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幻想怪異狩猟譚  作者: キロール
ファイル2 小高い丘に建つ館にて
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小高い丘に建つ館(1)

 ジャック・コールは仮想通貨取引で財を成した。年収の数十年分は優に稼いだ。だと言うのに、老いた父は彼を認めなかった。そんなあぶく銭は、身を滅ぼすだけだというのだ。


「馬鹿なことを。金に何の違いがある?」


 ジャックは苛立たしげに呟き、アクセルを踏み込む。加速し流れゆく田舎の風景を尻目に、新たに手に入れた住まいを目指してジャガーFタイプを走らせた。新居もスポーツカーも肥大化したエゴに従い手にした物だ。彼の父の忠言の真意は、エゴへの戒め。だが、若いジャックは気が付かなかった。気付かずに手に入れてしまったのだ。魔所を。



 車を走らせて片田舎にある小高い丘の上に建つ館にジャックは辿り着いた。人の入れ替わりは多いが、大分安値で手に入れた館。一段高い丘の上にあり周囲を睥睨するかの様だ。館の前で車を止めて、ジャックは周囲を眺める。南は遠く、農家がぽつぽつと並び、麦畑が広がりを見せる。それ以外の三方は山があったり、なだらかな丘陵地帯が広がっている。何処にでもあるような田舎の光景。


 ジャックは、ひとしきりそこからの展望を楽しんだ半面、なんとも言えない忌まわしさを覚えた。山に差し掛かった夕日は周囲を赤く染め上げる。丘陵地帯も、麦畑も、古びた農家の屋根すらも。だが、最も赤く染まっているのが、自身と新たな住居であるという妄想が不意に湧き起こり、ジャックの心を苛立たせる。


「碌に中を見てなかったな。リフォームに手抜かりなど無いだろうな?」


 リフォーム後は、中々この家の内見に来られなかったことを思い出す。悪天候だったり、為替相場に急変があり、株の売り抜けに四苦八苦したり。今回は不動産屋が行けなくなったと連絡があった。仕方なく一人で中を見る為に鍵を借りに行った際の、不動産屋社員のなんとも言えない視線を思い返して、ジャックは更に苛立った。苛立ちのままにドアの鍵を開けて、家の中へと入っていった。


 既に日は暮れている。程なくして、夜の闇が館の周囲を包み込むだろう。彼はここが魔所である事を知らない。いや、多くの人間が知らない。巧妙に姿を隠す人を破滅に導く何者かが巣食う館のドア閉まりきると同時に、風もないのに館の庭木がゆらゆらと揺れ動いた。新たな獲物の到来を喜ぶように。


 屋内はすっかりリフォームされており、ジャックはその仕上がりに満足を覚えていた。古い館である外観は趣があるが内部まで古いのでは話にならないからだ。内装工事屋が陽が沈む前には工事を終えてしまうので、なかなか進まないのだと不動産屋は嘆いていたが、これならば、まあ良いだろう。


 応接室と思しき部屋に足を踏み入れて、添えつけのソファに腰を下ろす。幾分古いが中々に高級なソファを処分するか迷ったが、これならば使い続ける事に問題は無いなと内心ほくそ笑んでジャックは一つ伸びをした。すると、視界の端に、窓から差し込んでくる夕日に反射してきらりと光る物があった。


「何だ?」


 訝しげに立ち上がり、光る物の元へと向かう。内装工事屋が工具でも忘れたのか……? だが、その考えが間違いである事にすぐに気付く。そこに置かれていたのは数枚のブランクDVDだ。明かりを受けて反射するはずだ。その内の一つを拾い上げて、ひっくり返せば表面には表題が稚拙な文字で書かれている。


謝肉祭カーニバルの思い出? ノッティング・ヒル・カーニバルの光景でも撮ったものか?」


 内装業者の忘れ物か? 或いは以前、この館に住んでいた家族の忘れ物か。どちらにせよ、もうすぐ自分が越してくると言うのに片づけていないのは問題ではないか? 再び苛立ちを覚えて、ジャックは不意に困惑した。如何にも、ここに来てから気が短くなった気がする。投資は熱くなったら儲けを出せない、引き際を読み取る冷静さこそが損を最小限にするために必要なのに。


「らしくないな――。それにしても、バーベキューの出来事に結婚式か。バックアップを取ってなかったら、大変だろうな」


 更に数枚のDVDも拾い上げて、確認すれば様々な筆跡で家族の記録を残したと思われる表題がついていた。見ず知らずの家族の思い出が損なわれるのは幾分哀れだ。だが、それだけさと頭を上げれば、流石に暗くなってきたことに気付き、ジャックはDVDを置いて歩き出す。電気がまだ通って居ないのだ、暗くなる前に退散しなくては。そう思うのだが、不意に異様な眠気を覚える。ぐらぐらと視界が揺れるほどの眠気。車の中で一眠りするかと玄関へと向かうべく居間の出口へ歩き始める。と、自身の車が寝心地が良いとは言えないスポーツカーである事を思い出す。


「――何で、ジャガーのFタイプにしたんだったかな。セダン形式の方が好きなのだが」


 つい最近、館の購入すると決めてから買い換えた新車に思考が及んだが、耐えられない眠気に襲われてソファに座り込んで、不覚にもそのまま眠りこけてしまった。そして、奇怪な夢を見た。




 夢の中のジャックは、子供だった。復活祭に供えて46日前から肉を断つ四旬節の時期が来たので謝肉祭カーニバルを行うと古めかしい姿の老いた家長が告げて始まる乱痴気騒らんちきさわぎ。旅人を捕えて処理し、家族で和気藹々《わきあいあい》と行われる恐るべきカニバリズム。その異様な状況に、子供の視点で参加して、調理された人の肉をジャックは当たり前の様に喰らう。そして、四旬節に入れば祝宴や食事の節制を行うのだ。旅人を捕らえてのカニバリズムさえなければ、昔ながらの教徒の生活と言える光景は、酷く歪に見えた。


 ハッとして眠りから覚めると、ジャックは庭先でバーベキューをしていた。八つもの黒ずんだバーベキューコンロ・グリルが並び、その上でこんがりと焼きあがっているのは、自分以外の家族だ。手に持っている手斧には血がべったりとこびり付き、本来焼く筈だったラム肉や野菜は周囲に散乱していた。何故、こんな状況になったのか、まるで見当がつかない。放心したようにジャックは――ジャックの視点主は越してきて数か月の新居を見上げた。それは、ジャックが買い求め、ジャックが今眠っている小高い丘の上にある館であった。家族全員でバーベキューを行っている筈なのに、二階の窓にちらりと何者かが映った。それは、あの冒涜的なカーニバルの開始を宣言した老いた家長に似ていた――。


 声にならない悲鳴を上げてジャックが目を覚ますと、傍らの花嫁は貪り食われていた。悲鳴にならない悲鳴と、咀嚼音。肉が避ける音と助けを乞う言葉。身内だけの小さなお祝いの参列者は口々に絶望の呻きを上げて、招かざる呪われた参列者はゲラゲラと野卑な声を上げて跳ね回っている。先ほど触れ合った唇から不意に絶叫が迸り、息絶えていく花嫁と、それを見るしかできない花婿たるジャック。呪われた参列者たちはその様をゲラゲラと笑い飛び跳ねていたが、ジャックには彼等が誰かに似ている事に気付いた。最早、人と言う形ですらない二足の獣は確かにカニバリズムに陥っていたあの家族によく似ていた。既に人とは言えない逸脱した何かになっていたが――。そして、花嫁を貪っていた何者かは四方に牙を向けた醜い口を広げて、花婿であるジャックに語った。


「我が胎で永遠に混ざり合うが良い」


 宣告と野卑なる者達からの祝福の声。その言葉が花婿の聞いた最後の言葉となり、彼も貪り食われた。


 

 今度こそ、絶叫を上げて飛び起きたジャックは、そこが新居の中である事に気付くまで時を有した。周囲を見渡しても、闇しか其処にはなく、一体自分は何処に居たのか一瞬分らなかった。


 高鳴る鼓動も時間が立てば落ち着き、思考も明瞭になってくる。ああ、内見の途中で寝てしまったか。そう思えばソファより立ち上がって玄関へと向かおうとし、気付く。窓から全く光が差し込んでこない。月明かりも星明りも。先ほどは陽光に反射したDVDを見つけたのに、今は一切光が入ってきていない。窓の方角を間違えたかと周囲を見渡しても、何処にも明かりを見つけ出す事が出来なかった。


「くそ、何だこれは――」


 自身の声が酷く歪んで聞こえてくる。そして、自分の言葉に混じって誰かの囁き声や、周囲を何者かが歩く音が響きだす。それでも、ソファと扉の位置や玄関の位置は何となく分かる、分る筈だ。何かに追われるようにジャック・コールは動き出す。――この館に巣食う怪異は、まだその全容を露わにはしていない。まだ――。

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