って、病院に到着寸前に亡くなることもなく。
カラカラと車輪を鳴らして、じいちゃんは処置室へと運ばれて行く。
中からは医師や看護師たちの声がした。
その声の一つが、あの薬の名前を言っている。
よし、今度こそ。
大丈夫だ、そう安堵した時。
「先ほどの処置でその薬を使ったばかりで・・・今、補充するようスタッフに取りに行かせたところです」
もうそろそろ戻って来ると思いますが、と聞こえてきた俺の顔は真っ青になっていたことだろう。
だって、駄目だ。
もうじき時間だ。じいちゃんの脈が止まってしまう。
前に時計を見て確認したんだから。
「先生・・・っ! 脈が・・・っ」
それからすぐに、廊下の先からバタバタと急ぐ足音が聞こえてきたけど。
薬瓶を抱えたスタッフさんが、慌てて処置室の中に入って行ったけど。
もう分かってる。
薬が間に合わなかったってことは、素人の俺でも。
今日も息子さんは泣き崩れていた。
その次の日の今日。
俺は女の子の救助は無視してレストランに行った。
ポケットには薬の瓶。
大丈夫。今日は割れていない。
あの女の子のことは気にはなるけど、たかが木登り。
命に関わるような怪我にはならないだろう。
重要度で言ったら、こっちだ。
何て言うんだっけ? こういうの。
緊急度と重要度で助ける人を選ぶやつ。
そうだ、トリアージだ。
仕方ない。
この決断は正しい。
正しい、筈だ。
そう思いながら、目の前で発作を起こしたじいちゃんに薬を飲ませ、念のためにと救急車も呼ぶ。
駆けつけた救急隊員さんは、意識はないままだけど呼吸は落ち着いているじいちゃんを見て、もう大丈夫だと笑った。
念のためにと呼んだ家族の人は、慌てて駆けつけて来て、それはやっぱりあの息子さんで。
薬を持ってなかったなんてとまずは驚いて、それから俺に感謝して、その後は意識の戻ったじいちゃんを叱っていた。
安堵の涙を浮かべてながら、これからは必ず薬を確認してくれ、と。
じいちゃんは、すまんと言って照れ臭そうに笑った。
その光景を見てホッとした。
やっと助けられたと安堵した。
だけどその後、やっぱりどうにも気になってあの子の家へと向かった。
大した怪我じゃない筈、そう自分に言い聞かせながら。
家の前に、あの子はいなかった。
折れた木の枝が落ちていたけど、女の子も子猫もいない。
でも、家の中も妙に静かで。
何人か家の周囲に見かけたから、何かあったんですかと聞いてみた。
そしたら。
「木から落ちそうになった女の子を咄嗟に母親が受け止めたんだけど、その衝撃でお腹が痛くなったらしくて病院に」
「・・・っ!」
母親。
受け止めた。
お腹。
痛くなって病院?
それって。
「・・・あ・・・」
思い出した。
あの子の母親、お腹が大きかった。
妊娠してた。赤ちゃんがいたんだ。
「くそ・・・っ!」
俺のせいじゃない。それは分かってる。
俺の力でどうこうしようなんて考え自体が傲慢なんだってことも。
分かってる、けど。
何が起きるかを知っていたのは俺だけで。
明日またやって来る今日に何が起きるかを知っているのも俺だけなんだ。