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幻想怪異狩猟譚  作者: キロール
ファイル1 原野に近い村にて
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原野に近い村(1)

 牧師、サイモン・スミスは思うのだ。神の存在を否定する者達の言葉を聞いていると、まるで神を便利屋か何かの様に捉えていると。何かをしてくれるから信仰するのではない、生まれた事への感謝の為に信仰するのが正しいと常々考えてきた。見守ってくださるだけで有難い、それだけで生きる活力が湧く、そう感じ、考えてきたこの六〇年は長いようで短かった。


 今でもその考えが間違っていたとは思わない。だが、今は神に縋り付きたいと本気で考えてもいた。テレビから聞こえてくるのはどこぞの大統領が、最後の共産主義者共に関税をかけると息巻いているニュース映像だが、そんな物は如何でも良い。サイモン牧師の背後には、まるで死んだ魚のような眼をした二人の子供がいる。恐るべき脅威から搾取され続けてきた姉と弟。村の者達は見て見ぬふりを続け、姉弟の心は既に死に体であった。村の教会に赴任して二週間。異変に気付き彼らを守る為に行動してきたが、サイモン牧師では力が及ばなかった。故に神に縋りたいと強く思う。


「――この村は――俺の支配下。その二匹は、俺の物だ。死にたくなければ退けよ、坊主。ここじゃ、神なんざ糞の役にも立たねぇ」

「――退かん。儂の信仰に賭けて、いや、人間であると言う自負に賭けて退けん!」


 ざらつく声を聞きながらも、懸命に牧師は抗う。既に数カ所、その長く凶暴な爪で傷を負わされ、そのうち一つが動脈を切り裂いているにも関わらずに。止めどなく流れ落ちる血液、今から神の国に旅立つ――否、死ぬ。最悪食われると自覚しながらも、サイモン牧師は子供たちを守るように立ち塞がっていた。あと少しだ。あと少しだけ時間を稼げば……彼等が来る!


「では、死にな、糞坊主!」


 亀裂の如き笑みを浮かべて、涎に塗れた牙をむき出しにした狼によく似た男は、せせら笑いながら右腕を振り上げる。伸びきった爪はどの様な獣の物より尚、鋭利。ハンドガンの銃弾も銀製品のナイフも大した傷を負わせることが出来ない体毛に覆われた、正に狼男。その彼はサイモン牧師を嘲笑いながら、腕を振り下ろそうとした。瞬間、化け物たる狼男すらぞわりと背筋を粟立たせる殺意を感じて、慌てって飛び退った。何処から、誰が放ったのかと慌てて周囲を見渡す。


 牧師が安どの息を吐き出す。その一方で狼男の視線は忙しなく周囲を彷徨ったが、ドアノブが回る音を聞き一カ所に定まった。ガチャガチャとなるドアノブ。鍵が掛かっている為開かない。すぐにドアを回す音は途絶えた。僅かな静寂の後、開かないドアを蹴破って入り込んでくる黒い影。夏だと言うのに黒のロングコートに身を包み、頭には鍔の広い帽子を被った男。表情はコートの襟元と帽子の影となり分かり難いが、射竦めるような眼光の苛烈さは狼男を怯ませる。コートの男は驚愕している風な狼男目掛けてショットガンの銃口を向けて、躊躇なくトリガーを引いた。


 轟雷の様な発砲音が鳴り響くが、今やは全身を覆う体毛に守られて狼男は然程傷を負わない。両手をクロスさせて鉛弾の雨に耐え切れば、一瞬拍子抜けしたよう表情を浮かべた。それから、獣男はせせら笑いながらコートの男へと近づき。


「脅かせやがって、こんな物効くかよ!」

「効いたら困る、これで死んだら私の仕事じゃなくなる」


 闖入者はショットガンを床に捨ててから、コートの襟元を指先を引っ掛けてずらして笑みを浮かべてみせた。露わになった口元を鑑みるに、まだ若い。それが気に入らない狼男は、獣染みた速さで、しかし、不用意に近づきながら何人もの村人を殺してきた自慢の右腕を掲げて、振り下ろす。


 唸りを上げて振り下ろされた筈の右腕は、空を切ることすら無かった。異常に気付いた狼男が自身の右腕に視線を向けると、肘先から切断された腕が見えた。それから遅れて鮮血が吹き、腕を切り取った相手の黒いコートを赤く染めだす。切り裂かれる筈だった黒コートの男の手にはいつの間にか抜き放ったマチェーテが握られており、刃先に一滴だけ赤い雫が残っていたが、やがて床に落ちた。それとほぼ同時に、吹き飛んだ狼男の右腕が、テレビの中の喧しい大統領の額を貫いた。


「があああああっっ!!」

「狩りの時間だ、狼男」


 少し変わった訛りはあるが、流暢に喋りながら、黒コートの男は痛みに悶えながら逃げ出した狼男の背中にホルスターからハンドガンを抜いて、向けた。


「ショットガンすら通じないのよ、効かないわ」


 何処か無機質な声。戦いの最中、遂に倒れてしまった牧師の傷に布を巻きながらを虚ろな瞳の姉が告げた。金色の髪、白い肌、整った顔立ち、その全てが人形を思わせる程に生気が薄い。極めつけはその双眸、全く光宿らぬ暗い青。彼女は多くの者が狼男に挑み倒れて行くのを見てきた。だから、思わず言葉が出たのだが、黒いコートも男は肩を竦めただけだった。そして、窓ガラスを割って外に飛び出た狼男の背中を狙いトリガーを引く。乾いた音を響かせ放たれた弾丸は、狼男の背中を貫いて腹から飛び出た。驚愕に目を見開く姉弟に一瞥を与えて、黒コートの男は告げる。


「狩人の武器なら効く。安心して、牧師を見てやると良い」


 一言残して黒コートの狩人は外へと向かった。背骨を打ち抜かれても、未だに四肢を蠢かして這いずり逃げようとするタフな狼男を追って。


 夜の村は静かだ。原野にほど近い小さな村の夜は特に。人家など無い筈の原野に灯る明かりは何か、ゆらゆらと蠢く謎めいた人影が何かは狩人に興味はない。ただ、足掻く得物の元に映画に出てくる殺人鬼の様に、ゆっくりとコートの裾を靡かせて歩いて近づく。


「な、何故――お、俺は支配者――それを何故お前は――」

「狩人だからな」


 狩人は一言告げやってからその頭にマチェーテを無造作に突き立てた。頭を潰された狼男が痙攣という無意識な運動を繰り返していたが、その内にそれすらなくなった。狩人がマチェーテを引き抜けば、最早狼男は蠢く事も無く、人を喰らう事も犯す事も出来なくなった。長い年月、小さな村に巣食っていた悪夢は消えた。


 だが、これからが本番なのだと狼男の衣服でマチェーテに付いた血脂を拭いながら思う。月明かりを受けて一瞬煌めいたマチェーテの刀身に刻まれた刻印が露わになった。古き印、真の狩人ならば誰もが身に着ける古き印が刻まれた刀身を鞘へと納め、黒衣の狩人は踵を返す。牧師とあの姉弟を守る戦いは始まったばかりなのだ。

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