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浮かれてても君のことを考えてる

 朝、爽やかに、ではないが、ともかく目覚めたアンナは、用意をして、紅茶をちびっと飲んで少し休んでから部屋を出た。

 その途端に「おはよう、アンナ!」との元気な声。

 ドアの隣で待ってたらしいハリスはニコニコ「もしも、俺が口説けるような状況になったら、こうしようって思ってたんだ! 朝からアンナにおはようって言えるの、嬉しいな。俺、ずっと夢だったんだ。朝にアンナにおはようって言って、おはようって返されるのが。もうすっごく幸せって感じしないか? しない? 俺はするんだ。おはよう、アンナ! 何度言っても楽しいな、おはよう、アンナ!」

「え、ええ、おはよう…。待ってたの?」

「だってさ、今までなら、婚約者がいるからって遠慮してたけど、もういないってことは、どれだけ俺が朝っぱらに迎えに行っておはようって言ってもいいってわけだろ? なら、いかないわけがないじゃないか。あ、毎朝、この時間に出てくのか? 俺、部屋の前で待つより、寮の玄関の方が良かったか?」

「別に部屋の前でもどこでもいいけど」

「じゃあ、部屋の前で待っとくな!」

 その笑顔に犬のふさふさした尻尾が横に勢いよく動いている幻覚が見えた。

「今日の授業は小テストがでるんだ。俺、小テストにな、一つ、かしてるルールがあるんだ。それがなにを隠そう、予習をしない」

「え、大丈夫なの?」

「大丈夫な時と大丈夫じゃない時がある。あれは己の実力やわかってないところを測るもんだからさ、いつもコツコツやっていることを出すだけだろ? だから、俺予習しないんだ。かわりに復習する。アンナはどうだ?」

「普通に勉強するわ」

「へへ、そうか……」となにやらジーンときている様子。

 不思議そうに眺めているアンナに慌てて言い訳のように「アンナとさ、こういう学校って感じの話できると思ってなかったから、嬉しくって! 期末テストも終わったけどさ、また、来年もこういう話しような!」とこれまたキラキラした笑顔でいった。

 凶悪な顔なのになんでこんなかわいいんだ。

 思わずアンナは頭を撫でた。

 それにハッ! とした顔をして、ハリスの方も頭を撫でた。

 キラキラした笑顔で「撫であいっこだな!」と言われ、なぜか彼女は罪悪感を抱いた。

 ともかく、この浮かれ上がってスキップでも踏み出しそうな、いや、一回本当にスキップしてしまった浮かれんボーイハリスは、彼女のクラスの前に立ち止まって驚いたような表情をして「ここまで、十分はかかるはずだぞ…」とじっとアンナを見つめた。

「十分くらいは経ってると思うわ」と時計を指差した。

「ほ、ほんとだ……」としょんぼりしている彼になんとなく彼女は「ギリギリになるまでここにいたら?」と言ってしまった。

「い、いいのか!」と彼はぐっと身体を前のめりにした聞いた。

「別に、迷惑ではないのだし?」

「やった!」とガッツポーズをしたところでマシューがマリアと一緒にやってきた。それを見て、アンナは嫌に胸がキツキツした。しかし、彼女は笑顔で「御機嫌ようお二人とも」とあいさつをした。二人ともそれに返した。

 ハリスはアンナの顔を見た後、まるで隠すように大きな背の後ろにやると、にこやかにマシューに近づき「この間は、思わず勢いでお礼を言ってしまったが、改めて言わせてほしい。俺にチャンスをくれてありがとう。あんたのこと、尊敬するよ。これは嫌味じゃない。本気だ。本気で感謝してるんだぜ! サンキュー、マシュー!」と手を取って、ぐっと握手をする。

「え、あ、ああ、そう、かい……?」

「本当に感謝してるんだ。もうチャンスがないかもしれないって思ってたところだからさ。その人とお幸せにな」

 そうにこやかに手を離すと、アンナの方に向かっていき「顔色が悪いな。少し休んだ方がいいかも」と心配そうな顔をした。近くの誰かに、アンナが体調が悪そうだから、付きそうから、遅れると言っておいてくれ、と頼んで、実際はちっとも体調が悪くないアンナを引っ張って、保健室に向かった。

「先生、彼女、体調が少し悪いみたいなんだ。休ませてやってよ」

「ああ、いいよ」

「ありがとう。俺、ちょっとだけ付き添ってていい?」

 保険医は苦笑して、いいとも、と頷いた。

 丁寧にベッドまでエスコートしつつ「さっき、本当に顔が青かった、大丈夫か?」と気遣われ、彼女は少しムッと「青くなんかなってないわ」と言った。

「なあ、昨日、飯食った?」

「ご飯…? 食べたわ、一応」

「一応ね。スープだけとか?」

 それにグッと答えを詰まらせると、彼はヘラリと笑って「まあ、そういうもんだろうな。俺も経験あるもん。もちろん、それはアンナが婚約してるって知った時だけどな。俺は、なんか身体が頑丈丈夫だからいいけど、あんたは辛いだろ。これから、少しでいいから、一緒に食べようぜ。な、いいだろ。俺、アンナと昼飯とか食べたかったんだ」と優しい目で見つめた。

 彼女は、迷った末にこくんと頷いた。

「ジュースなら飲めるか?」

「ええ」

「パンとかは?」

「小さめのやつ…。トマト挟んだサンドウィッチ」

「了解! じゃ、俺、ちょっと買いに行くから、あ、お金は後ででいいぜ」とベッドのカーテンを開けると、先生、俺、ちょっと彼女のためにジュースと食いもん買ってきます! とかけて行ってしまった。

 保険医が少し顔を覗かせ「ああも一生懸命だとかわいいもんですね。ご飯を食べていないんでしょう? ダイエットだのなんだので、そういう子がたまにくるんですよ。そんなのしなくてもいいのにねえ」と苦笑いをした。

「私はダイエットじゃありません…。ただ、昨日、夢中になって本を読みすぎて食べるのを怠っただけです」

「じゃあ、そういうことにしておきましょう。まあ、あなたがダイエットをしていないというのは存じていますからね。野暮なことは聞きませんよ。居づらかったら、いつでも保健室にいらっしゃい」

「……はい」

「よろしい。では、三十分後くらいに様子を見ますから、行けそうならいきましょうね」

「はい、ありがとうございます」

 保険医はにっこりとカーテンを閉めた。

 チャイムが鳴ってから、数分して彼が飛び込んできた。カーテンをパッと開けて「買ってきた」と山ほどジュースとサンドウィッチを抱えているのをどさどさとベッドの上に置いた。

「こんなに食べれないわ」

「あ、俺も食うから。実は朝飯食うの忘れてたのに気がついてさ。へへ、楽しみすぎてうっかり忘れてたみたい。あ、これがトマト。まずはジュースから飲んで腹ごなししないと痛くなるからな。ゆっくりでいいから、ちゃんと噛むんだぜ」

「ありがとう、ハリス」

 そう微笑まれて、彼は顔を真っ赤にしながらもピカピカ笑って「おう! 愛しのアンナのためだからな!」と鼻を掻いた。

「あなた、父や兄みたいに恥ずかしいこと言えるのね」

「恥ずかしいことか? 俺さ、いろんなとこ行って、色々思ったんだよ。なんでもちゃんと口に出して、表情に出さなきゃわからないって。そんでそれをちゃんと伝えるのは大事なことだって。それが慣れた相手であってもな。だから、恥ずかしいとは思わないな。ま、俺がここの常識に慣れてないからそう思うのかもしれないけど」

「ふふ、大丈夫よ。知ってるでしょう、うちの家族。そんなこと言われたところで恥ずかしいと思わないんだから」

「へへ、そりゃよかった。そうそう、一応聞いとくけど、マシューのことなんだかんだショックだったろ」

「え…」

「じゃなきゃ、食欲は落ちないし、さっきもマシューとええと……誰か忘れたけど、隣の子見て顔色が少し悪くなった。飯を食ってないせいもあると思うけど」

「ショックなんかじゃなかったわ」

 とっさに言葉に出ていた。

「ちっともショックなんかじゃなかった。だって、私、彼のことはいい人だそれなりには好いているって思ってたけど、ここまでじゃない。そんな深刻なほどじゃないわ!」

「そうか、それならいいんだ。だったら、あいつじゃなくて、俺だけを見てくれ」

 それに眉をひそめ、どこか憂いを帯びた顔をした。

「悪い」とボソッと言って、彼はアンナをぐっと抱き寄せた。

「あんたさ、本当は自覚してるかもしれないけど、ショックだったんだよ。それほどじゃない、そこまで好きじゃないってのは本当かもしれないけど、でも、ショックなもんはショックだったんだ。深刻じゃなくても同じことさ」

「違うったら……」

「俺、アンナのこと、一時期っていうか転入してからずーっと見てきて、なんとなく感じてることがわかるようになったっていうか、なんていうか、まあ、自分より他人の方が自分を理解してるみたいな、そういうことで。あー、なにが言いたいんだって話だけど、とりあえず、あんたはショックを受けても当然で、それを笑うやつなんかいないし、いたとしても、ここで全部流せば問題ないって話だ! 俺、ジュースとかサンドウィッチ食べてるから、まあ、抱きしめませんで、胸をお貸ししますよお嬢様」

「なによそれ」

 ハリスはそうっとぎこちなく背中を撫で始めた。大きく暖かい手が優しく、それになぜだか泣けてきて、彼女はそのまま肩にまぶたを押し付けて泣いた。声を殺して、悔しそうに時々拳をきつく握って泣いた。

 そうとう悔しかったんだな、とハリスは思った。手のひらに爪の跡が残るかもしれないと思ったが、彼はなにもしなかった。本当にサンドウィッチを食べてジュースを飲むだけだった。彼は彼女のそういう意地っ張りなところもふくめて丸っと惚れ込んでいた。

 三十分して保険医が見にくると、彼の膝に頬をつけて寝ている彼女がいた。

「おやおや、まあまあ……」

「先生、俺、足、しびれて、うごけない」

「移動させればいいでしょうに」

「だって、起こしたら悪いしさ。多分、昨日、あんまりねれてないぜ」

「でしょうねえ。しかし、泣かせましたか。まあ、時には泣かせることも大事ですしね、お咎めなしでいましょう。じゃ、どかすので耐えなさいね」

「うっす」と顔を引き締め、あの痺れたあとの不快な痛いわけじゃないのにめちゃくちゃ辛い感覚をグッと耐えた。彼女がきちんとスウスウ寝息を立てていることを確認すると「先生、俺、しびれが治ったら、すぐに教室にいくよ」と言った。

「当たり前です。不当なサボりは認めませんよ。はい、頑張った青年に先生からのプレゼントです。あなたの好きな甘ったるい飲み物…。よくこんなあまったるいの飲めますね」

「へへ、そんな意地悪言うなって。先生ありがとう」

 保険医はにっこりと「しびれが治ったら行くんですよ」とまたカーテンの向こうに行った。

 彼は痺れた足をぷらぷら辛くない範囲で動かしつつ、異国で気に入った甘ったるい飲み物を飲みながら彼女の顔をじっと見つめた。目が腫れている。

「うーん、オープン狼だとしても、これは触っちゃいけないやつだな、うん」と自戒を込めて呟き、彼はまだ少し痺れのある足で立ち上がり、そうっとカーテンから出て行った。

「そんじゃ、先生、プレゼントありがと、彼女のことよろしく」

「ええ、頼まれました」

 彼はニコッと笑って、保健室から出て行った。

 さて、それから彼は休み時間に抜け出すこともなく、昼休みまでクラスでワイワイニコニコして小テストで全て満点を叩き出し、これはアンナに見せねば……と大切にしまい込んだ。なにせ彼女の兄は遊び人でふらふらしているくせして国で一番すごい大学に現役で通って、なんの苦労もなく「デートしたい子が別の学校にいる」とか言って、違う難関校に行くというアクロバティックにアホ丸出しのことをする頭の無駄と言われるような人なのだ。それに勝たねばならない! と昔「兄さんは頭が良くてカッコいいのよ」と惚れ惚れした表情で言っていたのだから、せめてもの努力をせねばならない。そして、せめて頭はそれなりによろしいんですよ、というアピールをしてグッと心を掴むのだ!

 昼休みになり、友人たちに断りを入れ……断りと言うよりきっぱりと「アンナがノーと言わない限り、お前たちとは飯を食わない。すまないな、俺は愛に生きる男なのだっ!」と男泣きに別れを告げて、彼女のクラスへと向かった。

「アンナさんはいますか?」という質問にクラスメートの誰かが「いないわ。なんか帰ったとか。そんなに具合が悪かったの?」と言ったので、慌てて、保健室に直行した。

「せ、せ、先生! 先生、アンナは!」

「保健室ではお静かに。まあ、今は生徒がいないからいいですが」

「うるさくしてすみませんでした! アンナは!」

「はあ…、お部屋に戻られましたよ」

「先生、ありがとう!」

「栄養のあるものを持って行くんですよ、サンドウィッチじゃなく!」

「わかってまーす」

 と、たったか食堂に行き、二人分のご飯をもらうと、たったか彼女の部屋に向かった。

 トレーを二つ持って手でノックできないから、悪いと思いつつ、足でノックした。

「俺! 飯持ってきた。入れて」

 少しの物音の後に目を少し腫らした彼女が出てきてこちらを見上げた。

「あ、悪い。俺も一緒に食べるつもりできちまった」

「……いいわ、どうせ、今更取り繕ってもしょうがないもの。入って」

「ありがとう。これ、一応消化に優しいものにした。あー、スープもついててな、特別にアンナの好きなパンプキンスープにしたんだ」

「ありがとう。机、そこ……」

「先生が、ちゃんと栄養あるもの食べろって。明日も休むか?」

「いいえ、行くわ!」とキッとして言ったので、おもわず「うおっ」と勢いにのけぞった。

「よくよく考えると、好きだなんだじゃなくて、ただただ、私、悔しかっただけなのよ! お母様もお姉様もきちんと手綱をとってるのに私だけできなくて……。自分がなさけないし、次にそういうことが起きそうな時はもっとうまくやってやるわ! 私、マシューのことなんかどうでもいいんだから! ただただムカつくだけなの! そんなのに負けてたまるか! 食べるわよ、ハリス!」

「おう! 元気が出たならなによりだ!」

「んー、おいしい!」

「そっか、俺もおいしい」

 パクパクと勢いよく食べて行くのを見て、ハリスは嬉しく思った。ともかく、元気が一番である。彼女のことを考慮せずに口説いて言いよるなんていうのはしたくなかった。あくまでも彼女を元気付け、かつ自分を好きになってもらうのが一番なのだ。なにはともあれ相手のことをまず考えることだ。

「あ、アンナ、ソースついてる」

「どこ?」

「ここ、ここ。違う違う、あー、俺が取る」とひょいと立ち上がって口の端についたソースを取り、ハンカチで拭った。

「……昔から思ってたんだけど、あなたって人との距離が近いわよね」

「えっ、俺、そんなことないと思うけど。だって、自分で言うのもなんだけど、嫌なやつには近づかないし、慣れてる相手くらいだぜ、近いのは。それでも……、それでも、まあ、アンナより近いやつはいないかな」

「へー」

「あれっ、疑ってる? 疑ってるの? まじだって! 俺がここまでするの。本当にアンナだけだからな。友達でも親友でも、ここまでやらないぜ。俺、案外テリトリーの範囲が狭いから、ここまでしない。アンナが好きだからここまでするんだ」

「本当にぃ?」

「本当だって!」

「でもあなた、なんだかんだでみんなにしてそうよね。普通に、俺、お前のこと友達だと思ってるからとかって。あと、朝もマシューにずんずん近づいてって握手してたし」

「あ、あれは…、感謝とついでに牽制で握手しただけで、他に他意はないぜ。本当に! あ、でも、正直、まあ、ムカつくと言いますか、なんと言いますか。ありがてえって思うけど、それと同時になにしてくれてんだ、こいつ! とも思うわけで……。元婚約者だからって、でしゃばったりされたらいやだから、なんか、さ…」

「ふふ、そうなの?」

「そうなんだよ。俺、結構色々考えてんのよ」

 アンナはちらりと時計を見ると「そろそろ行かないと遅れちゃうんじゃない?」と言った。それに、慌てて「あ、俺、行くな! じゃあな!」とトレーをひょいと持って部屋から出て行こうとし、ドアの前で立ち止まって「アンナ、好きだぜ! じゃあな!」と今度こそ本当に行ってしまった。

 彼女はなぜだか口角が上がったまま「変な人ね」とぼそりと呟いた。

 廊下を走る彼の耳は赤く、クラスメイトにどこか嬉しそうに祝福するように、あれこれと言われ、さらに真っ赤になったのだった。

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