諦めるのはまだ早い
朝、眼が覚める。
いつもの朝。いつもの天井。いつもの鳥の鳴き声。
俺は起き上がるなり、溜息を吐いた。
結局、昨日はじいちゃんを助けられなかった。
俺が急いで呼んだ救急車は、あの後しばらくして現場に到着した。
その場で応急の処置をして、救急車に乗せて搬送して。
関係者のような顔をして俺も付き添わせてもらって、でも。
病院にもうすぐ着くそのタイミングで、じいちゃんは心拍停止状態に陥った。
もう俺に出来ることは何一つ残っていなかった。
「・・・何で今日に限って持っていなかったんだ。せめて薬を携帯してくれていれば・・・」
「・・・?」
病院からの連絡を受けて駆けつけた家族の人が悔しそうにそんな言葉を零すのが聞こえて。
一瞬、何のことかわからなくて、俺はじっとその人のことを見つめた。
そしたら、視線に気づいたのだろう、その人はこう続けた。
「父は心臓の機能に不安があったのです。それでいつも薬を持ち歩いているのですが・・・」
何かあっても、それをきちんと飲みさえすれば日常生活に支障はなかったのだ、と悔しそうに呟いていた。
「・・・それは何ていう薬ですか?」
俺は思わず、息子さんにそう聞いていた。
そして、今日という名の翌日。
俺はいつものように朝早く起きて取材に行った。
ロン爺ちゃんのところだ。
ここのところずっとそうしていたように、歩きで海岸沿いをてくてく歩く。
通りすがりの例のガキが、いつものように道端ですっ転ぶ。
俺は絆創膏を取り出して、そいつの膝に貼ってやる。
さあ、今日は忙しいぞ。
ロン爺ちゃんの取材が終わったら、そろそろ店や施設が開く時間になる。
・・・薬局に行かなくちゃ。
まずはあの薬を手に入れる。
そしたら、そのままレストランに直行だ。
待ってろよ、じいちゃん。
俺が必ず助けてみせるからな。
薬局で目当ての薬を購入し、レストランへと向かう。
まだ時間は十分に余裕はあるけど、どうにも気が急いて早足になってしまう。
ポケットに入れた薬の瓶を、何度も何度も確かめながら、レストランまでの道のりを半分ほど進んだ頃だろうか。
赤レンガの家の庭先に、一本の大きな木があって。
その木に登っている少女の姿が目に入った。
女の子が木登り? お転婆だな。
まず最初にそう思ったのはソレだけど、よくよく見れば、掴まっている枝の先に子猫がいる。
子猫が木に登ったはいいが、降りられなくなった、そんなところか。
そして子猫を助けに行って、女の子まで降りられなくなってからの今の状況だろう。
女の子からすればそれなりに怖い高さかもしれないが、大人の俺からすれば、頭よりも1メートルちょいある程度の高さだ。
下から受け止めたとしても何の問題も起こらない。
・・・仕方ねぇな。
まだ時間はたっぷりある。
俺は木の下に行き、受け止めてやるから飛び降りろ、そう言おうとして、枝がみしり、と鳴った事に気づいた。
ヤバい。枝が折れる。
そう思ったのとほぼ同時に、バキッと大きな音がして、少し太めの大枝と、子猫と、女の子が一度に降ってきた。
まず絶対に受け止めなきゃいけないのは女の子。だけど子猫も見捨てるわけにはいかない。
成猫ならともかく、あの小ささじゃあ心許ない。
なんとか女の子を空中で受け止めて、慌てて子猫を探す。
見つからない。そう思った時、背中に軽い衝撃とチクッとした痛みが走った。
・・・自力で背中に着地したか。
取材帰りでジャケットを羽織ってて助かった。
爪が肌に食い込むまではいかなかったみたいだ。
完全に防御できた訳ではないから、痛いと言えば痛いが。
・・・明日はもう少し厚着をしないと。
シャツの重ね着をするか?
いやそれとも下着を二枚重ねるとか、下にタオルを巻いておくとか?
そんな事を考える前に、折れた枝がどこに落ちてきてるかをちゃんと見てれば良かったんだ、俺は。
ごいん! と大きな音を立てて、中太の枝は俺の頭の上に落下した。
ああ・・・俺って馬鹿だな・・・
そんな無意味な反省をしながら、俺は気を失った。