小高い丘に建つ館(3)
多くのカスタムが施されたサイドカーに乗っているのは、黒衣の狩人とその従者だ。彼らは、ジャガーのFタイプが止まっている館の前にサイドカーを止めれば、エンジンは掛けたまま、ヘッドライトを扉に向けて、降り立つ。ヘッドライトの灯りに浮かび上がる二人の姿は異様とも言えた。
鍔の広い帽子に、襟を立て口元を隠す漆黒のロングコートを羽織る男。彼こそが狩人。もう一人はギターケースを背負ったメイドである。纏うメイド服は肘に革製のプロテクターを付け、口元を布地で覆っている。彼等は厳しい眼差しで館を見据えた後に、何の恐れすら見せずに扉を開けようとした。だが、開かない。
「招かざる来客は、入れないか? マスターキーを使う、離れていろ」
「了解です、旦那様」
メイドが一歩離れると、黒衣の男はコートの内側からマチェーテを取り出し、問答無用でドアノブに叩きつける。けたたましい音が響くと、マチェーテの刃先は易々と錠前部分を破壊し、その後に青白い火花が散る。それを確認してから黒衣の男は扉を荒々しく蹴飛ばした。怪異の抵抗虚しく、扉は大音声を上げて開かれた。
ソレの――怪異の呪圏が打ち破られたのか、ジャックは玄関口に響く物音や、開け放たれた扉に驚き固まってしまう。そして、ヘッドライトの光が真っ直ぐに館の内部を照らすのに合わせ、まぶしさにすぐに視線を逸らした。そんなジャックを見つけた二人の闖入者は微かに笑みを浮かべて声を掛けた。
「ミスター・コールですね? お父上よりの依頼であなたを助けに来ました。――アリシア、ミスター・コールを外にお連れしろ」
「あ、ああ。親父が?」
何が何だか分からないジャックだったが、今は助かったと言う気持ちの方が強く戸惑いながらメイドに誘われ、館の外へと歩き出す。逃がさぬと怪異は思念を飛ばしてジャックを操ろうといするのだが、黒衣の男の周囲には古い力の力場が作用して怪異の力を遮断してしまう。
「ああ、そうそう。――確認ですが、少しばかり内装工事の時間が伸びる事になりますが宜しいですか?」
「あんたは、一体何をする心算だ?」
「感じたでしょう? ここの先客を一掃しなくては、貴方は安全に暮らせない」
その言葉に、ジャックはある都市伝説を思い出した。ゴーストハウスや寂れた山村に潜む化け物を倒す狩人と言う荒唐無稽な伝説を。
「あ、あんたらは、まさか」
「正真正銘の狩人、さ、旦那様の狩りが始まります。外でお待ちください――直に彼女さんも来てしまいますからね」
そう告げたのはメイドの方で。無機質と言うか平坦な声で告げやってから、微かに笑って黒衣の男の背を見やってから、ジャックを伴い外に出た。途端、扉は唸りを上げて閉まり、獲物を逃したことをそれが怒っていることが容易に分る。
「一人で大丈夫なのか?」
「――この程度の小物なら、私一人で大丈夫でしたよ。旦那様ではオーバーキル……です」
内部の恐怖を知るジャックは、外に出れた安心感と共に狩人の安否を気遣ったが、メイドは絶対の信頼を込めてジャックにそう言い放った。その言葉の正しさをジャックもすぐに分った。何故なら、あの野卑な人に似た化け物たちが飛び跳ねながら、逃れようと足掻くも、容赦ない狩人の攻撃を受けて死んでいく光景が窓の向こうで繰り広げられたのだから。
突然の闖入者は、恐るべき気配を醸し出している。明らかに不味いとソレは考えた。なまじ人との接点が多かったソレは、人と言う存在を良く知っていた。故に恐怖を煽り、操りやすい精神状態にし、思うがままに操作して遊び、食らってきた。それなのに……。それなのに、この黒衣の男は人と同じ形をしていながら、まるで違うのだ。
幾つかの過去の古傷を見つけ、それを抉る為の思念を送り付けた。だが、振るうマチェーテの威力は寸分たがわず、銃の狙いは逸れる事が無い。それ所か、一層にその太刀筋は早くなり、射撃は精度が増していくようだった。ソレは、送る思念が黒衣の狩人に怒りを滾らせるだけの完全な悪手である事に気付かなかった。父の死の情景は彼の心を奮い立たせ、父の友人の死に様は彼の心に一本の芯を通すのみだ。
「悪しき怪異、幻想なれば必ず狩るべし!」
火に油を注ぎこむ様に、それが放つ思念を受けた狩人は怒りを増大させる。増大した怒りは、付け入る隙を与える筈が、怒れば怒るほどに狩人の意識は研ぎ澄まされて行き、絶対の殺意を込めてソレが長年ため込んできた眷属を殺していく。
コルトパイソン、マグナム弾が撃てる中型の回転式拳銃を片手に六発の弾を打ち終えた狩人。ソレの眷属たち……ソレに貪り食われたり、操られた者に殺された犠牲者達の魂とでも言うべき残留思念と、それ自体の肉体が混ざり合った哀れな怪物達にとって反撃の絶好のチャンスだが、彼等は下手に飛び掛かれない。
何故なら、淀みない動作で弾を装填する狩人の動きは熟練している事もあるが、下手に食らい付きに行けば、狩人は即座により殺傷力の高い数多の刃物を振るうのだ。歪な存在になっても、生き残りたいと考えるのがこの世に生まれ落ちた生命の性か、同じような存在が成す術もなく斬られる光景を見ると、中々攻撃に転じる事が出来なかった。結局、銃撃を掻い潜る方が反撃の確率が高いとでも思ったのか、不用意な攻撃を避けているのだ。
だが、黒衣の狩人――アキヒトにとっては、それはそれで楽な仕事になったと言える。眷属が――怪異の肉体の一部を与えられた者がその体たらくであるのならば、怪異自体のレベルと言う物が凡そ測れる。如何やらこの館の怪異、幻想は存在してから精々百年が経過した程度だろう。小物とは言え、取り逃がすと面倒だ。こいつは、自身の住処の隠蔽に特化したタイプだからだ。
思考の合間にもアキヒトは、銃撃を繰り返した。何とか銃撃を逃れようと足掻き、飛び跳ねる眷属の身体をエジプト十字を刻印したマグナム弾が吹き飛ばす。負のエネルギーの塊に、生命の象徴足るエジプト十字――アンクが刻まれた正の破壊エネルギーがぶち当たれば、その衝撃は凄まじく、掠めただけで腕が飛ぶ。最も、人間ではない相手であるから、それでも致命打にはならないのだが。
敵の動き、発せられる思念の位置からソレの居場所が二階であると確信した狩人アキヒトは、再び弾を装填しながら階段を上る。この館に住まう者の狡猾さは、稀に見る物がある。一見弱々しく感じても抜かりなく倒さねば。そう決意を新たにしながら。ここで取り逃がす訳には行かないのだ、この怪異には情報かく乱能力がある。或いはミームの変容とでも言うべき謎めいた力が。
――1970年代に起きた一家惨殺事件、1900年初頭に起きたと言う家族が総出で人を喰らったと言う食人事件、そして1990年代に起きた結婚を控えたカップルとその親族が忽然と消えた事件を結び付けて考える者は居なかった。全て、この館が舞台になっているのにだ。警察の調書にも住所が記載されているのに、誰も事件を結び付ける者は居なかったのだ。
インターネット上にこの館は幾たびか話題になっているが、その全てが居心地の良い田舎の館と言った触れ込みで出回っている。都会の喧騒に疲れたなら、この様な場所で休日を過ごすだけでも良い。そんな書き込みが散見されるのだ。近年にも奇妙な事件が起きた館だと言うのに、その事件については全く書かれていないのだ。そればかりか、事件そのものについてはネット上で検索する事すらできない。アキヒトが知り得た事件は皆、古い新聞に載っていたからだ。
つまり、インターネットと言う存在にこの怪異はうまく適合し、獲物をおびき寄せるために情報を発信しつつ、都合の悪い出来事は消し去っているのだ。そして、それを奇妙な事とは決して思わせないよう人心を操る術がある――。サイモン・スミスの元に、息子について相談に来ていたジャック・コールの父親と偶然出会あわなければ、アキヒトとて気付かないほどの隠蔽能力。決してこの機を逃す訳には行かない。
一歩、一歩。死刑宣告の様に階段を上るアキヒトへ追いすがる様に階下から迫るのは最後の眷属。ジャックならば、それが始めに見た夢に出てきた謝肉祭の開始を告げた老いた家長の慣れの果てと気付けただろう。四つ足でアキヒトの足を掴もうと手を伸ばした野卑な人型の眷属の頭を、黒衣の狩人は愛用のコルトパイソンで、振り向きもせずに打ち抜いた。頭が爆ぜた眷属は血しぶきを上げて階段を転がり落ちるも、すぐにその死体は塵の様に崩れて消えた。――これで眷属の姿は全てなくなった。その魂はあるべき所に還った。
「後は、この館に巣食う怪異のみ」
狩人はやはり死刑宣告の様にそう呟くのだ。