表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/16

第5話 全ての始まり、彼のいない時

 ●●●


「ん……ふわあああぁぁぁ……」


 私はベッドから起き上がるなり、絶対に人前では出来ない程の大欠伸をする。よく寝たはずなのに、やけに眠い。それに、身体がダルい。にも関わらずどこか頭の中がフワフワしているような……そんな不思議な感覚に包まれる。が、その奇妙な感覚も、まるで泡沫の夢のように霧消した。

 壁に掛けている時計を見ると、時刻は既に朝の九時を指していた。


「い、いっけない。早く学校に行かなきゃ!」


 今日は8月25日。夏休み最後の一週間、その始まりの日なのだ。今日から、学園祭である心緑祭の準備がいよいよ本格的になってくるわけで……夏休みとは言いながら、大半の生徒は一日中学校で作業をする事になる。それに、人によっては泊まり込みで作業することもある。

 そして私も、この心緑祭では重要な役目を与えられている。それはクラスでやる劇の練習と、PP部での新聞作りだ。劇では主役になったから責任重大だし、かと言って部新聞もおろそかにするわけにもいかない。という事で、私はこれから一週間ずっと朝から晩まで学校で活動するつもりだった。

 早く学校に行かなきゃ……と、慌ててパジャマを脱ごうとすると、ふいに眩暈のようなものが私を襲った。


「あ、れ……?」


 足元が覚束ない。天と地が反転するような、そんな感覚。ふらふら、ふらふらとその場を彷徨い、やがて下着姿のままベッドの元に倒れ込んだ。


「疲れてる、のかな……?」


 そういえば、私は昨日の夜遅くにパパの一言によって急遽決行された一泊二日の旅行から帰ってきたばかりなんだった。きっとそれで疲れているんだろう……。

 私は頬を手のひらで何度かパンパン叩いてから立ち上がり、制服を着る。やはり、いつの間にかさっき感じていた奇妙な感覚はすぐに消え去った。


「みんな、おはよう!」


 私は身支度を終えた後、駆け足で学校の……PP部の部室へと向かった。教室で劇の練習をしなければならなかったが、とりあえず部員の皆に挨拶をしておきたかったのだ。


「おはよーございまーっす」


 最初に返事をしてきたのは香澄ちゃん。今日も今日とて部室のヤングドーナツをパクパク食べている。既に机上には空になった袋が散乱していた。彼女はどこか気怠そうだった。ああ、そういえば香澄ちゃんのクラスはメイド喫茶をやるんだっけ。彼女はどうやら乗り気じゃなかったっぽいし、それでこんなやさぐれているのかもしれない。私は香澄ちゃんのメイド姿、似合うと思うんだけどなあ。


「おっ、トワ。おはよっ」


 今度はヒナ先輩だ。先輩はいつも通り陸上部の練習着姿だ。確か、もうすぐ陸上の大会があるとかで毎日一生懸命練習している。にも関わらず、部にはほぼ毎日顔を出してくれてるし、暇さえあればクラスの出し物の手伝いもちゃんとしているらしい。本当に真面目な人だと思う。


「う、ふふふ……」


 次に、どこからか不気味な笑い声のようなものが聞こえてきた。声の主を探すと、その子は机の上に大量のカードを広げてニヤニヤしているユカちゃんだった。あれはタロットカードってヤツだろうか。だとしたら、やってるのはいつも通り占いかな。……ユカちゃんはクラスの手伝いとかしなくてもいいのだろうか。


「……はあ……」


 続いて聞こえてきたのは酷く不機嫌そうな溜息。この部でそんな溜息を吐きそうな人と言えば紅楼絵先輩ぐらいだろう。私が先輩の方を見やると、先輩はちらと私に一瞥をくれると、小さく舌打ちをする。紅楼絵先輩はいつも機嫌が良いとわ言えなかったが、今日は何だか特に機嫌が悪い気がする。それにいつもは読書ばかりしているはずだけど、今日は腕を組んでいるだけで読書はしていない。それにしても……明らかに私を見て舌打ちした気がするけど、私が何かしたっけ?


「うーっす」


「おはよー」


 そんな私の不安をかき消すように、将くんの元気の良い挨拶が聞こえてくる。将くんはパイプ椅子にどっかりと座って香澄ちゃんのヤングドーナツを一気に口に詰め込もうとしている最中だった、そして、椅子の後ろで、そんな将くんの様子を楽しそうに眺めている女の子……双海美観(みかん)ちゃん。

……双海、()()ちゃん……?何故だろう、突然私の頭の中を猛烈な違和感が駆け巡る。ふと、彼女は前まで別の誰かでは無かったのか?という考えが浮かび上がってくる。ああ、もう。朝から私はどこか調子が悪いように感じる。一体何だって言うんだろう。そんな事、あるわけないじゃないか。


「あれ……ソラはどこ?」


 そうだ、部室にはソラだけがいない。いつもなら私よりも先に来てるはずなんだけど……。不思議に思って部室全体を眺めてみるも、やっぱり見つからない。トイレにでも行ってるのかと思ってソラの荷物も探してみたが、どこにも無い。


「永崎くんなら、今日はお休みよ」


 突然、後ろから声が聞こえてきたことで少し驚く。振り返ると、そこには人の良さそうな笑みを浮かべた我が部の顧問の久遠典子先生……通称ノリ先生が立っていた。


「お休み?ソラが?」


「ええ、さっき電話があって。結構すごい熱らしいの」


「そ、そうなんですか……」


 そっか、ソラはお休みか。私はてっきり、これからの心緑祭の準備をソラとやっていけると思って楽しみにしていたんだけど……。それに、ソラが不在で、ちゃんと新聞は完成するのだろうか?

 心がやけにザワザワする。何とも言えぬ、この不安感。ソラが学校を休むことなんて長い付き合いだし何度か経験している。その時は少し寂しい気持ちはしたけど、今日のように圧し潰されてしまいそうな程の不安に駆られる事なんて無かった。もしかして、ソラの身に何かあったんじゃないか。そんな事を思い始めていると……。


「ちょっと、あんたどういうつもりなの?」


 突然。紅楼絵先輩が椅子から勢いよく立ち上がり、こちらにズカズカと歩み寄ってくる。そして、低くて威圧感のある声で何やら私を糾弾しているようだ。まただ。どうして先輩は、そんなに責めるような目で私を見るの?

 目……そういえば、紅楼絵先輩の眼帯の位置がいつもと違う気がする。いつもは右目を隠していたはずなのに、今日は左目を隠している。それに、彼女の瞳は真っ赤に染まっていた。いつもは確か真っ黒な瞳だったはず……。あれ?本当にそうだったけ?先輩は、元から眼帯は左目にあって、元から瞳は赤だった?


「ねえ、聞いてるわけ?」


「えっ、あ、は、はい……!聞いてます!」


 紅楼絵先輩は私の目の前までやってくると、ギロリとこちらを睨め付ける。まるで、視線だけで人を射殺してしまいそうな、そんな迫力に私はたじろぐ。その瞳に何故だか吸い込まれてしまいそうな、そんな錯角を覚える。


「じゃあ答えて。あんた、何をしたの?」


 紅楼絵先輩は尚も私に問い詰めてくる。いつの間にか、さっき感じていた記憶の混濁のような現象はすっかり無くなっていて、今の私の心の中は、覚えの無い罪を糾弾されている事に対する恐怖心で支配されていた。


「え、えーっと……ご、ごめんなさい……」


「誰も謝れなんて言ってない。何をしたのか、そう聞いてるんだけど?」


「え、あの、その……私にはさっぱり……」


「すっとぼけるつもり!?」


 紅楼絵先輩は腕組みをして、低い声で怒鳴りつける。今にも私は彼女の鋭い視線に射殺されてしまいそうだった。一体どうすればいいの?どうすれば、私は……。


「その辺にしておきなさい、蛇塚さん」


 ぴしゃり、とノリ先生が言う。表情はいつもの穏やかなそれのままだが、声音は少し鋭いものとなっていた。滅多に怒らない先生だったが、その反動か有無を言わさぬような迫力を感じさせた。


「……くっ……」


 紅楼絵先輩は一瞬だけ恨めしそうな視線をノリ先生に寄越すが、すぐに再び私を睨んだ。だが、一度部室中に聞こえる程の大きな舌打ちをすると……先輩は早足で部室を去っていった。


「……はああぁぁぁ……」


 先輩の後姿が見えなくなった後、私は安堵の息を思い切り吐いた。酷く緊張していたらしい。凄まじい脱力感が私を襲う。それと同時に、緊張状態になっていた部室内の雰囲気も弛緩した。


「あ、私は蛇塚さんを追って話聞いてくるわね」


 それだけ言うと、ノリ先生は紅楼絵先輩を追うように早足で部室を去っていった。そして、私も気分を落ち着ける為に荷物を置いて近くに置かれていたパイプ椅子に座り込んだ。


「トワ先輩、なんかやったんすか?」


 香澄ちゃんが少し心配そうに尋ねてくれる。が、私は本当に身に覚えが無かったので、ただ首を横にぶんぶんと振ることしか出来なかった……。


「つーか、さ。さっさと部活始めちまおうぜ?部長も副部長もいないけど、ま、俺らだけでも何とかなるだろ」


「うんうん、それもそうだよねー」


 将くんが椅子から勢いよく立ち上がって場を盛り上げるような大声で言うと、その後ろの美観ちゃんも賛同する。

 うん、そうだよね。何だか朝から色々と変な感じだし、色々気になる事もあるけど……今は部活だ。私の大好きな時間……その時間を、私は今から過ごさなければならないのだから。肝心のソラは不在だけど、きっと長くて三日もすれば戻ってくるはずなんだから。ソラが復帰するまでは、私がちゃんと元気でいなくちゃ、だからね。


「よーし、それじゃ、部活始めよう!」


 私はぱんっと軽く頬を叩いて、努めて元気よく、部活の開始を宣言した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ