デート!
アンナは机の前で唸っていた。そういえば、両親に破棄だなんだと言い渡されたことを伝えていなかったので、マリアに協力すべく手紙を書こうにも書けないのだ。
彼女自身、あれこれとショックであったり、言いたくないというので忘れたふりをしていたが、もう向き合わなくてはならないらしい。そうすると、本当に自分が情けなくて泣きたくなってくるのだった。
両親は、多分、慰めの言葉や、しょうがないという言葉、それからちょっとした世間体的なお叱りをくれるだろうが、結局、まあ、しょうがないで終わってくれるだろう。とは言っても、アンナはどうしても情けなくて嫌だった。
両親にそんなことを言いたくない、手紙に書きたくない。自分が悪いんじゃないと叫びたいが、それも出てこない。申し訳なく思うものの、どうしようもないことで、彼女は勝負からすでに降り切っており、また、取り合おうなんていう気は起きない。どう両親に伝えればいいのか、彼女はわからなかった。
そうして数日程度、うんうんと唸り続けた。
同じクラスのマシューは圧をかけるように見てくるし、マリアもマリアで感謝するような、待つような目で見つめてくるのが鬱陶しいやら辛いやらで鬱々とする。手紙は書けない、両親を思い出して情けなくて悲しい、二人の目が鬱陶しくて苛立つ。
それを払拭するために、断り続けていた、彼とのデートをオーケーした。
もちろん、ハリスは飛び上がって喜び、自分のクラスの全員に大きな声で「ワタクシ、ハリスは、アンナさんとデートすることになりましたっ!」と報告し、全員から祝福され、胴上げされ、喜びの舞だとでもいうように、彼女を抱え上げて、くるくる回った。
もちろん、アンナはすぐに怒ったように「下ろして!」と叫んだ。
それに、彼は嬉しそうにピカピカした笑顔で、それはもうそうっと下ろして「ごめん!」と言った。それに、なんだか怒ることもできずに「うん」とだけ頷いた。
さて、デートであるが、彼は毎時間、彼女の教室に訪れるので、オーケーした理由は察しがついており、ストレス発散にいい場所を、寮で友人に聞き取りまくり、どうにかこうにかデートプランを完成させた。
プランと言いつつ、ただたんに店の場所を地図に書き込んだだけなのだが。なにせ彼は、何回もデートをする予定である。だから、友人たちのように特別といったようにギチギチにデートプランを固める気はなかったのだ。
デートをオーケーしたと聞き、友人たちは彼女の部屋に突撃し、就寝時間まで女子会に次ぐ女子会、ドレスを決められ、化粧を何度かし、髪をどうするだのなんだのという話をした。アンナは「デートって言っても、そんな甘い雰囲気にはならなし、ただ遊びに行くだけだから」と言ったが、友人たちは頑として「だとしても、可愛い格好をするの!」と譲らなかった。
そうしてデート当日、部屋にやってきたハリスは、意外とセンスのいい格好をしてやってきた。
部屋の中で支度を手伝っていた友人は、ワッと彼を取り囲んで「あんまり歩かせないでね」だとか「おしゃれね、気合い入れた?」だとか「デート楽しんでね!」だとか言った。彼は笑顔でそれに頷いたり答えたりしながら、彼女の方を見て「用意はいいか?」とだけ聞いた。
「え、ええ……」と不満そうな物足りなさそうな表情で彼女は頷いた。
友人たちはニヤニヤと先に部屋を出ると、やはり、アンナの背中を押して「楽しんでってねえ! 遅く帰ってきても寮母さんにちゃあんと言っとくから!」と手を大きく振って見送った。
二人はそれに「遅くならないうちに帰る」と答えて寮を出た。
少し町を歩いたところで、やっとハリスはまともに彼女を見て「今日の格好、すごく可愛いな」と言った。
「部屋で見た時も思ったんだけど、ほら、アンナの友人いただろ? だから、なんか言い出しづらかったんだ。なんか引きとめられて、どこがいい、とか質問ぜめされそうでさ。そしたら、デートの時間が少なくなるだろ? それって、すごく最悪だしさ。あと、まあ、普通に見惚れてたといいますか、普通に照れたと言いますか、それで、まあ、俺らしくもなく、言うのが遅くなったってわけです……」
「そうなの」
「そうなの。本当はすぐかわいい! って言いたかったんだけどさ、質問ぜめにされて時間取られるの嫌でさ。あ、友人に面白いところがないか色々聞いたんだけど、アンナ、行きたいとこあるか?」
「うーん、特にないわ」
「じゃあ、サーカスの近くのさ、的当てゲームとかある場所に行かないか?」
「いいけど、遠いの?」
「近くさ」とポケットに入れていた地図を広げて「ココなんだけど」
「あら」
「ん? 遠かったか?」
「あなた、こんなに調べたの? いっぱい印がついてるわ」
「へへ、まあ調べるのは嫌いじゃないし、どうせ、またデートに誘うしさ。いいだろ、誘っても」
「え、ええ、いいけど……」とまじまじ印のたくさんついた地図を見て「私、なんだか、申し訳なくなってきちゃった」とつぶやいた。
「なんで?」
「だって、私、あなたがこんなに調べてるなんて思わなかったんだもの……」
「ははは! 気にしいだな、アンナは! いいんだよ、俺がやりたかったことだから。それより、早く行こうぜ、うまくいけば、サーカスも観れる!」と肩を叩いてうながした。
彼女はすごく軽い気持ちで、どうせ近くでお茶でもして適当に見て回って終わるのだろう、としか考えていなかった。ハリスがこんなにも調べ上げてくるなんていうのは思いもしなかったし、彼女はようやく、彼が本当に自分のことを想ってくれているのだ、というのを実感した。
隣を見上げれば、強面の背の高い男はニコニコとしており、自分の方を時折に見ては、優しげに微笑んでくる。
そういえば、マシューはどうだった?
と、彼女は突然に思った。彼のことは考えないようにしていたのに、突然、そう思ったのだ。比較するつもりはなかった。が、自然と比較し始めていた。
マシューはどちらかというとインドア派だったし、彼女の部屋にはあまり遊びに来なかった。まあ、それが普通なのではあるが、お義理の婚約者だとしても、遊びに誘われたことはなかった。彼女が誘う方であった。そうでなければ、彼は寮の中ですごしたし、彼女は勝手に一人で出かけていた。
友人たちの婚約者はお義理だとしても、遊びに誘った。それを時々、照れ臭そうに友人が報告してくるのが可愛らしかった。それと同時にどこか寂しくも感じていた。自分は、誘われた報告はできないのだ。
もともと、好き合っていたわけではない。それなりにはすいていたが、それだけだ。
そんなことを考えている内に、目的地までついてしまった。
はっとして「案外近いのね」と言えば「言っただろ、近いって」と得意そうに答えられた。ハリスは上の空になっているのがわかっていたが、追求しなかった。
彼女が今、あの時のショックを引きずっており、今もその最中で、気にしないとは言ったもの、整理がついていないことくらいわかっていたからだ。
サーカス小屋からは、わあっという歓声が聞こえ、音楽なんかも聞こえてくる。
近くに建てられた遊べる小屋は、上に的の看板があったり、人形の看板があったりと様々だ。彼はキョロキョロと見回して、少年のように弾んだ声で「どこから行くっ?」と聞いた。
「どこからでも……」と言いかけて、彼はここまで調べてくれたんだから、と「ボール当てるやつ!」とニッコリと笑った。
ハリスは少しだけ目を見開いた後「おう!」と頷いた。
ボールを怪獣の頭に当てて倒すゲームには、何人かの人が集まっていた。ハリスはこのために小銭を用意しており、ちゃんとすんなりとゲームができた。
アンナはボールをつかんで、エイと投げた。へなちょこなボールで、怪獣は倒れなかった。ボールはまだ5つあり、彼女はどんどん投げたが、ちっとも倒れない。
「お嬢さん、弱いねえ、もっと、コウ!」と腕をふるって「投げなくちゃ!」と店のおじさん。
ムッとして「わかってます」と3つ目のボールを振りかぶった。
斜め後ろにいたハリスは、上から手を掴んで「手首じゃなくて、腕で振るんだ」とそのまま、軽く肘に触りながら教えた。彼女は少しだけドッキリしつつも言われた通りに投げた。すると、今度はへなちょこのへなが消えたようなものになり、ぽうんと頭ではないが肩あたりに当たった。
「やった! 当たったわ!」と思わず満面の笑みで振り返れば「うん、やったな!」と彼がまるで見守るように見つめている。アンナはなぜか恥ずかしくなって、ふっと顔を反らせ、もう一球なげた。
今度は頭に当たったが倒れなかった。
最後の一球になり「ねえ、あなた、やってみせてよ」とハリスに渡した。
「いいの?」
「ええ、私ばっかり楽しんじゃダメでしょ?」
「ダメじゃないぜ。俺、アンナが楽しんでんの見るのが楽しいから」
「いいから、やって!」とぐいっと押し付けると、彼は仕方がなさそうに、しかし待ってました、とばかりに振りかぶって投げた。
素晴らしい投球であった。
頭にポンと当たると、看板は綺麗にぱったりと倒れた。店主は驚いた顔で彼を見つめた。なぜって下に接着剤を薄くではあるが塗っており、倒れにくくしていたからだ。
そんなことは知らないハリスはアンナに自慢するように胸を反らせて「どうだ、かっこいいだろ!」といい、アンナは「ええ、そうね」と頷いた。
「おじさん、賞品」と手を差し出し、店主は悲しげにテディーベアを渡した。賞品がテディーベアなのは、女の子がお父さんにねだるようにさせるためで、娘に弱いのは親父の常だからそれで稼げるのだ。
ともかく、賞品をもらった彼はニコニコクマを抱えて「次はどこに行く?」と彼女に聞いた。
「あら、パンチングマシーンですって!」と指差した先にはバネのついたグローブが。審判らしいおじさんが『ヘビー級』とか看板をあげていた。
彼女は楽しげにぴょこぴょこ近づいていった。
まさかやるってのか? と彼は思ったが、そもそも、彼女、イライラしていたんだし、ちょうどいいのでは? と彼は思ったし、彼女も、公に誰かを、まあ、グローブだが殴っていいというのは嬉しかった。
彼女は男ばかりの列に平然と並び、お金を渡して、パンチングマシーンに向き合った。おじさんは、なにかに納得するように深く頷き「存分にぶつけるといい」とだけ言った。
そして、当たり前にも彼女はパンチングマシーンに苛立ちをぶつけた。もうぶつけまくった。おじさんは静かに『天才!』だとか『もっとやれ』だとかの看板を掲げ、すっきりした顔で汗を拭う彼女に最後『くまちゃん級』という看板を出して「またよろしく」とつぶやいた。彼女はにっこりと「ええ、また」と握手してマシンの前から去った。
その後も小屋を制覇するように二人は遊び、タイミングよくサーカスが始まったので一緒に眺めて、拍手をしたり、わっと驚いたり、ハラハラしたりした。
サーカスを存分に楽しんだ二人はほくほくと「いやあ、すごかった」と頷きながら小屋から出てきた。その時には、そろそろ夕方に差し掛かる頃で、一番星がこっそりと輝いていた。
彼女はくるっと楽しそうに回って「あ、あんなところに回転木馬がある!」と走っていった。
今まで頭を悩ましていたものはすっかりなくなったらしく、柵から乗り出してキラキラした顔で見つめている。
「ねえ、乗りましょう!」と振り向いた笑顔が、あの時の惚れた時の笑顔にそっくりだった。
ハリスは少し息を飲んだ後、頷き、ああ、やっぱり、俺はアンナが好きだ、と思った。
二人は木馬に乗り込んだ。きゃっきゃとあの頃と寸分変わらぬ無邪気さで笑い、ハリスはぼうっと彼女を見つめていた。
「ハリス、またきましょうね」
「ああ」と頷いた笑顔がとろけたような優しい色をしていて、彼女はドキリとした。
「楽しかったわ、ありがとう」
「俺も楽しかった。また、デートしてくれるよな」と手を差し出すと、彼女は迷わずにその手をとって「もちろんよ」と笑んだ。
回転木馬のランプがキラキラと光っていて、彼女の瞳が美しかった。
「綺麗だ…」
「は?」
彼は曖昧に笑って「アンナがだよ」とだけ答えた。
彼女の手がするりと離れて、ハリスは自分の手を固く握り締めた。
「……私、本当に、またきたいと思ってるのよ、あなたと」
ハリスは耳の少し赤くなった愛くるしい横顔をじっと見つめ「嬉しいよ。俺、いつでも、アンナと色んな場所に行くよ。行きたいと思ってるんだ。……アンナ」と手を差し伸べようとしたところで回転木馬が止まり「降りて周りを押さずにお戻りくださーい」と言われて、引っ込めた。
降りるのを手伝い手を少し握ったが、すぐに離れてしまった。彼は急ぎすぎたかもしれん、と反省した。
二人は少しだけぎこちなくとぼとぼと帰路についた。
途中でお茶でもしないか、という気だったのだが、なぜだか憚られた。
寮の玄関先のランプはもう灯っており、お互いの寮に行き来できる時間は終わっていた。ハリスは女子寮の玄関口まで送り届けると、寂しそうに笑って「また、明日」とだけ言った。
「ええ、また」
「……アンナ、また行こうな!」といつも通りの笑顔を見せて、元気に背を向けて、男子寮にかえっていった。
実際は、なんとなくセンチメンタルな気分で、彼はとぼとぼと背を丸めはしなかったが、いつものピカピカした笑顔を見せず、友人におざなりの返事をしながら部屋に戻ったのだった。
彼女の方はというと、楽しかったが、なんだか胸がざわついてしょうがなかった。
目の前の問題を思い出さず、両親への手紙も書かず、手につかず、そのまま、その日は眠りについたのだった。