くだを巻いて、酔い潰れて
・・・ダンの言う通り、彼が本当にこの日一日だけを延々と繰り返しているのなら。
ロクサーヌは、バーの中央でピアノを演奏しているダンの姿を見つめながら、思案していた。
明日になれば、私の前にダンはいない。
そしてダンを知らない私が、この町に来て、またダンと出会うのことになるのかな。
そう考えて、胸がつきりと痛んだ。
この胸の痛みが何なのか、私はもう気づいている。
これまでの私も、ダンにこんな気持ちを抱いたのだろうか。
ダンは、タイムリープに嵌るまでピアノなんて弾くどころか触ったこともないと言っていた。
サンドアートも、絵も、車の修理も、料理も、全部この終わりのないループの中で覚えていったのだ、と。
蓄積されていく知識だけが、ダンにとって時の流れを感じさせてくれる唯一のもので。
それ以外の全てのものは、ループと共に失くなってしまうのだ。
そうダンは言った。
『だからこれは特別なんだ』
『俺の手元に残った唯一のものだったんだよ』
紙ナプキンにいきなりペンで描いただけの、完成度が高いとはとても言えない似顔絵。
遊びで描いたような似顔絵を、ダンは大切そうに胸ポケットにしまった。
特別。
その言葉に心臓が跳ねた。
もうすぐ、曲が終わる。
ロクサーヌはもう一度、楽しそうにピアノを演奏するダンを見た。
『俺ってね、ろくな人間じゃなかったんだよ』
タイムリープが起きる前はね。
自嘲めいた笑みを浮かべて、ダンはそう言った。
『他人に興味なんか、これっぽっちもなくてさ。関わりを持つのも、会話するのも面倒って思ってた』
それが今じゃ、関わりを持ちたくて必死で、一日限定のお助けマンみたいな事やってるけどね。
そう話す彼の口元は確かに笑っていて。
でも私の目には、どうしても泣いているようにしか見えなくて。
どれだけの時間、この一日に閉じ込められたままでいたんだろう。
それでもこの人は、笑ってその一日を過ごすことに決めたのだ。
信じられない程のスキルを山の様に身につけて、それを人のために惜しげもなく使って。
涙で視界が滲む。
こちらの席に戻って来るダンの姿がぼやけた。
「ええと、あの、ロクサーヌさん?」
「うだうだ言わない! ほら、どんどん飲んで!」
ダンの前には、お洒落なカクテルやウィスキーのグラスが所狭しと並んでいた。
「やけ酒だ~! 今夜は飲むぞ~!」
「え、ちょっ、待っ。ロクサーヌ、君は酒にそんなに強くないだろっ?」
「さすがよく知ってるね~。そうよ、あまり強くないわよ。私を心配してくれるんならダンが飲んで? 確かさっき、お酒に強いって言ってたよね?」
「いや、それはまあ、かなり強い方だとは思うけど。でもこれは流石に多すぎるよ」
「い~のっ!やけ酒なんだから、思いっきり飲んで愚痴を溢しましょ~! そしてダンを苦しめるこのループを存分に罵倒してやりましょ~!」
「ば、罵倒?」
そう言いながらグラスを手に取った私を見て青ざめたダンは、慌てて私の手からグラスを引ったくって飲み干した。
「ああもう・・・ロクサーヌはこれ以上、飲んじゃダメ。もう2杯飲んじゃっただろ? しかも、いつもよりも強いヤツ。残りは俺がもらうから」
私は笑顔でダンの背中をバンバンと叩いた。
「よ~しよし。偉いぞ、ダンくん! 今夜は思いっきり飲んで、憂さを晴らしましょ~!」
ダンの話では、この後にピアノ担当の人が到着するって言うから、もう酔っ払っても大丈夫な筈。
ごめんね、無理やりで。
もうね、見てられないの。
繰り返すループに絶望して、諦めて、何もかもを呑み込むことにしたダンは、私に笑ってしかくれないから。
どれだけの事を心の中に溜め込んでいても、もうそれを表に出そうともしないから。
体はリセットされても、心はリセットされない。
悲しみは、苦しみは、受けたストレスは、どんどんどんどん溜まっていくばかり。
もう、そんな事すら感じない程に、感覚が麻痺してしまってるのかもしれないけれど。
そんなダンを思うと、涙が出た。
それをぐいっと袖で拭って、笑顔を作る。
「おお~っ、いい飲みっぷりですねぇ~」
パチパチと拍手を送る私を、ダンは苦笑しながらも優しく見つめてくれる。
そして、ダンは次のグラスに手を伸ばした。
今夜は飲もうと決めたみたいだ。
「まったく、もう。ロクサーヌには敵わねえなあ」
お酒で気が緩んだのか、少し口調が変わった。
そうよ、言いたいことは溜め込まずにどんどん言って。何でも聞くから。
今日は、ダンがずっと溜め込んできたものを少しでも吐き出させるの。
少しでも、彼の心が楽になるように。
せめて、明日また来る今日を、少しでも心を楽にして迎えられるように。




