やっと、今の俺に興味を持ったから今日は俺様記念日
あの日、ハリスは寮の部屋まで送ると、そのまま帰る気だった。きっと疲れただろうと思ってのことだった。それから、一人になりたかろうとも思ってだった。
しかし、実際は、彼女は服の裾をちょんと掴んで「紅茶くらい、飲んで行きなさいよ」と鼻を鳴らして言ったので、そのまま帰ることにはならなかった。
「風邪、ひいたら申し訳ないじゃない」と彼女はさっさと自分で用意し始めた。彼が手伝おうとすると、キッと睨まれてできなかった。
そうして、おとなしく紅茶をいただいて、さあ、帰ろうと思ったが、彼女の顔がどう見ても「今、私は一人になりたくない」というものであったから、ハリスはぐっと飛び出しそうな己の下心をおさめて一緒にいることにした。
彼女はとくになにを話すわけでもなく、ソファーに座って刺繍をしたりなんやりしていた。ハリスは喋ればいいのか黙ればいいのかわからず、紅茶をおかわりしまくり、お腹がたぷたぷになった。
寮の自由時間が終わり、帰り際のこと。
「あの……、お礼したいから、あなたの好きなもの教えて」
そう言われ、彼は思わず「え、アンナだけど……」と答えたあと、真っ赤になって「あ! あ! 違うよな! うん、そういう意味じゃなくて、いや、好きだけど! アンナのことは好きだけどさ、そういう質問じゃないよな! 好きだけど!」
「そう大きな声で言わないで…!」
「あ、悪い!」
彼女は耳を赤くしながら「お礼なんだから、お菓子だとか、服だとか、そういうのがあるでしょ」と睨みあげてきて、もう、ものすごく心臓がギュッ! となった。
「じゃあ、俺、カップケーキが食べたいです」
「わかった、買ってくるわ。あのお店でいいわよね?」
「いや、あんたの手作りがいい」
「は?」
「どうせもらうなら手作りがいいです」
「私作ったことがない!」と慌てて、無理だと言おうとしたが、寮母さんがやってきてハリスを追い立ててしまい、とうとう彼女は、断れもできなかった。しめた、と思って、逆にハリスは「じゃあ、頼んだあ!」なんてニコニコした笑顔で手を大きく振って去って行った。
そうして次の日である。
朝に迎えにやってきた時に断ろうと思ったが、断ろうとしてくることぐらい分かっていたハリスは真っ先に材料から道具、レシピにいたるまで用意しており、結局断ることができなかった。
道具を入れた袋を持って、呆然と「うそでしょ」というような顔をしているのを笑いつつも「頼んだ。楽しみにしてる」とピカピカした笑顔で言った。
ため息ひとつで頷いて「頑張ってみるわ…」と答えたので、ハリスは当たり前にもガッツポーズを決めた。
教室は中々に入りづらいものであった。特にアンナにとっては。
もちろん、マシューもマリアもそうではあったが、彼らの場合はお互いがいるというだけで、なによりも勝る勇気がもらえるのだろう。彼女は少し沈んだ目で睨んだが、すぐにそらせた。彼女がなにやらモヤモヤしまくっていることぐらい分かっているので、いつもよりお気楽陽気におしゃべりをしまくり、アンナは笑って「バカ」とぽそっと言った。
その言い方がどこか優しく甘えたものがあって、ハリスは当たり前にも嬉しかった。
休み時間に入ると、アンナの友人たちがわっとやってきて「やるじゃないの。手作りなんて……」とか「安心して、絶対に作らせるから!」とか「大丈夫よ、ちゃあんと監修もするし」なんて話しかけられた。
「はっはっは! いや、ありがたいや! まあ、アンナはなんだかんだ言って、甘いところがあるし、誠実っていうか、真面目だから作ってくれるだろうとは思ってたんだが、一人で作るとなると不安なのでは? これは俺が出る出番では? しかし、俺が手伝えば全部やってしまう気がする。それじゃいけない! 俺は、アンナの手作りがたべたいんだっ! と思って悩んでたところなんだ、ありがとう、ありがとう。ついでに作ってるところもみたいんだが……」
「絶対いや!」
「ということだから、俺は悲しいが見れないんだ。見れない……。悲しい、悲しい話だ! そんなわけで、頼んだ!」
友人たちは「オッケー! 任された!」と気前よく「ちゃんとどんな様子だったか、教えるわね!」と言うと、アンナの背中を押して「じゃ、おしゃべりでもしてなさいな」とニコニコ離れていった。ハリスは「ありがとう!」と手を振りながらも目線はアンナに向かっていた。
彼女は「恥ずかしいんだから……」と髪をさっさと整えて「大丈夫よ、ちゃんとおいしいのになると思うから」とぼそぼそと言った。
「おう、まあ、なんにせよ好きな人につくってもらうご飯ってうまいよな!」
「ま……!」
「え、なに? 俺、変なこと言った?」
「そうじゃないけど。とりあえず、ちゃんと作るわ、約束する。……友達の一人にお菓子作りの上手な子がいるんだけど、その、あなた、どういうのが好きなの?」
「うーん、しっとりめ? バターがきいてる感じが好きかも。あと甘めがいい。ほら、俺、紅茶でもコーヒーでもガンガン砂糖入れるだろ? 甘すぎかもってくらいが嬉しいといいますか、まあ、できる範囲でいいんだけど、甘めで!」
そう、と頷くと、ハリスは少しばかりだらしのない顔で「へへへ」と目尻を下げた。
なによ、という顔をしてみせると「いやあ、へへ、俺の好みを聞いてくれるなんて嬉しいなあ……」としみじみと言った。
「まあ、当然でしょ、お礼なんだから。特別じゃありません」ときっぱり言い放ったのを友人らが後ろで「特別でしょ!」と声を揃えて否定し、彼女はバッと振り返った。耳が赤くなっているのを見て、ハリスはさらに目尻を下げた。
「そっかあ、特別かあ」
「ち、違うわ!」
「へへへ、そっかあ……」
「違うったら、ただのお礼だってば……!」
「アンナ、諦めなさい!」
「そうよ、嬉しそうなんだしいいじゃない」
「茶化さないで!」
「はーい」と友人らは黙った。その間もハリスはにこにこにっこりしている。
特別だろうがそうじゃなかろうが、ハリス的には、自分の好みを聞いてくれるようになったのが嬉しかった。要するに、今の俺を知りたいってことだろ? と思わずニコニコしてしまうのだ。
チャイムがなり、彼はそのまま帰り、授業の先生に「ハリス、お前、なんでそんなにニコニコしてるんだ……?」と気味が悪そうに言われた。ちなみにそれに対する返しは「青春の今、最高のところを目指して登ってる最中だからニコニコしちゃうんです、うふ!」だった。先生は頷きつつも強面のにこにこ顔をやはり気味悪そうに見ていた。
さて、そうして昼休みに入っても、帰り際になってもずうーっと彼はにこにこと嬉しそうだった。それには、さすがにアンナも不気味に思ったのか、それとも周りがざわついていたからか「あなた、もっと締りのある顔にできないの」なんて聞いた。
「うぅーん、難しいなあ。だって、ひとりでにニコニコしちゃってるんだもん。あふれでる俺の気持ちってやつ?」
「なによそれ…」と呆れ顔のアンナに「要するに、俺は今最高に嬉しいってこと!」と答えた。
「はいはい、カップケーキはちゃんと作るから。そんなに好きなのね、カップケーキ」
「いや、そうじゃないんだが、まあそうとも言えるというか、なんというか……」
「なんなの?」「アンナが、その、俺にやっと興味を持った感じがして大変嬉しかったっていうか」
「は?」
「だって、今まで、俺の好きなものとか聞かなかったじゃん! それがお礼だとしてもだぞ、お礼だとしても! 俺がなにを好きかって気にしてくれて。それって、要するに、俺に興味がわいてきたってことで、俺のこと気にしてるってことだと思ってさ! ほら、普通なら、適当に好きそうなもの考えて、昨日のお礼って渡すだろ? そこを、俺に好きなものはなにかって聞いてくれて、俺、なんていうか、すごく嬉しかったんだ…」
「そ、そうなの…」と少しばかり耳を赤くしてうつむいた。
「あ、これからも、どんどん俺に色々聞いてくれると嬉しいな」とニッコリして、彼女の前に立ち「だって、俺、アンナにもっと俺のこと知って欲しいし、俺もアンナのこと知りたいしさ。いいだろ?」と後ろ向きに歩き始めた。
危ないわよ、と肘のあたりの袖を握ると、ハリスは歩みをゆっくり止めて「俺のこと、もっと興味を持ってくれ。ちなみに俺はいろんなところからアンナがなにを好きとか嫌いとか聞いてるから。あ、でも、知らないこともいっぱいあるから聞きたい。ダメか?」と顔を覗き込んだ。
「ダメじゃないけど…」
「そっか!」とピカピカした笑顔で部屋まで送り届けると「じゃあ、明日か明後日かはわからないけど、楽しみにしてるから!」と言って、男子寮に帰ってしまった。
アンナは部屋に入って、ドアにもたれかかり、ううんと唸って、耳を覆った。真っ赤な耳は熱を持っていて、彼女は、困った、とだけ呟いた。
「きっと、気のせいよ。昨日ので変に気にしてるだけなのよ。そうよ……」と言ったが、あのピカピカの笑顔を思い出して、また耳が熱くなったような気がして頭を振るった。
もんもんとお菓子作りの用意をしていると、友人たちがドヤドヤとやってきて「カップケーキ作る材料はあるんでしょう?」だとか「そこまで用意するなんて色々と計画的よね」だとか「確実に埋めてってるわ、外堀」だなんだとか言いながら、ちゃっちゃと準備を手伝ってくれ、手順を読み上げたりなんかしてくれた。なんとか試作の一つ目を作り上げた。案外できるものらしい。
アンナは「いけないことはないわね……。次は一人でやってみる」と言って、一人で材料を測ったりし始めた。
友人は後ろで流行りの小説を読んだり、ボードゲームをしたりしつつも、様子を伺っていた。
完成した二つ目もそれなりのお味であったので「私、案外やっぱりできるんじゃない。初めてにしては良い出来よ」と自画自賛。
後ろから覗き込んで「ねえ、アンナ、彼のこと正直けっこう好きでしょ」と聞いてきた。
「は……」
「マシュー相手にだって手作りなんてしなかったし」
「それは頼まれなかったからよ」
「そうかもしれないけど、それくらいグイグイくるタイプの方が好きでしょ?」
「なに言ってるのよ」
「アンナ、私たちさ、こうしてちょっとからかってるけど、あなたのこと心配してるの」
それにくるりと振り向けば、友人たちは少しばかり傷ついたようなそれでいて優しい顔をしてこちらを見ていた。
「マシューとのアレ、最初聞いた時、すっごく驚いたし、すごく、なんていうのかな。ムカついた。アンナにもちょっとだけムカついた」
「え……」
「だって、最初に話してくれた時、絶対、私たちのことも友達だけど、だからこそ話したっていうより、協力してくれそうっていうのだったでしょ。だから、それにムカついたの。打算なしに話して欲しかった。欲張りかもしれないけどさ」
「そうだよぉ! あのね、そりゃあ、社交界だのなんだのありますから、そういう狡猾な人間になるのも仕方がないわよ? でも、この学校っていう場所くらい、それなしだっていいじゃない。でも、ま、協力してくれそうって思ってくれたのは、嬉しいけどね。変だけど」
「そうそ……。だからね、私たち、今度こそっていうのも、あれだけどさ、アンナにいい男と寄り添って欲しいの。なんか裏でもあるのではって思わないでよ? ただたんに野次馬よ、野次馬」
「嘘つけ、心配だってだけなくせに」
「あ! 言わないでよ、バカー!」
「ハリスが出てこなきゃ、私たちがマシューとマリアさんとのあれこれ、出張る気だったのよ? だって、すっごいムカつくわよねー!」
「ねー! でもま、婚約破棄するって言ってから、本気でマリアさんばっかりだし、そこはまあ評価してやらんでもないが、破棄の仕方!」
「そう! それ! ないわよね、あれ!」
「ないない! あの時、アンナのところにすぐにいけなくてごめんね」
「あの状況で行こうったって難しいけど、本当にごめんね。私、あなたが傷つくのを目の前で見てたのになにもできなかった……」
「後悔したってしょうがないけどさ……。まあ、だから、ね、今度、もし、まあないと思うけど、ハリスとのことでなにかあったらいいなよ? 私たち、今度は絶対、絶対、どんな状況でも飛び出して、手袋を振り回してビンタかますから!」
「そうよ、私もやるわよ。多勢に無勢で勝てるわよ!」
「そう、女の体力なめるなって話!」
あはははは! と友人たちは豪快に笑った。それにアンナも笑いながらちょっぴり目尻に涙が浮かんだ。友人はおしゃべりしながらハンカチでそれを拭って、にっこりと笑った。
「打算も混みでも、心配は心配だから」
「またそういう言い方する!」
「アンナ、大丈夫。なにがどうって言われても、根拠とかないけど、大丈夫だよ。ハリスもいるし、私たちもいる。一人じゃないんだよ。ね?」
「うん」
「おかし作り一緒にできる友人がいるんだからさ! 大丈夫だって! 一口もらい!」
「あ、バカ! 私が狙ってたのに!」
アンナはふっと吹き出して、口に手も当てずに笑った。笑って、笑って「ああ、私、あなたたちが大好きよ!」と抱きしめた。
こうして友情の再確認をしつつ、カップケーキが十五ほどできた。内、八個は四人で食べた。
初めてにしては上出来よね、だとか、今度はクッキーやってみましょうよ、なんてかしましくおしゃべりをしながら一日を終えた。
渡した時、ハリスはどんな顔をするかしら、と考えながら眠りについた。