解放
あれから5年後。
今も私はダンと出会った海辺の漁師町にいる。
もうホテルには泊まっていないけどね。
小さいけれど居心地のいい家を買い、そこに家族で引っ越したのだ。
「まま~」
「はーい、いい子ね、テルー。もう少しで駅に着くからね」
横で私の手を握りトテトテと歩くのは、可愛い娘テルー。
2歳と3ヶ月の可愛い盛り。
そしてもちろん父親は・・・。
「ロクサーヌ、テルー!」
「ぱぱ!」
「ダン! お帰りなさい!」
そう。
私の運命の人、ダンだ。
あの夜。
酔い潰れたダンを腕に抱きしめながら眠った私は、次の日の朝を無事にその部屋で迎えたのだ --- そう、二人で。
目が覚めた後のダンの様子は傑作だった。
「・・・え? なんで、どうして?」
私の腕の中、真っ赤になったり、青くなったり、コロコロと顔色を変えながら、戸惑いの声を上げていた。
もちろん、私も驚いたわよ。
だけど、私の驚きなんか目じゃないくらい、ダンは動揺していた。動揺しまくり、と言うべきか。
自分の置かれた状況をどうにも理解出来ないらしく、ダンは驚きのあまり固まっていて。
私は、と言えば、まあ寝ぼけていたから、最初はちょっと反応が淡白だったんだけどね。
ループの怖さを身をもって知っていなかったって事もあったと思う。
だから、態度もかなりのんびりとしたもので。
「ダン・・・おはよう・・・」
むにゃむにゃと呟く私に向かって、「え? ええと、おは、よう?」と焦りつつも返してきたダンは、本当に混乱しきっていた。
まだ半分夢見心地の私は、この辺りから段々と目が覚めてくる。
・・・そして、ようやく気づいたのだ。
未だ私の腕の中にしっかりと閉じ込められているダンが、真っ赤な顔をして、何とかして私の腕から逃れようと必死になっていることを。
羞恥で一気に目が覚める。
ぱっと勢いよく腕を解き、私は飛び起きた。
ダンもノロノロと起き上がる。
恥ずかしさと混乱とで、もう訳が分からない。
「なんでダンがここに・・・? 次の日になる前に巻き戻る筈じゃ・・・?」
「そう、そうなんだよ。なんで俺は・・・今までずっと抜け出せなくて、なのに、どうして今日は・・・」
「・・・もしかして場所が変わったせい? ほらここ、ダンの部屋じゃないでしょ?」
「・・・何で俺が君の部屋で目が覚めたのか、そこのところの事情はよく分からないけど、でもそれはループから抜け出せた事とは関係ないと思う。前にも試した事があるし」
聞けば、これまでにも自宅に戻ったり、別の場所に移動したりと、いろいろ試した事があるらしい。
「・・・え、じゃあどうして」
まさか、もしかして。
「・・・嘘でしょ。お伽噺じゃあるまいし、まさか本当にキスで解けるとか・・・?」
「・・・キス?」
・・・あ。
「キスって何のことだ? まさか魚のキスとか言わないよな?」
「あ、あの、それが実は・・・」
「実は、なに? ロクサーヌ、寝てる俺に何をしたの?」
ようやくループを抜け出せたその理由を知りたいのだろう。
ダンは真面目な顔で、ジリジリとこちらに迫ってくる。
だけど。
だけど私からすれば、その答えを告げることはちょっと、いやかなり恥ずかしくて。
「もう、女に何を言わせるのっ! 追求しないで~っ!」
思わず、手元にあった枕を、ダンにぽすんと投げつけた。
いや、真剣に答えを知りたがっているのは分かるんだけど。
分かるんだけどね。
「・・・」
「・・・あ」
でも結局、今の行動が返事の代わりとなってしまった事は間違いない。
ダンが瞬時でゆでダコのように真っ赤になった。
「ただいま、テルー。いい子にしてたか?」
「うん!」
自分の足にしがみついた幼い娘を、ダンは軽々と抱き上げる。
歓声をあげて喜ぶ娘の姿に、こちらまでつられて笑ってしまう。
ループを抜け出せた理由は、はっきりとは分からない。多分、アレのせいだとは思うけど。
何千回、何万回と出会いを繰り返したのに、キス一つしていなかったとは驚きだ。
ダンが意外と奥手だったとか、私が意外と手が早かったとか、そんな事はもうどうでもよくて。
ループが解けたその日の朝に、私たちはその後の人生を共にすることを決め、そのままベッドインしたのだ。
婚姻届はその後に出すことになったけど、この際、順番が逆だとか指摘しないでほしい。
そして、私たちは運命の出会いを果たしたこの町に住むことに決めた。
今さらだけど、滞在二日間で既に町の人気者となっていたダンの移住は、町民のほぼ全員が双手を挙げて賛成して。
家は、ジェロさんという男性が条件に合った物件をすぐに見つけてきてくれた。
それも、びっくりする様な破格の値段で。
不動産屋のジェロさんの話によると、彼の父親の命の恩人がダンなのだとか。
発作を起こして危うく死にかけたところを、ダンのお陰で助かったらしい。
どうやら、ダンの一日お助けマンの恩恵を受けた一人のようだった。
そんなこんなで素敵な可愛らしい家を、とんでもない安値で手に入れた私たちは、ループが解けた半年後には再びこの町に舞い戻る事になる。
そして約2年後に、私は娘テルーを生んだ。
「お仕事、お疲れさま。帰ったらすぐにご飯にしようね」
「ああ。今回の仕事の後は少し長めの休暇を取ってあるから。家族3人でゆっくりしよう」
そう言ってダンは私の頬にキスを落とした。
「ぱぱ! てるーも、てるーも、ちゅーする!」
それを見たテルーが、ダンの腕の中で羨ましいと騒ぎ出す。
ダンは嬉しくて堪らないといった表情で、テルーを抱え直して。
「勿論だよ。俺のお姫さま」
ちゅっとほっぺたにキスをした。
ダンは、ループの期間は悪夢のようだったと言う。
だけど同時に、感謝もしているんだとか。
あのループがなければ、きっと私たちが今こうしてここにいる事は絶対になかった筈だとダンは言うのだ。
ダンは他人に無関心なままで。
一日ずれてこの町を訪れていた私とも、きっと関わることはなかっただろうと。
だから、あの地獄のようなループは、私と出会うための試練だったと思うことにしたんだって。
それを聞いたらダンにばかり大変な思いをさせたと、申し訳なくなったけど。
でも、その後に考え直したの。
頑張って、苦労して、一生懸命に私と出会おうとしてくれたダンのために。
これからは私が全力を尽くして、貴方を幸せにしてあげようって。
そんな事を考えてニマニマとしている私を、ダンが不思議そうな顔をして覗き込む。
「ロクサーヌ? なんだか嬉しそうだね、どうしたの?」
「ふふ、内緒。教えてあげない」
私は、秘めたる決意を心にしまい込み、ただぎゅっとダンの手を握った。
町ですれ違う人たちは、皆私たちを見て「お帰り」と親しげに声をかける。
ダンも私も、それにテルーも、それに答えて挨拶を返す。
ループが解けた今も、ダンはこよなくこの町を愛している。
そして、そんなダンが私は大好きだ。
ねえ、ダン。
覚悟しててね。
これから、私が全力で、一生かけて、貴方を幸せにしてみせるから。
無限ループをくぐり抜けて私と出会ってくれた貴方には、これから幸せしか待ってないんだからね。
【完】
これにて完結です。
読んで下さった方々、どうもありがとうございました。




